第2話 雨中の出会い
どれほど気を失っていたのだろう。
目を覚ますと、隧道の出口は土砂で一部が埋まっていた。完全に塞がれているわけではない。少し掘り広げれば外へ出られそうだ。
雨音が聞こえる。
ゴーン、ゴーン。
どこか遠くから、長く低い鐘の音が二度 響いてきた。
天気予報では午後から雨だったことを思い出した。気を失っている間に、本降りになったらしい。
私は上着のポケットから折り畳み式の雨合羽を取り出して着込み、出口へ向かった。
隙間は狭い。ロックハンマーのピックで土砂をかき出してみる。
これならスコップで掘れそうだ。なんとか脱出できるだろう。
ヘルメットの顎ひもを締め直し、ジャイロキャノピーの荷台から軍手とスコップを取り出すと、隙間を掘り広げ始めた。
そのとき、遠くから人の声が聞こえてきた。
どうやら救助隊が到着したらしい。
助かった。
胸をなで下ろし、さらに掘り進める。
しかし、すぐに違和感を覚えた。
……何語だ?
日本語ではない。アメリカへの留学経験があるので英語なら分かるが、それとも違う。聞いたこともない言葉だった。
まあいい。今は外へ出るのが先だ。
もう少し……。
腹ばいになって土砂をかき分け、前へ進む。
そして、ふいに視界が開けた。
「……どこだ、ここ?」
思わず声が漏れた。
目の前に広がっていたのは、見慣れた山あいの谷戸ではなかった。
見知らぬ山々と、見知らぬ家々。
私は声のする方へ目を向けた。
山肌が大きく崩れ、その下にある家が土砂に押し潰されていた。
見慣れないヘルメットと服を着た八人ほどの人々が、家を覆う土砂を取り除いている。数人は、その土砂を運び出していた。
だが、私の目はすぐにその背後の斜面へ向いた。
崩落した斜面は深くえぐられ、まだ大量の土砂が不安定な状態で残っている。
土砂崩れに、この雨……。まずいな。まだ崩れるかもしれない。
私は改めて斜面を見上げた。
雨が降り続けば、残された土砂が再び崩れる危険性は十分にある。
視線を家の方へ戻すと、不思議な光景が目に飛び込んできた。
土砂を取り除く人々のそばに、長い髪の女性がずぶ濡れになりながら立っていた。
泥にまみれた黒っぽいローブをまとい、手には杖を持っている。
女性が杖を掲げると、先端にはめ込まれた青い宝石が淡く光り始めた。
すると、どうだろう。
家を押し潰していた土砂が、ゆっくりと動き始めたのだ。
「……嘘だろ」
目を疑った。
いったい、どうやって動かしているんだ?
魔法使い……?
そんな非現実的な言葉が頭に浮かぶ。
だが、すぐに我に返った。
今は、あの女性のことより斜面の方が気になる。
彼女の立っている位置は危険だ。しかし、作業している人々は誰も斜面の方を気にかけていないようだ。
今は持ちこたえているように見えるが、少しでも再崩落すれば、全員が土砂の直撃を受けかねない。
「あの女性、保護具もなしに無防備すぎるだろ。それに、二次災害が起きたらどうするんだ」
私は急いでジャイロキャノピーへ戻った。
荷台から予備の黄色いヘルメットと軍手を取り出す。リュックから温かいお茶の入った水筒も取り出し、女性のもとへ向かった。
近づいてみると、女性は何かを唱えながら、大量の土砂を動かしていた。
呼吸は荒く、肩も大きく上下している。かなり疲弊しているようだった。
「おい、大丈夫か?」
声をかけながら、ゆっくりと近づく。
そして、肩を軽く叩いた。
女性は詠唱を止め、こちらを振り向いた。
黒に近い茶色の長髪は乱れ、茶色の瞳の下には薄い隈が浮かんでいる。年齢は二十代前半くらいだろうか。背丈は私より少し低い。
女性は杖を地面に置き、会釈した。
「!$~%&$#」
……何を言っているんだ?
「&‘$#!(~)」
女性は何かを訴えるように、さらに言葉を重ねた。
駄目だ。さっぱり分からない。
言葉が通じないらしい。
私は手を伸ばし、女性の手に触れた。
冷たい。
雨に打たれながら、ずっと魔法を使い続けていたのだろう。よく頑張ったものだ。
私は持ってきたヘルメットを差し出した。
「これをかぶっておけ」
もちろん、言葉は通じない。
それでも、ヘルメットを差し出せば意味は伝わるだろう。
私は女性の頭にヘルメットをかぶせ、顎ひもを締めた。
緑十字と「安全第一」の文字が入った、いつもの黄色いヘルメットだ。
不思議なことに、よく似合っていた。
女性は首をかしげ、ヘルメットのつばにそっと手を触れた。
続いて、冷え切った彼女の手に軍手をはめさせる。
女性は慌てて軍手を返そうとした。
「返さなくていい」
私は彼女の手を軽く押し戻し、水筒の蓋を開けた。
コップになっている蓋にお茶を注ぐと、白い湯気がふわりと立ち上った。
「飲め。温まるぞ」
当然、通じてはいない。
それでも、飲み物を差し出されていることくらいは分かるはずだ。
女性は不思議そうに、コップの中のお茶を見つめた。
そして、半信半疑といった様子で口をつけ、恐る恐る一口すすった。
次の瞬間、目を見開いた。
そして、残りのお茶を一気に飲み干す。
小さく息をつき、ようやく少しだけ表情が和らいだ。
私は空になったコップに、もう一度お茶を注いだ。
「今までよく頑張ったな。後ろのことは任せろ」
女性は私の顔を見つめた。
言葉は通じていないはずなのに、その表情がわずかに緩んだように見えた。
私は彼女の持つ杖に目をやった。
女性は再び杖を握り直す。
青い宝石からの光が、先ほどよりも少し強いような気がした。
よし。
少しは持ち直したようだ。
言葉は通じない。ここがどこなのかも分からない。
それでも、目の前に危険な現場があり、困っている人がいる。
今は、それだけで十分だ。
私は彼女の隣に立ち、改めて斜面を見上げた。
さあ、仕事の時間だ。
彼女の安全は、絶対に私が守る。




