第9話 聖印の脆弱性
翌朝の試験室では、模型の門の横に、手のひらほどの石の小箱が一つ増えていた。南門の代わりだ。閉じる術式が届けば、正面の小さな口が光で塞がる。
模型には『東門』、小箱には『南門』と書いた紙の札。作業台の上では、東門と南門の予備の点検具が、組み直された魔導線で両方につながっていた。継ぎ目の一つひとつが、細い糸で丁寧に留めてある。
組んだ本人は、目の下にうっすらくまを作って、にこにこしていた。
「ネネ。寝てないの?」
「組むの、楽しくて……えへへ」
二台での試験は、昼前に終わった。
交互に送っても、片方が返事を待っているあいだにもう片方から重ねても、二台同時でも、模型も小箱も正しく動いた。閉じるべきときに閉じ、開けたあとに閉じ直すことは、一度もなかった。
「……つまんない。この子たち、お行儀よすぎます」
ネネが作業台に突っ伏した。それから体を起こして、南門の点検具をつつく。
「じゃあ、南門用で、東門を開け閉めするのは? 送り先、選べますよね?」
「選べます。四つの門で使える作りですから。見回りでは、自分の持ち場へ送る決まりですけど」
リシアが答え、試しに南門用の送り先を東門に合わせた。『安全』で模型の魔防壁が消え、『危険』でまた下りる。隣の小箱は、何も変わらない。
持ち場と違う門へも送れる。四つの門で使う道具なら、それ自体は当たり前の作りだ。
「門は、何を見て、届いた術式を受け入れるんですか?」
「これです」
リシアはネネのレンズを借りて、点検具の魔石の縁にかざした。ガラスの中に、麦粒ほどの青い紋が大きく映る。
「魔術院の聖印です。院が検査した品に付ける印。門は、この印を確かめてから、術式を受け入れます」
印を見る。本当に印だけを見るなら、誰が使っているかも、何のための道具かも、門は確かめていない。視線が、作業台から棚へ移った。昨日ネネが調整していた、治癒の魔石の木箱がある。
「治癒の魔石にも、その聖印はありますよね?」
「あります。傷を塞ぐ術式を、院が検査した証ですから」
「その魔石に、門を閉じる術式を足したら、どうなりますか?」
リシアが、レンズを持ったまま止まった。
「治療の道具ですよ? 女神の祝福を受けた石に、畏れ多いです……」
「でも、できるんですよね?」
「できますが……そんなこと、誰も考えません」
横で、椅子ががたんと鳴った。ネネが立ち上がっていた。さっきまでの眠そうな目が、すっかり丸くなっている。
「治癒の魔石で、門を閉じる……そんなこと、やっていいんですか!?」
返事をする前に、ネネは棚へ走っていた。
「ネネ。その一個は、納品分から外しなさい。検査し直すまで、院に残します」
「はい! あはは……ふへへ……一度でいいから、こんなことやってみたかったんですよ」
ネネの目が、爛々と輝いている。淡い緑の治癒の魔石を一個、別の布に置いた。点検具の術式を描いた見本の板と並べ、レンズを台に据える。指先から細い光が伸びて、魔石の空いた面に、短い刻印を一つずつ描いていく。治癒の魔石の縁には、既に本物の聖印がある。ネネが足すのは、閉じる術式だけだ。
「できました」
ネネが治癒の魔石を魔導線でつなぎ、新しく刻印を入れたところに指を当てた。治癒の魔石から、金色が走り出した。魔導線を伝って、模型の門へ伝わる。
アーチの縁が光り、入口と出口に、魔防壁が下りた。
「……閉じた」
リシアが、かすれた声で言った。
「閉じました! 治癒の魔石で、門を閉じましたよ!」
ネネが両手を高く上げる。
リシアは魔導針を模型の門柱に当てて、小さく首を振った。記録は、閉鎖。いつもの記録と、何も変わらない。
傷を塞ぐために検査を受けた魔石で、門が閉じた。聖印が本物でも、その魔石にさせてよい仕事とは限らない。こうして悪用できてしまう仕組みの弱点を、前の世界では脆弱性と呼んでいた。
「検査した品だから……決まりがあるから……正しく使われると思っていました」
リシアは、治癒の魔石を見下ろした。
「決まりがあっても、正しく使われるとは限りません」
俺は、魔石から模型へ延びる魔導線をたどった。
「本物の門は、魔導線でどこまで届くんですか?」
「魔導線でつながっていれば、離れた門まで届きます。つながっていなければ、送り先を選んでも動かせません。送るには、その線の接続口まで行く必要があります」
「接続口?」
「魔導線と魔石を接続する口です。門番や職人が出入りする場所に置かれています」
つまり、ワイヤレス通信はできないということだ。魔導線に魔石をつないだ誰かが、どこかにいる。
「今のやり方は、俺たち三人だけの秘密にしてもらえませんか。もちろん対策が分かれば報告します。でも、直す前にやり方が広まったら、真似して門を閉じる人が出るかもしれません」
「……分かりました。今は報告書にも、方法は書きません」
リシアが頷いた。
横から、ネネが身を乗り出してきた。
「三人だけの、秘密……秘密って何かドキドキしますね」
俺たちを交互に見て、にやにやしている。
試験に使った治癒の魔石は『試験用・閉じる術式』と書いた札を添えて、鍵のかかる引き出しにしまわれた。
「リシアさん。ネネも、明日から一緒に調査できますか? 俺は聖印について思いついただけで、ネネが形にしてくれたから分かったんです」
ネネは、きょとんとした。それから、みるみる顔が赤くなった。
「いいんですか? 私、魔力も少ないし、変なことしかしないですよ?」
「その変なことが、必要なんです」
「わかりました。院には、私から話をしてみます」
リシアが言うと、ネネは、ぶんぶんと首を縦に振った。
「やります! それで、ナオトさんの目を調べるのも、調査に入りますか?」
「入りません」
リシアの即答に、ネネは「ちぇー」と唇をとがらせた。
俺は、リシアに尋ねた。
「リシアさん。現時点では、魔石が偽装されたかは分かりません。まずは、あの日の点検具は、どこにあったか確認しましょう」
「そうですね。院と四つの塔へ確かめます」
リシアは、机に大きめの紙を広げた。




