第8話 試験室のネネ
許しは、一日で下りた。
王立魔術院の試験室は、地下にある窓のない石造りの部屋だった。何かあっても、上に響かないためだという。真ん中の長い作業台の上に、門があった。長さは俺の腕ほど。石を削ったトンネルに、アーチ形の天井。入口の脇には門柱が二本並び、根元には指先ほどの鉄の蓋までついている。東門を、そのまま縮めたような模型だった。
「本物と同じ仕組みで動きますが、本物の門とは、どこにもつながっていません」
リシアが説明していると、作業台の下から、にゅっと足が二本突き出た。
「リシア先輩、おはようございまーす」
台の下からはい出してきたのは、小柄な娘だった。年は二十歳前後だろうか。癖の強い赤茶色の短い髪があちこち跳ね、ぶかぶかの作業用の上着の袖を三回も折り返している。首から紐で、小さな手帳と炭筆をぶら下げていた。
右手には、柄の付いた虫眼鏡。真鍮の枠に丸いガラスがはまり、黒ずんだ木の柄は、握るところだけ色が薄くなっている。
「魔導レンズです。私物ですよ……で、この人が、目のいい人ですか? それが噂のインスペクト? 昨日、先輩から聞きました」
娘はレンズを持ち上げて、ガラス越しにこちらをのぞいた。琥珀色の目が、ガラスの中でぐんと大きくなる。
「ナオトさんの目も、これで見ていいですか? できれば、解剖も」
「いいわけないでしょう!」
「ネネ。調べるのは、門のほうです」
「はーい。ネネです。ここで、点検具の扱いを任されてます。魔力は少ないんですけど、術式を細かくいじったりするのは得意です」
「ナオトです。よろしくお願いします」
作業台の端には、蓋の開いた木の小箱があった。親指の先ほどの淡い緑の魔石が、布に包まれて並んでいる。
「治癒の魔石です。港町ベルナの治癒院へ納める分を、調整していました」
ネネは一つをつまんで、指先から髪の毛ほどの細い流れを通した。魔石の中の淡い光の揺れが、すっとそろう。
「……今日はこっち、休みにします。門のほうが、面白そうなので」
「納めるのは、ちゃんと仕上げてからね」
「分かってますってば」
午前中は、リシアが決まった手順で模型を試した。
点検具を模型の点検口へ魔導線でつなぎ、『危険』を送る。返事の光を待ってから、次に『安全』。模型の門は、そのたびに正しく閉じ、正しく開いた。東門から借りてきた予備の点検具も、院の毎月の試験と同じ結果だった。
正しい手順で使えば、門は正しく動く。じゃあ、東門を閉じたのは何だったのか。
「あのー」
作業台の端に腰かけて見ていたネネが、足をぶらぶらさせながら言った。
「先輩たち、返事が来るまで、ぜったい次を押さないじゃないですか……返事を待たずに、もう一回押したら?」
リシアの手が、点検具の上で止まった。
「壊れたらどうするんです? 点検具も、この模型も、院の備品ですよ」
「でも、ここは試験室ですよ…そういうことを試すための部屋じゃないですか?」
「そのとおりだと思います」
俺は言った。
「本物の門で、誰かが慌てて二度押しして困るより、ここで先に確かめられたほうがいい。何が起きても、ここなら誰も困りません」
リシアは模型と点検具を見比べて、息をひとつ吐いた。
「そうですね。やってみて。ナオトさんは、送られるものを見てもらえますか?」
ネネはぴょんと作業台から降りると、まず模型の裏へ回り、魔導線を指でたどった。留め金の小さな刻印を、レンズで確かめる。
「うん。本物の門には、つながってない。よしよし」
それから点検具に指を当てた。『危険』を選ぶ。離して、すぐにもう一度。
俺はインスペクトで魔導線を見ていた。最初の金色が、模型へ走る。けれど、二度目は何も出なかった。点検具の縁が、ちかっと光る。返事は一回。模型に、魔防壁が一度だけ下りた。
「あれ。無視した」
ネネは、何度か同じ手つきで試した。騒いでいるわりに、指の動きには迷いがない。結果は、変わらなかった。
「返事を待ってるあいだは、二つ目を送らないんですね。この子、二度押しは嫌いらしいです」
デバッガーだと思った。普通ならしない操作を、わざわざ試す。作った側が、想定しない操作をしてみる。前の世界では、デバッガーに何度も助けられた。
「今ので、一台なら二度押しは通らないと分かりました。試さなければ、分からなかったことです」
「……いいんですか? いつも怒られるんですよ。変な使い方するな、って」
「それが助かるんですよ。みんないつも正しい使い方をするとは限りません」
ネネは、レンズの柄を両手で握り直した。
「変なことするのも、役に立つんですね。そんなふうに言われたの、初めてです」
へへ、と笑った顔は、ちょっと照れくさそうだった。
「では、次は二台で試しましょう。南門の予備も借りてあります」
リシアが言うと、ネネがぱっと顔を上げた。
「おお! 片方が返事を待ってるあいだに、もう片方から送るんですね! つなぐのは、私にやらせてください!」
「明日の朝までに。……夜更かしは、ほどほどに」
「はーい!」
返事をしたときには、もう作業台の下へ潜りこんでいた。リシアは腰に手を当てて台の下をのぞき、小さくため息をついた。




