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第6話 宿に届いた仕事

 目が覚めてからしばらく、自分がどこにいるのか分からなかった。黒ずんだ木の梁が二本、頭の上を渡っている。その間を、朝の光が斜めに横切っていた。窓の外から、荷車の車輪の音と、誰かが桶の水をまく音が聞こえる。

 ああ、そうか。昨日の夜、案内された部屋だ。

 ベッドと、小さな机と椅子。壁の釘に、上着を掛けられるようになっている。窓を開けると、向かいの家の屋根の上で、鳩が羽を膨らませていた。


 元の世界では、サイバーセキュリティエンジニアとして働いていた。誰かがネットワークに入りこんだ跡を調べ、被害が広がるのを食い止める仕事だ。この世界で目を覚ましたのは、ひと月ほど前のことだ。

 街道脇の草の上だった。自分がどこにいるのかも分からず、言葉が通じることにさえ驚いた。拾ってくれたのは、街道沿いのハルネという小さな村の人たちだ。畑仕事を手伝う代わりに寝床と食事をもらい、ここがヴァルディア王国という国であることや、文字の読み書きを、ひとつずつ教わった。


 魔法は、資質のある人間にしか使えないという。秋の祭りの日、村の子供たちが順番に社の古い石に手を当てていた。資質があれば、石がほのかに光る。面白半分にすすめられて俺も手を当ててみたが、石はうんともすんとも言わなかった。

 妙な流れが見えるようになったのは、そのころからだ。梁の中に、くすんだ灰色の筋がにじむ。井戸の綱にも、荷車の軸にも。息を詰めて見つめたときにだけ浮かんで、まばたきで消える。村の人に話しても、首をかしげられるだけだった。


 村の暮らしは、食べていくので精一杯だった。人の集まる王都なら、俺にもできる仕事があるかもしれない。そう思って村を出て、昨日、あの門の列に並んだ。

 ベッドに座ったまま、頭の上の梁を見上げてみた。目を凝らしインスペクトで見ると、梁の中に灰色の筋が浮かんでくる。屋根の重さが、梁を伝って両端の柱へ降りていく。昨日、門のアーチで見たのと同じ流れだ。


 パンの焼ける匂いに誘われるように階段を下りると、一階は食堂になっていた。

 長い卓が四つと、壁ぎわに小さな卓が二つ。朝の客が何組か、スープの椀を抱えている。奥の厨房の窓から湯気が上がっている。女の人がひとり、鍋を火から下ろして帳場へ出てくると、出立の客の勘定を始めた。入口の上には、麦の穂とランプを描いた看板。麦灯り亭、と読める。


「お兄ちゃん、起きた!」


 丸いパンを山盛りにした籠を抱えて、フィンがこっちへ駆けてきた。


「フィン、走らないの」


 厨房の窓から、声が飛んだ。フィンはぴたりと止まり、それから、そろそろと歩いてきた。


「おはよう。母さんが座っててって」


 温かいパンを一つ、卓に置いてくれた。女の人が、前掛けで手を拭きながら出てきた。髪をきっちりと布で包んでいる。


「テッサです。昨夜はばたばたしていて、きちんとお礼を言えませんでした……息子を、ありがとうございました」


 深く下げた頭を上げると、テッサはフィンの頭に手を置いた。置いた手が、しばらく離れなかった。


「豆の煮込み、すぐ出しますね」


 出てきた椀は、赤茶色のとろりとした煮込みだった。豆が崩れかけるほど柔らかく、刻んだ腸詰めと、香りの強い葉が入っている。パンをちぎって浸すと、塩気と甘みが舌の上に広がった。

 ゆうべは疲れきっていて、何を食べたのかもよく覚えていない。今朝は、ちゃんと味がした。裏口の向こうでは、ブルーノが荷車の脇にしゃがみこんでいた。魔防壁に焼かれた角の板をのこぎりで切り落とし、新しい板を当てて、釘を打っている。


「おう、起きたか。煮込み、食ったか?」

「いただきました。すごくおいしかったです」

「だろう」


 自分のことのように胸を張るブルーノに、俺は聞いてみた。


「この辺りで、仕事の当てはありませんか? 仕事を探しに、王都へ来たんです」

「荷運びなら、知り合いの問屋に声をかけてやれるが……あんた、見たところ、荷を担ぐ体じゃねえな」

「……よく言われます」

「帳場の手伝いなら――」

「ナオトさん」


 裏口から、テッサが顔を出した。


「お客さんです。王立魔術院の方」


 食堂の入口に、リシアが立っていた。昨日と同じ紺のコートだが、今日は袖を下ろし、襟元の留め具まできちんと留めている。亜麻色の髪も、きつく結い上げてあった。脇には、革製の書類入れを抱えている。

 テッサが、厨房から一番遠い窓ぎわの小さな卓へ案内し、湯気の立つ茶を二つ置いていった。


「報告を済ませました」


 リシアは向かいに座ると、書類入れから一枚の紙を出した。


「門は開いたこと。南門側の伝令の輪は止めたままで、守備隊に見張ってもらっていること。閉じた理由は、まだ分からないこと……それと、あなたの目のことも」

「なんて書いたんですか?」

「救出のとき、あなたの見たものが役に立った、と。原因を見抜いた、とは書いていません」


 思わず、口元がゆるんだ。


「助かります。見えたものを、ただ伝えただけなので」


 リシアは、紙の端を指でそろえた。


「一つ、聞いてもいいですか? あなたの目のことを書くたびに、『ほかの人には見えない流れが見える』と書くのは長くて。何か呼び名はありますか?」

「インスペクトと、勝手に呼んでます。構造を見て、状態を確かめる。そんな感じなので……」

「魔法の名前ではないんですね?」

「違います。魔法なんて想像もできません」

「……インスペクト」


 リシアは、口の中で一度だけ繰り返した。


「では、次の報告からは、インスペクトと書きますね」


 リシアは、もう一枚、紙を出した。上のほうに、院の青い印章が押してある。


「院の決定です。原因の調査を、私が担当します。ナオトさんに、正式に協力を依頼します」


 リシアが、条件を一つずつ指さしていく。


「期間は、ひと月。調べる範囲は、東門と、南門側の伝令の輪につながる魔導線、その近くの同じ造りの設備。調べるときは、必ず私が同行します。設備には触らない。見たことは、すべて私に報告する。報酬は日ごとに院から出ます。多くはありませんが、この宿の部屋代と食事代には足りるはずです」


 それから、卓の上に手のひらほどの木の札を置いた。表に、青い印が焼きつけてある。


「調査協力者の札です。これがあれば、門でも院の中でも、身元を聞かれたときに見せられます」


 札を手に取ると、焼き印のところだけ、まだ焦げた匂いがした。昨日、門の列でオットーに身元を聞かれたときは、名前を言う以外できなかったが、これがあれば身元を証明できる。


「お受けします。仕事を探しに、この街へ来たんです。これ以上の仕事はありません」

「よかった」


 リシアは、ほっとしたように肩の力を抜いた。


「一つ、足したいことがあるんですが。調べる先に、『同じ造りの門』を入れられませんか?」

「同じ造りの門?」

「南門側の魔導線の先を探る前に、同じ造りの門を見ておきたいんです。同じ造りの門の伝令の輪は、普段はどんなふうに光っているのか。正しいものが分からないと、何がおかしいのか判断できません」


 リシアは、依頼書と俺の顔を見比べた。それからペンを取り出して、余白に書き足した。


「同じ造りなら、北門です。東門と同じ年に、同じ組の職人が造ったと、院の記録にあります……動いている門そのものを見本にするんですね」

「俺には、どの門が見本になるかも分かりません」

「任せてください。明日、行きましょう」


 書き足された一行の下に、リシアが名前を書いた。俺も、その下に書く。ナオト、と、この世界の字で。村で字の読める年寄りに教わった、自分の名前の書き方だ。


「……字、うまくないですね」

「ひと月前に、教えてもらったばかりなので」

「ひと月前」


 リシアは呆れた顔をして、それから、こらえきれないように小さく笑った。


「明日の朝、迎えに来ます。鐘が八つ鳴るころに」


 書類入れを抱えて出ていく背中を、テッサが戸口まで見送っていた。

 夜になると、麦灯り亭の一階は酒場の顔になった。天井から下がったランプに火が入り、卓という卓が埋まる。職人らしい男たちが杯をぶつけ合い、テッサが煮込みの椀を次々に運び、ブルーノが樽から酒を注ぐ。フィンは空いた皿を下げては、厨房との間を行ったり来たりしていた。

 俺は、カウンターの端の席をもらって、薄い麦酒をちびちびと飲んでいた。


「おう、いたいた」


 戸口から、聞き覚えのある声がした。制服の上着を腕に掛けたオットーだ。

 ブルーノが何も聞かずに樽の栓をひねる。いつもの席、いつもの一杯、ということらしい。オットーは俺の隣にどかりと腰を下ろし、ジョッキを半分ほど一気にあおった。


「……ぷはあ。今日は、ちゃんと開いてたぞ。朝から晩まで、一度も閉じなかった。南の見張りも、何もねえってよ」

「よかった」

「ああ。よかった」


 オットーは、俺の札に目を留めて片方の眉を上げた。


「へえ、リシアが、話を通したのか」

「はい。調査協力者です。オットーさんの日誌も、見せてもらえませんか?」

「日誌は門から出せねえ決まりだ。俺の当番の日に来い。字が汚ねえから、俺が横で読んでやる」


 ブルーノが、カウンターの向こうで笑った。


「こいつは、酔うと二十年前の話しかしねえんだ」

「うるせえ。今日の豆は塩が強えぞ」

「テッサに言え」

「言えるか」


 厨房の窓から、テッサが「聞こえてますよ」と言った。オットーが首をすくめ、カウンターの客たちがどっと笑った。

 部屋に戻ったのは、酒場の客がまばらになったころだった。

 ベッドに横になって、天井の梁を見上げた。一階の洗い物の音を聞いているうちに、いつの間にか眠っていた。

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