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第4話 開門

 東門の城壁の根元、鉄の蓋の奥で、青銅の伝令の輪が三つ、横一列に並んでいる。

 リシアはその前に膝をつき、「南」の字の下の南門側につながる伝令の輪をのぞきこんだ。内縁には、爪の先ほどの細い溝が一本刻まれている。そこへ、封じのくさびを、そっと差しこんだ。

 かちり、と小さな音がした。封じのくさびの刻印が、ぼうっと淡く光る。

 俺はインスペクトで、リシアの指先を見ると、髪の毛ほどに細い水色の流れが、封じのくさびへ注ぎこまれている。封じのくさびの刻印を、伝令の輪に合わせているらしい。

 そのとき、隣の北門側の伝令の輪で、決まった間で通っていた淡い光が、ふっと途切れた。


「北門側の伝令の輪の光が、一瞬止まりました」

「……強すぎた」


 リシアが、指先の流れをほんの少し細くした。東防衛塔と同じく、北門側の伝令の輪に、ぽつり、とまた淡い光が通う。


「戻りました。北も、塔も、さっきと同じ間で光ってます」

「南門側だけを止めるように、合わせ直しました」


 俺はインスペクトで伝令の輪を見た。一つ、二つ……八、九、十。金色の筋が、石の暗がりから走ってきた。そして、南門側の伝令の輪の手前で、止まった。せき止められた川の水のように、封じのくさびのところで行き場をなくし、薄れて、消える。


「金色が、封じのくさびの手前で消えています」


 リシアが、出入り口の二枚の魔防壁を見比べる。さっきまでは、金色が門柱へ届くたびに、魔防壁が強まっていたが、今は変化はない。

 トンネルの真ん中の男の子が、不思議そうに顔を上げた。


「魔防壁の光が、びくつかねえ」


 オットーが、かすれた声で言った。


「南門側から届く知らせは、全部ここで止まりました。閉じる術式も、もう門柱へは入りません」


 リシアが、立ち上がった。


「北門側や東防衛塔の伝令の輪、見張りの魔石から閉じる術式が届けば、門はちゃんと閉じるはず」

「今なら、塔が開けても押し戻されませんか?」

「そのはずです」


 封じのくさびの手前で、また金色が消えた。南門側の魔導線の向こうでは、十数えるごとに閉じる術式を送り続けているようだ。送り元が何なのかは、ここで見えたことだけでは分からない。


「ヨナス。塔へ行って、もう一度開けてくれと言え」


 オットーの声で、ヨナスが城壁沿いの塔へ駆けていく。

 リシアは魔導針を手に、入口の魔防壁の前に立った。俺は鉄の蓋の前にしゃがみ、伝令の輪と門柱の根元を見る。オットーは縄の前で、人波と父親を押さえた。

 塔のほうから来る青の流れが、変わった。開ける術式が動いたのだ。出入り口の二枚の魔防壁が、薄れはじめた。


 南門側の伝令の輪では、変わらず、金色が封じのくさびの手前で消えている。門柱には、届いていない。魔防壁は、朝霧のように透けていき――途中で、止まった。

 白く濁ったまま半分だけ透けた魔防壁が、入口と出口に立っている。


「……金色は、来てません。封じのくさびの手前で止まっています。北門側も塔も、変化ありません」


 俺が言うと、リシアは魔導針を持ったまま門柱へ歩み寄り、空いた左手を模様に当てた。それから、濁ったまま止まった魔防壁を見つめる。


「……溜まりすぎてる」

「溜まりすぎ?」

「閉じる術式が何度も届いて、魔防壁に魔力が溜まりすぎているんです。塔から開ける術式を送っても、溜まった魔力に押されて消えてしまう」

「塔に、もっと強く開けてもらえねえのか?」


 オットーが言った。


「塔から届く術式の魔力の量は、決められています」


 リシアは、しばらく黙って魔防壁を見ていた。それから、魔導針を道具入れに仕舞い、留め具を閉めた。


「ここから、私が魔力を流しこみます。溜まった分ごと押し切ります」


 オットーが、目を見開いた。


「オットーさん。塔には、開ける操作をそのまま続けてもらってください。止めないで、と」

「ヨナス! もう一度だ。塔の開ける操作は、そのまま続けろってな!」


 戻ってきたばかりのヨナスが、また塔へ駆けていく。


「ナオトさん」


 リシアは、振り向かずに言った。


「私は、これから魔力に集中します。金色が封じのくさびを越えて門柱へ届かないか……見ていてください」

「見てます。何かあったら、すぐ言います」


 リシアは、入口側の門柱の前に立った。胸の高さ、模様が渦を巻いているところへ、両手のひらを重ねて当てた。息を、ひとつ吸う。目を凝らしていた俺は、思わず息をのんだ。

 リシアの手のひらから、水色の流れが噴き出した。さっき封じのくさびへ注いでいた、髪の毛ほどの細い流れとは、まるで違う。水色の太い流れが、門柱の模様へ、ごうごうと流れこんでいく。塔から届く青を押しのけるように、門柱の中を水色が駆け上がった。

 門柱の模様が、白く光りはじめ、縄の外の人々が、ざわめいた。濁ったまま止まっていた二枚の魔防壁が、揺れて薄れていく。

 俺は、南門側の伝令の輪から目を離さなかった。石の暗がりから、金色の筋が走ってくる。心臓が跳ねた。

 金色はまっすぐ伝令の輪へ向かった。封じのくさびの刻印がぼうっと明るくなり、そこで、せき止められて消えた。


「金色が一本。南門側の伝令の輪の、封じのくさびの手前で消えました。門柱には、届いてません!」


 俺は声が上ずらないように、腹に力を入れて叫んだ。リシアは、振り向かなかった。門柱に当てた両手も、ぴくりとも揺らさない。ただ、ほんの一瞬だけ、唇の端が分かった、というように動いた。

 縄の前で、オットーが口を開けたまま立ちつくしていた。何か言おうとして、言葉にならない。二十年この門にいて、初めて見るものを見ている顔だった。

 魔防壁が、透けて、薄れて消えた。アーチの縁の白い光が、ふっと消える。入口にも出口にも何もない。トンネルの向こうに、出口の四角い明かりが、まっすぐ見えた。

 リシアが、門柱からゆっくり手を離した。


「開ける術式が、最後まで動きました。手を離しても、もう閉じません」


 リシアの指先が、小刻みに震えていた。彼女は長い息をひとつ吐いて、両手を握りしめた。

 それから入口の前へ行き、アーチの縁と、魔防壁のあった場所を、端から端まで確かめた。門柱にもう一度手を当てて、魔防壁を下ろそうとする流れが残っていないかを探る。


「消えています。入口も、出口も」


 最後に、道具入れから魔導針を抜き、トンネルの中へ向けて、ゆっくりとなぞった。魔物や呪いの気配はないか確認しているようだ。針先は、震えなかった。

 リシアは魔導針を道具入れに仕舞って、優しく声を掛けた。


「おいで」


 男の子が、駆けだした。小さな足が石畳を蹴る。さっきまで魔防壁があった場所を、一息に駆け抜けた。


「父さん!」


 父親の太い腕が、男の子の体をすくい上げ、石畳に膝をつく。大きな背中が震えている。声にならない声が、何度も漏れていた。


「父さん、苦しい」

「……うるせえ」


 父親は、それでも腕をゆるめなかった。男の子の小さな手が、父親の背中の服を、ぎゅっとつかんでいる。

 オットーが、鼻をすすって空を見上げた。縄の外の人々から、ぱらぱらと拍手が起きて、やがて大きな歓声に変わった。城壁の上で、見張りの兵が白い旗を振っている。


「……たまげたな」


 オットーが、ようやく声を出した。


「リシアが魔法が得意なのは知ってたが……門を一人で開けるのは、初めて見たぞ」


 俺は、鉄の蓋の前に座りこんだ。封じのくさびの手前で、また一本、金色が消える。門柱には届かない。ようやく肩の力が抜けた。

 リシアがこちらへ歩いてきた。額に汗が浮いている。亜麻色の髪が、何本か頬に張りついていた。握った指先は、まだ少し震えている。


「すごい魔力でした」

「ナオトさんが、金色は封じのくさびの手前で止まってる、門柱には届いてないって、言い続けてくれたからです。だから私は、魔力だけに集中できました」

「振り向きもしなかったじゃないですか」

「振り向いたら、魔力が乱れてしまいますから」


 当たり前のように言って、リシアは初めて笑顔を見せた。張りつめていた眉が下がって、目尻がやわらかくなる。この人は、こんなふうに笑うのか。


「南門側の伝令の輪だけを封じて、見張りが立つまで待とうって決めたのも、リシアさんです。俺ひとりなら、三つとも止めていました」

「いつも見回りしていますから、それくらいは分かりました」


 リシアは、少しだけ得意そうに言った。


「おじさん!」


 父親の腕の中から、男の子が顔を出して、オットーに布の袋を差し出した。


「ごちそうさま。ひとつ、残しといたよ」


 オットーは袋を受け取って中をのぞき、それから声を上げて笑った。


「一個かよ。ちゃっかりしてやがる」


 父親が、息子を抱いたまま立ち上がり、俺とリシアに深く頭を下げた。


「ありがとう。本当にありがとう」


 袖で目を拭ってから、男は、ようやく名乗った。


「ブルーノだ。こいつは、息子のフィン。東門の大通りで宿をやってる。下で飯も酒も出してるんだ。今日は、店の仕入れから戻るところだった」


 それで、あの麦袋と野菜の籠だったのかと納得した。フィンが父親の腕の中から、ぺこりと頭を下げた。


「今夜の宿は、決まってるのか?」

「いえ、まだ」

「なら、うちへ来てくれ。魔術師の嬢ちゃんも、飯だけでも。かみさんにも、礼を言わせたい」


 今夜どこで眠るか。そういえば、それも決まっていなかった。

 東門の前に、縄はまだ張られたままで、長い列の後方は、北門へ回されている。城壁の隅に、ブルーノの荷車が置き去りになっていた。角が黒く焼け欠けた、麦袋を積んだ荷車だ。


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