第30話 バックドア
朝の市場が開くころ、ロッシュ商会の裏の荷揚げ口に、衛兵の引く荷車が着いた。
板戸を上げると、倉から働き手たちがぞろぞろ出てきた。麦袋を担いでいた若い男、はかりを拭いていた女、帳場の番頭のトム。みんな荷台の小樽を見て、言葉を失った。
「八つ全部だ。本当に戻ってきた……」
ロッシュの声が詰まった。小樽は奥の一角へ一つずつ戻された。
「あの夜のことを、皆さんにお話しさせてください」
リシアは働き手たちへ向き直り、布包みを開いた。
出てきたのは、粗い刻印の銅の板だった。表に、十七。溝の底に、白い粘土がこびりついている。
「三日前の夜、札読みの台に当てられたのは、この札です。昨夜、捕まえたヨルグさんが持っていました。昼休みにクロエさんの札から封の粘土で型を取った。本人がそう話しています」
番頭のトムが息をのんだ。詰め所の釘のほうを、ちらりと振り返った者もいた。
リシアは、手帳のページを一枚開いて見せた。
「同じ時間、クロエさんは北の区のパン屋に粉を届けていました。窯番の方が、受け取りの帳面に書いています」
倉の中の目が、一斉にクロエへ向いた。
クロエは、麦袋の山の脇で腕を組み、何も言わなかった。
ロッシュは前掛けの粉を払い、クロエの前へ進んだ。
「……すまなかった」
深く、頭を下げた。
「正直お前を疑ってしまった。三年、一度もミスの無かったお前を……」
その後ろで、番頭のトムがうつむいていた。
クロエは黙って腕を組んで、ちらりとトムの方を向く。すぐに、ロッシュ方を向いて言った。
「疑われるのは、分かってた。私の札だったし、私は獣人だからな」
それを聞いて、ロッシュもうつむいたまま黙ってしまった。
俺はロッシュ見て言う。
「ロッシュさん。同じことがまた起きないためにも、この魔道具を使うのは止めませんか?」
「……じゃあ、どうすれば」
倉の中が、ざわついた。
「戸には普通の錠を付けます。出入りのときは、番頭さんが顔と荷を見てから鍵を開ける。入った時間と出た時間は、本人が自分の名前と一緒に帳面へ書く。筆跡と時間と、当番の目。この三つで確認します」
「帳面に? 台を入れる前は、そうしてたよ?」
トムが、呆れたように言った。
「なんでも魔道具にすれば、いい訳ではありません」
俺が、前の世界のシステムたちを思い出しながら、そう言った。
ロッシュの了承を得て、ネネは台から戸の錠へ延びる魔導線を、留め具ごと外した。ガルドが小屋から持ってきた錠前を、戸に取り付ける。
「札読みの台は、柱から外して、院で預かり調査します」
札読みの台は、荷車に乗せられ院の試験室へ運ばれて行った。
倉を出るとき、ロッシュが追いかけてきた。
「本当にありがとうございました。院の皆さん……いや、なんと呼べばいいんです?」
「シーサーズです」
ネネが胸を張って答えた。ロッシュは目を瞬かせ、それから笑った。
「シーサーズの皆さん。荷車が要るときは、いつでも言ってください。うちの車と、ラバを出します。遠くへ行くときでも」
*
王都のロッシュ商会の知らせが北の高原の工房に届いたのは、それから数日後のことだった。
炉の火は小さく落としてあった。作業台の前で、銀白の髪の男が、旅の埃をつけた連絡役から紙を受け取った。
「ヨルグが、衛兵に捕まりました。ロッシュ商会から盗んだ胡椒の小樽を運んでいたところを」
「胡椒?」
男は、紙から目を上げずに繰り返した。
「ヨルグは、何を話してる?」
「倉の者たちの話では、札を写して樽を盗んだ、と。それ以上のことは、まだ何も」
連絡役は、少しためらってから続けた。
「それと、札読みの台が柱から外されて、魔術院が持っていきました。倉の戸は、ただの錠に戻したそうです」
紙をめくる指が、止まった。
「……札読みの台ごと、か」
男は紙を作業台に置き、そして、炉の中に紙をなげこんだ。
「ヨルグは、目的を忘れ、この仕組みを私利私欲のために使った。当然代償は支払ってもらう」
「承知しました」
連絡係は視線を下げたまま返事をする。
「倉へ人を通す口が、ひとつ消えたね……あの商会は、もう使えない」
「代わりの者を、送りますか」
「いや。あの倉には、もう誰も近づけるな。バックドアは、ひとつじゃない」
バックドアとは、ハッカーが侵入先にこっそり仕掛けておく、正規の鍵や手続きを通らずに再び入り込むための隠し口だ。持ち主に気づかれない限り、侵入者はいつでもそこから侵入できる。
しかし、バックドアは魔道具の中にだけあるとは限らない。人の信頼や慣れきった手順も、利用されれば侵入者の入口になる。
連絡役が頭を下げて出ていった。




