第29話 路地の追跡
戸が開ききる前に、荷車の鼻先が突き出てきた。
小さな荷車を引くのは、一頭のラバ。荷台には布をかぶせた小樽が八つ。手綱を握るヨルグの両脇に、男が二人しがみついている。
「クソッ! 衛兵の夜回りが表をうろついてやがる。門の脇の馬屋で、朝まで待つぞ」
ヨルグの低い声が、路地に響いた。
小屋の戸の脇の暗がりから、ガルドが一歩踏み出した。
「その樽、どこへ運ぶつもりだ」
男たちの顔が、凍りついた。
ヨルグが手綱を叩く。ラバが甲高く鳴き、荷車は表の通りではなく、裏の抜け道へ跳ねるように走りだした。
「裏へ入りました! 左です!」
外階段の上から、俺は叫んだ。
ガルドとリシアが、荷車を追って走りだす。ネネがレンズを構えると、真鍮の枠がぽうっと光った。人やラバの目は避け、石畳と壁だけを照らす光だ。赤い土に、車輪の跡がくっきり浮かぶ。
「荷車は、一つ目の角を右へ曲がりました」
角の塀の上から、ロガーの声が聞こえた。
俺はネネと外階段を駆け下りた。
角の手前には、空の樽が積み上げてある。その陰に、荷台から飛び降りた男がしゃがんでいた。手には太い棒を握っている。
その前を、リシアが走り抜けようとしていた。
「リシアさん、右の樽の陰! 一人います!」
俺は力の限り叫んだがリシアは、足を止めなかった。
走りながら腰の杖を抜く。樽の陰から男が跳び出し、振り上げた棒が、リシアの肩に振り下ろされた。
リシアは体を、捻ってそれをかわす。呪文の詠唱のためか、口がせわしなく動いている。杖の先の青い魔石が、男の胸を向く。
「――烈風!」
路地に、風が吹き抜けた。
赤い土埃が渦を巻き、リシアのコートの裾が大きくはためく。棒は空を切り、男は見えない手に突き飛ばされたように後ろへ飛んだ。背中から樽の山に突っこみ、空の樽が崩れ落ちて男を下敷きにした。
リシアは振り返りもせず、土埃の中を抜けて角を曲がった。
その先では、もう一人の男が荷台から飛び降り、ガルドに向かっていった。荷を縛る綱の先に鉄のフックをつけたものを、振り回している。
ガルドは腰からハンマーを抜いたが、振り下ろさなかった。柄を横に構えて、振り下ろされたフックを受け止める。がつん、と鈍い音。そのまま柄をひねると、綱が絡んで、男の手からフックがもぎ取られた。
「仕事道具を、そんなふうに振り回すんじゃねえ!」
ガルドが男の襟首をつかみ、壁に押しつけたが、荷車は、止まらなかった。
ラバが暴れるように走り、二つ目の角へ向かう。ネネの光が、その背中を追った。
二つ目の角は、クロエの言ったとおりだった。壁と壁の間が狭まり、車輪が石壁をこすって火花を散らす。荷車の速さが、がくんと落ちた。
その角の先の屋根から、影が一つ落ちてきた。
クロエだった。
ラバの鼻先に軽く着地し、膝を深く曲げて勢いを殺す。手綱の根元をつかむと、ラバが首を振り上げる。クロエは逆らわず体ごと寄り添い、ラバの首筋に手のひらを当てて、何か低く囁いた。
ラバの足が、止まった。
「どけ!」
荷台の向こうで、ヨルグが怒鳴った。
俺は角の手前で荷車の後ろに追いついた。荷台が狭い路地をふさぎ、樽の山の向こうには、ラバの頭とクロエの耳がのぞいているだけだ。
足音が、俺の脇を駆け抜けた。リシアだった。荷台の後ろの板に足をかけて跳び上がり、積んだ樽の上に膝をつく。
俺も荷台の縁に足をかけ、樽を縛った縄を掴み、不格好ならがら、なんとか体を引き上げた。
ヨルグは御者台から飛び降り、ラバと壁の狭い隙間に立っていた。右手には短い刃物。クロエは両手で手綱を押さえ、ラバの鼻先から動けずにいる。
刃が、クロエの胸元へ突き出された。その瞬間、リシアの杖が、ヨルグの右腕に向けられる。
「――雷光!」
樽の上から、雷のような細く青白い光が、一直線にヨルグの刃物に当たる。布の端がばたばたと鳴った。
ヨルグの手から、刃物が落ちた。刃が石壁を打って火花を散らし、ラバの足もとへ滑っていく。
ヨルグの体も、光に押されて壁へ叩きつけられた。その瞬間クロエは、ヨルグに突進した。崩れたヨルグの手首を上から掴み捻り上げる。
ヨルグは荷車の車輪に胸を押しつけられ、腕を背中へ回された。
「騒ぐな。ラバが驚くだろ」
クロエの声は、倉で聞いたときと同じくらい落ち着いていた。
どこであんな動きを覚えたのか、ただの荷運びとは思えない身のこなしだ。
クロエは、荷台の上のリシアを見上げた。
「リシアはすごいな。あんなふうに魔法を操れるなんて」
「クロエさんも、お見事でした」
リシアは、ようやく大きく息を吐いた。杖を腰に戻し、樽の間を進んで御者台からラバの脇へ下りる。俺もそのあとに続いた。
角の先の西門へ続く道から、灯りが揺れながら近づいてくる。槍を持った衛兵が四人。その後ろから、使いを頼んだ男の子が息を切らしてついてくる。
「呼んできた!」
「ありがとう。助かりました」
リシアが男の子の頭を撫で、衛兵に院の札を見せた。
「王立魔術院のリシアです。ロッシュ商会の倉から盗まれた荷と、盗んだ疑いのある者たちです」
衛兵がヨルグと男たち縄をかけた。
ネネは、荷車によじ登り布をめくると、ロッシュ商会の焼き印がある樽が八つ現れた。
「八つ全部あります!」
クロエが、縄をかけられたヨルグを見下ろした。
「偽の札はどこ?」
ヨルグは顔をそむけた。衛兵がヨルグの腰の袋を探ると、薄い銅の板が出てきた。表に何も文字はない。縁の刻印は粗く、溝の底に白い粘土がこびりついている。
ネネがレンズを近づけて、首を横に振った。
「これは、おそらくクロエさんの札を複製したものですね」
リシアは、その札を別の布で包んだ。
ヨルグが、顔をそむけたまま吐き捨てた。
「獣人のくせに、札をあんな場所に掛けておくからだ……」
縄をかけられたヨルグと男たちが、衛兵に引かれていく。
その様子を見ながら、クロエはため息のともに言った。
「……終わった」
俺は、クロエのそばへ歩み寄った。
「クロエさんが追ってくれなければ、樽はもう見つからなかったかもしれません」
「ナオトが、追えって言ったくれたからだ」
クロエは、俺の目を見ずに言った。
荷台の向こうで、ガルドがハンマーの柄の綱くずを払いながら言った。
「おい、クロエと言ったか? あの角を曲がったら道が狭いってよく知ってたな」
「毎日、通っているからな」
「……ふん。お前も職人ってやつだな」
クロエは答えず、尾の先だけが左右に揺れた。
塀の上から、ロガーが下りて来て、俺の肩の上に登った。
路地の上の細い空に、星がいくつも瞬いていた。




