第2話 インスペクト
東門の前は、ちょっとした騒ぎになっていた。
門番たちが張った縄の外に、足止めを食った旅人と荷車がずらりと並んでいる。「いつ開くんだ?」「日が暮れる前に市場へ届けなきゃならねえんだぞ」と、あちこちから声が飛んでいた。
縄の内側にいるのは、俺とリシア、門番たちをまとめるあの中年の門番、オットーと、子供の父親だけだ。
魔防壁の向こう、トンネルの真ん中で、男の子が膝を抱えて座っていた。入口の魔防壁からも、出口の魔防壁からも、十歩ほど離れている。
床はただの石畳で、魔防壁にさえ近づかなければ何も起きない。それでも、小さな背中はすっかり縮こまっていた。
「坊主!」
オットーが、魔防壁越しに声を張った。
「右の石壁のくぼみに、詰め所があるだろう。日誌の横に、布の袋が掛かってる。干しあんずだ。食っていいぞ。おじさんの昼飯だがな。……魔防壁には、近づくなよ」
男の子が立ち上がり、石壁をくり抜いた詰め所へ、そろそろと歩いていく。袋の中をのぞいて、ほんの少しだけ顔をほころばせた。袋を抱えて、また真ん中へ戻ってくる。
父親が、オットーに深く頭を下げた。
「今度は、ここから試します」
リシアが、腰の道具入れから取り出したのは、手鏡ほどの大きさの道具だった。真鍮の枠に、うっすらと青みがかった平たい石がはまっている。枠の端からは、細い銀色の紐が一本、腕の長さほど垂れていた。
「点検具です。この石は魔石で、塔で込めた魔力が蓄えてあります。その力で、門へ『安全』か『危険』かを伝える道具です」
門柱の模様のいちばん下、膝の高さに、指先ほど白い鋲が一つ打ってある。リシアはしゃがみこみ、銀色の紐の先を鋲に巻きつけた。
「魔導線です。魔力や術式を、つないだ先へ運びます」
それから、魔防壁の向こうへ声をかける。
「坊や、真ん中から動かないでね」
男の子が、干しあんずの袋を抱えたまま頷いた。
リシアが、枠の真ん中の刻印に指を当てる。目を凝らすと、点検具から細い流れが魔導線を伝い、鋲から門柱の中へ入っていった。魔石の縁が、ちかっと光る。
「返事が来ました。門が受け取った合図です」
門柱の青が、すっと引いていく。二枚の魔防壁が薄れはじめたところに、石畳の継ぎ目を、金色の筋が走ってきた。門柱の根元へ潜る。
「今、金色がきました」
魔防壁が、白さを取り戻した。リシアは点検具と魔防壁を見比べ、唇を噛んだ。
「門は、ちゃんと開こうとした……外から、閉じる術式が届いているのかもしれません」
「閉じる術式?」
「門を閉じる魔法です。魔導線を通って門柱に届くと、魔防壁で門を閉じます。開ける術式で薄れても、閉じる術式が届く度に戻ってしまう」
「じゃあ、あの金色が?」
「たぶん、閉じる術式です」
リシアは魔導線を鋲から外した。
「私が魔法で無理やり開けても、同じです。閉じる術式が届けば、魔防壁は閉じてしまう。あの子が通る途中だったら……先に、届き続ける閉じる術式のほうを止めないと」
塔からも、あの点検具も、正しく開ける術式が送られているが、外から閉じる術式が割りこんでくる。
ふと、縄の内側を見回した。門番たちは、誰も魔防壁に近づいていない。慌てていても、動きに迷いがなかった。
「閉じたときの決まりが、あるんですか?」
俺が聞くと、オットーは太い指を折った。新入りのころに、毎朝唱えさせられた、閉門の心得だという。
「閉じた門の魔防壁に触れるな。人を下げよ。中にいる門番は、詰め所へ入れ。塔に開けさせよ。本隊へ伝令を出せ。塔が開けるまで、待て」
「中に旅人が残ったら、というのは?」
「……ねえな。荷改めのあいだは、門番がずっと中についてる。旅人だけが残るなんて、考えたこともなかった」
「昔は、荷改めを門の外でしていたそうです」
リシアが言い添えた。
「列が伸びて、雨の日でも改められるように、屋根のある門の中へ移したんです。私が生まれる前の話ですけど」
「……俺が、次の組を呼びに出たりしなけりゃな」
「呼びに出るのも、決まりどおりでしょう。悪いのは、あなたじゃありません。決まりのほうです」
オットーが、驚いたように俺を見た。
昔の職場にも、こういう手順書があった。作った直後はいいけれど、仕事のやり方が変わっても、誰も書き直さないので、いざという時に役に立たない。
「本隊へ走った伝令は、何を伝えたんです?」
「東門が閉じた、ってことだけだ」
「それだと、中に子供がいることも、塔でも開かなかったことも伝わりません。追いかけて、もう一通送りませんか? 何が起きたか。何をしたか。何が分からないか。何がほしいか」
リシアが手帳に炭筆を走らせ、一枚を破り取った。
――中に子供が一人、けがはなし。
――塔からの開門も、点検具での開門も、魔防壁が消えきる前に戻った。
――閉じた理由は不明。
――ほしいのは、人垣を整理し、城壁の見張りを増やせる兵と、それを決められる指揮官。
ヨナスがそれを懐に押しこみ、城壁沿いを南門のほうへ駆けていった。
「……で、ナオトさん」
リシアが、まっすぐこちらを向いた。
「さっき、何を根拠に『動くな』と?」
責める口調じゃない。確かめる口調だった。
俺はオットーから荷改めの白墨を一本借りて、石畳にしゃがみこんだ。縦長の四角をふたつ。門柱だ。その中に、一本線を引く。
「門柱の中を、青い流れが巡ってます。太さは、俺の腕くらい。城壁の中を通って、あの塔から来ています」
門柱の横に城壁の線を引き、その先に丸い塔を描いた。それから城壁の根元に、小さな四角を一つ。本物の城壁の根元には、手のひらを二枚並べたくらいの、錆びた鉄の蓋がはめこまれている。
「金色の細い筋は、あの鉄の蓋から出てきます。石畳の継ぎ目を伝って、門柱の根元へ入ります。入るたびに青が吸い上げられて、魔防壁が強くなるんです」
「ありゃ点検口だ。魔術院の人しか、触っちゃいけねえって言われてる」
オットーが言った。
リシアは白墨の絵をじっと見て、それから俺を見た。
「ナオトさんには、魔力の流れが見えるんですか?」
「魔力を感じてる、わけじゃないと思います。俺は魔法も使えないので」
この世界に来てから、物をじっと見つめると、その中を通る流れのようなものが見えるようになった。村にいたころは、梁や石にうっすら灰色の筋が浮かぶ程度だった。今日の門では、青や金色がはっきり見える。なぜなのかは、俺にも分からない。
「門のアーチにも、灰色の流れが見えます。上から押す重さが、石を伝って、両脇の門柱へ降りていく。あれは魔力じゃありません。ただの、石の重さです」
「重さが……見える?」
「魔力も重さも、俺には同じ『流れ』に見えるんです。どれが魔力なのかは、見ただけじゃ分かりません」
リシアは、アーチと俺の顔を見比べた。それから門柱の根元に手を当て、鉄の蓋の前まで歩いて、しばらく黙って手をかざしていた。
「ナオトさんが言う、青は、東防衛塔から届いている魔力です。門は、これで動いています。量も足りている。問題は、金色のほうです」
彼女は、トンネルの天井を見上げた。アーチ形の天井に、握りこぶしほどの丸い石が、ところどころ目玉のようにはめこまれている。
「見張りの魔石です。魔物や呪いのような危ないものが中に入ると、その気配を感じとって光り、門柱へ閉じる術式を送ります。門を閉じる術式は、本来、あそこから来るはずなんです」
前の世界でいえば、センサーのようなものか。目を凝らすと、見張りの魔石にも、うっすらと青い流れが見える。けれど、魔石は光っていないし、金色の流れも出ていない。
「魔石からは、何も出てません」
「見張りの魔石が静かでも、中に何もないとは言い切れません。魔石が見落とすものもあります」
「俺には何も見えませんが、見落としているだけかもしれません」
俺が頷くと、リシアは少し意外そうな顔をした。それから、少しだけ焦れたように言った。
「それだけ見えるなら、どこをどう直せばいいかも、分かるんじゃないんですか?」
「分かりません」
即答すると、彼女が目を瞬いた。
「俺に見えるのは、どこを何が流れているかだけです。青が塔の魔力だってことも、天井に見張りの魔石があることも、今、リシアさんに教わるまで知りませんでした。見えることと、分かることは別です。触っていいかどうかは、もっと別です」
構造をのぞいて、中を流れるものを見る。前の世界の言葉でいえば、構造解析と呼ぶべきだろうか。
リシアは、しばらく黙って俺を見ていた。それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。張りつめていた顔が、ふっとゆるむ。
初めて、この人の顔をまともに見た気がした。うなじで一つに束ねた亜麻色の髪。こぼれたひと筋が、魔防壁の照り返しで銀色にきらめいている。こちらを見上げる瞳は、コートと同じ深い藍色だった。
鼻の頭には、門柱のすすがひと筋ついている。
「……魔法を知らないくせに、偉そうに指図する人かと思っていました」
「知らないから、聞いてるんです」
「そうみたいですね。なら、必要なことは教えます」
「じゃあ、一つ」
「どうぞ」
「鼻の頭に、すすがついてます」
リシアは一瞬固まり、それから手の甲で、ごしごしと鼻をこすった。耳の先が赤い。
「そういうのは、もっと早く言ってください」
父親が、俺の袖を引いた。
「なあ。あいつは、まだ出られないのか?」
「今すぐは開けられません。でも、大丈夫です。あの子は光から離れたところにいます」
父親は、魔防壁の向こうの息子と俺の顔を見比べて、ゆっくり頷いた。
また一本、金色の筋が鉄の蓋から走り出た。継ぎ目を伝い、門柱の根元へ潜る。二枚の魔防壁が、いっせいに白さを増した。
俺は鉄の蓋の前にしゃがんだ。蓋の隙間の奥、城壁の石の中へ、金色の筋が細く続いている。その先は、分厚い石に阻まれて見えなかった。俺に見えるのは、近くにあるものだけのようだ。
隣に来たリシアへ、俺は言った。
「閉じる術式を送っているのは、この城壁の向こうの、何かです」
リシアは鉄の蓋を見下ろし、腰の道具入れから、黒い鉄の鍵を取り出した。




