第1話 閉じた東門
「父さん!」
振り向くと、門のアーチの縁が白く光っていた。
次の瞬間、そこから真っ白な光が、シャッターを下ろすように真下へ落ちてくる。その向こうで、七つか八つの男の子がこっちへ手を伸ばしていた。さっき列で水を分けてくれた親子の、息子のほうだ。ひと足先に門の中へ駆けこんだところだった。
父親が、麦袋や野菜の籠を山と積んだ荷車の柄を放り出し、閉じかけた隙間へ突っ込んでいく。
「待って!」
考えるより先に、その腕をつかんでいた。
体ごと後ろへ引き倒す。鼻先を光がかすめ、光のくせに、どん、と重い音を立てて、光の壁が石畳まで落ちきった。
門の下へ半分入りかけていた荷車の角が、じゅっと鳴った。木の焦げる匂いが鼻をつく。光に触れたところだけが黒く焼け、ぼろりと欠け落ちた。
あと半歩遅かったら、あれは男の腕だった。
「離せ! 息子が……!」
「見てください、あの角! 触ったら、腕がああなります!」
男が荷車を見て、ようやく抵抗をやめた。
光の壁は、ガラスのように向こうが透けている。
王都の東門は、分厚い城壁をくり抜いた石のトンネルだ。幅は荷車一台ぶん。天井はアーチ形で、大人の背丈の倍ほどの高さがある。奥行きは二十歩ほど。床は、普通の石畳だ。
その突き当たりの出口にも、同じ光の壁が下りていた。
入口と出口を、透きとおった光の壁が二枚ふさいでいる。その間のトンネルに、子供がひとりで取り残されていた。
列に並んでいるあいだ、あの父親が教えてくれた。
「王都はぐるっと結界に守られてる。魔物なんざ入ってこられねえ。けど門だけは、人も荷も通るから、どうしたって穴になる。だから門の中で一組ずつ荷を改めるのさ。危ねえもんが紛れてたら、門の中ごと閉じて、街へ出さねえ仕掛けなんだと」
閉じたところなんざ見たこともないがね、と笑っていた。
その門が今、目の前で閉じている。
前の荷車が出口へ抜けたあと、中で荷を改めていた門番が「次!」と入口まで呼びに出てきた。その声に、あの子が真っ先に飛びこんだ。父親が荷車の柄を持ち上げる、ほんの数秒前のことだ。
「父さん……」
光の壁の向こうで、男の子が顔をゆがめた。声は、壁越しでもちゃんと届く。小さな手が、光の壁のほうへ伸びかけた。
「触るな!」
俺は叫んだ。
「その光に、触っちゃだめだ。壁から離れて。真ん中まで下がって」
男の子がびくりと手を引っこめ、後ずさった。トンネルの真ん中あたりで、足を止める。光の壁から離れていれば、ひとまず、あの光には触れない。
入口の脇で、さっき「次!」と呼んだ門番が、真っ青な顔で立ちつくしていた。こめかみに白髪の交じる、がっしりした中年の男だ。
「おやっさん! あいつが、中に……!」
父親が、すがるように門番を呼んだ。顔なじみらしい。門番は光の壁の向こうを見つめたまま、「坊主……」とかすれた声を漏らした。
けれど次の瞬間には、もう顔を上げていた。
「ヨナス! 東の塔へ走れ。東門が閉じた、中に子供が一人だ、すぐ開けてくれ、って言え!」
「は、はい!」
若い門番が、城壁沿いに駆けだしていく。
「お前は本隊だ。東門は通れねえ。城壁沿いに南門へ回って、開いてる南門から街へ入れ。東門が閉じたと知らせてこい。残りは列を下げろ。誰も魔防壁に近づけるな!」
もう一人の門番が、城壁沿いを南へ駆けていく。ほかの門番たちも、弾かれたように動きだした。縄が張られ、列が後ろへ押し戻されていく。
この人が、ここの門番たちをまとめているようだ。
魔防壁――あの透きとおった光の壁を、門番たちはそう呼ぶらしい。
若い門番が駆けていった先にある、門のすぐ右手に、城壁から突き出すように、太い円い塔が建っていた。石積みの胴の上のほうに、細い窓が並んでいる。
「あれが東防衛塔だ。門を受け持つ魔術師が詰めてる。門に魔力を送って、ふだん魔防壁を下ろしたり消したりするのも、あそこだ」
俺の視線に気づいて、門番が短く言った。
「大丈夫、すぐ戻る。塔は目と鼻の先だ」
その言葉に、父親の肩から少しだけ力が抜けた。俺は、魔防壁の向こうの男の子を見た。息を詰めて門を見つめていると、妙なものが目に入った。
入口の門柱の中を、青い光が流れている。血管を巡る血のように、門柱の内側を上へ下へと行き来している。魔防壁の白とは違う、澄んだ青だ。たどっていくと、その青は城壁の中を通って、あの塔のほうから来ていた。
それから、もう一本。城壁の根元から、石畳の継ぎ目を伝って、金色の糸のように細い筋が走ってきた。筋は門柱の根元へ、するりと潜りこむ。途端に門柱の青がぐっと吸い上げられ、二枚の魔防壁が、ひときわ白く光った。
なんだ、あれは。まわりの誰も、足元なんて見ていない。俺にしか見えていないのか。
「オットーさん! 怪我人は?」
鋭い声がした。門柱の前に、若い女が駆け寄ってきていた。列に並んでいるあいだ、ずっと門柱の模様を調べていた女だ。膝まである紺色のコートを着て、袖を肘までまくり上げている。腰には、使いこんだ革の道具入れと、短い木の杖を提げていた。
「いねえ。中に坊主が一人だ。リシア、いてくれて助かった」
「塔には?」
「今、走らせた」
短いやり取りだった。いつも顔を合わせている二人らしい。
女は縄の外の人垣へ振り向いた。
「魔術院の者です! 魔防壁には、絶対に触らないでください!」
女は門柱の模様に両手のひらを当て、目を閉じた。何かを確かめるように、指先が模様の上を少しずつ動いていく。
「……異常を知らせる印がない。正常に動作しています」
あれが、魔術院の人間か。俺には魔法が使えない。見えたところで、あの光をどうにかする手がない。
今のこの魔術師に、情報を伝えるしか俺のやれることはなさそうだ。
「すみません。門柱の中を、青い流れが巡ってるのが見えるんです。それと、根元に金色の細い筋が入るたびに、青が吸い上げられて、魔防壁が強く光ります」
女の目が、ちらりと俺を見た。
「青い流れ? 金色の筋? そんなもの、どこにも見えませんけど」
「俺には見えます。何なのかは、分かりません」
眉間にしわが寄る。どこの誰とも知れない男の話だ。怪しまれて当然だった。
女は何か言いかけて、塔のほうへ目を向けた。
「開けるそうです!」
若い門番が、息を切らして戻ってきた。本当に、すぐだった。
「塔の人が、今から開けるって!」
縄の外の人垣が、どよめいた。父親が、身を乗り出す。
「塔の当直が、開ける術式を動かします。魔防壁を消して、通れるようにする仕組みです」
魔術院の女が、父親に短く言った。
「坊主、まだ動くなよ。魔防壁が消えてからだ」
門番が、魔防壁越しに声をかけた。男の子が、こくこくと頷く。
俺は、門柱を見つめた。塔のほうから来る青の流れが、変わった。門柱へ流れこむ勢いが、すっと落ちていく。開ける術式が動いたのだ。入口の魔防壁が、薄れはじめた。白かった光が、朝霧みたいに透けていく。出口の魔防壁も、同じように。あと少しで、消えそうだ。
男の子が、待ちきれないように一歩、入口のほうへ踏み出した。
――そのとき、石畳の継ぎ目を、また金色の筋が走ってきた。
「まだだ! 動くな!」
俺が叫んだのと、金色が門柱の根元へ潜るのが、ほとんど同時だった。男の子が、びくりと足を止める。
門柱の青が、ぐっと吸い上げられた。薄れかけていた二枚の魔防壁が、一瞬で白さを取り戻した。どん、と重い音が、石畳を揺らす。
男の子は、まだ入口の魔防壁から離れたところにいた。駆けだす前で、よかった。
人垣から、悲鳴のような声が上がった。父親の膝から力が抜け、石畳に手をつく。
「……消えきる前に、戻った」
女が、呆然と呟いた。それから、俺を見た。
「今、なぜ『動くな』と?」
「金色の筋が、門柱の根元に入りました。その直後に、魔防壁が戻ったんです。さっき魔防壁が強く光ったときも、同じでした」
女は、しばらく黙って俺の顔を見ていた。それから魔防壁越しに、男の子へ声を投げた。さっきまでとは違う、やわらかい声だった。
「怖かったね。もう大丈夫。壁から離れて、真ん中で待ってて。今度は、ちゃんと消えたのを確かめてから呼ぶから」
男の子が、涙で濡れた顔のまま、こくりと頷いた。
「すみません、思いきり引っぱって。腕、大丈夫ですか?」
「ああ……いや、助かった。本当に」
父親は焦げた荷車の角と、自分の手のひらを見比べた。その手が小刻みに震えている。震えているのは、俺の指も同じだった。
女が、額に張りついた髪を払う。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。
「塔の開け方は、正しかったです。魔防壁はいつも通り、消えそうでした」
「なら、塔の魔力が足りないということはありませんか?」
「それも確かめます。手は出さないで」
ぴしゃりと言われた。
女は門柱の模様に手を当て、刻印を一つずつ確かめていく。指を止めて魔防壁を見て、また次の刻印へ。手つきに迷いがない。
俺は彼女の指先と、門柱の青い流れを交互に追った。流れは太いまま、途切れることはない。
「塔からの魔力は、普段どおり届いています。足りないわけじゃない」
「じゃあ、魔力が足りないという線は消えますね」
そもそも俺は、魔力がどうとか分からない。昔の仕事でも、知らない設備に知った顔で手を出して、ろくなことになった試しはない。
「……お名前は?」
「ミヤモト・ナオトです。ナオトと呼んでください」
「リシアです。魔術院で、このあたりの門の点検を受け持っています。……その金色の筋に何か変化があったら、すぐ教えて」
リシアは門柱に目を戻した。
「塔の開ける術式は、正しく動いている。でも、どうして門が開かないの」
門柱の上で、リシアの指が止まった。
「ナオトさん」
呼ばれて振り向く。
「金色の筋が入った順番を、もう一度教えてください。私のほうでも確かめます」
俺は頷いて、彼女の隣へ戻った。




