第16話 夕飯
南門の保守小屋の前まで戻ると、リシアが足を止めた。
「私は、先に院へ寄ります。この魔石を試験室の、鍵のかかる棚へ入れて、ロガーの同行のことも確かめてきます」
腰の黒い袋に、手を添えたまま言う。接続箱から青い魔石を外してから、袋は一度もリシアの腰を離れていなかった。
「それから、東防衛塔と守備隊と、オットーさんへ使いを出します。明日の朝、試験室で、この魔石を確かめ結果がはっきりしたら、午後、東門の封じのくさびを外したい、と」
「結果がはっきりしなかったら?」
「そのときは、くさびは外しません。使いにも、そう書きます」
ガルドが、髭をしごいた。
「俺は、トビに小屋のことを言いつけてから行く……宿は、麦灯り亭だったな?」
「宿に来るんですか?」
「腹が減った」
それだけ言って、ガルドは小屋へ入っていった。
灯りのともりはじめた通りを抜けるあいだ、ロガーは俺とネネの足もとを、遅れずについてきた。
荷車の車輪の音がすると、耳がそちらへくるりと向く。パン屋の窯の匂いがすると、鼻先が少しだけ上がる。すれ違った子供が、目を丸くして振り返った。
「ロガーちゃん、疲れてない? 抱っこする?」
「歩けます。あまり歩いたことがないので、自分の足で歩きたいんです」
麦灯り亭に着いたのは、夜の鐘の少し前だった。
戸を開けると、酒場の声がどっとあふれてきた。ロガーの耳が、ぴくりと動いて音のほうへ向く。
「ロガーちゃん、どうしたの?」
ネネが、心配そうに覗き込む。
「……こんなに多くの人を見るのは初めてです」
盆を抱えたフィンが、ぴたりと足を止めた。
「……ねこが、しゃべった」
「ロガーだ。一緒に調べてる仲間だよ」
俺が言うと、ロガーがフィンを見上げた。
「ロガーです。こんばんは」
「こ、こんばんは……」
厨房の窓から、テッサが目を丸くしてのぞいていた。その目が、ロガーの四本の足から、淡く光る耳へ移る。
「獣人のお客さんは来るけど……この子は、ずいぶん違うのね」
「ロガーです。お邪魔します」
丁寧に頭を下げられて、テッサはもう一度目を丸くした。カウンターの向こうで、ブルーノが樽の栓をひねる手を止めている。
「こりゃ驚いた……よく来たな。ゆっくりしていけ」
ブルーノが笑うと、テッサもつられて笑った。
いつもの窓ぎわの卓に、四人が座った。
俺とネネが座ったところで、戸口からガルドが入ってきた。卓を見るなり、隣の卓から椅子を一脚引いてきて、卓の角に据える。
ロガーだけが、床の上から卓を見上げていた。
「……私の席は、どこですか?」
「ここだ」
ガルドが、据えたばかりの椅子の背を、ぽんと叩いた。壁ぎわの長椅子から座布団を二枚取ってきて、座面に重ねる。
ロガーが、床から椅子へ軽く跳び上がった。重ねた座布団の上に座ると、卓の縁から、ちょうど顔と前足が出た。
フィンが、水差しと杯を運んできた。真剣な顔で、一つずつ卓に並べていく。
「一、二、三、四……」
四つ目を置いたところで、フィンの手が止まった。ロガーと杯を見比べて、厨房へ駆けていく。
戻ってきたときには、浅い皿を両手で持っていた。水を張って、ロガーの前にそっと置く。
「……五」
ロガーは、フィンと皿を見比べて、小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
フィンは照れくさそうに笑って、厨房へ駆けていった。
豆の煮込みが運ばれてきたころ、戸口にリシアの姿が見えた。息が少し上がっている。腰の黒い袋は、もうなかった。
「魔石は、試験室の棚に入れて、鍵をかけてきました。鍵は、私が持っています」
リシアは椅子に腰を下ろして、ようやく肩の力を抜いた。それから、ロガーのほうを向いた。
「ロガーのことも、院で確かめてきました。今回の調査に同行してかまわない、と了承をもらえました」
「では、明日から一緒に行けるんですね」
ロガーの耳が、少し前へ傾いた。
「塔と守備隊とオットーさんにも、使いを出しました。東防衛塔は、明日の午後に対応可能とのことです」
テッサが、リシアとロガーの前に皿を置いた。
「お連れさんが増えましたね。お泊まりは、どうなさいます? 上の部屋が、一つ空いてますけど」
ロガーが、俺を見た。
「ロガーが決めていいよ」
ロガーは少し考えてから、テッサを見上げた。
「……今夜は、ここにいたいです」
「今夜の分は、私が払います」
リシアが言うと、テッサは「では、今夜の分だけ」と笑って、厨房へ戻っていった。
リシアは湯気の立つ椀を両手で包んで、長い息を吐いた。それから、卓を見回した。ネネが煮込みに息を吹きかけ、ガルドは黙って杯を傾け、ロガーは座布団の上で、耳を厨房の音のほうへ向けている。
「……やっと、座れました」
「お疲れさまでした。あの魔石から来る術式は止まったと思います」
「ええ。今日は、それで十分です」
リシアの口もとが、少しだけゆるんだ。
ガルドは黙ってパンの塊を切り分け、いちばん柔らかいところを小さくちぎって、ロガーの鉢の脇に置いた。
ロガーはそれを前足で引き寄せ、少し眺めてから、小さくかじった。
「……やわらかいです」
「当たり前だ。うちのパンだぞ」
ブルーノが、カウンターの向こうで得意そうに鼻をこすった。




