第15話 ロガーという名前
中継所の机の上で、猫は石の板から前足を下ろしたまま、俺たちを見上げていた。
「ありがとう。おかげで、門で見たことの裏付けが取れた」
「お礼を言われたのも、久しぶりです」
「……そういえば、まだ名前を聞いてなかったな。何て呼べばいい?」
今度の間は、少し長かった。
「名前はありません。ここの人たちは、用があるとき、この台の端を二度叩きました」
猫は、石の板の角を前足で、とん、とん、と叩いてみせた。
「俺が前にいたところでは、いつ、何が起きたかを、休まずに記録する人を、ロガーと呼んでいた」
猫は、しばらく足もとの石の板を見下ろしていた。
「ロガーは、大切にされますか?」
「ああ、ロガーは大切だ」
「では、私の名前はロガーです」
声の調子は、少しも変わらなかった。けれど、石の板に戻った前足が一度だけ、確かめるように板の角をなぞった。
「ロガーちゃん! よろしくね」
「よろしくお願いします、ネネ」
ネネはさっそくレンズを取り出して、ロガーの前足の下の石の板をのぞきこんだ。板の表には、細い線を組み合わせた模様が、びっしりと彫りこまれている。
「この板の術式の刻印、試験室の道具とは違う。古い型ですね」
「触るなよ。まだ生きてる線だ」
ガルドに言われて、ネネはレンズだけを近づけたまま、指を引っこめた。
リシアは手帳を開き、三つの記録の日付と時刻だけをロガーに確かめて、院への報告のために短く書きとめた。
「明日は、何をするのですか?」
リシアが手帳を閉じると、ロガーが俺に聞いた。
「院で、あの魔石を調べる。そのあと、東門を元に戻す」
「楽しそうですね」
ロガーは、壁から垂れた魔導線を見て、それから、剥がされた窓のほうを見た。窓の外では、傾いた日が草の原を金色に染めている。
「私は、ずっとここで記録をしていました……」
石の板にのせていた前足が、いつのまにか、机の縁のほうへ半歩ぶん出ていた。
「なら、一緒に来ないか? ロガーがいると心強い」
ロガーの耳が、ぴんと立った。
「行きたいです。自分の目で外を見たいです」
「でも、ここを離れても、大丈夫なんですか?」
リシアが、壁の魔導線とガルドを見比べた。
「塔同士は、三十年前から直に繋がってる。こいつがここで読み上げてなくても、塔の知らせは塔へ届く。止まるもんはねえよ」
ロガーは、石の板から前足を下ろした。
ネネが、声を出さずに両手をぎゅっと握りしめた。リシアは、ロガーに軽く頭を下げた。
「院には、私から確かめます。明日の試験と東門の確認に、ロガーも一緒に来られるように」
「はい。お願いします」
ロガーは石の板の前を離れ、机の端まで歩いた。椅子の座面へ、それから床へ、音もなく下りる。四本の足で扉の前まで進んで、そこで一度止まった。
俺は先に外へ出て、待った。
ロガーが、敷居をまたいだ。耳が、草のざわめきのほうへくるりと向く。
「……外は広いですね」
ロガーは、俺たちの足もとに並んで、夕方の草の原を歩きだした。




