第14話 古い中継所
声は、途切れずに続いていた。
「……北防衛塔より、東防衛塔へ。北の区画、異常なし。東防衛塔より――」
抑揚のない、細い声だ。扉の板一枚向こうで、誰かが淡々と読み上げている。
ネネが、俺の袖をぎゅっと握りしめた。
「……誰もいないんですよね? いないのに、声がするってことは」
「幽霊が、知らせの読み上げなんぞするか」
ガルドが鼻を鳴らし、拳で扉を二度叩いた。
「誰だ? ここは塔の持ち物だぞ」
声が、止まった。
「……鍵は、外からしか開きません。開けるなら、開けてください」
リシアが、腰の黒い袋に手を添えたまま、小さく頷いた。ガルドが鍵を回すと、錆びたちょうつがいが、長い悲鳴のような音を立てた。
中は、細長い部屋だった。
板でふさがれた窓の隙間から、傾きかけた日が何本も差しこみ、宙に舞う埃を白く照らしている。その下に、長い机が一台。壁から垂れた細い魔導線が、床をはい、机の脚を上って、机のいちばん奥へ集まっていた。そこに、平たい石の板が一枚置かれている。
板の前に座っていたのは、銀灰色の猫――そう思った。
けれど、頭の上の三角の耳の縁が、淡く光っている。窓の日の照り返しではない。光は、耳そのものから出ていた。猫は前足を石の板の上にそろえたまま顔を上げ、入口に立つ四人を、端から順に見た。
「人が入ってきたのは、久しぶりです」
扉越しに聞いたのと同じ、澄んだ声だった。
「前は、朝になるとここにいた人たちが来て、前の日に町や門で何があったかを話してくれました。最後に誰かが来たのは、三十年と二月と四日前です」
猫が、話している。
隣で、リシアが小さく息をのんだ。
「……魔導生物、というものを聞いたことがあります。魔力で動く生き物だそうです。土や石の人形を魔力で動かすゴーレムより、ずっと精巧で、とても貴重なものだと」
「見たことは?」
「ありません。院の古い本で、読んだことがあるだけです」
俺は、石の板をインスペクトで見た。壁から来た魔導線の中を、ときどき淡い流れが走ってくる。板に届くたびに、猫の口がかすかに動いた。今もここに届く知らせを、届いたそばから読み上げているのだ。
ガルドが入口脇の板窓に手をかけ、釘ごとばきりと引き剥がした。日の光が、部屋の奥まで流れこむ。
「……まだ、生きてやがったか。塔と塔を直に繋いだとき、ここへ来る線は外したと聞いていたがな」
「届く知らせは、ずいぶん減りました。でも、今もときどき届きます」
俺は、石の板にいちばん近い椅子の埃を手で払って、腰を下ろした。猫と、目の高さが近くなる。
「ナオトだ。ここで、何をしてるんだ?」
「記録しています。届いた知らせを、届いた順に。それから、読み上げます」
「誰に?」
猫は、答える前に、埃の積もった椅子の列を見た。
「……ここにいた人たちに、です。今は、誰も座っていませんが」
俺の袖を握るネネの指から、ゆっくりと力が抜けていった。ネネは机の向こうへ回りこみ、膝を曲げて、猫と目の高さをそろえた。
「ネネです。院で、魔道具を作ったり、試したりしてます……さっきは、幽霊かと思っちゃった。ごめんね」
「幽霊は、知らせを読み上げないそうです」
扉の外でガルドが言ったことを、そのまま返してきた。ガルドは喉の奥で妙な音を立て、それから髭を揺らして笑った。
「ガルドだ。この辺の魔導線の面倒を見てる」
「王立魔術院のリシアです。この近くの魔導線を調べています」
リシアは、腰の袋に手を添えたまま、机の前へ進んだ。
「お願いがあります。東門の魔防壁が、何日か前の昼の鐘のあとに、急に閉じました。その日から今日までに、南から、東門へ向けた知らせが届いていないか。調べていただけますか?」
リシアが日付を告げると、猫の耳がわずかに動いた。ガルドが、机の上に指で線を一本引く。
「さっきの接続箱から術式は発信されて、ここの中継所に繋がっていた」
「南から届いたものなら、記録があります。ただ、私に分かるのは、この部屋に届いたものだけです。誰が送ったのかは、分かりません」
猫の前足が、石の板の上をゆっくりと滑っていく。やがて、止まった。
「七日前、昼の鐘のあと。南より、東門宛て。閉じる術式が送られています」
フィンが閉じこめられた日だ。
猫は、そこで顔を上げた。
「その時から、閉じる術式は、夜のあいだも同じ間で続いています」
十数えるほど。東門の伝令の輪の前で、俺が指を折って数えたのと同じ間だ。
「それが、今日の昼過ぎに止まりました」
「あの魔石を、接続箱から外したからだ」
リシアの手が、黒い袋の上できゅっと握られた。
箱で見た金色。東門で数えた間。ここに残っていた記録。三つが、同じことを言っている。
猫は、石の板から前足を下ろして、静かに俺たちを見上げた。




