第13話 城壁の接続箱
保守小屋の裏、城壁の根元に、低い鉄の扉がはめこまれていた。職人だけが使う、地下への入口だという。ガルドがランタンに火を入れ、鍵を回す。扉の奥から、ひやりとした湿った空気と、水の流れる音が上がってきた。
「足もとに気をつけろ。下は、水道と下水の点検通路だ」
石の階段を下りると、岩を掘り抜いた通路が左右へ延びていた。
壁も天井も、削った岩の凹凸がむき出しだ。低く張り出した岩の先では、天井が闇の中へ高く引っこんでいる。水音がいくつも重なって奥から響き、洞窟に入ったようだった。
人が一人歩ける足場の脇に、石の蓋をかぶせた下水路。壁には太い水道管がはい、その上に、指ほどの太さの銀色の魔導線が、金具で点々と留めてある。灯りの届く先で、魔導線が一本、また一本と分かれて、別の暗がりへ消えていた。
昨日の図面の網の目は、下へ来ると、こういう形をしているらしい。
「わあ……」
ネネが、ランタンを掲げて天井を見上げた。声が、岩に跳ね返って二重に聞こえる。
「滑るぞ。上ばっかり見てんじゃねえ」
「ここは魔物は出てこないんですか?」
俺は先程の戦闘を思い出して、ガルドに聞いた。
「ここは、王都の地下で結界の中になるから、魔物はでやしねえ。でも、盗人や罪人が隠れて住んでるって噂だ。会ったことはねえがな」
ガルドは迷わず歩き、ある曲がり角で足を止めた。ここだけ足場が広く、三人が並べるほどの場所がある。壁の低いところに、鉄の覆いがはめこまれていた。
「この箱の中で、他の魔導線が合わさる。東門の伝令の輪へ行く太い魔導線は、ここを通っている」
ガルドがハンマーの細いほうの頭で錆びた留め金を起こし、覆いを外した。中で、東門へ続く太い魔導線と、そこへ合流する細い魔導線が、金具の上で一つに寄り合わさっている。
俺は、点検口の縁に手をついてのぞきこんだ。インスペクトで見ると、魔導線の中を、淡い流れがときどき行き来している。そのうちの一本に金色が走った。
声には出さずに数える。一、二、三……十。また、金色。
「来てます。東門で見たのと同じ、閉じる術式が。十数えるごとに」
「ナオトさんが見て、私が書きます。数えながらだと、書けないでしょ?」
ネネが隣にぴたりと並び、首から下げた手帳を開いた。
「……助かる。どっちから来てるかというと――」
太い魔導線からではない。そこへ横から合わさっている、細いほうだ。細いほうから入った金色が、太いほうに乗って、東門のほうへ流れていく。
「この細いほうから来て、東門のほうへ行ってます」
ガルドが、太い指でその細い魔導線に触れた。
「……古い枝だ。中継所へ延びる魔導線だ。もう何年も使ってねえ。この先には、誰もいねえはずだ」
ガルドはしばらく黙って細い魔導線を見ていた。それから、覆いを戻した。
「この枝の接続箱は、地上だ。城壁の根元にある。魔導線を分けたり、繋ぎ直したりするための箱だ。今は使ってねえはずだ」
来た道を戻り、階段を上がって、保守小屋の裏へ出た。明るさに目がくらむ。
そこから南の城壁に沿って、西へ歩いた。家並みが途切れると、城壁の根元に沿って、踏み固められた細い道が続いていた。脇は草地で、ところどころに積み直し用の石が寄せてある。職人たちが毎日、城壁を見て回る道だという。
ガルドは城壁のほうを見もせずに進んでいく。旧い枝が足の下のどこを通っているのか、見なくても分かっているらしい。
やがて、ガルドが足を止めた。
城壁の根元に、鉄の蓋がはめこまれていた。両手を広げたくらいの幅の、四角い蓋だ。縁のちょうつがいには錆が浮き、下の石の継ぎ目には苔がこびりついている。
「接続箱だ。開けるのは、何年ぶりかのはずだ」
ガルドが鍵を選ぶあいだに、俺は蓋の前にしゃがんだ。
鍵穴のまわりの錆が、一か所だけ剥げていた。取っ手の下の苔も、そこだけ擦れている。
「……ガルドさん。最近、誰か開けてませんか?」
ガルドが、鍵を持ったまま黙った。
蓋を開けると、奥行きの浅い箱だった。腕を差し入れれば、奥の石に指が届く。湿った土の匂いがした。
奥の壁に、太さの違う魔導線を留める金具がいくつも並んでいる。
その端に、それはあった。青い魔石だった。
手のひらに収まるほどの、平たい魔石。油を染みこませた布にくるまれ、細い魔導線で壁の金具に繋がれている。点検具のような真鍮の枠はない。
「……こんな所に、魔石?」
ネネが、顔を寄せた。
誰も触れていないのに、魔石の奥が、ふっと明るくなる。そこから金色の筋が走り出た。魔導線を伝って壁の金具へ、そこから東門へ続く魔導線へ。
俺は黙って数えた。……八、九、十。
また、金色。
「ここです。この魔石から、閉じる術式が出ています」
リシアがしゃがみこんだ。ネネもレンズを抜き、魔石の表面へかざす。
「魔術院の聖印は、あります。でも、どこの持ち物か分かる印は、ありません」
「魔力も残っています。何年も前の置き忘れなら、とっくに空になっているはずです」
リシアは、触れずに魔石を見つめた。ガルドが、鍵穴の剥げた錆を振り返る。
「近ごろ誰かが置いたか、魔力を足しに来たか、だな。……勝手に転がりこんで、繋がるもんじゃねえ」
それから、城壁沿いの道を振り返った。
「この道は、職人が毎日通る。見張りを立ててるわけじゃねえが、人の来ねえ場所でもねえ。点検具についてる短い魔導線で送るなら、蓋を開けて、この前に立ってなきゃならねえ」
長い魔導線を持ってくれば離れられるだろうが、今度は箱から魔導線が延びることになる。
俺も道の先と後ろを見た。城壁と草地のあいだに、身を隠せるような陰はない。
この魔石は蓋の内側でつながっているので、蓋を閉めてしまえば、外からは何も見えない。
「外しましょう」
リシアが道具入れに手をかけた。
「その前に、今の姿を残させてください。どの金具に繋がっていたか。魔石の向きと、布の巻き方も。外してからだと、分からなくなります」
前の世界でも、怪しいものを見つけたら、触る前に、まずそのままの姿を残した。あとで「最初はどうなっていたか」を比較するときのためだ。
ネネが手帳に箱の中を描きはじめた。ガルドが金具の番号を読み上げ、リシアが描いた位置を実物と見比べる。
「それと、ガルドさん。この箱の魔導線は、ほかに何を運んでますか? 外すのは、魔石だけにしたいんです」
「太いほうは、南の見回りの『安全』も東門へ運んでる。そいつを切りゃ、そっちも止まる。魔石の細い魔導線だけ外すなら、ほかには影響はでねえ」
ガルドは、片方の眉を上げた。
「やるもんだな……止める前に、つながり先を聞く奴は、職人でも少ねえぞ」
リシアが片手で布ごと魔石を支え、もう片方の指で、細い魔導線を留めている金具を緩めた。抜いた先端を、箱の縁から離す。
魔石の奥が、また明るくなった。けれど、そこから出た金色は、外した魔導線の先で途切れた。東門へ続く太い魔導線には入っていかない。
十数える。二十。三十。
太い魔導線には淡い知らせだけが通い、金色は、もう流れてこなかった。
リシアは魔石を布ごと取り外し、道具入れから出した黒い布袋に収めて、口を固く縛った。袋は、そのまま自分の腰の革帯に結びつける。
「魔導線から外しました。これで、東門へは送れません。院の試験室の、鍵のかかる棚に移すまで、私が持っています」
ガルドが腰の袋から控えの紙を出し、炭筆をなめた。
「外したことは、俺が書いとく。今日、誰が、どこの箱の、どの金具から、何を外したか。小屋の図にも、書き添えとく」
ネネが、リシアの腰の袋をじっと見つめていた。そして、俺の顔を見上げて、にっと笑った。
「ナオトさんのおかげです。治癒の魔石に術式を写してみようって言ったから、ここが分かったんです」
「形にして、確かめてくれたのはネネだよ」
「えへへ。じゃあ、二人の手柄です」
「四人だよ」
俺が、きっぱりと訂正した。ガルドが、髭の奥で肩を揺らした。
「で、この枝の先は?」
俺は、箱の奥から城壁の外れへ延びていく細い魔導線を見た。
「旧い中継所だ。昔、塔と塔の知らせを取り次いでた建物さ。三十年も前に、塔同士が直に繋がってから、使われなくなった。今は、誰も勤めてねえ」
「何か記録が、残っているかもしれません」
リシアが言った。
その後、ガルドの案内で、枝の通る草の原を抜けた。まもなくすると、城壁の外れに、古い見張り台が立っていた。その足元に、石造りの平たい建物が、半分草に埋もれるようにしてうずくまっている。窓は板でふさがれ、屋根の端は崩れかけていた。扉の前には、何年分もの枯れ葉が積もっている。
「……本当に、誰もいないんですよね?」
ネネが、俺の袖を握る手に力をこめた。
ガルドが鍵の束を探って、扉の前に立った。
そのとき、扉の向こうから、声が聞こえた。細く、澄んだ声だった。抑揚のない調子で、何かを読み上げている。
「……南防衛塔より、西防衛塔へ。南の区画、異常なし。西防衛塔より、北防衛塔へ――」
四人とも、息を止めた。




