第12話 門外の戦闘
翌朝、南門の保守小屋の前で、ガルドが待っていた。 腰の革帯には、昨日と同じハンマー。肩に、短い縄の束を掛けている。
ガルドは、城壁の根元をハンマーで指した。
「先に、外側を確かめる。この下を通るからな。石が浮いてねえか、まず音を聞く」
俺たちがこれから歩く地下の道は、あの石積みの下にある。そこへ入る前の確認なのだ。
「行くぞ。結界の外に出るから、離れずについてこい」
王都の中は、魔物の侵入を防ぐ結界に守られている。城壁の外へ出れば、その守りはない。
ネネが、目を輝かせた。
「石を叩いて、中が分かるんですか?」
「音で分かる。詰まってりゃ、硬え音。中で割れてりゃ、濁った音だ」
「……音で、中身を。叩いてるところ、近くで見てもいいですか? 叩く強さとか、場所とか」
「ネネ。叩くのは、ガルドさんの仕事です」
「まだ何も言ってません」
「顔に書いてあります」
ネネは両手で自分の頬を押さえた。ガルドが、髭の奥で小さく笑った。
「見るだけなら、好きにしろ。ハンマーには触るなよ」
南門の大きなトンネルの脇には、守備兵が槍を立てていた。ガルドが片手を上げると、兵は「親方、点検か?」と顎をしゃくって通してくれた。荷車と旅人の列にまじって、トンネルを抜ける。
南門の外は、明るかった。
城壁の影を出ると、まっすぐな荷車道が南へ延びている。道の両側には、穂の垂れたきび畑。その先に低い林が黒く横たわり、右手の丘の中腹には、白っぽい岩肌がのぞいていた。昨日、けが人が運ばれてきた石切り場だろう。
道には荷車が二台と、籠を背負った女たち、羊を追う老人がいた。
振り返ると、南門のトンネルの口に守備兵が二人、槍を立てている。その脇で、南防衛塔が空へ伸びていた。
ガルドは城壁の外側に沿って歩き、ところどころで立ち止まっては、ハンマーの平たい頭で石をこつこつと叩いた。
「……このあたりは、問題ねえな。下を通っても平気だ」
俺は城壁を見上げた。息を詰めると、石の奥を上から下へ降りていく灰色の重さが見える。けれど、どこが傷んでいるのかは分からない。
突然、林のほうで、遠吠えが上がった。 低く、長い声。ひとつ、ふたつ。重なって、三つ。きび畑の向こうの木々のあいだから、何かが飛び出してきた。
狼の頭。けれど、四つ足じゃない。灰色の毛に覆われた体を起こして、二本の足で走ってくる。背丈は大人の男よりも大きい。長い腕の先に、曲がったかぎ爪。
五頭。いや、六頭。
「ワーウルフだ!」
南門のほうで、兵が叫んだ。トンネルの口に、灰色のマントの男が出てきた。クラウス隊長だ。
「中へ入れ! 道の真ん中を空けろ。槍は門口の両脇だ。走れない者には手を貸せ!」
遠くからでも、よく通る声だった。
道の上の人たちが、悲鳴を上げて走りだした。荷車の御者が馬にむちを入れる。籠を放り出した女が、子供の手を引いて門へ駆ける。守備兵たちがトンネルの口の両脇に分かれて槍を構え、真ん中に荷車一台ぶんの通り道が空いた。兵が二人、道へ駆けだして、羊を追う老人の腕を取る。
「隊長、閉めますか!?」
「まだだ。外に人がいる」
ガルドが、ハンマーの柄を両手で握り直した。
「リシア、前を止めろ! ネネ、横を見とけ! ナオト、お前は門へ走れ!」
言われるより先に、足が動いていた。
きびの穂が顔を叩く。息が、すぐに上がる。背中のほうで、地面を蹴る音が近づいてきた。振り返る余裕なんてない。足がもつれて、畑のうねに倒れこんだ。土の匂いが鼻に詰まる。膝が、言うことをきかない。
そのとき、澄んだ声が畑の上を渡った。
「風よ、我が前に集え。牙となり薙ぎ払え――烈風!」
頭の上を、風が通り過ぎた。
ごう、という音がして、きび畑が一斉に波打った。顔を上げると、道の真ん中にリシアが立っていた。右手に、腰から抜いた短い木の杖。先端にはまった小さな青い魔石が、群れのほうを向いている。
杖の先から吹き出した風が、先頭の三頭をまとめて押し戻していた。狼の頭がのけぞり、二本の足が土を削って後ろへ滑る。
リシアは、一歩も下がらなかった。杖の先をわずかに振るたび、風の壁が群れの鼻先をなぞって動く。道の脇を門へ逃げていく荷車には、ひと筋も当たっていない。
畑の横手から、一頭が回りこんできていた。風の届かない側を低く走って、門へ向かう人たちのほうへ。
「ネネ、右!」
ネネが、胸ポケットから魔導レンズを抜いた。柄を両手で握り、丸いガラスを、その一頭の足元へ向ける。唇が、きゅっと結ばれていた。
真鍮の枠の刻印が、ぽうっと光った。ガラスの真ん中から、細い光が一筋走る。
光はワーウルフの足元の土を焼いて、ぱっと白い煙を上げた。一頭が飛びのき、耳を伏せて、もう一度踏みこもうとする。ネネはレンズを少しだけ上げた。今度は光が、肩の毛をかすめた。
ワーウルフは甲高い声を上げて、林のほうへ跳ね返っていった。その間に、別の一頭が風の脇をすり抜けて、俺のほうへ跳んできた。
爪が、日の光を返す。俺は、動けなかった。悲鳴も上げることができず、ただ立ちつくしていた。
目の前に、分厚い背中が割りこんだ。ガルドのハンマーが横ざまに振り抜かれる。鈍い音がして、跳びかかってきた一頭が畑の中へ転がった。
「寝てんじゃねえ! 走れ!」
ガルドは振り向きもせずに怒鳴った。
林のほうで、また長い遠吠えが上がった。ハンマーを食らった一頭が、頭を振りながら後ずさる。
しばらくの間、群れは林の前でこちらを睨んでいたが、それから一頭、また一頭と身をひるがえし、林の中へ消えていった。
リシアが、ゆっくりと杖を下ろした。風がやみ、きびの穂が、ぱらぱらと元に戻っていく。
俺は、畑に座りこんだまま動けなかった。心臓が耳の奥でうるさく鳴っている。手を見ると、指が勝手に震えていた。
「……ナオトさん、けがは?」
リシアが、杖を腰に戻して手を差し出した。
「ない……です。たぶん」
リシアの手をつかんで立ち上がると、膝がまだ笑っていた。
「ナオトさん、顔が真っ青ですよ」
ネネが、レンズを両手で握ったまま、のぞきこんできた。そう言うネネの手も、少し震えている。
「……ネネも」
「えへへ……実践は、初めてでした。試験室から出ることがなくて」
リシアが、ネネの震える手に、自分の手をそっと重ねた。
「ネネ、足元を狙ったのはいい判断でした」
「追い返せれば、それでいいと思って……」
ネネは照れくさそうに笑って、レンズを胸ポケットに戻した。
リシアの息は、もう落ち着いていた。さっきまで六頭の前に立っていたとは思えない。
「……リシアさん、強いんですね」
「魔物を追い払うのは、初めてではありません。門の保守を受け持つ以上、何かあれば、最初に現場にいるのは私です。だから戦う訓練も受けていますし、守備隊の方たちと一緒に、外で食い止めたこともあります」
リシアは、林のほうを一度だけ見た。
「普段は、守備隊も門の外まで出て魔物を食い止めます。でも今は、東門の件で、城壁の見張りや旗の連絡に人を回していますから。外へ出られる兵が、少ないんです」
東門の南門側の伝令の輪は、今も封じたままだ。その代わりの見張りを、兵たちが毎日続けている。あの日の閉鎖は、今もここで兵の手を取っていた。
俺の指には、リシアの手の温かさが、まだ残っていた。先程の戦闘が、本当に現実のものなのか分からずにいた。
南門へ戻ると、トンネルの口で、クラウス隊長が兵に指示を飛ばしていた。
「中へ入った者を数えろ。道にいた顔と突き合わせて、足りない者がいないか確かめろ。城壁の上に弓を並べろ。石切り場へ使いを出して、今日はもう引き上げさせろ」
門の内側では、羊を追っていた老人が壁に手をついて息を整えている。足元には、羊が固まっていた。人を数えていた兵が、戻ってきた。
「門前の道にいた者は、全員います。けが人は、転んですりむいた者が何人か」
「よし」
隊長は、ハンマーを革帯に戻しているガルドへ顔を向けた。
「親方、外はどうだった?」
「六頭だ。俺たちが追っ払って、そろって林へ引っこんだ。俺たちが門へ戻るまで、林から出てきちゃいねえ」
「林の奥は?」
「そこまでは見てねえ。まだ中にいるかもしれん」
「分かった」
隊長は、城壁の上の弓兵へ短く手を上げた。林の縁から目を離すな、ということらしい。
それから、俺たち四人を一度だけ見た。
「外で騒いでくれた分、門口は楽だった……以上だ」
礼とも言えない一言だった。隊長はもう、次の兵の報告を聞いていた。
トンネルをくぐりながら、ガルドが言った。
「こういうのは、珍しくもねえ。月に何度かは、どこかの門の外で出る。王都の中には結界があるから入ってこねえが、外で畑を耕す奴も、石を切る奴もいる」
「外に魔物が見えたら、門は閉じないんですか?」
「外の様子を見て、門を閉じるか決めるのは、守備隊だ。ただし、門を閉じりゃ、外にいる連中は逃げこむところがなくなる」
トンネルを抜けたところで、ガルドは足を止めた。前掛けの物入れから、鉄の鍵束を引っぱり出す。
「さて、約束の魔導線だ。入口は、小屋の裏だ……まだ歩けるか?」
「歩けます」
膝は、まだ少し笑っている。
それでも、助けられただけの一日で終わらせるわけにはいかなかった。東門へ閉じる術式を送っている何かを、探しに来たのだ。




