魔女の許へ
そうして臨んだ晩餐。こぞって着飾る令嬢たちの前に、アリーニナ嬢は現れなかった。
アリーニナ嬢も辺境公閣下もいないまま、晩餐の料理が運ばれる。
「閣下は後からおいでです。どうぞ、先にお召し上がり下さい」
執事に促されて、戸惑いつつも食事に手を付ける。出された料理は質素ながら、とても美味しいものだった。
「遅れて申し訳ありません」
主菜が並べられる頃になって、ようやく辺境公閣下が姿を見せる。ひと言謝罪を告げた辺境公閣下は、晩餐の場を見渡して執事に問い掛けた。
「ルーフィは、また不在ですか?」
「エリネスティに急患が出たとのことで、本日は外泊のご予定です」
「エリネスティに?城から馬で二日も掛かる場所に、なぜわざわざルーフィが」
「ちょうど調べたい土地だったから、とおっしゃっておいででした」
明らかに、辺境公閣下の機嫌が下落した。
「なぜ、私に報告が上がって来なかったのですか?」
「黒の森に近い村でもないのでわざわざ報告することもないと言う、ルーフィお嬢さまの指示です」
「……」
「知ったら止められるだろうからとも」
辺境公閣下が息を吐く。
「護衛には誰が」
「ユウリの隊と、ギフトが」
「ギフト?」
辺境公閣下の眉が寄る。
「なんでギフトが。ユウリの隊にギフトに乗れる竜騎士はいないでしょう」
「ギフト自身の希望で。ギフトはルーフィお嬢さまをたいそう気に入ったようです。ルーフィお嬢さまが出かけると聞いて、さあ自分の背に乗れと、張り切って擦り寄っていました」
「ギフトが?自分から、誰かを乗せようとしたと?」
「ええ。自ら籠鞍まで着けて馳せ参じていました」
「籠鞍を?自分で?」
辺境公閣下は、ぽかんと絶句したあとで、思わずと言ったていで笑い出した。
「ほんとうに、ルーフィは予想外なことを起こす」
「さようでございますね。さて、機嫌が直ったようでしたら、お客さまのおもてなしを。ルーフィお嬢さまのために来て下さったそうですから」
「ああ、そうでしたね」
みな、王城の晩餐会にでも臨むような、気合いを入れた装いをしている。化粧だって、いちばん美しく見えるように、力を入れたはずだ。
にもかかわらず白粉ひとつはたいていないだろうこの方に、美しさで誰も敵わない。
だから辺境公閣下のめぐらせる視線に、みな気圧されてしまった。
「遠く辺境まで、我が妻のために来てくれてありがとうございます。その言葉に、嘘偽りのないことを願います」
「閣下」
執事が静かに言う。
「まだ妻ではなく婚約者です」
「半年後には結婚するのですから、誤差でしょう」
「だからこそ、婚約者を名乗れるのは今だけですよ。今だけ、閣下だけに許された関係性です」
辺境公閣下が目を細める。
「それもそうですね。せっかくシスタヴィオリの第一王子から、奪い獲って来た地位です。名乗らないのはもったいないですか」
「ええ」
「では、言い換えましょう。我が愛しの婚約者のために、危険な地まで足を運んでくれてありがとうございます。ルーフィは忙しい方で、交流と言ってもなかなか時間が取れないでしょうから、難しいかもしれませんが」
細めた目の発する威圧に、みな息を詰め、身を固めた。
「ルーフィがこの国の、我が領の外に後ろ盾を持たないのは事実ですからね。あなた方がルーフィ、私の愛する大切な婚約者を守る盾となってくれることを、期待しています」
誰も、なにも言えなかった。
確かに苛烈な武功のある方だ。多くの魔物を屠り、国を守って来た方。
けれどその苛烈さは民を守るためのもので、民に対しては誰よりも優しい穏やかな方であったはず。
だと言うのに、この冷たい視線は、わたくしたちに向けられる威圧は、なに。
答えられずにただ硬直しているわたくしたちをしばし眺めてから、不意に辺境公閣下は空気を和らげた。
「さて、晩餐の途中に申し訳ありませんでした。どうぞ、食事を再開して下さい。せっかくの料理で……」
自分の前に置かれた料理を見て、辺境公閣下は言葉を止める。わたくしたちと違って、いま晩餐の席に着いた辺境公閣下に出されたのは前菜だ。その、料理をじっと見つめ、わたくしたちの食べかけの皿も見つめて、それから改めて、わたくしたちを見渡した。
「……出す料理の指示は、ルーフィが?」
「ええ。食材もご提供頂きました」
「ははっ」
辺境公閣下は乾いた笑いを漏らすと、片手で顔を覆い、深いため息を吐いた。
「相変わらず、喉が焼けるほど甘い娘だ。黙って手酷い目に遭わせて、追い払えば良いものを」
呆れたような言葉にはけれど、隠しきれない愛情がにじんでいた。
「あとで、母と兄に手紙を書きましょう」
執事に言って、辺境公閣下はカトラリーを取る。
「この滞在期間に、いったい何食分の貴重な糧が奪われるか。こんなことは、もう御免被りたい」
誰に聞かれるつもりもなく無意識に出たのであろう、小さな低い呟き。けれどほかの誰も音を立てぬ場では、ことのほか大きく響いた。
言った本人は気付いていないのか、静かに前菜を食べ始めていた。さすがは王弟だけあって、音もなく上品に食べる。
「美味しいですね。我が領では育てていない野菜もあるように思いますが」
「ルーフィお嬢さまが持ち込んだ作物ですね。シスタヴィオリに育つ植物に、エーデルシュバルツでよく育つものがあるかもしれないと、試験的にいろいろと育てているようです」
「では、これは」
「すべてこの領で育った野菜です」
辺境公閣下がカトラリーを置き、片手で顔を覆った。
「閣下?」
「いえ……すみません。そう、ですか、ここで、これが……」
会話の意味が理解出来ず、令嬢たちはわたくしも含めて困った顔をしている。
目の前に並べられた、料理を見下ろした。
辺境公閣下の晩餐としては、質素な、粗末とも言える料理だ。味は良いが、豪華さはかけらもない。
「妊婦や乳幼児のいる家にはすでに、食材が配布されているようです。そちらはルーフィお嬢さまが、食糧支援としてお持ち下さったものですが」
食糧、支援。
その言葉で、ようやく会話の意味を理解する。
肥沃な大地を有するエーデルシュバルツ王国だが、地域によっては魔力汚染が激しく、食べられるものが育たない場所もあると聞く。魔物対策の最前線であるエーデルシュバルツ辺境公領は、その代表的な土地だ。
もしやアリーニナ嬢は、食糧支援と引き換えに、辺境公閣下に婚約を迫ったのだろうか。そうだとすれば、民の命を人質に取るような、悪辣なやり口だ。
それに、食糧支援であれば、フィッツ侯爵家からだって出来る。魔物被害の極めて少ないフィッツ侯爵領は、国内でも指折りの穀倉地だ。
「ですが、食糧は、」
「それが」
執事が、顔を上げた辺境公閣下にみなまで言わせず答える。
「一食分ずつ、個別に包装された食糧なのです。封を開けない限りは、魔力汚染を含む品質劣化がほとんどないと」
「そんなことが、可能なのですか?」
「まだ実験段階だから、被験者として扱わせて貰っているとは、言っておいででしたが」
また、わからない話になって、口を挟む時機を失う。
「ルーフィお嬢さまのご実家の領地も一部は、人間の土地としては魔物被害が多く、魔力汚染の激しい土地です。そこで生まれる子供たちのために、なにか出来ないかと考えられたそうです。個包装の食糧とミルクの開発は」
「ミルク?」
「乳児用のミルクです。専用の容器に定量ずつ封入されていて、外袋のまま湯煎が可能で、外袋から取り出して蓋を開ければ、そのまま乳児の口に含ませられると」
「それを、未婚の令嬢が開発したと?ルーフィには、弟妹もいなかったはずですが」
「そのように聞いております。粉ミルクでは清潔な水が手に入らない場所で困るし、手間もかかるから、割高で嵩張って消費期限が短くても、お湯で溶く必要も、容器を移し替える必要もない、そのまま飲めるものが良いとおっしゃっていました。もちろん、容器は回収して洗浄・溶解・再成型して再び利用出来るものを採用している、とのことで」
乳児用の、ミルク?
なんの話だろうと疑問符を浮かべているのは、わたくしだけではなかった。
それに気付いて、辺境公閣下は苦く笑う。
「ほら、これが普通の反応です。やはり、ルーフィは奇特だ」
言って食事を再開し、噛み締めるように一口ずつ、丁寧に食べる。
「たとえ食糧支援を受けても、魔力汚染の深刻なこの土地では、すぐ消費しなければ保管中に魔力の影響を受けてしまう。土地に住む者ならば知っている情報ですが、そうでないならば、知ろうとしなければ知れない情報です」
その言葉で、ようやく理解した。
安易に、食糧を支援するなどと、言わなくて良かった。
考えれば、当然のことだ。
彼は辺境公閣下閣下である前に、王弟殿下で、その、殿下が困っているのに、国王陛下が手を差し伸べないはずがない。
「私の大切な婚約者であるルーフィの生家、アリーニン伯爵家は、領地に魔力汚染の濃い土地を持ちます。魔力汚染の濃い土地と言っても、人間の国の中ではです。しかし、住む者も人間ですから、その被害は深刻でした」
そして辺境公閣下は、わかっていなかったわたくしたちに向けて、説明する。
「ルーフィ自身が暮らしていたのは、魔力汚染のない土地です。魔力汚染の濃い土地は、近年功績への恩賞として飛び地で与えられた領地でしたから。それでも彼女は魔力汚染に苦しむ領民を救うために動き、そして、結果を出しました。アリーニン伯爵家が魔力汚染の土地を与えられて、たった三年で、不毛だった土地が、食糧を産める土地になったのです」
辺境公閣下の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。
「私は倍以上の年月この土地を治め、未だ、汚染には打つ手なしだと言うのに」
「ですが」
思わず反論が、口を突いていた。
「殿下のお陰でエーデルシュバルツ王国は、守られておりますわ。殿下は立派に、お役目を果たしておいでです」
「そうですね」
わたくしの言葉は、王弟殿下の心を、なにも揺らせなかった。
「"エーデルシュバルツ王国の王弟として"は、それで十分かもしれません。ですが"エーデルシュバルツ辺境公領の領主として"は、ただでさえ深刻だった領地の汚染を、さらに悪化させた悪い領主ですよ、私は」
「それ、は、国を、守るために。それに、魔物を倒さなければ、辺境公領の被害も」
駄目だ。
こんな言葉、響きはしない。
だって王弟殿下がいま問題視しているのは、直接的な魔物の害ではなく、魔物を殺すことにより生じた魔力汚染なのだから。
でも。
「わたくしは、殿下、いえ、閣下に、救って頂きましたわ。わたくしだけでなく、多くの民が、閣下に救われています」
それでも確かに、辺境公閣下が救ったものは数知れずあるのだ。
「ええ、もちろん」
辺境公閣下が頷く。
「それを間違いだったと言うわけではありません。国のために、魔物は倒さねばなりません。だからこそ、魔力汚染から土地を救う力を持つルーフィが、私たちには必要なのです」
土地を救う。あんな、幼くひ弱げな娘が?
前菜を食べ終えた辺境公閣下の前に、次の料理が置かれる。それを見下ろして、辺境公閣下が言った。
「こんな料理がここで食べられるなんて、ルーフィがいなければあり得ませんでした」
言われた意味を、理解出来た令嬢はいなかった。
「わかりませんか。本来ここで、ここまで魔力汚染のない作物は育ちません。エーデルシュバルツ辺境公領で普段食べているのは、魔力耐性のない者が食べれば即座に魔力過剰で倒れるような、魔力に汚染され尽くした作物と肉です」
辺境公閣下に合わせて、主菜を口にしていた令嬢たちの手が止まる。ここにいるのは、普段、身体に害があるほどの魔力汚染などない土地で暮らす令嬢ばかりだ。魔族だから人間に比べれば魔力への耐性は高いが、自信を持って魔力耐性があるとは、みな言えないのだろう。
「ああ、これは食べても害がありませんよ。あなた方に魔力耐性のないことは、ルーフィも理解していたようで」
目を細めて、辺境公閣下は告げる。
「ルーフィが、魔力耐性の低い、子供や胎児、それから人間である自分の使用人たちのために用意している、魔力汚染のない食材です。ええ。民と己の臣下を救うための食糧を、惜しげもなく、みなさまに分け与えてくれたようで」
一様に、令嬢たちが顔色をなくした。
貴重な糧と言っていた、辺境公閣下の先の言葉の、意味をようやく理解して。
そして、お前たちが来たから、貴重な糧が浪費されることになったのだと言う、言外の批判を察して。
「明日の昼からは、普段の食事を用意して下さい。私からの、命令です」
「よろしいのですか」
「構いません。ここがどのような土地であるかは、わかって来ているはずですから」
はっきり邪魔だと口にしてしまえば、わたくしたちも王太后陛下も、体面を傷付けられることになる。だから閣下は遠回しに、覚悟と耐性がないならば去れと告げているのだ。明日の朝食までは、安全なものを用意してやるから、そのまま立ち去れと。
令嬢たちの、顔色が悪い。
きっと、わたくしの顔色も悪いだろう。
わたくしたちは、エーデルシュヴァルツ辺境公領と言う場所を、甘く見過ぎていたのだ。
誰もなにも、発言しないまま、晩餐が進む。
食欲など失せて、味もわからず、食事を喉に通すことも苦しいくらいだったが、食べない、とはとても口に出来なかった。貴重な、あまりに価値の重い食糧を分け与えられて、食べない、など、許されることではない。
拷問のような時間のなか、それでも、心のなかで聞き分けのないわたくしが叫ぶ。
魔力に耐性がないのは、アリーニナ嬢とて同じ、否、人間である分、わたくしたちより耐性はないはず。ならばこの地に相応しくないのは、彼女だって同じはずだと。
アリーニナ嬢だって、魔力耐性のない者のための食糧を、自分のために使っていて、だから無事に違いないと。
わたくしは、どこまでも、甘い考えの子供でしか、なかったのだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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