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その甘い毒を飲み干して

 翌日、朝食のあと、半数以上の令嬢たちがエーデルシュヴァルツ辺境公爵領をあとにしたが、わたくしはこの地に残った。

 人間であるアリーニナ嬢がこの土地の食事に耐えられるならば、わたくしだって耐えられるはずだし、そうでなく、自分は特別な食事を食べているなら、そんな女を辺境公夫人にするわけには行かない。


 魔力過剰が、恐ろしくないわけではない。魔力過剰が過ぎて魔力中毒を起こせば、死ぬことすらあり得るのだ。けれど、そう。


 アリーニナ嬢も、その使用人の人間たちも、誰ひとり死んでいないと聞いていたから。

 わたくしも、そして、ほかの残った令嬢たちも、この土地の魔力汚染の恐ろしさを、過小評価してしまったのだ。


 アリーニナ嬢は、まだ戻っていないらしい。辺境公閣下も、昼間は忙しい。

 そうなれば、交流、と言う目的で来たわたくしたちには、やることがなかった。

 いつ、恐ろしい魔物が出るかわからないエーデルシュヴァルツ辺境公爵領では、迂闊に外出も出来ないのだ。


 それだけに、呆れを覚える。

 アリーニナ嬢は、自分が外出するために、貴重な戦力である竜騎士隊を、ひとつ動かしているのかと。

 多少知識はあっても、所詮は安全な人間の国の生まれ。竜騎士の戦力的価値など、理解出来はしないのだ。


 やはり、人間の娘に辺境公の妻など務まらない。こんな縁談は、潰さなければ。

 わたくしは思いを強くして、辺境公もアリーニナ嬢もいない昼餐に臨んだ。


 並べられた食事を見て、唖然とする。


 食材の見た目だけで言うなら、普通の食事と変わらない。だが、一目でわかるほどに、残留魔力量の高い食材だった。

 正確な量まではわからないが、おそらく、一般に流通可能な残留魔力量上限の、三倍、いや、下手したら五倍以上かもしれない。

 生まれて初めて見るほどに、高い魔力を含んだ食事だった。


 これは、本当に、魔族の食べものなのかしら。食べて良いものなのかしら。


 もし、他家の晩餐会に訪れてこんな料理を出されたら、フィッツ侯爵家への宣戦布告かと思っただろう。

 否。

 宣戦布告なのだ、これは。この、料理を食べてなお、ここ、エーデルシュヴァルツ辺境公爵領に残りたいかと言う、覚悟を問う、戦いの。


 意を決して、カトラリーを手に取る。フォークに刺した料理を、口に運ぶ手は震えた。


「お嬢さま、ご無理は」


 侍女の言葉に首を振り、毒にも等しい料理を口にする。


「……美味しい……」


 その味に、目を見開いた。身体には、確実に毒だと言うのに。濃密な旨味を感じる、ひどく美味しい料理だった。


 ああ、そうか、わたくしたち、魔族にとっては。


 魔力は過ぎれば毒。けれど、欠けても命を削るのだ。だからわたくしたちの舌は、魔力を美味に感じるように出来ている。

 魔力と同じく過ぎれば毒の砂糖の味が、とても美味しく感じるように。


 とても、美味しい。いままで、こんなに美味しいものを、食べたことがないと思うほどに。

 けれど、二口目を、口にする気は起きなかった。


 カトラリーを置き、片手で口を抑える。


 これ以上、食べては、いけない。

 身体がもう駄目だと、拒んでいた。


「お嬢さま、吐き出して下さい。お身体に障ります」


 礼儀も忘れて寄り添った侍女が、背中をなでる。いやいやと、首を振った。


 これ以上は、食べられない。けれど、吐き出すのは矜持が許さない。えずく喉を押し堪えて、口の中身を嚥下する。濃密な魔力に、胃が燃えるようだ。

 つよく目を閉じれば、生理的に浮かんだ涙が押し出されて目許を濡らした。吐き気とめまいを堪えながら見渡せば、まともに食事を口に出来ている令嬢などひとりもいなかった。それどころか、ほとんどは、一口ですら手を付けられずに、青褪めて震えている。


 きっと、彼女らは、このあと逃げて帰るだろう。

 邪魔な敵が、また減る。


 意識して、呼吸を深くした。

 ほかの領地で造られたものを買っているからだろう。食事に添えられたワインは、料理に比べて残留魔力が少なかった。それでも、一般に流通可能な量は越えていそうだが。


 ああ、本当に、保管するだけでこんなに魔力に汚染されてしまうのね。

 昨日の辺境公の言葉が誇張でないと実感させられながら、わたくしはワインを飲み干した。

 ワインであれば、どうにか、飲むことが出来る。


 それならば。

 水分さえ取れれば、たとえ食事が取れずとも、一週間ほどは問題ないはずだ。


「お嬢さま、ご無理は」

「大丈夫よ」


 魔族としては魔力耐性が低いとしても、人間には劣らない。そのわたくしでさえ、食べられない料理なのだ。やはり、アリーニナ嬢はこの料理を、食べていないはず。

 その証拠を掴み、彼女を婚約者の地位から引きずり下ろすまでは、絶対に帰るわけには行かない。


 決意も新たに、わたくしは立ち上がった。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 とは言え、まず本人がいなくては、調べるもなにもない。けれど、アリーニナ嬢が連れて来た使用人であれば、残っているのではないだろうか。

 主人のため、はるばる魔族の土地にやって来るような、忠義に篤い者たちだ。そう簡単に情報は漏らさないだろうが、手がかりくらいは得られるかもしれない。

 そう思って、アリーニナ嬢が住むと言う場所に、向かおうとしたのだが。


 めまいがする。頭が痛い。吐き気がする。気持ちが悪い。胸が苦しい。肩が重い。胃がひっくり返りそう。寒い。寒い。寒気がして、身体が震える。


「お嬢さま、やはりご無理は。もう、帰るべきで、」

「帰らないわ!」


 上擦った自分の声が頭に響いて、酷く不快だった。


「お嬢さま、」

「放っておいて。ひとりにして」

「ですが」

「いいから。付いてきたら、クビにするわ!」


 吐き捨てて、まろぶように駆け出した。


 そんなこと、言うつもりはなかったのに。こんな危険な土地まで、ついて来てくれた子たちなのに。

 ああ、頭が痛くて、割れそうだ。息が苦しい。視界が、暗く、


「わ、だ、大丈夫ですか?」


 努めて穏やかに発された、気遣いの声。細い腕が、わたくしを抱き留める。


 これは、だれ?


 視界がおぼつかず、こちらを覗き込む相手の顔も見えない。


「!、魔力過剰を起こしているわ。ユウリさん、じゃない方が良いわね。ジュンナ、運んで差し上げて」


 魔力過剰。そうか、魔力過剰は、こんなに苦しいものなのか。


 喉がヒリつく。一呼吸ごとに、肺が、頭が、潰れそうに痛む。

 誰かに身体を持ち上げられたと気付くが、抵抗する気力もなかった。されるがまま、どこかへ運ばれる。慎重に運んでくれているようだが、わずかな揺れですら、身体に響いて苦しい。


「大丈夫です。魔力濃度の低い場所に移れば、多少なりとも楽になりますからね。もう少しの辛抱ですわ」


 不意に呼吸が、酷く楽になった。突然空気の良い場所に出たかのように、空気がすんなり喉を通る。押し潰されるようだった身体が、解放された心地がした。


「良かった。少し落ち着いたみたい」


 安堵したような声、どこかに座らされ、クッションを背にあてがわれる。


「この方、交流のために来て下さったご令嬢だわ。どうしておひとりで……」


 呼吸は楽になったが、視界はまだはっきりしない。頭が痛い。


 思わず背を丸めれば、丸めた背をそっとさすられた。不思議と、身体が楽になった心地がする。


「いえ。いまはそんなことより治療が優先ね」


 手袋をはめた小さな手が、わたくしの右手を拾い上げる。


「話すのは苦しいでしょうから、肯定のときは手を握って下さいまし。わたくしの声は聞こえていますか?」


 努めて穏やかな声で、ゆっくり言葉を発してくれているのだろう。投げられる声は耳に優しく、聞き取りやすい。その配慮に感謝しつつ、小さな手を握る。


「辛いでしょうが、少しお話をさせて下さいね。過去にお薬で具合が悪くなったことはおありですか?」


 握っていた手を弛める。


「お薬で具合が悪くなったことはないのですね」


 握る。

 頷く気配がして、さらに問いを掛けられる。


「普通の食べ物で、食べてはいけないと言われているものはありますか?」


 手を弛める。


「魔力汚染されていない食べ物で、具合が悪くなったことはありますか?」


 手を弛めたままにする。頷く気配。


「お薬でも、魔力汚染のない食べ物でも、具合が悪くなったことはないのですね」


 握る。


「いまなにか、飲んでいるお薬はありますか?」


 弛める。


「飲んでいるお薬はない?」


 握る。


「塗ったり貼ったりする薬も使ってはいないですね?」


 握る。


 頷く気配と、離されようとする手。反射的に、引き留めるようにすがり付いた。離れようとした身体が止まり、苦笑するような気配と共に、寄り添って背をなでられる。


「ヤナ、魔力除去薬よ。糖衣のものを出して。ジュンナ、お水を貰える?」

「どうぞ」

「こちらを、お嬢さま」

「ありがとう」


 寄り添ってくれていた身体が少し離れ、すがっていた手をほどかれる。あっと思う間もなく、再び手を取られる。


「苦しくなくなるお薬です。飲んで下さいまし。そうしたら、眠っているあいだに良くなりますから」


 誰だかもわかっていない相手から、差し出された薬。普通なら絶対に飲んだりしないが、いまは苦しくなくなると言う言葉に飛び付いてしまった。小さな丸薬を受け取って、口に含む。苦いことを覚悟していたが、舌に乗った薬は甘味を感じさせた。薬らしい匂いもしない。


「お水をどうぞ」


 渡された水も、疑いもせず飲み干す。

 優しく背をなでられながら、数分ほどのちだろうか、驚くほど、身体が楽になって、引き換えに、眠気に襲われた。


 再び手を取られ、問われる。


「吐き気は、なくなりましたか?」


 取られた手を握る。頷く気配と共に、背中のクッションを抜かれる。


「ここは安全ですから、少し休んで下さいまし。いま座って頂いている場所は寝台です。そのまま後ろに倒れれば枕がございますから、ゆっくり、後ろへ」


 背に手を添えられ、導かれるように後ろへ倒れる。柔らかな布団と枕に包まれ、ほ、と息を吐いた。シャボンと日向の香りのするリネンが、心地好い。


「吐き気は、ありませんか?」


 手を握れば、よかった、と呟く声。


「寝て起きたら、すっかり良くなります。安心して、おやすみなさいませ。わたくしがずっと、付き添っておりますから」


 その声に安堵して、わたくしは意識を手放した。手と声の主の、顔も見ていないのに。

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

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