届かぬ歌を波間に乗せて
アリーニナ嬢は王城で十日ほど休養してから、エーデルシュバルツ辺境公領に向かうらしい。
辺境公領へ出立する前々日には、王城で夜会を開いて改めて、辺境公閣下の婚約者の歓迎とお披露目を行うそうだ。
夜会の前にも、昼餐、晩餐、茶会など、この国に人脈を持たないご令嬢のための顔繋ぎの場が用意され、アリーニナ嬢と面識を持ちたい者は、その場に行けば彼女と直に言葉を交わすことが出来る、はずだった。
「ごめんなさいね、ウォルフィったら我が息子ながら心配性で。慣れない長旅で体力を使ったルーフィちゃんに、無理をさせたくないと部屋から出さないのよ」
アリーニナ嬢に会おうと意気込んで来たひとびとであっても、王太后陛下にそう言って微笑まれれば反論も出来ない。
「わたくしだって、ルーフィさんともっとお話ししたいし、みなさまに自慢したいのに、閣下が囲い込んで、なかなか会わせてくれないの、ずるいでしょう」
「せっかくあんなに可愛くて素敵な子が義妹になるのに」
「ね。まだ少ししか話していないのに、わたくし大好きになってしまったわ」
華やかに語るのは、王妃殿下たち。
「義姉上たちはまだ良いではないですか。僕らなんて、挨拶したきりですよ」
「家族でお茶をって言うなら、私たちだっていて良いはずなのに」
「警戒しているのね」
王弟殿下たちの言葉に、王太后陛下がくすくすと笑う。
「あなたたちがルーフィちゃんに横恋慕しないかって、気が気じゃないのよ」
「そんな」
王弟殿下たちは困った顔だ。
「ウォルフィ兄さまがどれくらい、アリーニナ嬢を溺愛しているか、知っているのですから、横恋慕なんてしませんよ」
「そうですよ。この国の英雄の婚約者を奪うなんて、烏滸がましい」
「恋は理屈じゃないのよ」
成人した息子がふたりもいるとは思えない軽やかな笑い声を上げ、王太后陛下が言う。
「聞けばルーフィちゃん、母国では王子妃候補で、第一王子から言い寄られていたそうだもの。あのウォルフィが一目惚れするくらいだし、心配になるのも無理はないと思わない?」
「わかりますわ、お義母さま。ルーフィさん、女のわたくしでもあまりの愛らしさに見惚れてしまいますもの」
「ええ。あの天使のようなお顔やお髪ももちろんですが、所作も洗練されていて、隙がなくて」
本人不在でも、敬愛する王族のみなさまが褒めればいやが上にも評価は上がる。いったんか弱いと印象が染み付いたアリーニナ嬢だったが、ご令嬢ではなく辺境公閣下側の溺愛が原因なのではと、思い直す方も出始めた。
物見高い貴族は、いくら辺境公閣下であっても、かねてより計画されていた夜会まで断らせることはないだろうと、アリーニナ嬢との対面を夜会に絞ったりもしたらしい。
そして、満を持しての夜会当日。
豪奢な白いドレスに身を包んだアリーニナ嬢は、辺境公閣下に抱き上げられたまま、夜会の会場へと現れた。
あらあらと微笑む王太后陛下に、アリーニナ嬢が訴える。
「このような姿で申し訳ございません。わたくしは、再三、降ろして欲しいとお願いしたのですが」
困った顔で弁明し、辺境公閣下へと目を向ける。
「体調は問題ないと、説明しましたでしょう?心配なさらなくても、ひとりでどこかに行ったりも致しません。あなたが離れてもヤナが一緒におります。それでも心配であれば、監視を付けても構いませんと申し上げました」
「あなたが大丈夫でも、私が大丈夫でないのです」
「あまり拘束が過ぎるようでしたら、愛想を尽かしますよ?」
不服もあらわに言う姿に、周りで様子を伺っていた貴族たちは、声こそ上げなかったものの、明らかに動揺していた。辺境公閣下は今や、この国で最強と言って過言でないほどの武人なのだ。王族と言う身分もあり、人格者であることはわかっていても、逆らうなど畏れ多い。
それを、辺境公閣下が首を掴んで捻れば、簡単に命など奪えてしまうであろう、華奢で小柄な令嬢がはっきりと逆らって見せるなど、正気の沙汰とは思えない。
「降ろして下さいまし。わたくし、ここにはみなさまと交流するために来ておりますから」
周囲の動揺など気付いた様子もなく、アリーニナ嬢は自分の要望を口にする。
「ヴォルフさま?」
言外に、自分の言うことが聞けないのかと責める声。ともすれば傲慢にも聞こえる口調だが、見た目の愛らしさと声の甘やかさが、親密さゆえの言葉と態度なのだと感じさせる。
「あなた、わたくしに、この国で孤立せよとおっしゃいますの?」
「そんなつもりでは」
「でしたら、どうすべきかわかりますわね?」
辺境公閣下より十歳も年下のはずのご令嬢が、まるで諭すような口調で言う。
「ヴォルフさま?」
「……私のそばを、離れないで下さいね?」
「善処致しますわ」
満足そうに微笑んで、お人形は床へと降り立つ。そこでやっと、自分への注目に気付いたらしく、すいと会場を見渡して、にっこりと会釈する。
思わず息を吐いたのは、誰だったか。
誰もが見惚れるような、完璧な所作だった。
夜会が始まる。
アリーニナ嬢は、優雅に、そつなく、夜会を泳いで見せた。常に愛想よく笑って、誰とでも会話を弾ませて。
でも、それくらい、わたくしだって出来る。国内貴族のことであるなら、当然わたくしの方が詳しいのだから、むしろわたくしの方が、上手に社交出来るはず。
しかも結局、アリーニナ嬢は体調を崩しでもしたのか、途中からずっと辺境公閣下の腕のなかだった。
どうして?
その問いが、夜会を終えても頭から離れない。
魔力に耐性を持たない人間の、あんな弱そうな女の子で良いなら、わたくしだって良かったはず。
アリーニナ嬢はエーデルシュバルツ辺境公領に行くにあたり、まず、数十人ものシスタヴィオリの人間を先行させ、自分が住む場所を調えさせた。半年もかけてだ。
そんなことが、許されるなら、わたくしだって。
悔しい。恨めしい。妬ましい。
わたくしの心が、黒い気持ちで満ちて行く。
多少、社交が出来て、それがなんだと言うのか。あんな"なにも出来ない"女なんて、辺境公閣下に相応しくない。外見は確かに、お人形のような美少女かもしれない。けれど、それだけだ。辺境公閣下は、いったいあのこのどこが良かったのか。
そうだ。
まだ、婚約者のうちなら。
わたくしの方が役立てると見せ付けて、その座を奪ってしまえば良い。
だってわたくしの方が、ずっと好きだった。ずっと、殿下を見て来た。だから、わたくしの方が、ずっと。
「閣下は素敵な方を、見付けられましたね」
母は夜会でアリーニナ嬢と言葉を交わす機会があったらしい。ほんの少し話しただけで、すっかりアリーニナ嬢を気に入ったらしく、次の日に茶会で会った王太后陛下に、にこにことそう伝えた。
「そうなの。あんなに可愛くて若いのに、努力家で頭も良くて、知識もとっても豊富なの」
「そうですわね。しかも、気遣いも上手で、話す相手をよく立てて。閣下の婚約者とわかっていても、息子の妻にと口説いてしまいそうでしたわ」
「あら嫌だ。ウォルフィの最愛の方だから、横取りしないでちょうだい」
ころころと優美に笑ったあとで、王太后陛下は憂いを見せる。
「話してみるととっても大人びた子で、しっかりしているのだけれど、それでも、まだ、十三歳でしょう?遠く親元も離れて異国に嫁いで、心細い思いをさせてしまわないか心配なの。身の回りの世話をする使用人は国から連れて来たからと言われたけれど、使用人と友人は違うでしょう?誰かこの国で立場の近いお友だちが、出来ると良いのだけれど、エーデルシュバルツ辺境公領に嫁ぐとなると、なかなか歳の近い女性との関わりも取りにくいわよね」
はぁ、と溜め息を吐く王太后陛下に、その場の何人が、しめたと思っただろうか。
「それでしたら、わたくしが」
そのなかで、母と並んでいたわたくしが、いちばんに反応出来た。
「共にエーデルシュバルツ辺境公領に行って、アリーニナ嬢が慣れるまで、付き添いを致しますわ」
「エル」
「まあ!」
母の咎めるような声は、王太后陛下の嬉しそうな声に掻き消された。
「フィッツ侯爵令嬢が付き添ってくれるなら、心強いわ。国が違えばきっと、慣れないこともたくさんあるもの、どうか、ルーフィちゃんを支えてあげてちょうだい」
わたくしの手を取って、王太后陛下は言う。
「身に余る光栄ですわ、陛下。喜んで、お引き受け致します」
わたくしは微笑んで、快諾の言葉を返した。
ё ё ё ё ё ё
「なにを考えているのですか、エル」
家に戻ったあと、母がわたくしを叱責する。
「エーデルシュバルツ辺境公領なんて、あなたが耐えられるわけがないでしょう。あれほど言い聞かせたと言うのに、まだ理解出来ていなかったのですか?」
「それを言うのならば」
わかっている。何度も言われて来た。
けれど、それが事実ならば。
「人間の娘が行くことの方が、ずっと無謀ではありませんか」
「あなたとアリーニナ嬢を同じ土俵で語るなど、烏滸がましいことです。あなたはなにも、わかっていません」
言って、母は額を押さえる。
母がいくら怒ったところで、王太后陛下の決定は覆せない。
「良いでしょう。行っていらっしゃいな」
まるで突き放すような語調だった。
「どうなろうと、自業自得ですよ。行って、現実を知っていらっしゃい」
とうとう、母に見放されただろうか。
心に、不安がよぎる。でも。
これは、せっかく掴んだ好機なのだ。これを逃せば、きっと次はない。
あんなお人形さんより、絶対に、わたくしが。
「はい。行って来ますわ、お母さま」
わたくしはきっぱりと、母に答えた。
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