恋したひとの隣には
目覚めて、母の言葉は夢だったのではないかと考える。
だって、人間の女がエーデルシュバルツ辺境公領に嫁ぐなど、あり得ないことだ。
人間を愚弄しているわけではない。単純に、魔力に対する耐性の問題だ。人間は魔族と比べて魔力耐性で劣る。魔族にとってはなんてことのない魔力濃度でも、人間にとっては毒となるのだ。
魔族としては魔力耐性の低いわたくしでも、人間と比べれば格段に魔力耐性が高い。そのわたくしでも耐えられないと言われるエーデルシュバルツ辺境公領で、人間が生きられるはずがない。
そう。あれは、悪い夢。不安や葛藤を抱えるわたくしの心が生み出した、空想の産物に違いない。
わたくしはそう、自分に言い聞かせて、現実から目を逸らそうとした。
けれど、ほどなくして、情報が流れる。
エーデルシュバルツ辺境公閣下が他国の令嬢に惚れ込み、なんとかして縁談を結ぼうと苦心していると。
王弟殿下がエーデルシュバルツ辺境公領の領主になってから、辺境公領外の魔物被害は目に見えて減った。それだけ、以前は黒い森の魔物が国内の深くまで侵攻していたと言うこと。
国に大きな益をもたらしている王弟殿下の評価は、とても高い。辺境公領に近い領地の者には、神さまのように崇められているくらいだ。
その、王弟殿下の、初めてと言っても良いわがままだから。そして、王弟殿下の誠実で真摯な人柄は、国内で知れ渡っているから。
国内では、王弟殿下の恋路を応援する声が主流で、たとえ他国の、それも人間の少女でも、王弟殿下が惚れ込むならば一角の人物であるに違いないと受け入れられていた。
世論は追い風となり、国を挙げて、この縁談を成立させようと言う動きになった。
わたくしだけでなく、王弟殿下に恋する令嬢はいて。心から歓迎するものばかりとは行かなかったが、それでも多くのひとの助力を受けて、交渉が進められ、王弟殿下と、シスタヴィオリ王国の伯爵令嬢、ルーフィ・アリーニナとの婚約がまとめられた。
婚姻は一年後。だが、令嬢は婚家に慣れるため、婚姻の半年前にエーデルシュバルツ王国に渡る。
令嬢に先んじて、アリーニン家から大勢の人間がエーデルシュバルツ王国へとやって来た。アリーニナ嬢のために、環境を整えにやって来たと言う者たちは、王弟殿下の許可を得て、エーデルシュヴァルツ辺境公領の土地を拓き、アリーニナ嬢が住むための専用の城を建てる。
彼らがアリーニナ嬢のために拓き城を建てた土地は、高く密な生垣に囲まれて、まるで外界を拒んでいるようだと言う。
それはまるで、魔族を拒んでいるようにも見えて。
けれど多くの者は、魔物の少ない土地から辺境公領に嫁ぐのだから、これくらいの用心をするのも無理はないだろうと、令嬢の所業を許容した。
そして今日、遠くシスタヴィオリ王国から大々的に送り出された令嬢が、数日間の空の旅を終えて、エーデルシュバルツ王国へと降り立った。
顔見せも、兼ねているのだろう。国内の有力な家の当主夫妻とその息女は、令嬢の来訪に合わせて王城を訪れることが許され、まだ幼い弟たちに代わって、わたくしも両親と共に登城した。
同じように城を訪れた貴族は大勢おり、王族用の竜発着場の周囲は、まるでお祭りのように混雑していた。
その、大勢の注目を一身に集めて、令嬢は竜から降り立ち、優雅に一礼して見せたのだ。
ё ё ё ё ё ё
「歓迎、ありがとうございます。さあ、ルーフィ、城を案内しましょう」
一礼して見せたアリーニナ嬢を、王弟殿下、辺境公閣下が抱き上げる。
「ヴォルフさま」
そんな愛称で辺境公閣下を呼ぶ方を、わたくしはひとりも知らない。
「抱き上げなくても、わたくし、歩けますわ」
「長旅で疲れているでしょう、また倒れたらどうするのです」
「あれは」
臣籍に降ったとは言え、国王の溺愛する弟であることに変わりはない。まして今では、国を守る盾として敬意も集めている。
「慣れない土地に少し、身体が驚いただけですわ。ヤナの薬で、すっかり良くなりました。ですから、このように抱き上げて運ぶ必要はございません」
故に、たとえ高位の貴族であっても、辺境公閣下に気安く話し掛けはしない。不敬だし、恐れ多いからだ。
だと言うのに、アリーニナ嬢はなんの気負いもなく、軽い態度で辺境公閣下と話している。
もしや、そんな態度が目新しくて、辺境公閣下は惚れ込んでしまったのだろうか。
そんなものは、辺境公閣下がどれほどの方か知らない、愚者だからこそのものだろうに。
「私が心配なのです」
「あなた、背が高いのですもの」
アリーニナ嬢は、辺境公閣下に、平気で口答えをしている。
「初対面の小娘が高いところから見下ろして、礼儀知らずと思われるのは嫌ですわ」
「そんなこと、誰も思いませんよ」
そんな無礼に気を悪くする素振りも見せず、辺境公閣下は微笑んだ。
「やっと婚約者を迎えられた私が浮かれて、人目も気にせず溺愛していると、笑われるだけです」
「なお悪いではありませんか」
ぽんぽんと、親しげに交わされる会話。
こんなに辺境公閣下と親しく話す女性が、ほかにいただろうか。
「わたくしのせいで、あなたが腑抜けになったなんて思われたら、国中から恨まれてしまいますわ」
「ルーフィ」
甘く、けれど咎める声音で、辺境公閣下がアリーニナ嬢を呼ぶ。
「顔色が悪いです。意地を張らず、言うことを聞いて」
「体調は万全ですもの、顔色が悪いはずありません。ヴォルフさまの、杞憂ですわ」
アリーニナ嬢はきっぱりと言ったが、雪白の肌には隠しきれない疲れが浮かんでいるように見えた。
シスタヴィオリ王国はエーデルシュバルツ王国から遠いとは言え、竜で空を渡れば三日ほどで着く。けれどアリーニナ嬢を連れた一行は、移動に七日もかけた。倍以上の日数だ。
元々、竜での移動が初めてだと言うアリーニナ嬢のために、五日間の旅程で組まれていたそうだが、それがさらに二日も延長されたのは。
考えるまでもない。アリーニナ嬢が足手まといとなったのだろう。
余裕を持って易しく組まれた旅程すら、耐えられなかったのだ。この、か弱げな令嬢は。
「わたくしは大丈夫です。降ろして下さいませ」
「ルーフィ」
「ヴォルフさまもご存知の通り」
こてん、と辺境公閣下の腕に頭を預けて、アリーニナ嬢は辺境公閣下を見上げる。
「わたくし、シスタヴィオリ王国の外に出ることは初めてで、それどころか、アリーニン伯爵領の領都から出たことすら、数えられるほどしかございませんでしたの。せっかくの初めてですもの、わたくし自身の足で、踏み締めさせて下さいませ」
小さな手で辺境公閣下の服を掴み、アリーニナ嬢は首を傾げた。
「ね?お願いします、ヴォルフさま」
可愛らしい懇願に、辺境公閣下の眉が寄る。しばしの思案ののち、外交では負け知らずのはずの辺境公閣下が折れた。
「少しでも、体調が悪くなったら、すぐに言って下さいね?」
「約束致しますわ!」
地上に降ろされたお人形は、無垢な笑みで答えて辺境公閣下の腕を取った。
そうして、辺境公閣下はアリーニナ嬢に王城を案内したけれど、アリーニナ嬢が自分の足で歩いたのは、その道程の半分ほどだけだった。
ことあるごとに、辺境公閣下がアリーニナ嬢を抱き上げたからだ。
階段があれば、段差が危ないからと抱き上げ。庭に出れば、番犬がいて危険だからと抱き上げ。馬場や鍛錬場に行けば、砂利道に足を取られてはいけないと抱き上げ。しまいには、もう疲れたでしょうと抱き上げて降ろさなくなった。
最初はあれこれと反論していたアリーニナ嬢だったが、疲れただろうと言う辺境公閣下の予想は正解らしく、最後の方は反論もせず辺境公閣下に身を委ねていた。まるで、自分では歩けもしないお人形のように。
辺境公閣下の婚約者は、か弱くて繊細な、お人形のようなご令嬢。
王城にいたものたちは、なべてそう判断したし、国中から注目を集めていたご令嬢の噂は、飛竜が空を翔けるよりも早く広まって行った。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです




