海の底で
そうして、わたくしは、気乗りしないまま嫁ぎ先探しを始めた。
敬遠していた社交に積極的に参加し、未婚の男性と交流する。
出遅れたとは言え侯爵令嬢の肩書きは価値があるらしく、多くの男性がわたくしとの縁談に前向きな態度を見せてくれた。
思えば一度だって、王弟殿下がわたくしとの婚姻を考える素振りを見せたことはなかった。
六歳も離れているからと、自分を慰めて来たけれど。
こうして社交に出てみれば、六歳どころかもっと歳上の男性すら、わたくしを結婚対象として見て来る。
それならば、もっと真剣味を持って、わたくしも王弟殿下と向き合えば。
王弟殿下以外の男性に目を向けなければと社交に足を運んでも、考えるのはそんなことばかり。どんな男性と一緒にいても、王弟殿下の美しさやたくましさには敵わないと、比べてがっかりしてしまう。
この国に、王弟殿下よりも強い男性なんて、もはやいないと言うのに。
わたくしがそんな態度では、まとまる縁談もまとまらない。
煮え切れず鬱々としているあいだに時は過ぎ、気付けばわたくしは十六になっていた。友人たちが次々と婚姻相手を決めて行くなか、わたくしだけが足踏みして、取り残されて行く。
王弟殿下に嫁げないなら、いっそこのまま誰とも結婚せず、修道女になってしまえば良いだろうか。
そんな甘えたことを考え始めたわたくしだったけれど、それを許す母ではなかった。
母に呼ばれて部屋を訪れれば、侍女すら部屋から出して完全に二人きりになった場で、母は静かに言った。
「これから話すことは他言無用です。公への発表があるまでは、決して誰にも、話すことのないように」
「他言、無用、ですか?」
「決して他言しないと言う約束で、あなたに話すことだけ、特別に許可を賜ったのです。約定を破ればフィッツ侯爵家の信頼を失墜させることになります」
そんなに重大なことならば。
「どうして、わたくしに?」
「陛下も現状を、憂いて下さっているからでしょう」
「陛下……?」
現在のエーデルシュバルツ王国で、陛下と呼ばれる方はお三方だけだ。国王陛下と、その正妃である王后陛下、そして、国王陛下の御母君である王太后陛下。
母が指したのは、果たしてどの陛下だろうか。
「王太后陛下です。あなたを憂い、そして、わたくしとあなたの忠誠を信じて下さった陛下の御心を、裏切ることは許しません。これから話すことを決して誰にも話さないと、誓いなさい」
いつになく真剣で、迫力のある言葉だった。母の気迫に飲まれ、わたくしは頷く。
「わ、かりましたわ。決して、他言は致しません。誓いますわ」
「その言葉、ゆめゆめ忘れぬように」
わたくしを見据えて念を押してから、母は話し始める。
「まだ、内々の話で、相手方との交渉はこれから、と言うことですが」
ぞわり、と第六感のようなものが働いた。この先の言葉は、わたくしにとって望ましいものではないと。
耳を塞ぎたい気持ちに襲われながらも、母がそれを許すとも思えず、断頭台に押さえ込まれた囚人の心地で、続く言葉を待つ。
「エーデルシュバルツ閣下が、他国の伯爵令嬢に求婚をなさったそうです」
この国で、エーデルシュバルツ"閣下"と呼ばれる方はひとりだけだ。臣籍に下りながらも、国の名を冠する領地を与えられたエーデルシュバルツ辺境公閣下、ただひとり。
「求婚?閣下が?」
うわごとのように呟く。聞いた言葉が、信じられなかった。
辺境に領地を与えられてから、七年。王弟殿下が誰かに求婚することは、一度たりともなかった。きっと、お優しい閣下は女性を危険な領地に嫁がせることを良しとせず、誰とも婚姻を結ぶつもりはないのだと、まことしやかに噂されたくらいに、浮いた話のない方だった。
だからこそ、わたくしも夢を見続けられたのだ。王弟殿下が、誰とも婚約せず、浮名も流さないから。
だと言うのに、まさか、他国の令嬢に、求婚したなんて。
「それ、は、どこの」
この大陸に、魔族の国はエーデルシュバルツ王国だけだ。よその魔族の国に行くなら、海を越える必要がある。王弟殿下が海を越えると言う話は、あっただろうか。海の向こうの帝国の、皇女とでも縁談が?
いや、母は、伯爵令嬢、と言った。
わざわざ、他国の伯爵令嬢を娶る必要が、どこに?よほど、強い血筋の方なのだろうか。となると、国は限られる。どなたか海の向こうから、遊学にでも来ていただろうか。
否。違う。
王弟殿下は確かいま、エーデルシュバルツ国内にはいなかったはず。どこかの国へ、外交に。そう、確か、黒い森の向こうの。
「シスタヴィオリ王国です」
「人間の国ではありませんか!」
シスタヴィオリ王国は、黒い森を越えて、切り立った山を越えて、さらにいくつも国を越えた先にある、遠い国だ。同じ大陸内だが国交はほぼない、魔族のいない人間の国。
「シスタヴィオリ王国に、魔族の貴族がいるのですか?」
「いいえ」
母は首を振る。
「人間の女の子だそうです。彼の国で、緑の魔女と呼び声高い才媛だそうで」
「おんなのこ?」
「もうすぐ十三歳だとか。歳は幼いですが、すでにシスタヴィオリ王国で、実績を上げているそうですよ。閣下も元々は、その才能を目当てに話し掛けられたと」
もうすぐ十三歳と言うことは、まだ十二歳?閣下より、十歳も歳下ではないの。
「才能が、おありだから、妻にと?」
「そうではないようですよ」
母が淡々と、わたくしの心を打ち砕く。
「話し掛けたきっかけは才能に目を付けていたからだそうですが、求婚したのは話してみて、その聡明さと人柄に惚れ込んだからで、どうしても妻にしたいと、まずは王太后陛下から味方にして、根回しを進めているそうです」
それは、つまり、どう言う、こと?
もはや相槌すら打てずに、わたくしは呆けたように母を見つめる。母はわたくしの頬を両手で包んで、言い聞かせた。
「あなたの夢は潰えたのです、エル。あなたは閣下に選ばれなかったし、これから選ばれることもありません」
夢を、希望を、願いを。完膚なきまでに叩き潰して、母は言い含める。
「夢を見るのはやめなさい。もう、夢見る時期は過ぎました。現実を見なければいけないの、エル。エルネスティーネ・テレジア・フォン・フィッツ」
目の前の母の顔が揺れて歪む。
くらりと、世界が歪んで。
気付けばわたくしは、意識を手放していた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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