表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/15

鈍色に光るナイフ

※流血を思わせる描写があります。苦手な方はご注意下さい。

 たどり着いたロクナ村は、緊張感と慌ただしさに包まれていた。


 岩山の山肌をくり抜いて造った家々が並ぶ、蟻の巣穴のような村。その、家の外、開けた平らな場所に、小さな馬車が二台と大小の天幕がひとつずつある。慌ただしさの中心はそこだ。

 外に見受けられる広い平らな場所はそこだけで、そこは馬車と天幕で埋まっている。あとは馬車を停められそうな場所もない。この村には、ほかに馬車がないのだろうか。


「えっ?」


 村の入り口近くで入るに入れず思案していると、たまたま通りかかったらしいアリーニナ嬢が、ぎょっとした顔でこちらを見た。


 動き易さを重視したのであろう、質素なブラウスとゆったりした丈の長いパンツに、生成りのエプロン。抱えきれないほどの大量な布を、両手で抱えている。


「な、にか、ご用事ですか?」


 わたくしの乗る馬車と、後ろに続く馬車、護衛たちの馬を見て、困惑した顔で御者へと話し掛ける。


「いま、広場を使っているので、馬車を回せる場所が……。後退は出来ますか?二十間ほど下がったところに道幅が広くなっているところがあるので、馬車を回して下って頂けますか?」


 それから目を泳がせて、言いにくそうに告げる。


「その、もし、わたくしにご用事でしたら、後日お時間を取りますので、今日はお引き取り頂けませんか?小さな村で、みなさまをお通し出来る場所がないのです。とくに今は、六年振りに子供が生まれるので、村の者全員かかりきりになっていて、とても侯爵令嬢御一行をお迎え出来る状態では」


 馬車の中は見えないはずだが、紋章で誰の馬車か察したらしい。


「他国の伯爵令嬢は、迎え入れているのに?」


 辺境公の婚約者相手に尻込みした御者に代わり、馬車の窓を開けて問い掛ける。


「わたくしは、薬師の助手として来ておりますので」

「薬師の助手?」

「さきほどわたくしと共にいた、ヤナと言う女性は、わたくしが祖国から連れて来た薬師なのです。とても腕の良い薬師なので、こちらでも腕を振るって貰っております」


 たとえあのヤナと言う女性が、本当に腕の良い薬師だったとしても。


「一週間足らずで、そんなに評判が立ったと?」

「いえ、信頼を勝ち取ったのはハジムとリューナ、ヤナの弟子たちですので、半年かけて、ですね。竜騎士さまに協力して頂いて、領内の巡回診療をしていたので」

「対魔物の貴重な戦力を、そんなことに?」


 いくら出身国が魔物害の少ない国だからと言って、あまりにも勝手が過ぎるだろう。

 つい責める口調になったわたくしを、アリーニナ嬢は困ったように微笑んで見返した。


「竜騎士は魔物と戦うだけが仕事ではございません。もちろん戦闘も大事な仕事ではありますが、災害対応を始めとした人道支援も、職務に含まれます。魔物に殺されるひとりも、魔物とは関係のない病や怪我で命を落とすひとりも、等しくひとつの命ですから」


 それに、とアリーニナ嬢は付け足す。


「なにもハジムとリューナの巡回診療のためだけに、竜騎士を動かしたわけではありません。彼らはただ、竜騎士の巡回に同行させて頂いただけですわ。もちろん、ヴォルフさまの了承を得た上で」


 フィッツ侯爵令嬢さま、とアリーニナ嬢は上目遣いてわたくしを見やった。小柄なアリーニナ嬢が、馬車の上にいるわたくしを見ようとすれば、上を見る形になるのは仕方がない。だが、護衛も御者も侍女も、吸い込まれるように見惚れるのを見て、あざとく小賢しい娘だと、アリーニナ嬢への苛立ちが募った。


 その上、彼女が言ったことと来たら。


「ここ、エーデルシュヴァルツ辺境公領は、危険な土地です。少しの油断が、簡単にひとの命を奪います。どうか、勢いだけで動かず、冷静に考え、賢明なご判断を。さして話したこともない身でこのようなことを申し上げるのは失礼ですが、どうにもフィッツ侯爵令嬢さまは、これと決めると周りが見えなくなりがちなように見えますので」


 四歳も歳下の娘に、言われることではない。


「さすがに、無礼が過ぎるのではないかしら?」

「わたくしも、ここがエーデルシュヴァルツ辺境公領でなければ、あるいは、あなたが侯爵令嬢でなければ、若輩の身で忠告など致しませんでした。ですがここは、日常的に魔物害で魔族が死ぬ土地で、あなたは多くの方を従える侯爵令嬢です。あなたの些細な命令ひとつで、多くの命が失われかねないのです」


 決して、厳しい口調で言われたわけではない。言い聞かせ、諭すような、穏やかな口調だった。けれどまるで、母に叱られたような、肺腑が冷える心地がした。


「実際あなたは、行く先にこんな大型な馬車を通せるかの確認もせず、山を上がっていらっしゃいました。馬車の旋回は出来ません。後退して、道を踏み外せば、馬も御者も死にますが、どう言ったお考えでこのようなことを?

あなたはこの村に、わたくしがお産の補助に来たことをご存知のはず。お産は命懸けの行為です。万一のことがあれば、母子共に無事では済みません。ほんの少しの違いで命を落とすこともあれば、重たい障害を背負うこともあります。そのような場所に踏み入って場を荒らして、もしもお産に差し障りがあれば、どのように償うつもりだったのですか?

わたくしは確かに、ヴォルフさまの婚約者であると言う以外、この国に地位も後ろ盾もない小娘です。ですがエーデルシュヴァルツ国王陛下と、この地の領主から、この地のひとびとを救うべしと、役目を与えられているのです。その、お役目のためであれば、たとえ無礼であろうと、苦言も忠告も述べさせて頂きます」


 反論は、思い浮かばなかった。頭が真っ白になって、唇が震える。


「お言葉が、過ぎるようです」


 見かねた侍女のひとりが、窓とわたくしの間に割り込み、アリーニナ嬢へ告げる。

 にっこりと微笑んで、アリーニナ嬢が侍女へ言葉を返した。


「あなた方が主人を諌めることも出来ないから、わたくしが代わりに申し上げております。主人がやってはいけないことをしようとするならば、たとえ逆らっても止めることこそ、真実忠誠を持つ者の正しい姿ではないでしょうか。フィッツ侯爵令嬢の行動が正しいことと、あなた方はお思いですか?」


 口調は穏やかだが、発言の内容は手厳しいものだった。


「わたくしにはこの国に人脈も後ろ盾も持ちません。あなた方とは違って。ですからもしあなた方が悪意でもって噂を流せば、守ってくれる方はおりません。分かった上で、このように厳しいことを申し上げております。その意味を、少しでも考えて頂ければ重畳でございます」

「わたくしは、」

「お嬢さま」


 わたくしの反論を遮ったのは、冷え切った声だった。否。遮られては、いないかもしれない。だってその先に言う言葉なんて、思い浮かんではいなかったのだから。


「戻って来ないと思えば、こんなところで絡まれて。布、はやく持って行って下さい。足りなくなります」

「あ、ヤナ、ごめん、すぐ行くわ。えっと」

「私は休憩を言い渡されたので、あとは引き継ぎますよ。追い返せば良いのでしょう?」


 ヤナと呼ばれた女性が、こちらを見る目はひどく冷たい。


「そこまでは言っていないわ」

「ですが、ここに残られても困るでしょう?」

「それはそうだけれど、穏便に、ね?」


 女性がため息を吐く。


「とにかく、お嬢さまは行って下さい。妊婦があなたの姿がないことを、不安がっているので」

「それをはやく言って。あとお願いね。穏便に!」


 慌てた顔でアリーニナ嬢が走り出す。向かった先は大きな天幕のようだった。

 それを見送って、女性がこちらを見る。


「さすがに抗議の声をあげた方が良いのではないかと思い始めたのですが、いったい誰宛に抗議すれば、最も効果があるのでしょうね?」


 疑いようのない、脅し、だった。


「いえ、もう、敵ながら天晴れですよ?よりによって的確に、逆鱗を狙って来るなんて。よく、怒り出さなかったものですね、お嬢さまも大人になったのでしょうか」

「逆鱗?」

「ええ。あの方、自分が愚弄されるのも嫌いですが、それ以上に、大切なものを傷付けられることと、人命を軽んじられることが嫌いですからね。軽い気持ちでお産の場へ、無遠慮に踏み入られるなんて、怒って怒鳴り付けてもおかしくなかった行為ですよ」


 まあ、と女性が苦笑を浮かべる。


「あなた方への寛容さと言うより、お産の場で険しい顔にならないためですかね。お嬢さまが微笑んでいると、誰も彼も安心感を覚えるようですから」


 怒鳴り声が妊婦に聞こえるのも、良くありませんしと女性は呟いた。


「と言うわけで、妊婦の心の平穏のためにも、穏便にお引き取り頂けると幸いです。これ以上、お嬢さまを怒らせるのも望ましくありませんし。あの方、吹っ切れるとなにをしでかすがわかったものではないので」


 目を細めて、女性はさらに言い募る。


「領主さまは領民を愛しておいでですから、領民を害したとなれば、領主さまの印象も悪くなりますよ?」

「領民を、害すつもりなど、」

「つもりはなくとも、これは領民を害す行為だと言っているのです。だってあなた方、なにをしに来たのですか?こんな辺鄙な土地に無駄に立派な馬車で、無駄に大勢で押しかけて。その馬車にはなにが入っているのですか?野営用の天幕とご自身の飲料食糧は当然お持ちですよね。そのほかは?清潔な水?清潔な布?食糧支援?医薬品?衣料品?それとも人的支援でしょうか。どなたか、医療か対魔物戦闘の専門家でも?」


 そんなもの、なにも、持っていなかった。当然と言われた、野営用の天幕と飲料食糧ですら。


 だって。


「視察団や援軍を迎える可能性のある、領都や騎士団拠点を除いて、エーデルシュヴァルツ辺境公領の町村に外からの人間を迎え入れる施設や物資はありません。観光地ではなく、被災地なのです、余すところなく、領地のすべてが。甘い考えでやって行ける場所とは、思わないで頂きたい」


 言い訳の余地すら、与えては貰えなかった。

 さきのアリーニナ嬢の忠告はまだ、優しさと配慮があったのだと、痛感する。


「まだ、今からなら暗くなる前に領都に戻れます。闇の中、エーデルシュヴァルツ辺境公領で馬車を走らせたくなければ、お引き取り下さい。今すぐに」


 突き刺すような視線が、わたくしに、否、わたくしたちに向けられていた。


「この地では誰もが、己を守ることに必死なのです。自分を守るために、そして、自分の大切なひとを守るために、歯を喰い縛って必死に生きています。そんなところに、他者に守られることが当然と思っているお荷物がのこのこと踏み入って、許されるとでも?」


 はっきりと、彼女は、わたくしたちを、批判していた。

 でも、それならば、あの、綺麗なだけのお人形はどうなのだ。

 辺境公に抱かれて竜に乗り、歩くことすらしていなかった、ひとりではなんにも出来ない娘では、


「ヤナ!休憩中にごめん!でも、ちょっと来て!!」


 ほら。

 天幕からの大声に、思う。

 ひとりではなんにも出来ずに、こうして助けを求めたではないかと。


 仄暗い笑みを浮かべかけた顔は、


「……ヒッ」


 天幕から出て来たアリーニナ嬢の姿に引き攣った。

 服も肌も白いと、返り血がよく目立つ。血に染まった白い腕で、真っ白な布に包まれたなにかを抱えていた。


「無事、生まれたのですか」

「そう!産湯も無事に済んで、母子共に安定したわ!だから、わたくしが少し離れても大丈夫よね!」

「産後一日どころか一時間すら経っていない母子を置いて行かねばならないような、緊急事態でも?」


 血まみれのアリーニナ嬢に驚いた様子もなく、女性は冷静に受け答えを続ける。


「ルッカがいなくなっちゃったらしいのよ!どうも山裏まで行っちゃったらしくて。村のひとたちにはダンテの誕生を祝って欲しいから、ルッカはわたくしが探しに行こうと思って」

「今からですか?なにかアテでも?」

「フォルクナが一緒に行ってくれるって」

「それならすぐに見付かりそうですね。わかりました。ダンテとお待ちしておりますから、お気を付けて。ただし、フォルクナがいるからと、護衛なしは駄目ですからね」


 アリーニナ嬢が、目を細めて首を傾げる。


「駄目ですよ。当たり前でしょう。彼らの首を飛ばすつもりですか?」

「わたくしだけだったら、フォルクナに乗って行けるのよ?」

「駄目です。護衛ふたりと馬二頭、これは必須です。ルッカに万一があれば、お嬢さまとフォルクナだけでは困るでしょう。フォルクナに二人乗りしますか?それとも、あなたが担いで山を歩けるとでも?五歳の子供を?」


 主人相手にも、容赦のない物言いだった。思い返せば、わたくしの治療の際も彼女の物言いはこうだった。


「……ヤナの言う通りね。ごめん、ちょっと冷静じゃなかったわ」


 今度は反発することなく頷いて、アリーニナ嬢が抱えていた布包みを女性に差し出す。


「ダンテのこと、よろしくね。着替えてすぐ出るわ。サーヴァ、イリーナ、出掛ける準備をして、超特急よ!」


 女性が布包みを受け取るなり、アリーニナ嬢がエプロンを脱ぎながら、歩き出そうとして、


「すぐ戻ります。大丈夫ですわ。なにも、心配要りません」


 火が付いたように泣き声を上げ始めた布包みに、眉尻を下げた。

 手を持ち上げて、布包みをなでる。


「あなたのお姉さまを、連れて帰って来ますから。ね、あなたはここで待っていて下さい、ダンテ。みんなあなたのこと、待っていたのですよ。良いお顔を、見せてあげて下さい」


 アリーニナ嬢が布包みに顔を近付けて、そっと口付けを落とす。


「村中から愛されるあなたに、祝福を。安心しておやすみなさい、ダンテ」


 泣いていた布包み、おそらく生まれたばかりの子供が、スッと静かになる。

 ほっとしたように微笑んで、アリーニナ嬢は布包みに手を振る。


「ではまた、ダンテ」


 今度こそ踵を返し、アリーニナ嬢が小さな天幕へと駆け込む。天幕に飛び込んでから、出て来るまでは、あっと言う間だった。返り血はすっかり綺麗になり、乗馬服のような、丈夫で動きやすそうな格好に着替えている。


「フォルクナ、行くわよ!」

「ギャウ!」


 吠えてアリーニナ嬢へと駆け寄ったのは、小型の地竜。小型とは言え、馬車馬ほどの体高はある。鋭い牙のある恐ろしい形相の地竜に、アリーニナ嬢は躊躇いもなく飛び乗った。


「サーヴァ、イリーナ、準備は良い?」

「「はっ」」


 いつの間にか、騎士らしき男女が、それぞれ馬に乗って並んでいる。


「よし。出るわ、フォルクナ、頼んだわね!」

「ギャオ!」


 ドドド、と地竜が走り出し、騎士の乗った馬がそれに続く。

 反射的に、馬車を飛び出していた。


「ヒューリ」


 幼き日に魔物に襲われて恐ろしい思いをしてから、なにもしなかったわけではない。軍馬を愛馬に、乗馬は続けていた。

 大事な愛馬はこの旅にも同行させていて、今もまた、馬車に並走でついて来ていた。

 呼べばすぐに、寄って来る。


「あの集団を追って」


 飛び乗って、愛馬に指示を出す。

 なにも、考えなしに来たわけではない。服装は乗馬服で、馬だってこうして連れて来たのだ。


「お嬢さま!?」

「ちょっと、なにを、待ちなさい」


 侍女たちと女性の言葉は黙殺し、愛馬を走らせた。一流の軍馬だ。引き離されることなく、アリーニナ嬢の一行を追えた。

 地竜は迷いなく、一目散に駆けている。


「フォルクナ、もしかして、ルッカは山を降りたの?平地まで行った?」

「ギャウ」

「まずいわね。ルッカは魔力が、高いから」

「ギャウゥ……」


 走りながら、地竜とアリーニナ嬢が会話している。


「ああ、大丈夫よ。必ず無事に村へ帰すから、安心して。ね?わたくしが行くのだもの、心配ないわ」


 地竜をなだめるように、アリーニナ嬢がその首を軽く叩く。


「ギャオ」

「そうね。もし、危ない状況だったら、あなたの背中にルッカを縛り付けるわ。そうしたら、あなたは村まで走って帰って。サーヴァ、イリーナ、そのときは、フォルクナとルッカの護衛を、」


 振り向いたアリーニナ嬢が、目を見開く。


「フィッツ侯爵令嬢さま?どうしてここに、いえ、理由はいいです」


 驚いた顔はすぐに消え、引き締めた表情で告げた。


「この先、山を降りきると魔物の出没箇所です。危険ですので村へお戻りを。イリーナ、フィッツ侯爵令嬢の護衛をお願い」

「戻りませんわ。乗馬には自信がありますの。魔物が出ても、問題ありませんわ」

「馬は?」


 返された問いは、端的だった。


「魔物が出ても怯えませんか?」

「この子は一流の軍馬ですわ。甘く見ないで下さいまし」

「…………わかりました。馬を逃がさないようにだけ、お気を付け下さい」


 そう告げたとき、アリーニナ嬢はすでに前へと視線を戻していて、表情はわからなかった。


「話を戻すけれど、ルッカを見付けた時、状況が逼迫しているようなら、わたくしがルッカを拾ってフォルクナに縛り付けるわ。フォルクナは、サーヴァとイリーナの護衛を受けつつ村へ急いで。サーヴァとイリーナはフォルクナとルッカの護衛よ。わたくしが殿しんがりで魔物を食い止めるから、とにかくルッカを無事に帰すことだけを考えてちょうだい」

「フィッツ侯爵令嬢さまは?」

「一緒に逃げてくれるようなら、彼女の護衛も頼めるかしら。もし逃げられないようならわたくしが受け持つわ。優先するのはルッカにして。責任は、わたくしが負うから」


 この、お人形に、お荷物呼ばわりされるとは。


「フィッツ侯爵令嬢さま」


 反論を考える前に、アリーニナ嬢がわたくしを呼ぶ。


「強大な魔物を前にすれば、人間も魔族も隔てなく圧倒的弱者です。馬もそうです。太刀打ちなど出来ません。持てる力すべてを使って、逃げて下さい」

「竜騎士や、辺境公閣下のことも、あなたは弱者だと言うのですか」

「今そのような話はしていませんが、そうですね。そう思って動くようにしています」


 当然のことを語る口振りで、アリーニナ嬢は答えた。


「魔物は災害です。災害救助と戦いは、敵は最も強い者を、味方は最も弱い者を基準に考えなければ、負けますから」


 この子は、なにを言って、


「あなた、」

「シッ」


 黙れと、声と仕草で示される。耳をすませたアリーニナ嬢が、頷いて地竜の首を叩く。


「泣き声。ルッカだわ。フォルクナ、さすがよ。このまま急いで」

「ギャウ」


 小声で告げたアリーニナ嬢に合わせたか、地竜も小声で鳴いて応えた。

 泣き声?

 そんなもの、聞こえるだろうか。

 疑問に思っているあいだも一行は進み、わたくしの耳も子供のすすり泣きを拾った。

 けれど、岩山を降りた平地のなか、子供の姿は見えない。

 だと言うのにアリーニナ嬢の乗る地竜は、迷いなく進んで行く。


「サーヴァ、イリーナ、馬に乗ったまま待機!ルッカ!!」


 疾駆から急速に止まったために、ズザッと地面を滑った地竜から飛び降り、アリーニナ嬢が駆け出す。


「おねぇちゃあぁーん」


 岩陰から、涙で顔をぐちゃぐちゃにした女の子が、飛び出して来た。その子に駆け寄り、抱き上げ、強く抱き締めたアリーニナ嬢が、子供を叱り付ける。


「この、おばか!!みんな、心配したのですよ!!山裏が、どれだけ危険かは、よく知っているでしょう!」


 ああ、子供を叱るときですら、彼女は優しく穏やかなのか。それでは少しも、怖くないだろうに。

 けれどその叱責は、子供には深く効いたらしい。


「ご、ごべんな、さぁぁいぃぃ」

「ごめんなさいは、心配したお母さまや、村のみんなに伝えなさいな。でも、無闇に動かず、岩陰で隠れていたのですね。ちゃんと、習った注意を覚えて守って、偉かったですよ」


 わんわんと、大きな泣き声を上げて、子供がアリーニナ嬢へ縋り付く。


「怖かったですね。もう大丈夫ですよ。フォルクナとわたくしの騎士たちが、あなたを無事に村へ帰しますからね」

「やだ。かえらない」

「あら、どうしてですか?」


 優しい顔で、アリーニナ嬢は問い掛ける。子供は言葉が出ない様子で、顔をうつむけた。


「……みんな、生まれて来る子のことばかりで、忘れられたみたいに感じてしまいました?」


 パッと上げられた顔は、アリーニナ嬢の言葉が核心を突いていたことを示していた。


「ルッカ、赤ちゃんが生まれるのって、とっても嬉しいことだけれど、とっても大変なことでもあるの」

「たいへん?」

「そう、大変。生まれて来る前も、生まれたあとも、弱くて、お母さま頼りで、ほんの少しのことで、赤ちゃんもお母さまも、死んでしまうこともあるの。だから、みんな無事に生まれて欲しい、元気に生まれて欲しいと、赤ちゃんのことばかり気になってしまうけれど、決して、ルッカのことを忘れたわけじゃないの」


 アリーニナ嬢が、涙と洟でぐちゃぐちゃの子供の顔に、頬擦りをする。


「いまは大変なときだから、生まれて来る子にかかりきりなだけ。ルッカのことも大切なのは変わりません。だって、ルッカも同じように、みんなに無事を祈られて、健康であるように願われて、生まれて来て、みんなに愛されているもの。だから、ね、ルッカ、ダンテのこと、嫌いにならないであげて下さいね」

「だんて?」

「新しく生まれて来た、ルッカの従兄弟です。ルッカに会いたくて生まれて来たの。村で、ルッカに会えるのを待っています。だから、会いに帰りましょう?」

「でも」


 子供の小さな手が、アリーニナ嬢の服を握り締める。シワが寄り、よれる服を、アリーニナ嬢が気にする素振りはない。


「みんな、おこってる、でしょ?」

「そうですね。大事なルッカがいなくなって、とてもとても、心配しましたから。心配をかけたことは、ちゃんと謝りましょうね?でも、あんまり怒られ過ぎるようなら、わたくしのところに来ると良いですよ。だって、ルッカがいなくなりたくなるようなことをした、村のみんなが悪いのですもの。ルッカだけたくさん怒られるのは、おかしいですから」

「おねぇちゃん、ずっと、いてくれる?」


 縋り付く子供を、けれどアリーニナ嬢は誤魔化さなかった。


「ずっとはいられません。一週間ほどですね。ですが、そのあとも、ルッカとダンテに会いに来ますよ。ふたりとも、エーデルシュヴァルツ辺境公領の未来ある子供たち。なにものにも代え難い、わたくしの宝物ですもの」


 アリーニナ嬢が、子供の額に口付けを落とす。微笑む顔は、聖母のような慈愛に満ちていた。

 子供が唇を引き結び、それでも、頷いた。


「だんてに、あいに、かえる。みんなに、ごめんなさいも、する」

「うん、いいこ」


 子供を、ぎゅっと抱き締めてから、アリーニナ嬢は子供を抱いたまま、地竜へ飛び乗った。

 取り出した帯で、地竜と子供をしっかり結び付ける。


「それでは、帰りましょ、」


 穏やかに告げられた言葉が途切れ、アリーニナ嬢が空を見上げた。空から視線を戻すと子供に身を寄せ、囁く。


「ルッカ、絶対に大丈夫だから、わたくしとフォルクナを信じて、目を閉じていて。お母さまの声が聞こえるまで、絶対に目を開けては駄目です。約束出来ますか?」

「やくそく、する」

「ありがとうございます。ルッカ、では、目を閉じて」


 身を起こしたアリーニナ嬢は、騎士たちへ目配せをした。


「フォルクナ、三つ数えたら走り出して下さい。ルッカ、身を低くして、目を閉じて。動きますよ、いち、にい、さん!」


 地竜が走り出すと共に、アリーニナ嬢が地竜から飛び降りた。騎士たちが馬を駆り、地竜に追随する。


「フィッツ侯爵令嬢、彼らに続いて馬を走らせて下さい」

「突然、なにを」


 自分の騎士に置き去りにされたアリーニナ嬢が、黙って空を指差す。


 そう言えば、空が暗い。もしや雨でも、


「ッ!!!」


 喉が詰まって、悲鳴すら上げられなかった。

 雨雲かと思って見上げた空を暗くしていたのは、空を覆うほどに大量の、空飛ぶ魔物だったのだ。


 逃げ、ないと。


 恐怖に強張る手足で、馬を走らせようとした、そのとき。


「ひひいいぃぃぃぃんっ!!」


 まるで悲鳴のようないななきを上げた愛馬が、後足で立ち上がる。強張る手足では踏ん張りがきかず、わたくしは振り落とされた。

 大量の魔物への恐怖で、恐慌状態におちいっているのだろう。わたくしを振り落とした愛馬は、そのまま狂ったように駆け出した。


 大量の魔物が襲来するなか、アリーニナ嬢、か弱い人間の女の子とふたりきり、置き去りにされる。


「立てますか?お怪我は?」


 アリーニナ嬢が、わたくしへと手を差し伸べる。

 まるでこの状況を、見越していたような。


「山の逆側と違って、ここは魔物がよく出没する場所なのです。ルッカは魔力の高い血筋の子で、魔物を呼び寄せやすいので、絶対にこちら側に来てはいけないと、言い含められていました。ですから、ルッカが山裏にいた時点で、この状況は予想出来たことでした」


 馬も、とアリーニナ嬢は続けた。


「対人戦用に鍛えられた軍馬の場合、魔物には慣れていない場合が多いです。その場合、魔物と遭遇すれば恐慌状態に陥り、制御不能になることがままあります」

「わかっていたなら」


 言ってくれれば。


「ルッカを探すことが優先でしたので、説明する時間がありませんでした。それに」


 アリーニナ嬢が、わたくしを見下ろす。


「わたくしが忠告したとして、素直に聞き入れて下さいましたか?逃げて欲しいとお伝えしたわたくしに、あなたはなんと答えましたか?馬は怯えないかと、わたくしは確認しましたよね?」


 声は穏やかながら、投げられたのは痛烈な皮肉。

 息を吐いたアリーニナ嬢が、差し出した手を振った。


「立って下さい、フィッツ侯爵令嬢。ここに助けは来ません。わたくしでは、あなたを背負って歩けません。生き残るために、自分の足で立って下さい」


 そんなことを、言われても。


「ぁ……あぁ……」


 手を差し伸べるアリーニナ嬢の背後を、茫然と指差す。

 なにごとかと振り向いたアリーニナ嬢が、目を見開いた。

 絶望が、こちらへ向けて、口を開いていた。

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


続きも読んで頂けると嬉しいです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ