陸の上でダンスを
「あら、なにかしら?」
呟いたアリーニナ嬢が、わたくしに笑みを向けて言う。
「申し訳ありません、少し話を聞いて参ります」
それだけ言い置いて、アリーニナ嬢は部屋の扉へ向かう。扉の前には衝立があって、外から部屋を見通せないようになっていた。衝立の向こうに立ったアリーニナ嬢が、扉を開けて問い掛ける。
「サーヴァ?なにがあったの?」
「ロクナ村の妊婦が、産気づいたとの連絡がありました。初産ですのですぐには産まれないだろうとの話ですが、それでもおそらく、今日明日中には」
「まあ!すぐに向かうわ、サーヴァ、支度を調えておいて頂戴。そうね、半刻で出発するわ」
「かしこまりました」
「お願いね。ロクナ村なら、竜騎士の護衛は必要ないから、馬車で行けるわね。わたくしとヤナと、あとの人選は任せるわ」
扉を閉める音ののち、アリーニナ嬢が衝立から顔を出す。
「ヤナ、出掛けるわ。ジュンナ、フィッツ侯爵令嬢さまのことを頼むわね。フィッツ侯爵令嬢さま、わたくしはこれから出掛けますので、あとのことはそこのジュンナに、」
「わたくしも、ついて行ってもよろしくて?」
「えっ?」
驚いた顔。
「護衛もいらない安全な場所なのでしょう?具合は良くなったから、可能ならついて行かせて下さいまし。わたくしは、あなたと交流するために来たのですもの」
「ついて来て頂いても、移動中でもない限りお相手は出来ませんよ?わたくしも、ロクナ村も、おもてなし出来るものも、場所も、時間もありません。お産の補助と、嬰児の処置のために行くので」
「嬰児の処置、とは?」
「お嬢さま」
アリーニナ嬢が答える前に、ヤナと呼ばれている女性が声を上げる。
「半刻後に出掛けるなら、支度を急ぐべきでは?護衛を付けないならば、着替えも必要でしょう?」
「そ、うね。申し訳ありません、フィッツ侯爵令嬢さま、急いでおりますのでお話はまた別の機会に」
女性に急かされて、アリーニナ嬢は頷いて早口に告げた。そのまま、わたくしの返事は待たず立ち去る。
「申し訳ありません、お嬢さまは、人命優先の方なので」
取り残されたわたくしに、ジュンナと呼ばれていた女性が話し掛けて来る。人間の女性にしては長身で、体格も良い。服装から言って、護衛も兼ねる侍女なのだろう。
「嬰児の処置とは、どう言ったことでしょうか」
「生まれたての子供は、魔力に対して敏感ですから、魔力汚染が深刻なこの地では、どんな容態の変化が起きるかわかりません。だからこそ、すぐ対処出来る状態で逐一様子を確認する必要があるのです」
「それなら」
魔力汚染が問題だと言うのなら。
「出産間近の妊婦はここに居させれば良いのではなくて?ここは、魔力汚染がないのでしょう?」
「それは望ましくありません」
ジュンナは首を振って、わたくしの言葉を切り捨てた。
「生まれてすぐに過ごしていた土地の魔力濃度で、魔族の魔力耐性はある程度決まるのだそうです。特に嬰児の頃の魔力濃度が重要らしく、その時期を魔力汚染がない土地で過ごせば、今のエーデルシュヴァルツ辺境公領の魔力汚染に、耐えられない子供になってしまいます」
これまた初めて聞く話だった。
魔族以上に、魔族と魔力に詳しい人間。どうにも、空恐ろしいものを感じる。
もしもこれが悪意であったなら、集めた知識を悪意でもって利用するなら、危険なことだ。
やはり、アリーニナ嬢を野放しにしてはいけない。
アリーニナ嬢に握らされたままになっていた布で、顔の下半分を覆う。息苦しかったり暑苦しかったりするのではないかと思ったが、さらりとした質感の布は呼吸を妨げることなく、空気をよく通して暑くも感じない。縫製を工夫しているのか、鼻や口が圧迫されることもなく、着用していることが気にならない着け心地だった。
「フィッツ侯爵令嬢さま?」
「これを着けていれば、呼吸による魔力吸収を抑えられる、のでしたね?」
「ええ、そうです」
「それは、この、魔力汚染のない場所を出ても?」
アリーニナ嬢は、身の回りの世話をすべて人間の使用人に任せていると聞いた。いくら食糧生産が可能だとは言え、ここを全く出ないで暮らすことは難しいだろう。
つまり、外に出ているのだ。この敷地の外、魔力汚染の厳しい場所に。
「抑えられます。元々、そのためのものですから」
「そう、ですか。わかりました。では、わたくしはお暇させて頂きます。お手間をお掛けし、申し訳ございませんでしたわ。いろいろと、ありがとうございました」
「え、いえ、ですが、こちらで、療養された方が」
主人の見立てを信じているのだろう。ジュンナは戸惑った顔で、わたくしを留めようとする。
「お連れの方がご心配でしたら、お嬢さまの指示ですでに所在をお伝えしてあります。もしなにか伝言が必要でしたら、伝えに行かせますから、ご無理は」
伯爵令嬢の使用人の分際で、侯爵家の娘に反論とは、随分と躾のなっていないことだ。
「もう体調も落ち着いたので、大丈夫ですわ」
「そう、ですか。かしこまりました。もしまた、体調が優れない場合は、遠慮なくご相談下さいませ」
必要以上に食い下がらないだけ良いが、使用人の手綱も握れていないのだろうか、アリーニナ嬢は。
「それでは、入り口までご案内致します」
ジュンナの案内で、屋敷を出る。屋敷の外は、高い生垣で周り中を囲まれていた。生垣の高さは、二階建ての建物ほどあるだろうか。まるで、緑の城壁のようで、圧迫感がある。
「こちらから、庭を出られます」
ジュンナが案内したのは、生垣に埋もれるように設置された、小さな扉だった。辺境公ならば屈まねば通れないほどの、小さな扉。
ここは、人間のために整えられた場所なのだ。強く実感して、不快感を覚えた。
なぜ、アリーニナ嬢は、魔族の土地に嫁ぎに来ながら、こうも魔族を拒絶しているのだろうか。
「こんな場所で暮らしていて、息苦しくはないの」
「息苦しい、ですか?」
「こんな風に、高い生垣で囲われていては、息が詰まるでしょう。それとも、人間の国ではそれが普通なのかしら」
ジュンナが生垣を見上げて、笑う。
「ここまで高い生垣は母国でも珍しいですが、この生垣を息苦しくは思いませんね。これは、お嬢さまからわたくしどもへの、お心遣いですから」
「生垣が?」
「ええ」
扉の前で振り向いて、ジュンナは胸を張った。
「我らルーフィお嬢さま付きの使用人一同、お嬢さまにお仕え出来ることを心より誇らしく思っております。なにせ席を奪い合って、ようよう手に入れた栄誉ある立場ですから」
「席を、奪い合って?」
「お嬢さまに感謝している人間が、それだけ多いと言うことです。あのお方は、わたくしどもの運命を変えて下さったから」
運命を変えた、とは、どう言うことなのだろうか。
「いずれこの国でも、知れ渡ることでしょう。お嬢さまが、どんなに素晴らしい方か。その、奇跡の軌跡を間近で見ていられるどころか、わずかばかりでも一助となれるのです。光栄なこと、この上ありません」
嘘も誇張も感じられない、真っ直ぐな目だった。
「あなたにもいつか、理解して頂けると幸いです」
告げてジュンナが、扉を開いた。
少し離れた位置に、領主の屋敷が見える。おそらくもともと領主屋敷の敷地内であった場所に、この場所は造られたのだろう。これなら、迷わず戻れそうだ。
「……治療、ありがとうございました。アリーニナ嬢にも、お礼をお伝え下さいまし」
それだけ告げて、扉を潜り抜けた。
ぐ、と、空気の圧が増したような。濃い魔力が突然まとわりついて来て、ぞくりとする。
本当に、扉の向こうは魔力がなかったのだ。
「無理は、なさらないで下さいね。命は、誰も等しくひとつしか持たないのですから」
扉を閉めてこちら側に立ったジュンナが、そう告げて来た。
だから、主人に反感を持つ相手であろうが手を差し伸べると?
そのくせ、魔力汚染に有効な手段をいくつも持ちながら、その知識を秘匿しているの?
「……ご心配ありがとうございます。大丈夫ですわ」
やはり、アリーニナ嬢を信じてはいけない。だからこそ、急がなくては。
わたくしはジュンナに背を向け、足早に歩き出した。
はしたなく見えない程度に急いで、貸し与えられている部屋へと向かう。扉を開ければ、ついて来てくれている侍女たちが勢揃いしていた。
「お嬢さま!」
「ご無事でしたか!」
「無事だと聞いてはおりましたが、心配しておりました」
駆け寄って来て口々に告げる侍女たちに、心配をかけたことを詫びる。
「お身体はもう、障りありませんか?」
「ご無理はなさっていませんか?」
「大丈夫よ、ありがとう。それより」
馬車はあるし、御者も護衛も連れて来ている。
「急いでロクナ村に行きたいの。支度をしてくれる?」
「ロクナ村、ですか?」
「どうして、ロクナ村へ?」
不思議そうにしながらも、侍女たちが地図を取り出す。客室に元から置かれていたものだと言うその地図は、エーデルシュバルツ辺境公領の概略図で、土地が危険度によって塗り分けられていた。どこがより危険で、どこならば比較的安全か、一目でわかる。騎士団の詰所や避難所、病院の所在地が書き込まれていて、いざと言うときの避難にも役立ちそうだ。左上には方角が、右下には縮尺と発行年月日まで記載されている。発行日は、二ヶ月ほど前になっていた。ほぼ、最新の情報と言うことだろう。
「……便利ね、これ」
「アリーニナ嬢の指示で、前入りした使用人たちが情報を集めて作成したそうです。客室だけでなく、領内の各家にも配られたそうで」
思わず呟けば、侍女のひとりがどこか言いにくそうに答える。
ほんとうに、アリーニナ嬢は、ひとを使うのも、ひとに取り入るのも巧い。
つい苛立ちを覚えながらも、地図自体に罪はないと目を落とす。ロクナ村は領都から馬車で一時間ほどの場所にあり、危険性もそこまで高くない。ただ、あくまでエーデルシュバルツ辺境公領内としては、比較的安全と言う意味であって、例えばフィッツ侯爵領と比較すれば、比べるのも馬鹿らしいくらいには危険なのだろう。
それでもアリーニナ嬢は、竜騎士の護衛はいらないと言って出て行った。ならばおそらく、魔物が出る可能性は低いのだろう。
「アリーニナ嬢が、ロクナ村へ向かったの。妊婦がいて、もうすぐ生まれそうだからって」
それならわたくしも、向かって良いはず。
「わたくしも向かうわ。アリーニナ嬢がなにをしているのか、この目でちゃんと見たいの」
「ですが、お嬢さま」
侍女のひとりが、おずおずと言う。
「危険では?ロクナ村の近くには騎士団の詰所もありません。万一何かあっても、助けが来るまでに時間がかかります」
「人間の女の子が、竜騎士の護衛も付けずに行ける場所なのに?」
アリーニナ嬢の使用人たちは、ロクナ村に向かうと言うアリーニナ嬢を誰ひとりとして止めなかった。いま、わたくしを囲む侍女たちは、みな、わたくしを案じ危険なことをやめさせようとしている。
「不調は治ったし、今度はひとりで行動したりしないわ。大丈夫よ」
答えれば、侍女たちは目を見交わし、何度か口を開いては閉じてと言葉に迷ったあとで、わかりましたと答えた。
「絶対に、わたくしどものそばを、離れないで下さいまし」
「ええ、約束するわ。支度を、お願い出来る?」
侍女たちは頷いて、出発のための準備を急ぎ始めた。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
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