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達人転生 ~理を知る達人は転生チートなんか必要ない~  作者: まつすけ


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第六話 妹と音魔法

リオルが王都へ行ってから、屋敷はまた少し静かになった。


エリナの声がない。


リオルが本をめくる音もない。


その代わり、よく聞こえるようになった音があった。


セラの歌である。


朝、廊下を歩きながら歌う。


昼、庭で花を見ながら歌う。


夕方、ミリアの膝に座って歌う。


夜、眠くなっても小さく歌う。


起きている間のセラは、だいたい何かを歌っていた。


歌詞はまだ曖昧だった。


知っている歌をそのまま歌う時もあれば、自分で勝手に言葉をつけている時もある。


「おはなーぁ、ゆれぇるぅー、ひかりーぃ、きーらきらーぁ」


そんなふうに、目に入ったものをそのまま歌にする。


花が揺れれば花の歌。


鳥が飛べば鳥の歌。


ガレスがくしゃみをすれば、くしゃみの歌。


「はは!それも歌にしてくれるのか!」


ガレスが笑うと、セラもきゃっきゃと笑った。


「ちーちさま、くしゃぁみー!くっしゅん、くしゅん!」


ミリアは横で笑っていた。


レンも少しだけ笑った。


セラの歌は、屋敷の空気を明るくした。


それは、単に幼い子供が元気だからというだけではなかった。


声がよく通る。


不思議と耳に残る。


そして、聞いている者の肩から、ほんの少し力を抜く。


本人にその自覚はない。


セラはただ楽しいから歌っているだけだ。


だが、その声が流れると、使用人たちの表情が少し柔らかくなる。


ガレスが書類を見て眉間に皺を寄せていても、セラが近くで歌うと、いつの間にか皺が浅くなる。


ミリアが長く立ち働いた後、椅子に腰を下ろして小さく息をついている時も、セラが膝元で歌うと、その呼吸が少しだけ深くなる。


レンは、それに気づいていた。


セラの声は、人の内側に触れている。


そう感じた。






その日の午前、レンは庭でオルドと向き合っていた。


ガレスは少し離れた場所で素振りをしている。


「では、始めるぞ」


「はい」


今日の稽古は、負ける稽古ではなかった。


オルドが、レンに頼んだのである。


「お前の剣を、少し見せてくれ」


そう言った時、ガレスは目を丸くした。


剣神が、八歳の子供に教えを乞う。


普通ならありえない。


だが、キラーエイプの一件を見た後では、誰も笑えなかった。


レンは少し困った。


「私の剣は、この身体ではまだ十分に再現できません」


「それでよい」


オルドは言った。


「完成したものを見たいのではない。何を見ているのかを知りたい」


レンはしばらく考え、木剣を構えた。


いや、構えたようには見えなかった。


ただ、木剣を下げて立っているだけだ。


隙だらけに見える。


だが、オルドの目には違った。


どこを打てばよいのか、一瞬分からない。


肩は空いている。


胴も空いている。


足も止まっている。


首も守っていない。


だが、どこへ打っても、打つ前から外されるような感覚があった。


オルドは目を細めた。


「構えておらぬように見える」


「はい」


「だが、崩れてもおらぬ」


「構えを作ると、構えに縛られます」


レンは静かに言った。


「父さまや先生の剣は、構えが美しいです。だから強い。ただ、構えが美しいほど、次に動ける道も見えます」


オルドは黙った。


レンは木剣を少しだけ上げた。


「………………昔、学んだ剣では、構えをなくすことをよく考えました」


「昔、な。まぁ今はいい。構えをなくすとは?」


「はい。何もしていないように立つ。けれど、どこへでも行けるようにしておく」


「それは、ただの棒立ちとは違うのだな?」


「はい」


レンは足元を見る。


「足裏に重さを置きすぎない。腰を固めない。肩を抜く。目で相手を追いすぎない。相手の剣より、相手が剣を振る前のものを見る」


「呼吸か」


「呼吸も見ます」


「足か」


「足も見ます」


「心か」


レンは少しだけ目を伏せた。


「心の起こりも、多少は」


ガレスは思わず笑った。


「多少、で済む話か?」


レンは真面目に返した。


「完全には見えません」


「完全には、な」


オルドは木剣を構えた。


「では、打つぞ」


「はい」


オルドが踏み込む。


速い。


剣神と呼ばれる男の打ち込み。


本気ではない。


だが、騎士なら反応すらできない速度だった。


レンは動かなかった。


オルドの木剣が、レンの肩へ向かう。


届く寸前。


レンの木剣が、ほんの少しだけ上がった。


受けたのではない。


止めたのでもない。


木剣の腹が、オルドの木剣の側面に触れた。


ただ、添っただけだった。


オルドの剣筋が、わずかにずれる。


ほんの指一本分。


だが、その指一本分で、剣はレンの肩を外れた。


オルドの身体が前へ流れる。


レンはその流れに逆らわず、半歩だけ横へ出た。


次の瞬間、レンの木剣の柄が、オルドの肘の内側に触れていた。


力を入れれば、肘は落ちる。


さらに踏み込めば、肩も崩せる。


首にも届く。


オルドは動きを止めた。


「……なるほど」


その声は低かった。


面白がっている。


そして、少し悔しがっている。


ガレスは離れた場所で見ていた。


「今、何をした?」


「先生の剣の行き先を、少しだけ変えました」


「少しだけで、ああなるのか」


「はい」


「嫌な剣だな」


ガレスが正直に言う。


レンは少し考えた。


「嫌ですか」


「対峙するならな。味方なら頼もしいが」


「なら、よかったです」


オルドが肘をさすりながら言った。


「今のは、わしの剣を受けたのではないな」


「はい」


「わしの剣に、わし自身を少し遅らせた」


レンは目を上げた。


「はい。先生は、剣と身体がとてもよく繋がっています。だから、剣の行き先をわずかに変えると、身体もそれに従います」


オルドは少し黙った。


「繋がっているほど、崩されるのか」


「はい」


「未熟者には効かぬか」


「効きにくいです」


「なぜ」


「そもそも繋がっていないからです」


「先生のような人ほど、読めます。剣も足も呼吸も、全部が一つの目的へ向かうからです。ですが、何も考えずに振り回す相手は、次が読みにくい」


練度が低ければそもそも読みなど必要ないが。


見ていたセラが庭の端で手を叩いた。


「レン、すごーい!」


レンは振り返る。


「セラ、危ないから近づきすぎないように」


「はーい!」


セラは元気に返事をした。


そして、また歌い始めた。


今度は、さっき見た稽古の歌だった。


「けんが、すーって、ながれてー」


音程は幼い。


言葉も拙い。


だが、レンはそこで眉をわずかに動かした。


今の歌。


ただの歌ではない。


セラは、オルドの剣が流れた様子を音でなぞっていた。


本人にその自覚はない。


だが、音の高低と間が、先ほどの剣の流れに似ていた。


オルドも気づいたのか、セラを見た。


「今の歌、もう一度歌えるか」


「うた?」


セラは首を傾げた。


「そうだ」


「いいよ!」


セラは先ほどの歌をもう一度歌った。


「けんが、すーって、ながれてー」


音は少し違う。


だが、やはり似ている。


剣の流れ。


力がぶつからず、横へ抜ける感じ。


それが、音の中にある。


ガレスが首をかしげた。


「先生?」


「……面白い」


オルドは小さく呟いた。


レンもセラを見ていた。


妹は、音で世界を見ているのかもしれない。


エリナは秩序で世界を見る。


リオルは知性で世界を見る。


レンは理で世界を見る。


そしてセラは、音で世界を見る。


それはまだ、幼い遊びのようなものだった。


だが、芽は確かにあった。






数日後、セラのために音楽の師が呼ばれることになった。


きっかけは、ミリアだった。


「セラは、歌が好きなのね」


夕方、ミリアがそう言った。


セラはミリアの膝に座っていた。


「すき!」


「毎日歌っているものね」


「うたうと、たのしい!」


「そう」


ミリアは微笑む。


その日は、少し疲れているように見えた。


朝から来客があり、ガレスの書類の整理も手伝い、屋敷の用事も多かった。


夕方には顔色が少し薄かった。


だが、セラが膝の上で歌い始めると、ミリアの呼吸がゆっくり深くなった。


レンは部屋の隅でそれを見ていた。


セラの歌が、母の呼吸に触れている。


やはり、そう見える。


セラは小さな手を振りながら歌う。


「かあさま、にこにこー」


ミリアは笑った。


「にこにこしている?」


「うん!」


「セラが歌ってくれるからね」


その時、セラの声がふわりと変わった。


ほんの少しだけ。


普通の人なら気づかない。


ただ、レンには分かった。


声に、なにかの力が乗った。


恐らくは魔力。


薄い。とても薄い。


火を起こすほどではない。


水を動かすほどでもない。


だが、確かに魔力が音に沿っていた。


レンは目を細めた。


この世界の魔法は、基本的に意図して組み上げるものだ。


魔力を集め、形を作り、対象へ流す。


もちろん感覚的に使う者もいる。


だが、セラのこれは少し違う。


魔法を歌に乗せているのではない。


歌そのものが、魔力の道になっている。


「母さま」


レンが声をかけた。


「何か、楽になりましたか」


ミリアは少し驚いたようにレンを見る。


「楽?」


「はい」


ミリアは自分の胸元に手を当てた。


「そうね。セラの歌を聞いていると、少し息がしやすい気がするわ」


セラは嬉しそうにした。


「いき、しやすい?」


「ええ」


「じゃあ、もっと、うたう!」


セラはさらに歌おうとした。


ミリアが笑う。


「ありがとう。でも、セラも疲れないようにね」


「つかれない!」


子供はだいたいそう言う。


そして突然寝る。


レンは静かに考えた。


音に魔力が乗る。


それが偶然か、才能か。


まだ判断はできない。


ただ、このまま放っておくのは惜しい。


リオルの家庭教師であるセリウスに見てもらうべきかもしれない。


そう思った。






セリウスが屋敷を訪れたのは、それから数日後だった。


リオルが王都へ行ってからも、セリウスは時々屋敷を訪ねていた。


リオルから届いた質問の返事を書くためでもあり、セラの基礎教育について相談するためでもある。


セリウスは、王都でも学んだ上級魔法師だった。


王国全体で見ても、上位に入る実力者である。


ただし、アルクレイド家に関わるようになってから、よく頭を抱えるようになった。


主な原因は、リオル。


そして最近では、レンである。


もちろん、セリウスはレンの秘密を知らない。


知らない方が幸せなこともある。


世の中、知ればいいというものではない。


知らないまま平和に生きられるなら、それに越したことはない。人間の脳はすぐ余計な重荷を背負う。荷物持ちでもないのに。


その日、セリウスは応接室でミリアから話を聞いていた。


「セラの歌、ですか」


「ええ。少し不思議なのです」


ミリアは穏やかに言った。


「ただ歌が好きなだけかもしれません。でも、歌っている時、空気が柔らかくなるような気がして」


セリウスは少し考えた。


「音楽に魔力が反応する例はあります。儀式歌や詠唱の補助として、声を使うことは珍しくありません」


「では、特別ではないのですか?」


「声そのものは、魔法の補助としてよく使われます。ただ、幼児が無意識に魔力を音へ乗せるとなると、珍しいです」


レンは横で聞いていた。


セリウスはレンを見る。


「レン様はどう思われますか」


「声に、魔力が沿っているように感じます」


セリウスは一瞬止まった。


「魔力が、沿う」


「はい。歌に後から魔力を乗せているのではなく、歌の形に魔力がついていくように見えます」


セリウスはしばらくレンを見た。


「……レン様は、魔力感知も苦手だったはずですが」


「得意ではありません」


「今の説明は、得意な者の説明です」


「気のせいかもしれません」


「気のせいで済ませるには、表現が具体的すぎます」


レンは黙った。


セリウスは少しだけ眉間を押さえた。


「アルクレイド家は、本当に……」


最後まで言わなかった。


言っても仕方がないからだ。


そこへ、セラがやって来た。


「せんせー?」


「こんにちは、セラ様」


「うた、きく?」


「ぜひ」


セリウスは姿勢を正した。


セラは嬉しそうに立ち、歌い始めた。


最初は、いつもの花の歌だった。


「おはなー、ゆれるー」


声は明るい。


少し高く、柔らかい。


ミリアが微笑む。


ガレスも腕を組んで聞いている。


レンは、セラの声を見た。


いや、聞いた。


声の波に、薄い魔力が乗っている。


やはりそうだ。


音が先で、魔力が後ではない。


魔力が先で、音が後でもない。


同時に流れている。


水面に光が乗るように。


風に匂いが混ざるように。


セリウスの表情が変わった。


「……これは」


セラは歌い終えると、満足そうに笑った。


「どう?」


セリウスはすぐには答えなかった。


目を閉じ、何かを確かめるように息をした。


「もう一度、お願いできますか」


「いいよ!」


セラはまた歌った。


今度は少し違う歌だった。


先ほど庭で見た蝶の歌。


「ちょうちょ、ふわふわー」


声が弾む。


その瞬間、部屋の中の小さな羽根飾りが、ほんのわずかに揺れた。


風ではない。


窓は閉まっている。


セラの声に合わせて、空気が揺れたのだ。


ガレスが目を見開いた。


「今、動いたか?」


「はい」


セリウスの声は硬かった。


「動きました」


セラはきょとんとしている。


「うごいた?」


「ええ」


セリウスは羽根飾りを見て、それからセラを見た。


「セラ様。今、羽根を動かそうと思いましたか?」


「ううん」


「蝶の歌を歌っただけ?」


「うん!」


セリウスはミリアを見た。


「奥様」


「はい」


「セラ様には、音楽の師をつけるべきです」


「魔法ではなく?」


「両方です」


セリウスははっきり言った。


「普通の魔法師だけでは、おそらくこの才能を潰します」


ガレスが眉を寄せた。


「潰す?」


「はい」


セリウスは真剣だった。


「魔法として形を作らせようとすれば、セラ様の感覚は乱れるかもしれません。セラ様は、魔力を式で動かしているのではありません。音で道を作っています」


レンは静かに頷いた。


同じことを感じていた。


セリウスは続ける。


「音楽の基礎を学びながら、魔力の扱いを慎重に見た方がよいです。音の高さ、長さ、間、響き。それらが魔力にどう影響するのか、観察する必要があります」


「研究者みたいですね」


ガレスが言う。


セリウスは真顔で返した。


「研究対象としては、非常に興味深いです」


ミリアの目が少しだけ細くなった。


セリウスはすぐに咳払いした。


「もちろん、セラ様の負担にならない形で、です」


危ないところだった。


学者という生き物は、興味を持つとたまに人間を素材として見始める。


セリウスは賢いので、ミリアの視線で即座に人間へ戻った。


「セラ様はまだ幼い。楽しく歌うことが一番です。無理に魔法として扱わせるべきではありません」


ミリアは頷いた。


「それなら安心です」


セラは話の半分も分かっていない。


ただ、自分の歌を褒められたことは分かったようだった。


「セラ、うた、じょうず?」


「とても」


セリウスが言う。


「とても上手です」


セラは満面の笑みを浮かべた。


「やったー!」


その声に、部屋の空気がまた少し揺れた。


セリウスはそれを見て、もう一度額に手を当てた。


「……アルクレイド家は、本当にどうなっているのですか」


今度は最後まで言った。


ガレスは胸を張った。


「俺の子たちです」


セリウスは無言でガレスを見た。


その顔は、原因の一つがそこにあるとは思えません、という顔だった。


レンは見なかったことにした。


父の威厳を守るのも、息子の務めである。


たぶん。






その日から、セラには音楽の師がつくことになった。


名はマリーナ。


王都ほどではないが、ルミリアで知られた声楽の教師だった。


貴族の子女に歌を教えることもあれば、教会の合唱隊を見ることもある。


柔らかい物腰の女性で、最初にセラの歌を聞いた時、目を細めて言った。


「とてもよく響く声ですね」


セラは嬉しそうにした。


「ひびく?」


「ええ。声が、部屋の奥まで届いています」


「おくまで?」


「そう。声は、ただ大きく出せばよいものではありません。ふわりと飛ばすのです」


マリーナは手を軽く上げた。


「小鳥を逃がすように」


セラは目を輝かせた。


「ことり!」


そして、すぐに小鳥の歌を作った。


マリーナは少し驚き、それから笑った。


「即興もお好きなのですね」


「そっきょ?」


「今、作った歌のことです」


「うん!いま、ことり!」


「素晴らしいわ」


セラはますます嬉しそうに歌った。


レンはその様子を部屋の隅で見ていた。


マリーナの教えは、セラに合っていた。


押しつけない。


直しすぎない。


まず歌わせる。


そのうえで、少しだけ息の使い方や音の伸ばし方を教える。


セラはすぐ飽きる。


だが、マリーナはそれも分かっていた。


短く歌わせ、遊びを挟み、また歌わせる。


よい師だった。


一方で、セリウスは横で必死に記録を取っていた。


「今の高音で、魔力が上へ伸びた」


「低音では、床側に沈む」


「長く伸ばす音では、周囲への広がりが大きい」


「跳ねる音では、対象が揺れる」


完全に研究者の顔だった。


ミリアが近くにいる時だけ、人間の顔に戻る。


忙しい男である。


ある日の稽古で、マリーナが小さな鈴を出した。


「今日は、この鈴に合わせて歌ってみましょう」


ちりん、と鈴が鳴る。


セラはその音を聞いて、すぐに真似た。


「ちりーん」


その瞬間、鈴がもう一度鳴った。


マリーナは手を止めた。


セリウスも固まった。


鈴には触れていない。


風もない。


セラの声に合わせて、鈴が鳴った。


セラだけが嬉しそうに笑った。


「すず、うたった!」


セリウスは震える手で記録した。


「共鳴……いや、魔力共振か……?」


レンは鈴を見た。


音が音を呼んだ。


いや、音に魔力が通り、似た音を震わせた。


これは、ただの芸ではない。


使い方によっては、人の呼吸や心拍にも届く。


そこまで考えて、レンは少しだけ表情を引き締めた。


危うい才能でもある。


人を和らげることもできる。


だが、逆もある。


乱すことも、止めることも、できるかもしれない。


セラはまだ幼い。


だからこそ、丁寧に育てる必要がある。


レンはそう思った。






夕方。


稽古を終えたセラは疲れたのか、ミリアの膝で眠っていた。


小さな寝息が聞こえる。


ミリアはその髪を撫でていた。


顔色は穏やかだった。


セラの歌を聞いた後のミリアは、やはり少し楽そうに見える。


レンはその横に座っていた。


「レン」


ミリアが小さく呼ぶ。


「はい」


「セラは、すごいのかしら」


レンは少し考えた。


「すごいと思います」


「そう」


ミリアは眠るセラを見た。


「怖いことではない?」


その問いに、レンはすぐには答えなかった。


才能は、人を助ける。


同時に、人を縛ることもある。


エリナの強さも。


リオルの知性も。


セラの音も。


そして、自分の理も。


大きすぎる力は、それを持つ者の人生を変える。


良くも悪くも。


「怖いことにも、なるかもしれません」


レンは正直に言った。


ミリアは静かに頷いた。


「そうね」


「ですが」


レンはセラを見た。


「セラが歌を好きなままでいられるなら、きっと大丈夫です」


ミリアは微笑んだ。


「レンは、いつも大人みたいなことを言うわね」


「そうでしょうか」


「ええ」


ミリアはレンの頭に手を置いた。


「でも、ありがとう」


レンは目を伏せた。


母の手は温かかった。


だが、その温かさの奥に、ほんの少しだけ細いものを感じる。


呼吸の底。


気の流れ。


小さな乱れ。


まだ、誰にも言うほどではない。


医師に見せても、疲れと言われるだろう。


魔法師に見せても、異常なしと言われるかもしれない。


だが、レンの中にある違和感は、少しずつ形を持ち始めていた。


セラの歌が、母を楽にしている。


それはきっと、偶然ではない。


レンは眠るセラを見た。


「セラ」


小さく呼んでも、妹は眠っている。


口元が少しだけ動いた。


夢の中でも歌っているのかもしれない。


レンは静かに息を吐いた。


守りたいものが、また一つ増えた気がした。


妹の歌。


母の笑顔。


父の不器用な強さ。


王都にいる姉と兄。


そして、まだこの世界のどこかにいるはずの、前世の妻だった魂。


すべてを守ることはできないかもしれない。


それは知っている。


だが、届く場所には手を伸ばす。


そのために、レンは今日も木剣を取る。


勝つためだけではない。


隠すためだけでもない。


いつか必要な時に、守りたいもの守るために。






翌朝。


庭には、またオルドが立っていた。


レンは木剣を持ち、向かい合う。


「昨日、セラの歌を聞いた」


オルドが言った。


「はい」


「お前も気づいているな」


「音に魔力が通っています」


「やはりそうか」


オルドは少し空を見た。


「アルクレイド家は、騒がしいな」


「セラの歌は騒がしくは感じません」


「そういう意味ではない」


オルドはため息をついた。


「姉は魔法剣。兄は魔法理論。妹は音魔法。そしてお前はこれだ」


「私は、魔法は苦手です」


「その言い方で逃げられると思うな」


レンは黙った。


オルドは木剣を構えた。


「セラの才能は、いずれ大きくなるかもしれん」


「はい」


「守れるようにしておけ」


「はい」


「ただし、目立つな」


「難しいです」


「まぁ大人になるまでの辛抱だ」


オルドが踏み込んだ。


レンは木剣を上げる。


今度は受けない。


昨日教えた流れを、少しだけ返す。


オルドの剣筋がわずかにずれた。


だが、オルドもすぐに腰を沈め、流れた剣を別の軌道へつなげた。


レンは目を細める。


速い。


変化が速い。


やはり剣神は剣神だった。


一度見せれば、すぐに学ぶ。


オルドの木剣が、レンの肩先をかすめる。


レンは半歩下がる。


「今のは」


オルドが言う。


「少し、先生が掴みました」


「そうか」


オルドは笑った。


「面白い」


「楽しそうですね」


「楽しいとも。わしは今、剣を学び直している」


世界一の剣豪と呼ばれる男が、八歳の子供を前にそう言った。


レンは少しだけ笑った。


「では、もう一度」


「今度は逃げるなよ」


「八歳らしくですか」


「いや」


オルドの目が鋭くなる。


「今は、隠さなくてよい」


レンは静かに頷いた。


「分かりました」


木剣が交わる。


朝の庭に、乾いた音が響いた。


遠くで、セラの歌が聞こえる。


父の素振りの音。


母が窓を開ける音。


屋敷が目覚めていく音。


そのすべての中で、レンは剣を振った。


まだ八歳の身体では、前世のすべてには届かない。


だが、届かないからこそ、学ぶことがある。


剣神に教えながら、剣神から学ぶ。


妹の音を見ながら、世界の新しい理を知る。


この世界には、まだ知らないものが多い。


それは少しだけ、楽しかった。

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