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達人転生 ~理を知る達人は転生チートなんか必要ない~  作者: まつすけ


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11/13

第十話 寮と友

職員に案内され、レンは校舎の廊下を抜けた。


試験は終わった。


これから寮へ入る。


今日からしばらく、この学校が生活の場になる。


廊下の窓から見える空は、屋敷で見た空より少し広く感じた。


建物が高いせいかもしれない。


王都の空だからかもしれない。


あるいは、帰る場所が少し遠くなったからかもしれない。


「レン・アルクレイド様」


前を歩く職員が、少し振り返った。


「先ほどの追加試験は……大変でしたね」


声には気遣いがあった。


同時に、どう扱えばよいか分からない戸惑いもある。


十歳の受験生が、魔法学の教師から十分間逃げ回った。


しかも合格した。


普通の入学手続きではない。


職員が困るのも無理はなかった。


レンは頷いた。


「はい。とても大変でした。たくさん転びました」


「……そういう問題.....まぁいいか」


職員は小さく呟いた。


レンは少し考える。


「転ぶ練習はしていました」


「転ぶ練習、ですか」


「はい。怪我をしにくい転び方です」


「それは……大切ですね」


職員はそう答えた。


ただ、顔は納得していなかった。


大人は、納得できない時でも返事をする。


前世でもよく見た。


便利な技術である。


寮は、校舎の奥にあった。


古い石造りの建物で、校舎ほど派手ではない。


だが、壁は厚く、窓は広く、廊下には掃除が行き届いている。


入口には寮監室があり、その先に生徒の部屋が並んでいた。


職員が説明する。


「一年生の部屋は、基本的に二人一部屋です。上級生は一人部屋になる場合もありますが、一年生は学校生活に慣れることを優先します」


「はい」


「生活時間、食事、入浴、消灯、外出許可については、この冊子にまとめています。あとで必ず確認してください」


「分かりました」


「荷物はすでに部屋へ運ばれています。制服は明日から正式着用です。今日は手続き後、夕食まで自由時間になります」


「ありがとうございます」


職員は一枚の鍵を渡した。


「こちらが部屋の鍵です。同室の方は、もう到着されています」


「分かりました」


レンは鍵を受け取った。


部屋番号を確認する。


二階の奥。


廊下を進むにつれ、部屋の中から声が聞こえた。


いくつかの部屋では、すでに新入生たちが荷物を開けているらしい。


不安そうな声。


楽しげな声。


使用人に指示を出す声。


どこかで、誰かが大きなくしゃみをした。


屋敷とは違う音が多い。


人が多い場所の音だった。


レンは部屋の前で立ち止まる。


扉の向こうから、何かを落とす音がした。


続いて、慌てた声。


「うわっ、やべっ、いや、割れてない! 割れてないから問題なし!」


問題はありそうだった。


レンは軽く扉を叩いた。


中の声が止まる。


「はいっ! どうぞ!」


妙に元気な返事だった。


レンは扉を開けた。


部屋の中には、同じ年頃の少年がいた。


茶色い髪を短く切り、丸い目をした少年だった。


背はレンより少し高い。


体つきは細い。


服装は整っているが、荷物の置き方はかなり雑だった。


鞄から本が半分落ちている。


靴下らしいものも出ている。


机の上には、なぜか干し菓子が三つ並んでいた。


少年はレンを見ると、顔をぱっと明るくした。


「おお! 同室か! 俺はテオ・バルカ! よろしくな!」


声が大きい。


廊下にも聞こえているだろう。


レンは一礼した。


「レン・アルクレイドです。よろしくお願いします」


「アルクレイド? えっ、あのアルクレイド? 白手袋の裁定者の弟で、魔法理論の変な天才の弟の?」


姉と兄の認識が雑だった。


「おそらく、その弟です」


「すげえ! いや、すごいのか? 弟ってだけだもんな。ごめん、今のは失礼だった!」


テオはすぐに頭を下げた。


勢いがある。


頭を下げるのも速い。


「気にしていません」


「ほんと? よかった。俺、口が先に走るんだよ。足は遅いのに」


自分で言って、自分で笑っている。


レンは少しだけ目を細めた。


明るい。


だが、ただ明るいだけではない。


失言をしたと思った瞬間、すぐに謝る。


相手の反応も見ている。


声は大きいが、押しつけるだけではない。


「それより、お前、服すごいことになってない?」


テオはレンの袖と膝を見た。


「土ついてるし、濡れてるし、ちょっと焦げてない? 入学前に何があったんだよ。喧嘩? 貴族学校って初日からそういうやつ?」


「試験で少し転びました」


「そんなボロボロで少しか!少しの基準が怖いな!」


テオはすぐに自分の荷物を漁った。


「あ、待って。布ある。えっと、これ使えよ。俺のだけど、洗えば戻る。たぶん」


そう言って、清潔そうな布を差し出す。


雑な荷物の中から、なぜか布だけは綺麗に畳まれていた。


レンは受け取る。


「ありがとうございます」


「いいって。服が土だらけだと、寮監に怒られそうだし。俺まで怒られたら嫌だし」


「なるほど」


「いや、そこは否定してくれてもいいんだけど」


レンは袖の土を軽く拭いた。


テオはじっと見ていた。


「で、試験で転んだって、どの試験?」


「追加試験です」


「追加試験?」


「魔法学の先生の攻めを十分間避けました」


テオは口を開けた。


しばらく固まる。


それから、ゆっくり言った。


「……ごめん。俺の耳が......?言葉は理解できるんだけど意味がわかんない」


「そうですか」


「追加試験? 魔法学の先生? 十分間? 避けた? それ、同じ入学試験の話?」


「はい」


「貴族学校、俺が思ってたより怖いんだけど!」


テオは自分の頭を抱えた。


「俺、普通に筆記して、測って、的に当てて、面接で笑って終わったぞ! 何でお前だけ入学前に魔法で追い回されてるんだよ!」


「事情がありました」


「事情で済む話か?」


「済みました。合格しましたので」


「済んでるのか、それ」


テオは深く考え込む顔をした。


だが、長くは続かなかった。


すぐに顔を上げる。


「まあ、合格したならよかったな!」


「はい」


「俺も合格した! すごくない?」


「おめでとうございます」


「ありがとう! ちなみに俺の点数、筆記六十、魔力測定四十、実技四十!」


テオは胸を張った。


「全部そこそこ低い!」


誇ることではない。


少なくとも、普通は誇らない。


レンは少しだけ考えた。


「合格点には届いたのですね」


「面接のおかげでな! いやあ、面接ってすごいな。話してたら点が増えるんだぜ。ありがたい仕組みだよな!」


「そうですね」


「でも、俺みたいなのが入れるってことは、たぶん学校も優しいんだよ。いや、さっきのお前の話を聞くと優しいか分からなくなったけど」


テオは笑う。


明るい。


しかし、その明るさの底に、薄い傷のようなものが見えた。


筆記六十。


魔力測定四十。


実技四十。


良い点ではない。


自分でも分かっている。


だから、先に笑いにする。


人に言われる前に、自分で言う。


弱さを見せているようで、弱さを隠している。


レンはそれを感じた。


「どうした?」


テオが首を傾げる。


「いえ」


「俺の点数、低すぎてびっくりした?」


「低いとは思いました」


「正直!」


「ですが、隠さず言えるのは良いことだと思います」


「そうか? まあ、隠してもいつかばれるしな。だったら最初に言っといた方が楽だろ」


テオは笑った。


レンは頷く。


「それも、一つの強さだと思います」


「いや、強くはないぞ。俺、剣も魔法も弱いし。走るのも遅いし。たぶん叫ぶのだけは強い」


「声は大きいですね」


「そこは否定してくれないんだな」


「事実ですので」


「冷静!」


テオはまた笑った。


うるさい。


だが、不快ではない。


部屋の中が、少し明るくなる。


屋敷のセラの歌とは違う明るさだった。






夕食の時間になると、二人は食堂へ向かった。


食堂は広かった。


長い卓がいくつも並び、壁には学院の古い紋章が飾られている。


すでに多くの新入生が席についていた。


上級生らしい姿もちらほら見える。


料理は簡素ではない。


パン。


肉と野菜の煮込み。


豆のスープ。


果実水。


貴族学校らしく、品は悪くなかった。


ただ、屋敷の食卓とは違う。


大勢で食べるための食事だった。


テオは皿を持ちながら周囲を見回した。


「どこ座る? こういう時、席選びって大事だよな。変なやつの隣に座ると、初日から終わる」


「私たちも、誰かにとっては変な人かもしれません」


「その発想やめてくれ。俺が急に不安になる」


「すみません」


「いや、謝るほどじゃないけど!」


二人は端に近い席へ座った。


テオはスープを一口飲み、すぐに顔を上げた。


「うまい!」


声が大きい。


近くの生徒が少し振り返った。


テオは慌てて頭を下げる。


「すみません!」


謝るのも大きい。


さらに見られた。


レンは静かにスープを飲む。


悪くない味だった。


その時、明るい声が横から来た。


「そこ、空いてる?」


二人が見ると、少女が皿を持って立っていた。


栗色の髪を肩のあたりで揺らし、よく動く目をしている。


表情は明るい。


遠慮は少なそうだった。


「空いてます」


レンが答える。


「よかった。じゃあ座るわね」


少女はすぐに座った。


テオが目を瞬かせる。


「確認が確認の形してなかったな」


「空いてるって答えたじゃない」


「答える前から座る気だっただろ」


「細かい男は嫌われるわよ」


「まだ嫌われるほど俺のこと知らないだろ!」


少女は笑った。


「私はミレーユ・カナン。よろしく」


「テオ・バルカ。よろしく。今のところ、嫌われてないと信じたい」


「努力次第ね」


「初対面で評価が厳しい」


レンも一礼する。


「レン・アルクレイドです」


ミレーユの目が少し丸くなった。


「ああ、あなたが」


「僕を知っているのですか」


「少しだけ。試験で魔法学の先生から逃げ切った子がいるって、もう噂になってるわ」


テオが吹き出しかけた。


「早っ! 噂、早すぎる!」


「食堂に来るまでに三人から聞いたわ。土だらけで合格した子がいるって」


レンは自分の膝を見る。


寮で少し落としたが、まだ土の跡は残っていた。


「目立ちすぎないようにしたつもりでした」


ミレーユはじっとレンを見る。


それから、はっきり言った。


「土だらけで合格しておいて、それは無理じゃない?」


「たしかに」


テオが頷く。


「俺でも分かる」


「そうですか」


レンは反省した。


土を落とすべきだったかもしれない。


ただ、落としすぎると必死さが薄れる。


隠すというのは、やはり難しい。


ミレーユの隣に、もう一人の少女が静かに立っていた。


長い黒髪を後ろでまとめ、細い指で本を抱えている。


表情はおとなしい。


少し緊張しているようにも見える。


ミレーユが振り返る。


「アリアナ、ここ座れるわよ」


少女は小さく頷いた。


「ありがとう」


声は柔らかい。


彼女は静かに席についた。


「アリアナ・フォルスターです。よろしくお願いします」


「レン・アルクレイドです」


「テオ・バルカ。よろしく!」


テオの声に、アリアナの肩が少し跳ねた。


テオはすぐに口を押さえる。


「あ、ごめん。声でかかった」


「い、いえ。大丈夫です」


アリアナは小さく首を振った。


だが、指は本の端を少し強く握っている。


レンはそれを見た。


怯えやすい。


しかし、ただ弱いわけではない。


声に反応した瞬間、彼女の視線はテオの手元と距離を見ていた。


逃げるためではない。


自分に近づくものを、止めるため。


まだ本人は気づいていないかもしれない。


だが、反応は鋭い。


ミレーユが皿を置きながら言った。


「アリアナ、筆記すごかったんでしょ?」


アリアナは困ったように視線を下げる。


「たまたまです」


「たまたまで九十五点は取れないわよ」


テオが目を丸くした。


「九十五!? 俺の筆記を1.5倍しても君に届かない!」


「悲しいわね」


ミレーユが即座に言う。


テオは胸を押さえた。


「初日から刺された」


アリアナは少し慌てる。


「いえ、でも、魔力測定と実技は低くて。どちらも三十点でした。だから、あまり……」


「筆記九十五が強すぎるんだよ」


テオは言った。


「俺なんか全部そこそこ低いぞ。安定感がある」


「それは安定感と言うの?」


ミレーユが首を傾げる。


「言ってくれ。頼む」


「努力は認めるわ」


「慰めが雑」


レンは静かに聞いていた。


ミレーユは明るい。


テオと似ているが、少し違う。


テオの明るさは、自分の弱さを先に笑う明るさ。


ミレーユの明るさは、人の間へ自然に入っていく明るさだった。


アリアナは静かだ。


だが、周囲をよく見ている。


怖がりながらも、聞いている。


三人とも、違う。


レンは少しだけ楽しくなった。


学校とは、こういう場所なのかもしれない。


その時だった。


食堂の入口側が、少し騒がしくなった。


数人の生徒が道を空ける。


三人の少年が入ってきた。


中央の少年は、金色の髪をきれいに整え、胸を張って歩いている。


服も仕草も、いかにも良い家の子という雰囲気だった。


左右には取り巻きらしい二人。


中央の少年は、周囲を見下ろすように視線を動かし、そしてレンたちの卓で止めた。


テオが小さく呟く。


「うわ、来た。なんか嫌な感じのやつ来た」


ミレーユが低く言う。


「声、下げなさい。聞こえるわよ」


「もう遅い気がする」


実際、中央の少年はこちらへ歩いてきていた。


彼はレンの前で立ち止まる。


「君がレン・アルクレイドか」


「はい」


レンは椅子に座ったまま、静かに答えた。


「私はユリウス・ヴァレンティア。ヴァレンティア侯爵家の者だ」


周囲の空気が少し変わる。


侯爵家。


一年生の中では、かなり高い家格だ。


テオの背筋が分かりやすく伸びた。


ミレーユは表情を変えない。


アリアナは本を少し抱きしめた。


ユリウスはレンを見下ろす。


「聞いたよ。君は三百一点の合格者らしいね」


ユリウスは続ける。


「面接点で拾われた者が、教師の気まぐれで少し騒がれた。そういう話だろう?」


レンは答えない。


ユリウスの言葉には、返す必要のある問いがなかった。


沈黙をどう受け取ったのか、取り巻きの一人が笑う。


「魔力測定五点だってさ」


もう一人が続ける。


「生活魔道具は使えるらしいぞ。火をつける係には困らないな」


テオの顔が少し引きつった。


ミレーユの眉がわずかに動く。


アリアナは視線を下げる。


レンは静かにスープを飲んだ。


ユリウスの目が冷える。


「聞いているのか」


「はい」


「なら、何か言ったらどうだ」


「食事中ですので」


テオが口元を押さえた。


笑いそうになったのか、驚いたのかは分からない。


ユリウスの頬が少し赤くなる。


「君は、侯爵家の者に対してずいぶん余裕があるようだね」


「余裕はありません。スープが暖かいほうが美味しいだけです」


ミレーユが今度こそ顔をそらした。


肩が少し震えている。


テオは机の下で必死に何かに耐えていた。


ユリウスは笑わなかった。


当然である。


コケにされている。少なくとも周りからはそう見える。


取り巻きの一人が、果実水の入った杯を手に取った。


「おっと」


わざとらしい声だった。


「手が滑った」


杯が傾く。


狙いはレンではなかった。


テオだった。


おそらく、レンに直接かけるより、隣の弱そうな相手を汚した方が反応を見るには都合がよいと思ったのだろう。


テオは反応できなかった。


目を見開くだけ。


果実水が宙へ流れる。


赤みのある液体が、弧を描いてテオの胸元へ向かう。


レンは動いた。


ただし、速くは見えなかった。


スープ椀を持ち上げる。


立ち上がろうとして、少し椅子に引っかかったように見せる。


その拍子に、椀がたまたま前へ出たように見える。


果実水は、その椀の中へ落ちた。


一滴。


二滴。


いや、ほとんどすべて。


液体は椀の中で小さく揺れた。


テオの服には、かからなかった。


食堂が一瞬、静かになった。


取り巻きの少年は、杯を傾けた姿勢のまま固まっている。


ユリウスの目が大きく見開かれる。


ミレーユは椀を見て、レンを見る。


アリアナも、目を丸くしていた。


レンは椀の中を見た。


スープの上に、果実水が混ざっている。


味は悪くなるだろう。


残念だった。


レンは静かに言った。


「食べ物を粗末にしてはいけません」


それだけだった。


取り巻きの少年が顔を赤くする。


「た、たまたまだろ」


レンは頷いた。


「はい。こぼれなくてよかったです」


「っ」


少年は言葉を失った。


ユリウスはレンの椀を見ていた。


一滴も机に落ちていない。


たまたま。


たしかに、そう見える。


椅子に引っかかり、椀を出したところへ、ちょうど果実水が入った。


そう説明できなくもない。


だが、あまりに綺麗だった。


綺麗すぎる偶然だった。


ユリウスは唇を引き結ぶ。


「……行くぞ」


「で、でも」


「行くぞ」


ユリウスは取り巻きを連れて去っていった。


食堂の空気が少しずつ戻る。


テオは、まだ固まっていた。


それから、自分の胸元を見る。


濡れていない。


彼は大きく息を吐いた。


「た、助かった……」


声が震えていた。


当然だろう。


怖かったのだ。


侯爵家の子に絡まれ、自分に飲み物をかけられそうになった。


怖くないはずがない。


それでも、テオはすぐにレンの横へ半歩出た。


もうユリウスたちは去りかけている。


今さら前に出ても、何かが変わるわけではない。


それでも出た。


「え、えっと!」


テオの声は少し裏返っていた。


ユリウスが振り返る。


テオの顔は青い。


足も少し震えている。


だが、下がらなかった。


「今のは、その……こぼれなくて、よかったな!」


言葉は弱かった。


抗議にもなっていない。


むしろ情けない。


だが、テオは逃げなかった。


友達になったばかりの相手の横に、立とうとした。


ユリウスは鼻で笑った。


「何だ、それは」


「いや、だから、その、食べ物を粗末にするのはよくないし、服も汚れると困るし、えっと……」


テオは言葉を探して、結局見つけられなかった。


「とにかく、よくない!」


それだけ言った。


ユリウスは冷たい目でテオを見た。


「くだらない」


そう言って、今度こそ去っていった。


テオは、しばらく立ったままだった。


そして、ゆっくり座る。


「……死ぬかと思った」


「死にはしないと思います」


レンが言う。


「そういう意味じゃない!」


テオは小声で叫んだ。


ミレーユが腕を組む。


「あなた、怖かったなら黙ってればよかったのに」


「怖かったから、黙ってたかったよ!」


「じゃあ、何で言ったのよ」


テオは困った顔をした。


「いや……なんか、レンだけ平気そうだったから。俺も何か言わないと、変かなって」


ミレーユは少し黙った。


アリアナも、テオを見ている。


レンはテオを見た。


足はまだ震えている。


声も少し乱れている。


手は椀を持つほど安定していない。


身体は弱い。


魔法も強くない。


剣も、おそらく頼りない。


だが、下がらなかった。


弱い者が前に出る。


それは、強い者が前に出るより難しいことがある。


心身ともに強い者が立つのは、自然なことだ。


勝てる者が前へ出るのは、ある意味では簡単だ。


だが、勝てないと分かっている者が、それでも誰かの横に立つ。


それは、別の強さだった。


前世の父の言葉を思い出す。


強さそのものに価値はない。


守るために使う時だけ、強さには価値がある。


ならば、テオのこれは何だろう。


身体は弱い。


だが、守ろうとした。


声も震え、言葉も情けなく、相手にも笑われた。


それでも、逃げなかった。


レンは静かに言った。


「テオさんは、強いですね」


テオは目を見開いた。


「いや、俺、たぶんこの中で一番弱いけど!?」


「そういう意味ではありません」


「じゃあ、どういう意味?」


レンは少し考えた。


「怖いのに、前に出ました」


テオは固まった。


ミレーユも、アリアナも黙った。


レンは続ける。


「身体が強い人が前に出ることより、難しいこともあります」


テオは困ったように笑った。


「いや、前に出たっていうか、半歩くらいだけど」


「半歩でも、前です」


「……そうか?」


「はい」


テオは耳まで赤くなった。


「やめろよ。そういう真面目なの、反応に困るだろ」


「すみません」


「謝ることでもない!」


ミレーユがふっと笑った。


「よかったじゃない、テオ。初日から強いって言われて」


「弱いって言われる方が慣れてるんだけど」


「慣れなくていいわよ」


アリアナが、小さく言った。


「でも……私も、すごいと思います」


テオはさらに困った顔をした。


「やめてくれ。俺の心が追いつかない」


レンは椀を見る。


果実水の混ざったスープは、やはり少し不思議な色になっていた。


食べられなくはなさそうだ。


「それ、飲むの?」


ミレーユが聞く。


「はい」


「やめた方がいいと思うわ」


「食べ物を粗末にしてはいけません」


「そこは曲げないのね」


レンは椀を口に運んだ。


甘い。


塩気もある。


酸味もある。


よく分からない味だった。


「どう?」


テオが聞く。


レンは少し考えた。


「おすすめはしません」


三人が笑った。


アリアナも、口元を押さえて小さく笑っていた。


その笑い方は控えめだったが、先ほどより少しだけ肩の力が抜けている。


テオが椀を見ながら言う。


「なあ、レン」


「はい」


「お前、もしかして結構変なやつか?」


レンは少し考えた。


普通とは何か。


前世でも、今世でも、その答えは難しい。


だが、少なくとも自分では、普通にしているつもりだった。


「普通だと思います」


ミレーユが即座に言った。


「それはないわね」


テオも頷く。


「ないな」


アリアナは少し迷ってから、小さく言った。


「……少し、変わっていると思います」


三人の意見が一致した。


レンは静かに頷いた。


「では、少し気をつけます」


「気をつけて直るものなのか?」


テオが聞く。


「分かりません」


「そこは分からないんだな」


食堂の外では、夕方の光が少しずつ薄くなっていた。


王都の貴族学校。


魔法が重んじられ、家名が見られ、才能が比べられる場所。


そこに、レンは入った。


魔法はできない。


点数も高くない。


試験では土に汚れて、必死に逃げ回った受験生。


そう見えている。


それでいい。


同じ部屋には、明るくてうるさく、弱いのに逃げきれない少年がいる。


食堂には、遠慮なく笑う少女と、静かに周囲を見る少女がいる。


そして、こちらを気に入らない貴族の少年もいる。


面倒は多そうだった。


だが、不思議と悪くない。


レンはもう一度、椀の中を見た。


甘くて、塩辛くて、酸っぱい。


やはり、おすすめはできない味だった。


それでも、残す気にはならなかった。

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