第19話 『侵食するノイズ』
フェスの朝は、完璧だった。
ハルモニアの中央広場に、色とりどりの飾りが張られていた。出店が並び、魔法楽器の実演が各所で行われ、街全体が祝祭の空気に満ちていた。人が多い。笑顔が多い。音楽が多い。
レンはその光景を、宿の二階から眺めていた。
「良い街だ」
隣にアリアが立った。
「そうね。音楽に関する規制がない分、術式の管理も緩い。それが今日の問題になる」
「ハヤから聞いた話は?」
「昨夜全員に共有した。街の音楽に洗脳術式が混じっている。フェス開幕に合わせて本格稼働する可能性がある」
ミアが後ろから言った。
「その術式、どれくらい強いの?」
「ハヤの分析だと」レンは言った。「フェスの規模の音楽に乗せれば、広場にいる人間全員を一時間以内に同期できる。そこから徐々に判断力を奪う」
「どんな判断力を?」
「怒り、だ。ハヤが言うには、元々のビートパターンが『群衆を一定の方向に向ける』構造になっている。何かのきっかけで暴動が起きるように設計されている」
全員が黙った。
「誰かが何かをきっかけに怒って、それが術式で増幅されて、街全体が暴動になる」
「それで何が得をするの」とミアが言った。
「ハルモニアが自由都市でなくなれば、帝国が管理する口実になる」
アリアが続けた。
「自由都市の独立性は、治安の安定が前提条件よ。暴動が起きれば、帝国が『秩序回復のため』と介入できる」
「音楽で街を壊して、支配する」
ミアの顔が険しくなった。
「……最低」
「そういうことだ。だから今日、動く」
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フェスが開幕した。
最初の一時間は、本当に何もなかった。
音楽が流れ、人が集まり、笑顔があった。レンたちは四人とハヤの五人で広場の端に陣取り、術式の動きを観察していた。
ハヤが小声で言った。
「来ます。音楽のテンポが変わった」
レンは聴いた。
確かに変わっていた。
広場全体の音楽が、わずかに低くなった。テンポが落ちた。その変化は、意識していなければ気づかないほど小さかった。でも方向性が変わった。
楽しい音楽ではなく、何かを「煽る」音楽になっていた。
広場の人たちが、少しずつ変わり始めた。
笑顔が減った。顔つきが鋭くなった。出店の一角で、口論が始まった。小さなものだったが、周囲の人間が不自然に足を止めて注目した。いつもならスルーされるような口論に、人が集まり始めた。
「始まった」
レンは広場の中央に歩き出した。
「レン!」ミアが呼んだ。
「広場の中央で止める。ハヤ、お前のビートを使える状態にしておいてくれ」
「分かりました。でもどうやって?」
「カウンターを入れる。術式の周波数を上書きする」
「一人で広場全体を?」
「ここには五人いる」
アリアが歩き出した。
「防衛術式を組む。レンのリリックが届く範囲を拡張する」
ミアが続いた。
「補助術式、私が入れる」
エレナは動かなかった。
レンが振り向いた。
「来るか?」
「……声が、まだ戻っていない」
「今日戻るかもしれない」
エレナは少し考えた。
フードを、外した。
「……行く」
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広場の中央に立った。
口論が三箇所に広がっていた。怒声が上がり始めた。術式の効果が加速していた。
レンは指を鳴らした。
アリアの防衛術式が広場を包んだ。ミアの補助術式がレンの魔力増幅を始めた。ハヤの音響魔道具が、カウンター用のビートを刻んだ。
エレナが、レンの隣に立った。
声は出なくていい、とレンは言わなかった。
ただ並んで立った。
レンは広場を見た。
二百人以上がいた。その全員の音楽回路に、術式が食い込んでいる。
上書きする。
全員に届く言葉を。
怒りを煽る音に、それより強い何かをぶつける。
何が怒りより強いか。
レンには分かっていた。
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「聴けハルモニア 今お前らの耳に
誰かのビートが 勝手に入り込んでる
気づいてないか? 笑顔が消えてる
さっきまで楽しかった その気持ちはどこだ
音楽は誰かに 使われるもんじゃない
お前の耳は お前のもんだ
怒りを煽る そのビートを切る
今から俺の リリックで上書きする
フェスは祝祭だ 出会いの場だ
隣の奴と 喧嘩するために来たか?
違うだろ 今日 ここに来たのは
本物の音楽を 聴きに来たからだろ
その本物を 今ここで出す
受け取れ ハルモニア
これが俺の 答えだ」
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音が広場全体を包んだ。
アリアの術式が増幅し、ミアの補助が安定させ、ハヤのビートが土台を作った。
術式の周波数が、衝突した。
数秒間、広場の空気が揺れた。
術式が押した。レンのリリックが押し返した。
割れた。
洗脳術式が、中央から解けていった。
口論していた人たちが、急に動きを止めた。自分が何に怒っていたか、分からなくなったような顔をした。
笑顔が戻り始めた。
広場に、フェスの音楽が戻ってきた。
本物の音楽が。
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その時。
広場の反対側。建物の屋上に、人影が立った。
黒いフードを被った人物が、広場を見下ろしていた。
その手に、魔道具があった。
洗脳術式の発信源だ。
レンと目が合った。
距離があった。顔は見えなかった。
でも人影は、術式が崩されたことを確認した後、フードの下で微かに笑った気がした。
そして、消えた。
屋上に誰もいなくなった。
「……逃げた?」
ミアが言った。
「逃げた、というより」レンは屋上を見た。「確認しに来ただけだ」
「確認?」
「俺がどれくらいやれるか」
エレナが、レンの隣で小さく言った。
「……あの魔道具、帝国製じゃなかった。見たことのない設計だった」
「帝国製じゃない、というのは」
「もっと新しい。誰かが、この世界の魔道具技術を何年分も飛び越えた設計をしていた」
全員が黙った。
レンは手帳を取り出した。
屋上を見ながら、一行書いた。
「本当の敵は、まだ出てきていない」
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つづく
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【あとがき】
19話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回のカウンター・ラップ、意識したのは「怒りに怒りをぶつけない」ということです。
術式が煽っているのは怒りです。
それに怒りで返しても、増幅するだけです。
だからレンは「笑顔が消えてる、その気持ちはどこだ」と問いかけた。
本来の感情を取り戻す言葉で、上書きする。
エレナがフードを外した瞬間、書いていて胸に来るものがありました。
声はまだ戻っていない。でも立った。
それだけで充分な、彼女の一歩です。
屋上の人影。
20話で正体が分かります。
作者より
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