第14話 『学院の英雄(レジェンド・イン・スクール)』
翌朝の廊下が、やばかった。
桐島レンは教室に向かって歩いていて、三歩ごとに誰かに止められた。
「レン先輩! ラップ魔法、教えてください!」
「先輩じゃなくて同級生だ」
「レンさん、昨日の骨伝導の術式、どうやって……」
「後で」
「桐島くん、ラップの韻の踏み方を一から教えてほしいんですけど……!」
「授業で」
廊下の両側から手が伸びてくる。押されながら歩く。学院祭の出し物候補のコーナーに「ラップ魔法実演」と書かれた紙が貼られていた。誰が許可した。
レンは溜め息をついた。
悪い気はしなかった。
ただ、右手がまだ少し痺れていた。それだけが問題だった。
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昼前に、学院長室に呼ばれた。
エルド=ヴァーツ学院長は、昨日と同じ小柄な老人だった。しかし今日は表情が違った。昨日の感動よりも、もっと実務的な顔をしていた。
「座りなさい、桐島レン」
レンは座った。
「単刀直入に言う。君に、特別全権講師の任を与えたい」
「……は」
「学院の正式な講師として、魔法の授業を担当してほしい。ただし」
老人は杖を机に立てた。
「カリキュラムは君に一任する。定型文詠唱の授業形式は廃止していい。好きにやれ」
レンは少し間を置いた。
「好きにやっていいって言ったら、ラップバトル形式になるけど」
「むしろそれを期待している」
「……本気で言ってる?」
「昨日の戦闘で、君の魔法がこの学院の生徒を守った。百年分の魔術理論より、君のリリック一本の方が実戦的だったことは、昨日全員が目撃した。伝統も大切だが、死んでからでは意味がない」
レンは老人を見た。
飄々としているように見えて、実際は腹が据わっている人間だ、とレンは思った。
「分かった。やる」
「よろしい」
老人はにこりともせず言った。
「ただし、また外壁を壊したら修繕費は給与から引く」
「善処します」
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特別全権講師の辞令が出た、という噂は午後には学院全体に広まった。
最初の授業が翌日に設定されると、受講希望者が定員の三倍になった。追加で大講堂が確保された。それでも足りなかった。
廊下で、また誰かがリズムを刻んでいた。
「Yo、炎よ、燃えろ……えっと、ファイア……コンファイア……」
「コンファイアは英語じゃない」
「じゃあなんで韻踏むの?」
「母音を合わせる。ファイア、ライア、ハイア……」
「ハイア?」
「higher。高く、って意味」
「それを魔法の意味と繋げると……」
「炎よ燃えろ 高く昇れ。それで韻になる」
「……ちょっと待って、それで実際に魔力が……あ、出た! なんか伸びた!」
廊下に小さな歓声が上がった。
レンはそれを聞きながら、横の壁に寄りかかって少し笑った。
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アリアは、その光景を廊下の奥から見ていた。
レンが笑っているのを見た。
遠かった。
廊下一本分の距離だが、なぜか今日は遠く感じた。
昨日まで隣にいた。結界を張った。手を握った。それが今は、大勢に囲まれて、笑っている。
(英雄になった)
当然だ、と思った。
あれだけのことをしたのだから。
ただ。
胸のどこかが、少し狭くなった。
それが何なのか、アリアは分かりたくなかった。
廊下を歩き出した。
レンの前を通った。
「調子に乗らないで」
足を止めずに言った。
「……急にどうした」
「大勢に囲まれて、有頂天になってるでしょ」
「なってないけど」
「なってるように見える」
「見えるのと事実は別だろ」
アリアは歩みを止めた。
レンの方向を向かないまま、言った。
「……昨日の合わせ、悪くなかった。それだけよ」
また歩き出した。
レンが後ろで何か言った気がしたが、聞こえないふりをした。
耳が、少し赤かった。
廊下を曲がってから、アリアは立ち止まった。
壁に背を当てて、天井を見た。
(寂しくなんかない)
思った。
(遠くなったなんて、思っていない)
思った。
(ただ少しだけ)
そこで止めた。
続きは、考えないことにした。
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夕方、ミアがレンを探して中庭に来た。
「レン、アリア様、なんか様子おかしくなかった?」
「そうか?」
「廊下でトゲのあること言ってたって聞いた」
「言ってた」
「また何かした?」
「何もしてない」
ミアは少し考えた顔をした。
「……レン、分かってる?」
「何が」
「アリア様が、あなたのこと……」
「分かってる」
ミアが止まった。
「え、分かってるの?」
「だいたい」
ミアは複雑な顔になった。
嬉しいのか悔しいのか、自分でも判断がつかないような顔だった。
「……そっか」
「ミアも、なんか言いたいことあるか?」
「ない」
即答だった。
「本当に?」
「ない」
ミアは前を向いた。
「……あんなラップ、私も早く出せるようになりたい」
「それは練習だ」
「毎日やってる」
「知ってる。聞こえてる」
ミアが少し顔を赤くした。
「聞こえてたの」
「寮の壁、薄い」
「もっと早く言ってよ!」
「上手くなってきてるから言わなかった」
ミアが、止まった。
「……本当に?」
「本当に」
ミアは、また複雑な顔をした。
今度は、嬉しい方向に振れた顔だった。
「……ありがと」
小さく言った。
レンはそれを聞いて、特に何も言わなかった。
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つづく
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【あとがき】
14話まで読んでくださり、ありがとうございます。
戦闘のない回を書きました。
でも個人的には、こういう話を書くのが一番好きです。
廊下でラップの韻を試みている生徒たちのシーン。
「ハイア、higher、高く」という発見。
あの会話を書いた時、レンが作っているものが
「技術」ではなく「文化」だと実感しました。
アリアが「廊下を曲がってから立ち止まる」描写。
彼女は15話まで、まだ認めません。
でも「寂しくなんかない」と思わなければならない段階まで来た。
それが積み重なって、15話の「認めてあげるわ」になります。
ミアの「本当に?」という問い。
レンが「本当に」と答えた後の複雑な顔。
彼女は自分の気持ちを一番理解していない。
それがミアの、ずっと変わらない可愛さだと思っています。
15話、第一部完結です。よろしくお願いします。
作者より
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