第14話 「魔王様、再度地下迷宮を攻略②」
前話のあらすじ:再度地下迷宮を攻略中。
地下10階層。一晩明け、いよいよ下層へと降りようとする私たちを、その場にいる全ドワーフたちが総出で見送ってくる。
「お気を付けて!」
「ご無理をなさらないよう」
「いつでも戻ってきてください」
「この場は死守致します!」
「成功を祈っております!」
口々に安全祈願を言ってくる中、小柄なドワーフ──王女付きの侍女ラランが、プリメラへと頭を下げてきた。
「では王女様。ご武運を祈っております」
「──はあ?」
対するプリメラは、心底不思議そうな顔になる。
「何言ってるのよ、ララン。あんたもワタシに付いてくるに決まってるでしょ」
「…………え?」
侍女は何を言われているのかわからないように、答えるのに数秒を要した。
「……ちょ、それ本気で言ってるんですか!?」
「冗談言ってどうするのよ」
「わ、私は非戦闘員ですよ!? てっきり私もここに居残るんだとばかり……っ」
普段のおとなしい──どちらかというと草食動物のような態度の彼女が声を荒げるのは、よほど動揺しているからなのだろう。
この場に残るのと進むのでは命の危険が段違いなのだから、当然といえば当然の反応かもしれないが。
そんな彼女の様子に、しかしプリメラは何ら驚いた様子もなく、溜め息ひとつ。
「だったらワタシの食料とか荷物が入った道具袋、誰が持つのよ?」
「いやいやいや! だからって付いてくなんて話、聞いてないですから!?」
「そーだっけ? 聞いてこないから、あんたもそのつもりだと思ってたんだけど」
「え、いや、ちょ……その、本気で私、付いてかないといけないんですか……?」
「はあ? じゃあなに? ワタシに自分の荷物を持てって言うわけ?」
「で、ですけど、私は非戦闘員ですし……」
「そんなのカンケーないし。あんたはワタシの荷物持ちで同行よ。準備できてないってんなら待ってあげるから、早く準備してきなさい」
「ぅえぇ……っ? ざ、ザオーム様ぁ……」
助けを求めるように王女の近衛隊長に目を向ける侍女なれど、当のザオームは愉し気にいつもの不気味な微笑をするのみ。助けるつもりはないようである。
「そ、そんなぁ……」
「ほら、ララン。早く準備してきなさい」
「は、はいぃ……」
肩をがっくり落した侍女は、それでも言いつけを守るために小走りで天幕の中へと。そんな様子を前にアテナが、私の横にすうっと移動してきた。
「まるで、どこかの主を彷彿とさせるような傍若ぶりですね」
「誰のことだろうな?」
「ご自分の胸に手を当ててください」
「遠回しに特定させてくるか」
「なんのことやら」
トボけるアテナに嘆息してから、ザオームへと目を向ける。
「ザオーム、侍女を連れて行くことは私も聞いていなかったんだが?」
「おや、言ってませんでしたかね?」
「彼女自身も言ってたが、非戦闘員を連れての攻略はリスクが高まらないか?」
「輜重の役割を持つ者も必要と思いますが?」
「まあ、確かにそうだが……」
「前衛の私とレアンさん、後衛のダミアン君で守れば、それほどのリスクはないと思いますよ」
事前に打ち合わせしていた陣容である。
中衛はプリメラとアテナ、レングルブに騎乗する私であり、その時には輜重員であるラランのことは聞かされてはいなかった。
もったいぶっていたのか、言う必要性はないと思っていたのか。
後者っぽいか……
(まさか、本人に何も言っていなかったとはな)
私が呆れていると、プリメラがパンっと両手を叩いた。
「はい! みんな、もう見送りはいいから、仕事に戻って」
王女の言葉を受けて、見送りに来ていたドワーフたちが頭を下げてから立ち去ることしばし。
複数の道具袋を肩に下げた侍女が、小走りで戻ってきた。
「お、お待たせしました……!」
「遅いわよ、ララン。ワタシを待たせるなんて、いい度胸ね」
「す、すいません……っ」
だったら事前に教えておいてやれよと思ったが、よそ様の関係性に口出しするつもりはないので、私はスルーすることに。
すると、息を切らすラランの肩に、いつの間にか彼女の横に移動していたアテナが、そっと手を置いた。
「貴女の気持ち、よくわかりますよ、ラランさん」
「アテナさん……?」
「理不尽な主を持つと、従者は苦労しますよね」
「っ! あ、アテナさん、なんだか私、あなたとはとっても仲良くなれそうな気がします……!」
「ええ、私も同感です」
何やら結束を高めるふたりに、私は「誰が理不尽な主だ」と心の中でツッコミをいれていた。
※ ※ ※
「ッラァ!」
「キシシ!」
前衛を務めるレアンとザオームが立ちふさがる魔獣を蹴散らし。
「いっけぇええ!」
中衛からプリメラが攻撃魔法で吹き飛ばし。
「後ろは任せてください!」
後衛にて殿を務めるダミアンが背後からの魔獣を打ち倒す。
「ひい……っ」
「ラランさん、あまり私から離れないように」
間近となった戦闘に怯える侍女を影術を使いながらのアテナが庇い。
「くくく。ドワーフたちがいなくなっても、それほど変わらないもんだねぇ」
「ダンジョンってのは、数がいればいいってもんじゃないからな」
悠々と構えるレングルブの感想に、彼女に騎乗する私も余裕を持って答える。
前衛と後衛が優秀なために、中衛の私と彼女は特にやることがなかったのだ。
ちなみに、幼女化した私でもそれなりの攻撃魔法は使えるが、私よりも上位魔法を扱えるプリメラがいる以上よけいなことをするつもりもなく、治療魔法が問題なく使える私は、完全に治療係と化していたりする。
まあだからといって。
勘違いしないでほしいのが、私は現状を卑下してはいないということだ。
(治癒師だってダンジョン攻略には必須だからな)
私は、いまの状態の私でも出来ることを粛々とするのみなのである。
………
……
…
その後も私たちは、地図を頼りに順調に攻略を進めていく。
地図が作成されていたのは、前回攻略時の賜物だ。
「なんか、もったいないですね」
「まあ、仕方ないさ」
言葉とは裏腹に淡々とした口調のアテナに、私は小さく肩をすくめる。
さすがに価値ある部位全ての回収は億劫だったので、最も価値のある部位(目玉)のみを回収しつつ、最深部である最下層へと向かう。
「ッラアアアア!!」
飛び掛かってきた蜘蛛を、豪快な一撃でもって返り討ちにするレアン。
さすがにレアンの突破力はすさまじく、まだ”獣化”を使っていないにも関わらず、上級種すらもを圧倒。ロード種とはまだ遭遇していないが、この勢いだと素のままでもロードを倒せることだろう。
(レアンが、ここまで強いとはな)
知っている獣人族で最強なのは、言うまでもなく獣王コルモンデスであり、その次は勇者レオであり、レアンは間違いなく三番手となるだろう。
まあ三番手とはいえ、幼児化以前に弱体化しているいまの私では、単身では適わないかもしれないが……
(……弱くなった自分が嫌になるな)
つくづく、そう思ってしまう。
(幼児化したことも含めると、さらに、な)
弱体化して以降、ただでさえ前衛を務めるのも難しかったというのに、いまでは完全に後方担当なのだから。
最強魔王だった頃を考えると、本当に考えられない事態である。
現状を嘆いていても仕方ないので、なるべく考えないようにはするが……
「むうー…………どんどん、あの嫌な気配が伝わってくるねぇ」
ダンジョン内を進むレングルブが、次第に渋面をつくっていく。
彼女に騎乗する私は、前衛と後衛を守られながらも一応は周囲を警戒しつつ。
「わかるのか?」
「われの糸よりも粘りつくようなこのイヤらしい感覚……迷宮と同化していた頃から、頭の痛い事だったからねぇ」
「頭の痛い、か」
「なにせ、”餌”にされていたからねぇ。まあ、眷属が喰われようが痛くも痒くもなかったけどねぇ。むしろ、餌を与えることでわれ本体に直接どうこうされないと思えば安いもんだったけど……まあ、目の上のたん瘤だったことは確かだよ」
「……魔人ヤーバヤーゴ、か」
地下迷宮に巣食う世捨て人であり、力あることが容易にわかる魔人。
地下10階層以降の攻略にあたり、無策で最下層まで向かうつもりはなく。
以前に遭遇した、あの老爺の住居をアテにしていたりする。
位置的にも、ちょうどいい場所にあるからだ。
あの時の老爺のあの様子から、さすがに無下にはされないだろうという判断だ。
まあ、ダメならダメで、あの老爺の住居近くで休むだけなのだが。
蜘蛛魔獣はあの老爺を恐れているようなので、あの付近一帯はある意味安全地帯ともいえるだろう。
「レングルブ、お前でもあの老爺は苦手なのか?」
「そりゃあねぇ。力ある魔人は厄介だからねぇ。当時数いた魔人の中でも、あのジジイは別格さ。俗世が嫌になったから世話になるって挨拶に来た日には、絶望したもんさ。マジか、このジジイってねぇ」
「わざわざ挨拶に来たのか? てっきり命令ひとつなのかと。魔人と魔物ってのは、主従関係じゃないのか?」
「それは違う。ヒトを依代としたのが魔人であり、直接的な戦闘員。ヒト以外を依代にしたのが魔物であり、魔獣を生み出す生物拠点ってわけさ。まあ共に魔神に造られた存在だから、同胞ってわけさ」
「なるほど、そういう関係性なのか」
さすが魔物本人ということはあり、知らなかった魔人と魔物の関係性を聞かされた私は、素直に驚く。
「じゃあ温厚そうに見えたあの老爺は、ヤバい部類に入る魔人ってことなのか?」
「温厚ねぇ……それが逆に怖いってことさ。柔和な笑みで大量虐殺なんて茶飯事さ。だから言っておくよ、クレアナード。あのジジイを絶対に怒らせたらダメだ。それこそ、一瞬で皆殺しにされちまうよ。われを含めて、ね」
「そうなのか……まあ、失礼なことをするつもりはないんだけどな」
魔物のレングルブがここまで真剣に注意してくるのだから、私としても肝に銘じなければならないだろう。
と、先方を務めるレアンとザオームから声が聞こえてきた。
「ちっ。また”誰か”に先を越されてるみてぇだな」
「斬撃の跡……一撃で仕留めている手腕から、かなりの手練れでしょうねぇ」
前方に転がっている”すでに倒されている魔獣の遺骸”を観察するふたりは、それぞれの反応を示す。
「も、もしかして王女様たちが仰られてた、奇妙な老人の仕業では……?」
「んー……あのおじいちゃんなら、遺骸を放置なんてしないと思うよ。持って帰って、全部食べるはずだから」
「た、食べる……”これ”を……ぅえ……」
腰に手を当てての王女の返答を受けて、侍女が口を押えて顔を引きつらせた。
そんな一方では、ダミアンが1体の蜘蛛魔獣の遺骸を確認しており。
「クレアナード様、この遺骸からは価値のある部位が回収されてないみたいです」
「なに、どういうことだ……?」
彼の指摘に、私は眉根を寄せる。
「あの老爺の仕業でない以上、冒険者かとも思ったが……」
冒険者ならば、倒した魔獣の価値ある部位は回収するはずなのだ。
換金することで貴重な収入源となるのだから。
「換金価値のある部位に無頓着ということは、高難易度ダンジョンに無欲で挑んでいる、ということでしょうか? 酔狂な方もいるようですね」
「酔狂……か。腕試しのつもり、ということなのか……?」
「まるでクレア様のような酔狂ぶりですね。頭が下がる思いです」
「……アテナ。何かにつけて私を貶めるのは相変わらずだな」
「それほどでも」
「褒めてない。というか”頭が下がる”の使い方が間違ってないか?」
「おや、そうなのですか? 私もまだまだ無知ですね」
「もしかして、私が間違いに気づくかどうかも試したのか?」
「さて。何のことでしょう」
「お前ってやつは……」
演技なのか素なのか、小首を傾げるアテナに、私は嘆息ひとつだった。
※ ※ ※
攻略は順調だった。
地下10階層に拠点を築いた意味がないほどに……
とはいえ”万全の準備”とはそういうものなので、まったくの無意味というわけではないのだが。
絶対に失敗をしない為に、あらゆる事態に備えて準備をするということであり。
安心できる戻れる拠点があるという安心感が得られるのは、危険を伴う迷宮攻略においては大事な要素といえるのである。
だからこそ私たちは、安心して攻略に専念できていた。
そして私たちは、幾度もの蜘蛛との戦闘を経て、目的の場所へと到着する──
「おおぉ! お主らぁか。久しぶりだぁな!」
独特な喋り方で出迎えてくれたのは、宙に浮遊している老爺──隠居している魔人ヤーバヤーゴだった。
地下ダンジョンにも拘わらず、自然に溢れているこの空間はある意味では不気味というか異質すぎるのだが、この空間の主に受け入れられた以上は、とても在り難い安心できる休息ポイントである。
「せっかくこんな場所まで来たんだぁ、鍋料理でも馳走してやろうじゃぁないか」
「な、鍋って……おじいちゃん、材料は?」
怯えた顔になるプリメラの質問を受けた老爺は、無造作に置かれている”食材”を当たり前のように指さした。
「ここは食材が豊富だからなぁ」
「っ……そ、そうなんだ……」
「……ごくり」
快く受け入れてもらった以上、この空間の主の好意を無下にするわけにもいかず、プリメラが引きつった笑みを浮かべ、侍女は青ざめた顔で生唾を飲む。
他の面々も同じ様子だったが(さすがにレアンも顔が引きつっており)、老爺は気にする素振りはまったくなく、邪気のない瞳をレングルブへと向けた。
「お主の眷属は何度食べても飽きないなぁ。だからこそ、いまのお主の”味”も知りたくなってくるんだがぁね?」
「──っ──」
「ふぉっふぉっふぉ! 冗談だぁよ! 怖い顔するなぁや! さすがにおれだって、喋れる相手を食べようとは思わんからぁな」
「……相変わらず、喰えない爺さんだねぇ」
「ふぉっふぉっふぉ!」
普通に接しているこの反応から、どうやらレングルブ本体がこの場にいる事自体はすでに知っていたらしい。
「料理が出来るには時間がかかるしなぁ、お主らはそこら辺で適当に寛いでいてくれやぁ。好きに使ってくれて構わんからぁよ」
蜘蛛の残骸へと向かおうとする老爺のもとへと、アテナが静かに移動した。
「ヤーバヤーゴ様」
「ん? なんだぁい? 精霊の嬢ちゃん」
「僭越ながら、私も料理に関してはそれなりの知識と技術がございます。宜しければ、微力な身なれど、お手伝いをさせて頂きたく存じます」
「ほうほう? お主も料理が出来るのかぁ。そりゃあいい! ぜひとも手伝ってくれやぁ。おれのは独学だからなぁ、ちゃんとした料理の知識は興味があるねぇ」
アテナが老爺の料理に介入することがわかった途端、老爺とアテナ以外の者が安堵の息を漏らしたのは言うまでもないだろう。
蜘蛛料理とはいえ、アテナの手が加わることは、安心材料だからだ。
「おっし! んじゃ、手伝い頼むなぁ」
「はい。誠心誠意、足を引っ張らないよう心がけます」
「おれの方が足を引っ張りそうだけどなぁ」
「ご冗談を」
「ふぉっふぉっふぉ! 他人と料理なんて初めてだからなぁ。愉しみだぁねぇ」
蜘蛛の残骸を手に、ふたりが料理場へと向かっていく。
といっても老爺の能力なのか、材料もが空中に浮かんでいたのだが。
その際にアテナが、後ろ手に「任せておけ」とばかりに親指を立ててくる姿が、なんとも頼もしかった。
(アテナ……グッジョブ!)
内心で親指を立てる私。
さすがに珍味のカニ味とはいえ、あのグロテスクな見た目は頂けなかった。
しかも断れない状況となると……
本当に優秀な精霊メイドに、心の底から感謝である。
「……ヤベぇな、あの爺さん」
老爺の背を見送るレアンは、額の汗を拭う。
「”獣化”しても、まるで勝てる気がしねぇぜ」
「キシシ。野生の勘という奴ですか?」
「ザオーム、アンタは何も感じねぇのかよ?」
「以前に一度会っていますからねぇ。ですから、あの老体はこういう方なんだと把握していますので」
「ちっ。こちとら初見だっての。心の準備くらいさせろっての。ってかダミアンだってビビりまくってんだ。オレがこういう反応したって仕方ねぇっての」
「えっ、い、いや、俺は別に……」
「キシシ! 隠しても無駄ですよ。足が笑ってますよ?」
「あ、これは、その……」
そんなやり取りを交わす一方では。
「……ふう……」
「レングルブ、本当に老爺のことが苦手なんだな」
レングルブの背に乗っているので彼女の機微が伝わってくる私は、深い溜め息を吐く彼女に苦笑した。
「本来のわれだったなら、ここまで怯えることはなかったけどねぇ」
”怯える”発言に触れるほど無神経でもないので、私はその発言はスルーする。
「──ね、ねえみんな! とりあえずさ、あっちの滝のほうに行こうよ! 気持ちがスッキリしそうだし!」
プリメラが指したのは、浮遊する水の塊から無限に流れ落ちる水が溜まる池。
彼女が言う通り、その清涼感からスッキリすることは確かだろう。
そういうわけで、私たちはその池へと向かうのだが……
「あ!?」
驚いた声を上げたのは、率先して池に向かったプリメラ。
「ご、ご先祖様!?」
池で水浴びでもしていたのだろうか。
全身が濡れている骸骨──初代王のバムクルが、無造作に姿を現したのである。
「な、なんで生きてるの……!?」
プリメラが驚くのも無理はなかった。
かくいう私も、驚きを禁じれなかったのだから。
ドワーフ国の建国者である初代王バムクル。
かつて、魔人ネミルと共に地下迷宮『レングルブ』に挑み、その命と引き換えに迷宮を封印した立役者。
そして前回の攻略の折、黒の魔人──黒の宣教師によって強制的に蘇らされ、私たち攻略者の妨害をさせられた、悲しき操り人形。
黒の宣教師がネミルに討たれたことで、てっきり昇天しているものとばかり思っていたのだが……
『ん? おお! お前さんたちか! 久しぶりだな?』
私達の驚きをよそに、骸骨──バムクルは気楽に片手を挙げてくるのだった。
※ ※ ※
※ ※ ※
「くそッ!」
悪態をつくは、顔に焦慮を浮かべる少年。
『ギィイイイイイイィイイイイイイィイイイイ…………』
そんな彼に対峙するは、迷宮最深部にて下半部を床と同化させている巨大蜘蛛。
「こんなはずじゃなかったのに……っ」
口から吐き出される溶解液をどうにか回避したものの、すでに少年は満身創痍だった。この巨大蜘蛛との攻防により、ダメージを負いすぎていたのだ。
少年の名は、ナオト・タカギ。”異界からの召喚勇者”だった。
ある日突然、目が覚めると目の前に自称女神が立っており、貴方は”救世主”だと言われ、傾きつつある世界を助けてほしいと懇願されたのである。
いわゆる、”異世界転生もの”である。
まさか自分の身に起きるとは思っていなかったが、そういう世界観に興味があった彼は、快く勇者として使命を受けることに決めていた。
女神からの使命は、とにかく強くなること。
そしていつかは立ちふさがるであろう”強敵”を打ち倒すこと。
まさにゲーム展開といえるだろう。
しかも、チート能力と思えるような不思議な力まで付与されたのだから、社会経験が疎い未成年に調子に乗るなというほうが無理だった。
ナオトはチート能力を使い、戦って戦って、戦いまくった。
もっと強くなろうと、高難易度ダンジョンに挑むことにしたのだが……
チートすぎる能力を手にしたと思っていたのだが……もしかすると、勘違いだった可能性が浮上してしまう。
世界情勢など関係なく、無敵すぎる自分に調子に乗って、蜘蛛が出現するダンジョン攻略に乗り出したはいいが……
最深部まで単身で乗り込んだはいいが、いま、追い詰められていたからだ。
最深部にて遭遇した巨大な蜘蛛。
このダンジョンのボスなんだろう。
こちらを見ているようで、どこも見ていない濁った複数の目。
意志が感じられず、無機質な印象を受ける咆哮。
”勇者”である自分を圧倒してくる存在……”敵”。
(女神様……俺は、救世主じゃなかったのか……!?)
誰よりも強くなれというから、ひたすらに鍛えてきたのに……
このダンジョンに挑戦してから、その女神から引き返すよう何度も忠告が来ていたが、リスクを承知で危険に挑まないと強くはなれないと自分を鼓舞して、女神からの忠告を跳ね除けていたのだが……
(なんだよこれ……俺って異世界ファンタジーの主人公じゃないのかよ……)
巨大蜘蛛の一撃が、疲労困憊から動きの鈍っていた召喚勇者に直撃する。
「ぎゃあああああああああああっっ」
鮮血が吹き上がり、吹き飛ばされた異界勇者が床を転がった。
──これは、もう駄目だった。
彼はもはや立ち上がる体力も気力もなくなっており、力なく天井を見上げた。
自分の体からはドクドクと血液が流れていき、血の池をつくっていく。
不思議と痛みはなかった。
アドレナリンで痛覚がなくなっているのか、あるいは死を目前としているから痛みすら認識しなくなったのか。
どちらにしても、ナオトはもはや助からない状態だった。
(ああ……おれ、死ぬんだな……)
理不尽といえば理不尽であり。
自業自得といえば自業自得であり。
いずれにしても、あまりにも不遇な死だった。
直面する死が怖いと思う頭の片隅で、場違いにも彼の脳裏にはひとりの女性が思い浮かんでいた。
いつだったか、エルフ国の街で一瞬だけすれ違った魔族の女性。
氷のような美貌でいて、鋭くも澄んだ瞳……
腰まで届く艶のある長い髪が煽情的であり……
思わず、心を奪われてしまったものである……
(こんなことなら、あの時に声をかけておけば良かったな……)
まだ高校生であり、ナンパなどしたこともなかった彼は、声をかけることすら怖気ついてしまったのだ。
氷の美貌を誇る彼女が、高嶺の花のようだったこともあるのだが……
要は、綺麗な女優に憧れてファンになってしまったが、だからといって直接声をかけられるかといえばそうではない、ということである。
(せめて、名前だけでも知りたかった……)
彼の意識は、そこでブラックアウトする。
もはや、二度と目覚めることはなかった。
※ ※ ※
「はあ~……」
召喚勇者のひとりが息絶えたのを確認した女神は、嘆息を零した。
神々の黄昏を生き残った神──力が弱かったので戦争に参加できず、大地の糧となることすら出来なかった女神は、思い通りにならない現状に嘆いていた。
あの戦いを生き残った者たちは、何人もいる。
現世において神族こそ自分だけだと認識しているが、魔人や魔物のみならず、聖神の手足となっていた純前たる勇者も。
しかし残念なことに、女神と現存する彼ら勇者との繋がりはなかった。
他の神のしもべであることもそうだが、女神──彼女は新米ゆえに、彼ら勇者に相手にしてもらえなかったのだ。
それゆえ、長い歴史を生きた故に暴走する勇者たちを見守ることしかできず……
緩やかに崩壊していく現状を打破しようと、女神は異界から”制御できる自分に従順な勇者”を召喚することにした。
これまで何人もの勇者を強制的に召喚してきたが、まともに戦力となる異界勇者は、残念ながらひとりとしていなかった。
これは単純に、女神の力が足りていないからである。
長生き=実績ではない以上、実戦経験のない女神は、新米の域を出ないのだ。
「はあ……せっかく救われた現世が、あの戦いの生き残りに良い様にされてるのに、何にもできないなんて……」
異界勇者はそのどれもが使い物にならなかった。
生き残っている異界勇者も少なからずいるが、いまはまだ自分と同じく新米の域を出ない者ばかり。
そんな中で有力視されていた異界勇者すらもが、いまさっき、蜘蛛型の魔物によって殺されてしまった。
「なんで無謀な挑戦したのかなー……もっと堅実に安全なダンジョンで経験を摘めばいいのに」
再三の忠告をしたというのに。
勇敢と無謀は違うのだ。
それを勘違いしてしまったせいで、せっかくの有力株はあえなく戦死。
「このままだと、せっかく先輩方がその身を賭して再生させたこの世界が、内部から喰われてく……だから生き残った唯一神である私が、なんとかしないと」
暴走してしまった純勇者たち。
暗躍する純魔人たち。
新米女神の懸念材料は尽きない。
「また神力が回復したら、異界から新しい勇者を召喚しないと……」
人知れず異界から犠牲者を召喚する女神は、知らなかった。
とある女魔族のことを。
世界の流れが、彼女を中心に変わり始めていることを……
異世界召喚……主人公級の少年少女たちは人知れず命を落としていたようです。




