第10話 「魔王様、地下迷宮攻略中。後半戦③」
前話のあらすじ:道を間違えている可能性に気付きました。
「……疲れた」
通路を進んでいると、ふいに歩みを止めたプリメラがぽつりと呟いてきた。
「あ゛~~~~~~!!!」
突然の絶叫。
そしてその場に倒れ込むや、子供のように手足をジタバタさせてくる。
「こんなジメジメしたところもうヤ゛ダあああああああああ! 美味しいご飯が食べたいよおおおおおお! 太陽が見たい! 風を感じたい! お風呂に入りたい! 早く外に出たいよおおおおおおおおおおお!!!!!」
「ちょ、おい……気持ちはわかるが……」
プリメラは王女であって冒険者ではないので、こういった極限状況でのダンジョン攻略に、ついに根負けしてしまったのだろう。
(そういえば、あいつもこんな感じになっていたっけな)
思い出されるは、世界樹攻略。
その時に同行したドーエンスだ。
あの時は、まだしも外の景色を視ることが出来たので気持ちも紛れたのだろうが、ここは地下深くのためにそんなことが出来るはずもなく。
むしろ冒険初心者の彼女が、よくここまで耐えられたと言うべきかもしれない。
なので、いくら改心したとはいえ、無理らしからぬ事と言えたのである。
とはいえ、こんなに騒がれると魔獣が寄ってきてしまうリスクもあるわけで。
「少し落ち着け──」
私が口を開こうとする前に、やれやれとばかりな態度でザオームが先に口を開いてきた。
「プリメラ」
名前を呼ばれた瞬間、王女がピクンっと震える。
そして恐る恐るといった様子で、そーっとザオームを見上げた。
「あ、あの、お姉サマ……」
「仕方ありませんねぇ。気分転換といきましょう」
通路を塞ぐ形となってしまうものの、その場にキノコテントが造られる。
「あ……! お姉サマもしかして……っ」
がばっと起きたプリメラの双眸は期待に輝き、頬が紅潮。
いつもの不気味な笑みを見せてきたザオームは頷くと、私へと目を向けてきた。
「クレア氏。しばし時間を下さい。今のこの子には、気分転換が必要なので」
「……まあ、そうだな。任せるよ」
意外と面倒見が良いザオームの一面に、私は多少驚いてしまう。
「キシシ。クレア氏も如何です? プリメラに限らず、貴女にも気分転換は必要だと思いますよ?」
「……いや、私は遠慮しておく」
「キシシ! そうですか。まあ無理強いはしませんがねぇ。では、また後程……」
ウキウキした様子の王女を連れて、ザオームはテントの中へと入っていった。
その場にひとりとなった私は、壁に背を預けて座り込む。
「………………」
やることもないので、何と気なしに道具袋から”あるもの”を取り出した。
見慣れた小さな小瓶……アテナ印のドーピング剤である。
ダンジョンでは何が起きるかわからないので、保険として事前に1本だけ、渡されていたものだ。
(私の切り札……だな)
この1本しかないので、ここぞという時にしか使うわけにはいかないだろう。
しばし小瓶を眺めてから道具袋に戻し、次に私がすることは、魔道具の確認。
(んー……こっちはチャージされてるが、こっちはまだか……)
物理障壁を生み出す腕輪は魔力のチャージが完了していたが、身体強化をするペンダントの方は、残念ながらまだ完了はしていなかった。
魔力を蓄積する指輪はまだ使用していないので問題なく、魔法障壁を張る髪飾りもまた同様である。
(今回は魔法障壁を使う機会はないだろうが……指輪の方は、出来るだけ温存したほうがいいかもしれないな)
対骸骨戦用の切り札として。
まあ、火炎竜を召喚するのも、場所次第ではあるが。
プリメラが使った極大魔法に比べれば威力は落ちるので、今回のような事態を二度も踏むことはないだろう。
一通り自身の状態を確認し終えると、私は溜め息を吐くと壁に寄りかかった。
(遭遇する魔獣は、まだ上級ばかり。中級が出て来ない以上は、まだずっと下のほうにいるってことか)
本当に、どれだけ流されてしまったのだろうか。
冒険初心者のプリメラではないが、さすがに私もげんなりしてきてしまう。
(ここまで苛酷な状況になるなんて、想定してなかったんだがなぁ……)
多少のリスクはあれども、気分はお祭りに参加するといった軽いものだった。
それなのに……この有様である。
見通しが甘かった。
まさに、その一言に尽きるだろう。
ダンジョンでは何が起こるかわからない。
決して油断はしていなかったつもりなのだが……
運命の悪戯──運命を司る神がいるならば、よほど私のことが嫌いなのだろう。
「……はあ」
現状に嘆いた溜め息を吐いていると、キノコテントからふたりが出てきた。
例によって彼女たちは恍惚の表情を浮かべており。
「えへへ……えへ、えへへ……」
ザオームはいつも通りの様子だったが、プリメラのほうは焦点があっておらず、涎すら流れたままだった。
この様相は、まるでヤバい薬をキメタ後のようである。
「ちょ、おいおい……大丈夫なのか?」
「キシシ……お子様のプリメラには、少しハードだったかもしれませんねぇ」
「ハードって……プリメラに何をしたん──いや、別に言わなくてもいいが」
完全にラリっている王女は、虚空を見つめては何やら独り事を。
少しだけ耳を傾けてみると、言葉に表現するには過激な内容だった。
思わず私は、顔が引きつってしまう。
「ザオーム。気分転換といったが、人格崩壊とは聞いていないぞ」
「キシシ! ハード過ぎて意識が混濁しているだけでしょう。時間が経てば元に戻りますよ」
「……まあ、これでプリメラ王女の鬱が発散できるのならば、私としては何も言う気はないが」
「クレア氏も、気分転換がしたくなったらいつでも言ってください。私としても、クレア氏がどのような痴態を晒すのか興味があります。キシシ……」
「……痴態とか言われたら、絶対に遠慮するぞ」
「クレア氏もそういうことは気にするのですねぇ。私としたことが失言でしたねぇ。キシシ……」
男たちに裸体を視られても何とも思わないが。
だからといって私には羞恥心がない、というわけではないのである。
その後しばらくその場で休憩をとっているとプリメラが正気に戻ったので、私たちは上層へと向けて歩みを再開するのだった。
※ ※ ※
『ギイイイィイイイイイ!』
T字路となっている片方の通路から、複数の上級蜘蛛たちが疾駆してきた。
身構える私たちだったが……
「なにっ?」
思わず声を漏らすは私。
なんとその蜘蛛たちは、私たちの事なんて眼中にないとばかりに、そのまま別の通路へと走り去っていったからだ。
「なにいまの?」
「キシシ。まるで”何か”から逃げているようでしたねぇ」
プリメラが頭に疑問符を浮かべ、ザオームが笑みながら指摘してくる。
どうやら、その指摘は的を得ていたようで……
「またんかこりゃああああああああ!」
だみ声の怒声と共に、私たちの前に姿を見せる”もの”がいた。
宙を浮遊する、人族の老爺である。
彼は私たちに気が付くと蜘蛛の追跡を辞めたようで、私たちの前にふわりと降り立つや、胡乱げな顔を向けてきた。
「なんじゃお主らは? こんな下層に」
「人族……か」
「あぁ~そう身構えるな。いまのおれにゃぁ、種族なんて知ったことっちゃぁないんでなぁ」
警戒心を滲ませた私にそう答えた老爺は、面白そうに私たちを見回す。
その視線が不快だったようで、プリメラが「キモっ」と顔をしかめ、ザオームが「キシシ」と反応。
老爺は彼女たちの態度などまるで意に介していないようで、あっけらかんとした口調で問うて来た。
「魔族ふたりにドワーフひとり。しかもみんなぁオナゴときた。どういうわけじゃいな? ピクニックというわけでもあるまいて」
「……私たちは冒険者だ。とある事情で、いまここに居る。失礼だが……貴方の方こそ、こんな場所で何を? 翁よ、貴方も……冒険者なのか?」
だとすると、ようやく出会えた私たち以外の冒険者。
この老爺ならば、ここが何階層なのかも把握していることだろう。
とはいえ……私は警戒心を解いてはいなかった。
なぜならば、怪しすぎたからである。
宙を浮いていたことからも、只者ではないだろう。
しかも状況的に、上級種の蜘蛛たちがこの老爺から逃げていたのだから。
「おれは冒険者じゃぁない。世捨て人さ」
「世捨て人……?」
「現世に嫌気が差してなぁ」
「……不便じゃないのか、こんなところじゃ」
「寝て。起きて。狩りをして。食事をする。この何気ない繰り返しの日常に、おれは満足してるから不便は感じねぇなぁ」
「ちょっと待って!」
会話に割って入ってきたのはプリメラ。
「いま狩りって言ったけどさ、まさかとは思うけど……」
「ん? 何を不思議がってる? 蜘蛛に決まっとるじゃろ」
「え゛ーーーーーーー!? マジで言ってるの!?! 蜘蛛を食べるとか……ありえないんだけど!!!」
プリメラの反応は至極まともである。
私とて同感だったのだから。
ザオームは楽し気に低く笑うだけであり、私たちの反応が面白かったのか、老爺もしわくちゃの顔で陽気に笑って来た。
「ふぉっふぉっふぉ! 喰わず嫌いは感心せんなぁ」
「そういう問題じゃないってば!」
絶叫するプリメラ。
私はこほんと咳払いしてから。
「時に翁。聞きたいことが──」
「まあ待ち成され、嬢ちゃんたち」
私の言葉は遮られてしまう。
「ここではなんだ。おれの住処に案内しよう。そこで少し休んでいくといい」
「住処……こんな場所に、か?」
「何を驚くことがある? 世捨て人といっても、住処くらいは構えているぞ?」
「いや、そういう意味じゃなく……」
こんな地下迷宮の下層で、という意味だったのだが。
取り合わない老爺が浮遊するや、来た道を引き返していく。
どうしたものかと顔を見合わせる私達に、振り返った老爺が声を飛ばしてきた。
「何をしている? 置いてくぞぃ?」
「……どうするのさ?」
「キシシ……なかなか興味深くはありますねぇ」
「まあ……何でもいいから情報はほしいところだしな」
こうして私たちは、警戒しながらも謎の老爺の住処へと向かうことに。
その間、上級魔獣と遭遇することは一度もなく。
まるで魔獣たちが、その老爺を避けているかのようだった。
※ ※ ※
「……これは、すごいな……」
「ふわぁ……」
「キシシ……」
三者三様の反応を見せる私たち。
老爺に案内された彼の住処は……とにかくすごかった。
行き止まりの部屋を住処としていたようなのだが、ここが地下迷宮の奥深くだとは、とても思えない作りだったのである。
草木が生い茂って自然に溢れており。
天井には太陽を思わせるような光球が煌々と温かい光を降り注いでおり。
水の塊が浮遊していてそこから無限に流れる滝が綺麗な池を形成しており。
部屋の一角には畑すらあって野菜や果物が栽培されており。
ペンキ等で色をつけたのか天井には青空が広がっているので圧迫感もなく。
布製のテントがあるのはそこで寝ているからなのだろうが、その隣には立派な炊事場があり、あまつさえ、牧場まであって数頭の牛や羊さえ姿があったりする。
この部屋だけで、自給自足が成りたっていたのである。
確かにこの環境ならば、こんな地下迷宮の奥深くだろうとも、不便のない生活が出来ることだろう。
蜘蛛の残骸が焚き火に利用されていることから、恐らく主食は……
住処についたところで、改めて互いに自己紹介。
老爺の名は、ヤーバヤーゴと言うらしい。
どこかで聞いたことがあったような気がするのだが……もとより記憶力が低い私では思い出すことは出来ず、ふたりもこれといった反応はしていないので私の勘違いなのかもしれないと判断して、この件はスルーすることに。
「こんな場所にこれだけのものを揃えるなど……大変だったんじゃないのか? しかも見た所、生活用品も揃ってる……失礼ながら、世捨て人が揃えられるもんじゃないと思うんだが……」
「なに、簡単なぁ話だ。魔獣の部位を、近くの街で換金したぁだけよ」
「世捨て人なんじゃ……」
「引きこもりってわけじゃあないんだ。必要性があれば、普通に街にでるさ」
何気ない事のように言ってくる老爺なれど、私はいまいち納得が出来なかった。
「しかしだ。魔獣の部位換金は、冒険者カードがないと出来ないはずだ」
「言ったぁろ? 簡単な話だと」
懐から取り出したのは、冒険者カードだった。
「便宜上は、おれも冒険者ということになるなぁ」
「……なるほど」
こんな老齢な冒険者など初めて見るのだが……先ほど上級魔獣を追い立てていた姿を思い出すと、まだまだ現役ということなのだろう。
「差し支えなければ、見せてもらってもいいだろうか?」
「かまわんよ」
渡されたカードを見て、私は愕然としてしまう。
「Sランクだと……!」
「驚きましたねぇ」
「嘘でしょ……!?」
私だけじゃなく、ザオームやプリメラも驚きを表現していたりする。
そんな私たちを前に、老爺は「ふぉっふぉっふぉ」と陽気に笑って来た。
「こんな生活をずっと繰り返してたら、いつの間にかなぁ」
「……世捨て人と言っていたが、どうしてこんな場所で……」
わざわざ魔獣溢れるダンジョンに居を構える理由がわからなかったのだが、老爺はこともなげに言ってくる。
「ここでは、喰うには困らんからなぁ。知ってるかぁ? 蜘蛛型魔獣の肉は、カニの味にそっくりだぁと」
「カニ……だと?」
「外骨格は固くて食えたもんじゃぁないが、それはカニも同じだしなぁ」
「ワタシもカニは好きだけど……でも、さすがに蜘蛛だしぃ……」
「ふぉっふぉっふぉ。それこそ、食わず嫌いだぁな」
焚き火にくべていた蜘蛛の脚を取るや、手慣れた動作で骨格をむくと、中から湯気が立つ白身が。
「ほれ。一度騙されたぁと思って、食ってみい」
「あう……ワタシは、ちょっと……」
「キシシ……私にはギーノくんがいるので、食べる必要性がないですねぇ」
王女が顔を引きつらせ、ザオームすらもが引き気味である。
とはいえ、善意を無下にするわけにもいかないだろう。
「……私が頂こう」
年長者として私は、決意して蜘蛛の脚を受け取ると、恐る恐るひとかじり……
「これは……」
口の中に広がるは、驚くことにカニ風味。
眼を閉じて食べたならば、カニと誤認してしまうかもしれないほどに、味は確かなものだった。
「どうだぁ? 騙されて良かっただろ?」
「……できれば、中身だけを先に取り出していて、皿に乗せていてくれたら最高なんだがな」
「ふぉっふぉっふぉ! 最近の若いもんは贅沢だぁな! そうそう、直接火であぶると香ばしさが増すぞい」
「そうなのか? ……確かに。香ばしくなったな」
「食べ終わった殻は焚き火の中に入れとくれ。燃えやすいから焚き木として最後まで使えるからなぁ」
ふたりが引き気味で私を見守る中、とりあえず義理を果たしてカニ風味の肉を食べた後、言われた通りに焚き火へと放り込んでから、私はようやく本題へと。
「ヤーバヤーゴ殿。ここは何層なんだろうか?」
「何層、かぁ……うーん……確か、16階層くらいだったぁはず。そんな気にしてないから、断言はできんがぁな」
「16階層……か」
共通部屋が10階層だったので、ずいぶんと流れ落ちてしまったものである。
6階層も濁流に翻弄されたのだから、ダメージを負っていたドワーフたちが助からないはずである。
私としても、ドワーフ程の頑強さはないのだから、事前の戦闘で身体強化の魔道具を使っていなければ、危なかったというわけだ。
ザオームはキノコが身を挺して守っていたようだし、プリメラに関しては直接的なダメージを受けてはいなかったので、種族特有の頑丈さで助かったのだろう。
「ちなみになんだが、この地下迷宮の最下層は何階か知っているか?」
「知らんなぁ。興味ない」
返答は、にべもなかった。
少し面食らいつつも、この機会を利用して、気になっていたこともついでに聞くことにした。
「じゃあ……どうしてこんな下層に居を? 蜘蛛を食料にするとしても、別に上層でもいいんじゃないのか?」
「下級、中級と食ってきたが、上級種が一番うまかったからだぁな。この階層は上級種しかおらんから、狩場としては適してるってことよ。まあ、ロード種もうまいんじゃが、なかなか遭遇せんでなぁ」
世間話のような語り口なれど、衝撃の事実が含まれていたことに私だけじゃなくザオームすらが顔を引きつらせる。
「ロード種すら……食うのか」
「キシシ……もはや人智を越えていますねぇ」
そんな反応をする私たちとは違い、まるでいいことを思いついたような顔で王女が声を上げてきた。
「ねえ、おじいちゃん! ロードも食べるってことはさ、ロードよりも強いってことだよね! ワタシたちを手伝って!!」
目をキラキラさせるプリメラに、しかし老爺はたった一言。
「断る」
「え……どーしてっ? あ、そっか! お金ね! お金なら──」
「プリメラ。反省したんじゃなかったのですか?」
「あ……っと。でも、さ。じゃあ、なんで断るなんて……」
「ヤーバヤーゴ殿。差し支えなければ、断った理由を教えてほしいんだが……」
私が問うと、老爺は小さく肩をすくめてきた。
「おれはぁ世捨て人。便利人と勘違いせんでくれ」
「……なるほど、な」
「金にも興味ないしなぁ」
「でも! だったらなんで、ワタシたちをお家に招待したのさ!?」
「あぁ……それで変に勘違いさせちまったんだぁねぇ。そりゃあ悪い事をしたね。単に、こんな場所で久しぶりに人間と会ったもんだから、ちょっとだけ話をしたくなっちまったってだけさぁね」
「そういうことだったのか」
納得する私とは違い、王女は老爺の想いを聞いても尚、納得できない様子。
「でもそんなに強いんだったらさ! 少しくらい協力してくれたって……っ」
「プリメラ王女、よすんだ。ヒトにはそれぞれ事情があるんだからな」
「でも……!」
「プリメラ。引き際は見極めてください」
「あうぅ……」
私とザオームに言われたプリメラは、残念そうに肩を落としていたのだった。
その後、老爺の居を後にする私たちは、老爺が簡単に書いてくれた地図を頼りに上層へと。
(……若いの、か)
通路を歩きながら私は、別れ際に、老爺から言われたことを思い出していた。
──最近、若けぇのが悪さしとるようだから気ぃつけや。”おれ”にちょっかいかけるような馬鹿じゃぁないがよ、お前さんらにとっては脅威だろうしなぁ──
その発言が意味するところは、ひとつしかないだろう。
ネミルの”元彼”発言もあることから、同一人物の可能性が高く。
この迷宮には、あの老爺とは違う別の魔人がまだいるということなのだろう。
(魔人との戦闘だけは避けたいところだな)
あの骸骨でさえ手に余っているというのに、骸骨よりもさらに強いだろう魔人となんて、会いたいはずもない。
ネミルが元彼と表現する魔人がどんな人物なのかは気になるが……
命を天秤にかけてまで、というわけでもないのである。
「……それにしても、見ずらい地図だな」
贅沢を言える立場じゃないのだが……子供の落書きすら、もっとまともだろうと思ってしまう。
「キシシ……クレア氏。貴女の見解を聞きたいのですがねぇ」
「見解?」
「あの老人は、人間ではないと思うのですが」
唐突な発言に、私ではなくプリメラが驚きで目を見開いた。
「嘘!? じゃあなんなの……っ?」
ふたりの視線が注がれる中、私は確信をもってひとつ頷く。
「”魔人”の可能性が高いな」
やはり、とザオームが納得する反面、王女はぽかんと小首を傾げるのみ。
「浮遊魔法を使える者は、私が知る限りは現代にはいない。魔人であるネミル殿を除いてはな」
ということを踏まえると、というわけである。
「キシシ! ならば上級魔獣も逃げ出すわけですねぇ」
「魔人って……信じられないんだけど……」
納得するザオームとは違い、ネミルの存在を知らないプリメラは”頭大丈夫?”といった感じで私を見てくる。
はっきりと言葉に出さないあたりは、改心した影響なのだろう。
「下手な事をして敵に回られると厄介だしな。現状では、あまり関わらない方がいいだろう」
「同感です。いまの私たちじゃ勝ち目はないでしょうからねぇ。触らぬ神に祟りなし。くわばらくわばら。キシシ……」
「マジで……? あのジーさん、そんなにヤバい奴だったんだ……」
私よりもザオームの言葉を受けたプリメラが、驚愕に身体を震わせるのだった。
※ ※ ※
※ ※ ※
地図を頼りに上層へと向かう最中、運悪くとでもいうべきか、複数の上級蜘蛛と遭遇してしまい、そのまま交戦状態となっていた。
陣形はこれまで通り。
前衛がザオームであり、中衛がクレアナード。
そして比較的安全である後衛が、プリメラである。
ザオームが敵の大半を引きつけ、うち漏れた敵をクレアナードが確実に。
プリメラは状況に合わせて、速度重視の攻撃魔法でフォロー。
(んー……弱体化の影響、かぁ……)
光弾で蜘蛛の脚を撃ち抜きながら、プリメラはクレアナードを観察していた。
これまでの道中でも思っていたのだが、こうして改めてじっくり観察してみると、つくづく思わされてしまうというものだった。
表敬訪問時に感じた、あの圧倒的感が、絶対的感が、いまの彼女からはまるで感じられないのである。
弱体化しているのだから当然なのかもしれないが……
下手をしたら、普通に肉弾戦でも、そんなに得意じゃない自分ですらが今の彼女にならば勝ててしまうんじゃないかとすら……
まあそれでも、やはり元最強魔王の肩書きは伊達じゃないようで、そこらへんにいる並みの冒険者や配下のドワーフよりかはぜんぜん強いのだが……それでもやはり、力不足感を感じてしまうのは仕方がないだろう。
(あーあ。やっぱ、あのジーさんが協力してくれたらなぁ)
魔人とかいう、にわかには信じられない存在らしいが……
ザオームすらがその存在を当たり前のように言っている以上は、信じがたいが事実なのだろう。
王女という立場から、歴史についてもそれなりの勉強をしているので、いかに”魔人”が脅威の存在かということは、言われなくても理解は出来ていた。
だからこそ。
協力してくれれば簡単に最下層まで行って《神の槌》を持ち帰ることだって……
(お金に興味ないんじゃ、どうしようもないもんね……)
世捨て人ということは、地位や名誉にも興味はないだろう。
(ってか。なんで世捨て人になったんだろ? 魔人ってすんごい存在なのに)
上級種どころかロード種すら喰らう空飛ぶジジイ。
あまりにも謎が多過ぎた。
(──ん? あれ? そういえば……ヤーゴヤーゴ? ヤーダヤーダ? なんだっけ……なんかそんなような名前が歴史書で見たことあったような気が……)
思い出せないのは、それほどメジャーな活躍をしていないからなのか。
あるいは、単純に彼女の勉強不足か。
(まあいいや。思い出せないってことは、その程度ってことだろうし。いまはそんなことよりも、早くみんなと合流しないとね!)
思考を早々に切り替えて、戦闘へと意識を集中するのだった。
後者の可能性が高いです。




