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八十九話 『嵐ノ後で』 一五六十年・吉乃



 能面の女が立ち去った後の店の中で。


 みなが、呆然と立ち尽くしていていたんだ。



 嵐が通り過ぎたような、先程の修羅場に気を取られて。


 この、戦を前に緊迫した状況の中。

 見てはいけないものを目にしてしまったような、そんな気まずさに駆られて。


 声を出すことも憚られるような、そんな雰囲気が店の中を流れている。



「・・・こら、なにぼっとしてんだてめえら!!」



「「・・・っ!!」



 不意に、小六が大きな声を出して。

 突然の怒鳴り声に、私を含めたみなが驚く。



「まだ商いの最中だろうが。いつまでも突っ立ってないでさっさと働け」



 気まずい雰囲気で淀んだ店の中を、小六がぶっきらぼうに手代たちに発破をかけていたんだ。


 小六に怒鳴られて、少しずつ手代たちが商いに戻り始める。

 固まった生駒屋の商いが、また少し動き始める。



「おい将右、若い連中引き連れてあの女を追え。深追いはすんじゃねえぞ、今川に気づかれたら面倒だからな」



「おう、行くぞお前ら」



「お嬢も織田の客を呼んでるんだろうが。いつまで店先に立たせておくつもりだ」



「えっ、あっ・・・」



 私は小六に言われて、私は店の隅で立たせてしまっている帰蝶さまたちと宗及殿のことにはっと気づく。



「申し訳ないですっ・・・お二方を置き去りにしてしまって」



「構わぬぞ、吉乃。気にするでない」



「濃姫様の仰る通りです。こちらから押し掛けた身、お構いになさいますな」



 帰蝶さまも、宗及殿も、私に優しい言葉をかけてくれる。

 二人には、とても恥ずかしいところを見せてしまったのに・・・大人気なく、頭に血を上らせてしまって・・・


 ひとまず、二人を奥の客間にお通しして手代にお茶を持ってこさせた。お類と奇妙は、店の者に任せて。



「いやしかし、驚きましたなぁ・・・今川様が、この津島に使いをよこすとは・・・」



 煎茶を一口すすって、宗及殿は難しい顔をしてそう口にした。



「あの女、吉乃が申す通り勘十郎殿の側におった女というのはまことか。あの頃から、末森と今川が通じておったとは・・・」



 帰蝶さまは、申し訳無さそうな口で呟く。

 あの稲生原のとき、私が信勝に囚えられ殺されかけたことを、帰蝶さまは今でも負い目に感じているようだった。

 殿様や帰蝶さまは一切悪くないと私は思うのだけれど、織田家に連なる者が起こした狼藉に、生真面目な帰蝶さまは深く責任を感じておられて。


 信勝の謀反に帰蝶さまが気になさるのは、どこか筋違いな気もするのだけれどなぁ・・・



「でも、得心はできました。今川の後ろ盾があったから、信勝は殿様に対してあんな謀反を起こそうとしたのだと思います。きっと、今川に(そそのか)されたのでしょうね」



「今川は勘十郎殿を唆して織田を潰そうとしたのじゃが、それは吉乃たち津島の商人らによって阻まれた。であるから、此度はまず津島から潰そうとしておる訳か・・・筋は、通るの・・・」



 今川の戦略眼は、正しかった。

 津島の商いは、今の尾張にとって土の恵みを得るための『根』のようなものだ。そこを断つだけでも、尾張は大きく崩れていく。

 現に、少しずつ津島の活気は失われつつある。根が腐ってしまえば、尾張国という大木は枯れてしまう。


 それは、私たちにとってあまりにも致命的な策略だ。

 その一手を確実に、そして最も効果的な時期に打ってきた今川義元の謀事(はかりごと)には寒気すら覚える。


 こんな敵を、私たちは相手にしなければいけない・・・


 そんなことを考えて、私が目を伏せたとき



「・・・吉乃、馬鹿なことを考えるでないぞ」



 帰蝶さまが、叱るように言った。


 私の顔色が変わるのを咄嗟に見抜いていらして。


 察しが、いいな・・・帰蝶さまは・・・



「これは、織田と今川・・・武家の戦じゃ。商人のお主が、気を揉む話ではなかろう」



「ですが、帰蝶さま・・・」



 帰蝶さまの言葉は、どこか腑に落ちてこなかった。


 現に、今川は津島に目をつけて服従を迫ってきているではないですか・・・


 お武家さま同士の諍いなんて言うような、きっとこの戦はそんなものじゃない。

 武士や商人なんて(くく)りはきっともはや意味を成さなくて。



「お主に立場があることは、承知しておる。お主の行いひとつで、津島の行く末が定まってしまうことも・・・だからこそ、独りで抱え込むな。妾や信長殿を頼れ。吉乃、お主だけに重荷を背負わせたりはせぬ」



 帰蝶さまのそのお言葉が、とても頼りに思える。

 織田家も大変な状況なのに、私のことまで心配してくださる帰蝶さまのそのお心が嬉しくて。


 ・・・このお方は、まこと武家の姫君なのだなって、改めて実感する。


 追い込まれたときほど、帰蝶さまは気丈であられるから。

 側で帰蝶さまが凛となされておられるから、周りにいる私たちもまだ(くじ)けていられないと、そう思える。


 美濃での戦のときも、信勝の謀反のときも、いつもそうだった。

 私も、殿様も、織田のお侍たちもみな、帰蝶さまのその気高さにいつも救われているんだ・・・


 それはきっと、帰蝶さまに流れる血がそうするのだろう。


 武士の血が。道三公の血が。


 このお方は、斎藤道三の娘なのだから。



「妾らは、織田の城に戻ろうと思う。この店で起こったことの委細を、信長殿にお伝えせねばなるまいしな」



「よろしくお願いします」



「よいか、吉乃。無茶だけはするでないぞ。こういった時のお主はいつも無鉄砲で見てられぬからな」



 「よいな、妾との約束ぞ」くどいほどに何度も何度も釘を刺して、帰蝶さまは奇妙を連れてお城にお戻りになられた。


 私はその都度笑みを浮かべて頷いていたけけれど、内心は・・・釘を刺されるほど帰蝶さまにも信用がないのだなって、少しだけ傷ついた・・・


 そりゃ、私は何故か気づくといつもいつも騒動に巻き込まれて事の中心にいるし、決して帰蝶さまの忠告に言葉を返すことが出来るような今までではなかったけれど。


 今じゃ私も三十路を超えた四児の母で、少しは落ち着いているのですよ、帰蝶さま・・・



「・・・なんて申し上げても、説得力がないのだろうなぁ、きっと」



 帰蝶さまのように凛と落ち着いた私を思い浮かべると、なんだか背中が痒くなって。


 柄じゃ、ないなぁ・・・きっともう、私は男勝りの巴御前が染み付いてしまっている・・・


 そんな、笑ってしまうようなことを考えながら、店の前で帰蝶さまの輿(こし)が見えなくなるまでお見送りして。


 もう一度客間に戻ると、宗及殿は先程と変わらぬ姿勢でじっと煎茶を口にしていた。


 その、ただお茶をすするだけのその所作が、驚くほど美しくして。



「・・・っ」



 私は、宗及殿のお姿に思わず息を飲んでしまう。


 綺麗だと、思った。

 同世代の、私と同じ商人なのに。


 茶碗を手にする宗及殿はまるで、幾年月も生きた『仙人』のようで。



「濃姫様は、お城にお帰りになられましたかな・・・おや? どうなされはったのですか吉乃殿、ぼっとしなさって?」



 宗及殿は、客間に入った私に首を傾げて声をかける。



「いや、その・・・宗及殿がお茶を飲まれる姿がなんだか、お綺麗で・・・」



 たどたどしく私がそう申し上げると、宗及殿は照れくさそうに笑った。



「それはまぁ・・・そう仰ってくれはるとは、嬉しゅうございますな。これでも手前、堺では数寄(すき)の真似事をしてましてなぁ。拙い所作でも褒めてもろうたら、誇らしゅう思いますわ」



 数寄・・・確か、茶の湯のことだよね。

 堺や京でお茶を点てることが流行ってるとはよく聞いていたけれど、宗及殿も(たしな)んでいらっしゃるんだ・・・



「拙くなどないですよ、とてもお綺麗な所作でした。私、お茶のことは無知なのですけど・・・いつかぜひ、宗及殿の点てたお茶をいただいてみたいです」



「そうですなぁ、機会があればぜひに」



 そんな他愛もない話を交わしながら、私は宗及殿の前に静かに腰を下ろした。



「・・・大変、待たせてしまいました。確か、私に商いの話があるのですよね。申し訳ないです、今まで全くお構いできずに」



 突拍子もないことが次々と続いて忘れてしまうそうになるのだけれど、確かそうだ。宗及殿は、私に商いの話があってわざわざ生駒屋まで足を運んでくださったはずだ。


 商いにきたお客を待たせてしまうなんて、私もまだまだ商人として未熟だな。



「いやいや、構いませんわ。そりゃ、あんなことがあっては商いの話なんて出来んでしょうし・・・それに、手前どもは今川と商いを交わしておる商人。織田の姫様がおってはいろいろと(はばか)られることもありましょう」



 宗及殿は同じ商人として私の立場を察してくれて、そう優しい言葉をかけてくれた。


 さすが堺の大商人・・・(ふところ)が深いなぁ。


 津島の旦那衆だったら、こんなに相手を待たせたらきっと怒って帰ってしまうだろうに・・・うん、私が待たされた客になったら、確実に怒っているところだ。


 そこを、嫌な顔ひとつせずに待ってくださるのだから、なんというか・・・商人としての器量の大きさが、私たちとは全く違うのだろうなぁ・・・



「それで、商いの話というのは?」



 私が本題に入ろうとすると、さっと宗及殿の顔色が変わる。

 その朗らかに笑みを浮かべた表情が、瞬時に消えて。


 海千山千の大商人らしい、底の読めない深い眼差しを、私に向けて。



「これで、ございます」



 「お願いします」宗及殿は、手を二回叩く。


 うちの手代が一人、大きな包みを抱えて部屋に入ってくる。

 人の胴ほどの長さがある、長細い包み。布と紙で、厳重に包装されていた。


 何だろう・・・私は、何も聞いていない・・・


 手代は、宗及殿に促されるままその包みを私たちの前に置いて、部屋を後にした。



「開けてみなはれ」



 宗及殿に差し伸べられるまま、私は包みを手にする。


 ・・・っ、重い・・・


 包みは、その大きさ通りに重かった。私のような女の手じゃ、重くて落としてしまいそうで。

 肌触りは、とても硬い。


 私は、慎重に包みを一枚ずつ剥がしていく。



 っ、これは・・・

 


「種子島・・・?」



 包みの中は、鉄砲だった。


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