八十四話 『二人ノ愛し子』 一五六十年・吉乃
「かかさま!!」
「ははうえ!!」
「「はやくまいりましょう!!」」
津島の、喧騒の中。
お類と奇妙が、私たちを急かそうと大きく手を振っていた。
私と帰蝶さまは、元気有り余る幼子たちを微笑ましい想いで眺めながら、津島の町を歩いていたんだ。
「二人とも、そのように急ぐと危ないですよ」
「吉乃の申す通りじゃ、少しは落ち着かんか奇妙丸」
二人の母に咎められても、幼子たちは落ち着くはずもなく。
姉弟仲良く手をつなぎ、私たちを「はやくはやく」と急かすから、私はため息をついてしまう。
「もう、二人とも人の注意を聞きやしない・・・」
「まことなぁ、こういったところは誰かにそっくりじゃのう。お類も奇妙丸も」
私の顔を見て、帰蝶さまはそのような意地悪を口にする。
私は、そのようなことを言う帰蝶さまに思わずふくれてしまって。
「確かに、人の話を聞かないところは私の血かもしれないですけど・・・」
奇妙丸を帰蝶さまに預けてから、もう二年以上の時が経つ。
奇妙は帰蝶さまとお城の方々に大切に育てられて、順調に大きくなっていった。
帰蝶さまも、母としての気概が随分と板についたようで。
まるで自らの腹から産んだ子のように、奇妙のことを大事に慈しんでくれている。時に厳しく躾け、時に優しく抱き・・・武家のご正室は子育てに関わらないことも多いと聞いているけれど、帰蝶さまは率先して奇妙のことを構ってくれていた。
織田の嫡男として、そろそろ勉学もさせようかと考えているのだと、帰蝶さまは仰っていた。
まだ三つ四つなのに、こんなに利口な子に育ててもらっているのだから、本当にありがたいと思う。
母としては私のほうが先達なのに、なんだか帰蝶さまのほうが私よりも『母』らしい・・・
「お類も、奇妙丸も、吉乃の掛け替えのない子たちであるからなぁ・・・」
奇妙は織田の子として帰蝶さまにお渡ししたのだけれど、帰蝶さまはこうして時折奇妙を連れて私の下に参られることがある。
本当は茶筅も徳姫も連れてきたいと帰蝶さまは仰ってくれるけれど、あの子たちはあまりにも小さすぎるから、城外へ出すには少し危うすぎる。
もう少し大きくなってからと、帰蝶さまにはお願いしていて。
私はただの愛妾で、本来ならば産んだ子のことについて口を出す立場じゃない。
けど帰蝶さまは私のことも尊重してくれて、このように奇妙と会う機会を設けてくれていた。
生みの親として、我が子とこうして関わることが出来るのは、本当に嬉しい。
帰蝶さまには、心底感謝しているんだ。
「本当、ありがとうございます帰蝶さま。奇妙のこと・・・こんな立派に育ててくださって・・・」
「そのようなこと、当然じゃ・・・信長殿の子・・・それに、吉乃の子なのじゃなからな。奇妙丸は、ますます利口に立派になっていくぞ。今でも、思いがけない成長を見せられてはっとすることが多くての」
「殿様の血、ですね」
「吉乃の血、なのかもしれぬがの」
満面の笑みで、帰蝶さまは素早くそんな言葉を返してくるから、私は思わず恥ずかしくなってしまう。
帰蝶さまに、そんな嬉しそうな笑みを浮かべられると何も言い返せなくなる・・・
ただでさえ天女のように美しい帰蝶さまは、母となってより一層綺麗に輝いているように見える。
娘のような幼い雰囲気は薄まり、女として磨かれた色気が漂っているようで。
奇妙の子育てが、帰蝶さまの北の方としての自信に繋がっていることも大きいと思う。
もう知り合って何年も経つけれど、断言できる。
今の帰蝶さまが、一番お綺麗だ。
「・・・それにしても、元気じゃのうお類も奇妙丸も。仲良く手をつないで・・・まこと、同じ腹から生まれた姉弟じゃのぅ・・・」
お類たちを眺めながら帰蝶さまはしみじみとそんなことを仰った。
「本当に」
親の私すら少し驚くほど、お類と奇妙は不思議と仲が良い。
姉弟といえども、父は違う。立場も、同じじゃない。
片方は、国主の嫡男で。
片方は、父を失った市井の娘で。
住むところも違えば、普段から頻繁に顔を合わせる間柄でもない。
三つ四つの幼子だ。人見知りをしてしまっても仕方がないかな・・・なんて思いもしたけれど。
蓋を開けてみれば。
「つしまは、楽しい町でしょ奇妙丸!!」
「はいっ、ねえさま!!」
仲良く手をつなぎ楽しそうに笑う私の愛し子たち。
親の心配など、どこ吹く風で。
今も、生駒屋に遊びに来た帰蝶さまと奇妙に、津島の町を案内するのだとお類が言い出して・・・私を伴って、四人で津島を散歩している最中で。
津島の港や魚河岸など一通り回って、帰路につく最中だった。
なんというか・・・本当に。
私が思う以上に、この子たちは大きくて強い。
そんな一面を垣間見るたび、母としてとても嬉しいのだけれど・・・私の知らないところで大きくなっているのだと思うと、少し寂しくも感じて。
そう思ってしまうのは、親の身勝手なのかな・・・?
なんて感傷的なことを考えていると、不意に帰蝶さまが私に声をかける。
「・・・のぅ、吉乃」
「どうされました?」
「やはり・・・津島も、少し暗いの・・・」
「・・・うっ」
帰蝶さまの言葉に、私はつい口を噤んでしまう。
仰っしゃりたいことが、ありありとわかってしまうから。
「妾も津島を訪れることは少ないが・・・それでも、前よりも人通りが少ないように感じる。港も、あまり船が往来してるようには見えなんだ」
「そうなん、ですよね・・・」
帰蝶さまに言われたことは全て、その通りだった。
お類たちは楽しそうにはしゃいでいるけれど、津島の町はどんよりと沈んだ雰囲気で、昼間だというのにどことなく暗く感じてしまう。
商人として、津島の筆頭商人として、活気ある津島の町を帰蝶さまや奇妙に見せたかったのだけれど、こればかりは私でも力不足だ・・・
今川によって関所も港も封鎖されたことによって、津島を潤していた商いの流れが途端に滞ってしまった。
うちもずいぶんとお客が減ってしまったし、どの大店も儲からないって嘆きの声が町中で響いている。
特に津島は港町だから、海路を封鎖されてしまったことがもの凄く痛い。
津島の活気は鳴りをひそめ、みな、厳しくなった日々の商いに四苦八苦してしまっている。
まだ、名のある大店が潰れそうなんて話は聞かないけれど・・・
こんな状況がずっと続けば、次々と尾張の商人たちは倒れていってしまうだろうし、この津島も干上がってしまう・・・
全て、尾張を狙った今川家の計略であることは火を見るより明らかだった。
「すっかり、町に活気がなくなってしまいました・・・商いも上手くいかないのに、今川が戦支度を進めているなんて噂だけは聞こえてくるものですから、みな不安がっちゃって・・・」
今川義元がついに、尾張攻めを国内外に表明し戦支度を始めた・・・
今川領内から兵と兵糧を募り、各地の家来たちにも招集をかけているらしい。今川の主力を動員し、数を以て尾張を侵攻する・・・その軍勢は四万とも五万ともなる勢いという話で。
国境を閉じているはずなのに、そんな物騒な噂話は次々と駿河や三河から届いてくるものだから、みな怖がって外を出歩くことすらめっきり減った。
百姓の中には、今川の軍勢を恐れて家財一式を持ち出して山奥へ隠れた者もいるらしい。
「城の中も同じじゃ・・・今川が戦支度と聞いて、みな騒然となっておる。いざ戦となれば、小国の織田があの今川を相手にどこまで抗えるか・・・」
帰蝶さまですら陰を落としたお顔をされて、気弱な声でそう申される。
それほど今川は、此度の敵は・・・
今までの清洲岩倉を相手にした尾張国内の内乱や、末森の織田信勝との戦の比じゃない。
東国一の英傑が、東国一精強な大軍勢を率いて、攻めてくる。
稲生原の戦を経て、織田家はようやく纏まったばかりのような状態だ。
尾張を統一したからといっても、三国を治める今川とは埋めきれない大きな差がある。
どれほど兵を集めても、きっと織田の軍勢が万を超すことはない。
一方、今川はその数倍の兵を率いて侵攻してくるはず。
殿様にとっては本当に厳しい状況だ・・・
「それで、織田は今川の侵攻にどう対処されると・・・」
「ひとまず東への備えを固めるそうじゃ。各地の砦を改修し、兵と弓矢を揃えるらしい。堀も深く切り直すと、五郎左ら母衣衆は忙しそうにしておったぞ。だが、それがどれほど戦で効を成すか・・・」
「そうですか。殿様のご様子は・・・?」
「それが不思議と、信長殿は動じておらぬようでな。家中が慌てふためいておるのに、信長殿は相変わらずでな・・・今朝もいつものように仏頂面で厩舎の馬を眺めておったわ」
それは・・・普段通りの殿様だなぁ・・・
容易に殿様のお顔が思う浮かべてしまって、つい苦笑してしまう。
「肝の太い御方だとは存じておったが、このような窮地でも変わらずだとむしろ安心してしまうわ」
「それは、朗報ですね」
殿様が、動じておられない。
それはきっと、この暗闇の中の大きな一筋の光明だ。
窮地こそ、大将の器ってものが試される。
下手に狼狽え動揺してしまうと、その不安が霧のように家中を包み込んでしまう。
狼狽えそうになってしまう時ほど、殿様は堂々としているべきだ。
それだけで、みな安心する。頼りがいがある国主さまだと、浮ついていた足が不思議と地に収まってしまう。
それが、人の上に立つ者だと思う。
私も津島の筆頭商人だなんて言われて多くの商人の上に立つ身だから、その理を肌で感じるときがあるから。
知っている。
殿様が、めげていないのなら。
まだ尾張は、戦いようがあるんじゃないかと。
「きっと殿様には、何かの策があるはずです」
私は、帰蝶さまを励ますように言った。
あの、殿様のことだ。
このような危機を前にして、何もしないお方じゃない。
その動じないお顔の裏で。
きっと、今川に勝つ策を必死に考えておられるはずだ。
「私は、殿様を信じてます」
あの御方なら、
織田信長さまなら、
「殿様ならきっと、案外、今川の大軍といい勝負に持ち込めそうではないですか」
ただの、私の勘で。
なにひとつ、根拠となるものはないのだけれど。
「私たちが、その器量を認めて好いてしまったお方なんですから」
私と帰蝶さまが好いたお方は、今川義元なんかに負けやしない。
「でしょう、帰蝶さま?」
「・・・そう、じゃな!! 吉乃の申す通りじゃ!!」
私の言葉に安心されたのか、帰蝶さまはぱっと顔を明るくなされて嬉しそうにそう仰った。
「妾たちが、信長殿の信じずに誰が信じると申すのか!! 女だろうと商人だろうと違いはない、尾張の者みなが信長殿に手を貸し、一蓮托生で今川に挑まねばなっ!!」
威勢よく、帰蝶さまは仰る。
良かった・・・帰蝶さまを安心させることが出来て。
帰蝶さまは気丈なお方に見えて、意外と繊細なところも多いお方だから。
帰蝶さままで不安に潰されてしまえば、本当に誰が殿様をお支えするのだろう・・・
今の帰蝶さまは殿様にとっても、奇妙にとっても、さらに言えば織田家にとっても、大事な主柱とも言えるお方だ。
帰蝶さまには、明るい顔をしてもらわないと。
けど・・・
内心は、思う。
あの大国今川に今の尾張が、殿様が・・・勝つ策が、果たして本当にあるのか・・・
ふと、考え込んでいたときに。
「・・・おや、これはこれは。吉乃殿」
「あっ、そうきゅうさん!!」
「ほぅ、これはお類殿も。今日もお元気で、よろしゅうですなぁ」
四辻を曲がろうしたところで、顔なじみのお方と出くわしたんだ。




