八十五話 『吉乃ノ客人』 一五六十年・吉乃
「・・・おや、これはこれは。吉乃殿」
四辻を曲がろうしたところで、顔なじみのお方と出くわしたんだ。
私の前を歩いていたお類が、そのお顔を見て嬉しそうに声を上げる。
帰蝶さまと奇妙は初めて会う宗及殿を見て、「誰か?」と思ったのか首を傾げていた。
「ただいま、生駒屋さんの方へ向かおうとしておったところでして。吉乃殿と、商いのことで話がありましてな。かようなところでお会いできるとは、手前も運が良いようですな」
「・・・吉乃? この男は誰じゃ」
「紹介します。うちのお客で、堺の商人の宗及殿です」
「手前、堺の町にて商いをしております天王寺屋宗及と申す者でございます。どうか、よしなに」
宗及殿は、初対面の帰蝶さまに対して慇懃な振る舞いでご挨拶をなされていた。
帰蝶さまは美しいお方だし、身なりも豪華な打ち掛けを羽織っていらっしゃるから、身分あるお方だとすぐに察してのことだと思う。
さすが、堺の商人・・・
挨拶ひとつですら綺麗で優雅だ・・・
「ほぅ、堺の商人とは珍しいの。吉乃は、遠く堺とも商いをしておるのか」
「まぁ、縁がありまして」
別にうちが堺まで商いの手を伸ばしている訳ではないのだけれど・・・
「こちら、美濃の斎藤道三公のご息女にて尾張国主、織田信長さまのご正室であらせられます・・・濃姫さま、でございます」
次は、宗及殿に帰蝶さまのことを紹介する。
武家に嫁いだ女が縁もない殿方にその名を無闇に告げるのは禁じられてることではないけれど、武家の倣いじゃ少々憚られるような行いだ。
だから私は帰蝶さまのことを『濃姫』さまとお呼びして、宗及殿に紹介した。
「織田様の・・・これは、失礼致しましたわ・・・」
まさか、私が織田家の北の方さまとご一緒しているとは思いもしなかったようで、宗及殿は心底驚いた顔をなされる。
それは、そうか。
一介の女商人が、織田家の北の方さまとこうして気軽に並んで市中を平然と歩いているのは端から見ると変わった光景なのかもしれない。
私が帰蝶さまの友で殿様の愛妾だから、私自身は変だと思ったことはないのだけれど。
「宗及とやら。妾こそ、よしなに頼むぞ」
「それで宗及殿、商いの話でございますよね? 私たちも店に戻る最中ですので、よければ、ご一緒しますか?」
「それは、ありがたいお話でございます」
生駒屋へ向かおうとしていた宗及殿も伴って、私たちは帰路につく。
店に着くまで、宗及殿に堺の町の話をいろいろお聞きしながら私たちは津島の通りを歩いていた。
宗及殿が話される堺のお話はどれも面白いものばかりで、さすがは日ノ本一の商人の町・・・私には思いもしないような、壮大な商いのお話をいくつも聞かせていただいた。
商人の私は無論、帰蝶さまも・・・幼いお類と奇妙でさえも、宗及殿の話を興味深そうに聞いていた。
そして、ようやく生駒屋の前まで着いたとき、
「・・・あれ?」
なにか、様子が変だ。
店の中が、騒がしい・・・?
「なにか、あったのか?」
帰蝶さまも、店の違和感に気づかれて不思議そうに首を傾げる。
別に、今日は何か特別な予定はなかったはずなのだけれど・・・
帰蝶さまたちと共に店を出るときは、何もなかったのに。
訳のわからないまま店の前まで来ると、手代の一人が私を見つけて駆け寄ってくる。
「・・・お嬢、お帰りなさいませっ!!」
「騒々しいけれど、なにかあったの?」
「それが、突如うちに怪しげな者が押し掛けて参りまして・・・」
困り果てたように、手代が言う。
怪しげな者・・・?
「それが、お嬢の客人らしいのですが・・・あまりに怪しいので、小六殿ら川並衆に見張ってもらっておりまして、お嬢に事の次第を伺おうかと」
私の客人・・・?
「それで、その客人というのは・・・?」
「変わった女でございます。自らを白拍子と名乗り、不気味な能面をずっと付けておりまして」
「・・・っ!!」
手代の話を聞いて、思わず、顔が強ばる。
背筋におぞましいものが走って、寒気がした。
能面をつけた、怪しげな女。
・・・一人、知っている。
一人だけ、会ったことがある。
死と隣り合わせだった私は、その、女に。
「申し訳ありません、お類たちのことをお願いしてもいいですか」
私は帰蝶さまたちに一言お伝えして、急いで店の中に向かった。
店の表は、手代たちや川並衆の面々が揃って騒然としている。
小六や将右衛門の姿も、そこにはある。
「っ、お嬢・・・」
店の中に入ってきた私を見て、小六が苦々しそうに呟く。
将右衛門が、刀の柄を握っている。
抜いてはいないけれど、いつ何時よからぬことが起こっても対処ができるように肩を張り詰めてじっとその女を睨みつけていた。
たった一人の客が、店中に異様な心地を放っている。
息が詰まりそうな緊迫した雰囲気が漂う。
そして、みなが警戒心を向ける、その先に。
「お久しゅうございます、商人のお姫様」
能面を被ったその女は、確かに私の目の前にいた。
「待ちかねて、おりましたよ」
能面の女は「ふふっ」と笑い声を漏らし、明らかに場違いな軽口を叩いた。




