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五十九話 『王ノ素質』 一五五六年・吉乃



「戦じゃ!! 軍議を開くぞ!!」



 ばさりと幔幕が開かれ、外から何人もの武者が陣の中に入ってくる。


 きっと、信勝配下の侍大将の武者たち。


 清洲や岩倉の紋が描かれた甲冑を着たお侍。

 名を知らなくても、織田のお城で見かけた顔の武者もいる。


 本当に信勝は清洲岩倉を取り込んで織田家を二つに割ったのだと、改めて思い知らされる。


 その、武者の一団の最後。


 最後に本陣に入ってくるその男を、気づくと私は憎らしく思いながら睨みつけていた。



「・・・勘十郎信勝・・・っ!!」



 殿様を裏切り、尾張を争乱に陥れた男。


 初対面であった父を斬り、女の私に縄をかけた男。



 睨みつけても睨みつけても、憎悪の感情が収まらない。



 こいつ以上に非道な男を、私は知らない。


 殿様と似たその顔に、吐き気がする。


 織田信長の弟であることすら、私にはおぞましくて。



 人の心など、きっと一寸たりとも持ってやしない。


 この男のことを私は、人の皮を被った鬼としか思えなかった。



 その鬼が、縄に縛られた私を見てほくそ笑んでいた。



「お戻り、ご苦労様でございました。お殿様」



「女は暴れたりしなかったか?」



「いえ、そのようなことは」



 能面の女は、慇懃な態度で信勝に(へつら)っている。


 その態度すら、端から見ていた私にはいけ好かない。



 顔も見せない不気味な女が、信勝の手の者であること自体が(いび)つで。



「・・・恐怖で震えていたのか、女狐よ? 噂では男勝りの目障りな女だと聞いていたのだがな、存外に臆病なのだな・・・くくっ」



 可笑しそうに、信勝が喉を鳴らして笑う。



「信長が、兵を挙げたぞ。この稲生原にて、俺と雌雄を決する腹らしい。全く、愚かな・・・愚かすぎて、まことに笑える。なぁ、そうだろう、女?」



「・・・黙れ、糞野郎」



 私は、信勝を睨み続けることを決してやめない。



「こんな下らぬ女一人のために、信長は何を血迷ったのか兵を挙げたぞ!! みなも笑ってやれ!!」



「勘十郎様の仰る通り、信長はうつけぞ!!」



「時勢も何も見えておらぬぞ、信長は!!」



 信勝に煽られて、配下の将たちも殿様を罵っては嘲笑う。



 私は悔しくて、悔しくて、仕方がなかった。


 殿様を馬鹿にされて。


 それでも、私は縛られたまま、唇を噛んで耐えるしかなくて。


 何も、出来なくて・・・



「女狐よ、教えてやろう」



 信勝は下卑た笑みを浮かべて私にそう言うと、大声で配下の将に問いかける。



「答えよ、敵の軍勢はいかばかりか!?」



「目算、七百あまりでございます」



「我が方は!?」



「敵の正面に美作守様の軍勢が七百、側面に柴田様の軍勢が千。合わせて千七百が、陣を構えております。さらに本領には佐渡守様が、後詰めとして控えております」



 その数を聞いて、私は耳を疑う。



 七百と千七百・・・!?


 そんなの、殿様が圧倒的に不利じゃない・・・!!



「信長は数も揃わず、美濃の戦より軍備も不十分。一方こちらは、清洲岩倉の兵を抱え数に勝り、先鋒は織田最強の柴田権六だ。勝ち負けは火を見るより明らか、それでも信長は兵を挙げたのだ。これを笑わずに如何する?」



「あんたが全て仕組んだことでしょう!!」



「その通りだ。全て、俺の策の内だ」



 信勝はその高慢的な笑みを浮かべたまま、私の吐いた言葉を肯定する。



「信長は、俺の策にかかりこの稲生原で死ぬ。尾張は、俺のものになる」



 けらけらと笑うその様に、反吐を吐きたくなるほどの嫌悪感を覚える。


 兄を裏切り殺すことに対して、この男は微塵の後ろめたさも感じていなくて。



「直に、信長の首級(しゅきゅう)がここに届く。それを楽しみに待っていろ」



 狂ってる・・・この男・・・っ。



「者ども、よく聞け!!」



 信勝は、声高らかに配下の将に呼びかける。



「この尾張は、代々織田家が守護代として治めてきた!! 乱世の最中、我が父信秀が半生をかけて平定した歴然たる『武士の国』である!! 違うか!?」



 「その通り」だと、賛同の声が次々と上がる。



「それをあの信長は、全てを台無しにした!! 今までの慣習を無視し、しきたりを破り、商人どもに媚を売って・・・勝手気侭(かってきまま)にこの尾張を作り変えようとしたのだ!! そのお陰でどうだ!? 百姓どもはつけあがり、商人どもは我が物顔で尾張各地に跋扈(ばっこ)し、我ら家来衆はただひたすら信長から蔑ろにされ続けた!!」



 何、それ・・・


 違う・・・殿様はそんなことしていない・・・


 殿様は、そんな国主さまじゃない・・・!!



「信長を主君と抱いたその現状は、どうだ!? お前たちが最もそれを肌に感じ、わかっているだろう!!」



「信長が国主となったから、清洲岩倉が離反した!! それからずっと尾張は内乱状態だ!!」



「不用意に美濃に兵を出し、織田家の軍勢を崩壊した!!」



「そうだ!! 信長は、尾張を混乱の坩堝(るつぼ)に陥れたのだ!!」



 信勝に煽られて、配下の武将も殿様を大きな声で非難罵倒をする。


 信勝派の武将たちは相当に殿様に対する反感が溜まっていたのか、次々と上がる殿様への非難が止まらない。



 違う・・・


 全て、違うのに・・・



 私は歯がゆい思いで、殿様への非難に盛り上がる武将たちを見ていた。



 殿様は・・・私と殿様は、ただ尾張を豊かな国にしたかったんだ。


 百姓も、商人も、お武家さまも。



 尾張は、決して『武士の国』じゃない。


 百姓も、商人も、みなが暮らす国なんだ。



 だから、お武家さまだけ豊かになったって百姓や商人が苦しんでいるままでは駄目なのだと、殿様は知っていた。


 そのような見せかけだけの国は、きっとすぐに崩れてしまう。



 だからあの時、殿様は私の話に乗ってくれた。


 楽市のお触れを、出してくれた。



 あのお方が、出来た国主さまだから。



「織田信長は、国主の器ではなかったのだっ!! 今まで、尾張は間違っていた!!」



 信勝が、腰の太刀を抜く。


 よく研がれた鋭い刃が、日の光を受けて白銀に鈍く光っていて。



「この尾張を、あるべき正しい姿に戻す」



 信勝は、手にした太刀の刃を眺めながら言った。



「・・・王たる素質を持つ者が、この国の王となる」



「無論でございます、お殿様」



 えっ・・・



 不意に、私の側にいる能面の女がそう言った。


 そして、臣下の礼を取るように、信勝に対して(ひざまづ)いて。



 本陣にいる武将たちも、倣うように信勝に深く平伏する。


 信勝は、その様を見ると満足そうににやりと笑った。



「者どもよ聞け。俺は、末森の勘十郎にあらず・・・っ!!」




「俺は、織田『弾正忠』信勝であるっ!!」




 太刀を前に突き出して、信勝は高々と自らの名乗りをそう宣言した。



 自らを、『弾正忠』信勝と。



 『弾正忠』は、織田家の当主の官職で。


 織田家の当主にしか、殿様にしか、名乗ることを許されない名。



 尾張の国主たる、その証の名。



 それを、信勝が自ら名乗ったということは・・・



 殿様を廃し、自らが尾張の国主になるという、その宣言で・・・ 



 紛れもない、(おおやけ)の、



 殿様に対する、反逆の声明だった。



「陣太鼓を叩け、戦を始めよ。権六と美作に、信長の手勢に打ってかかるよう伝えよ」



「「承知っ!!」」



 信勝の号令を聞き、配下の武将たちが慌ただしく本陣の外に出ていく。



 すぐさま、外から陣太鼓を叩く音が耳鳴りがするぐらいの大きな音で響き渡って。



 それから、ぶおぉと鳴る法螺貝の音。


 「うおおおっ!!」と信勝の軍勢が雄叫びを上げる声。



「・・・っ」



 胸がすくみそうなほど、大きくて恐ろしい音がこの稲生原に鳴り響く中で。


 私は・・・とても、とても、怖かった。女の身の私には、戦場の音が、空気が、怖くて堪らなかった。





 でも、


 

「くくっ、戦が始まったぞ。女」



 目の前の男だけは、心底嬉しそうな顔で笑っていた。




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