五十八話 『稲生原ノ戦場』 一五五六年・吉乃
声が聞こえる。
けたたましい、喧騒。
馬の鳴き声と、蹄の音
鉄と鉄が擦れる、嫌な音。
朦朧とする意識の中で、そんな不愉快な音ばかりが耳に入ってくる。
ここは、どこ・・・?
どうして、馬の声が聞こえて・・・?
私はさっきまで、小折の屋敷にいたのに・・・
あぁ、そうか。
私は末森の勘十郎信勝に捕らわれて、気を失って・・・
そこまで思い出したところで、私は目を覚ました。
「・・・ここは、どこ・・・?」
気づいたときには、私は見知らぬ場所にいた。
頭上から照りつける、日の光が眩しい。
外なのはわかるのだけれど、周りは木瓜紋が描かれた白い幔幕で覆われていた。
いくつもの床几が乱雑に置かれていて、幔幕の外側からは人馬の喧騒や陣太鼓の音が絶えず聞こえてくる。
弥平次さまや色々なお武家さまから、話には聞いていた。
けれど、自らの目でこのような光景を見るのは初めてで。
忙しない雰囲気と、刺さるような緊張感が漂う場所。
ここは、
「戦場の、本陣のなか・・・」
私は何故か、戦場の中にいる。
手足を縛られていて、私一人の力では動くことも逃げ出すことも出来そうになかった。
どうして、私は戦場に・・・?
どうして、戦などが起きているの・・・?
突然の事態の変貌に、私の頭ただただ混乱して。
気を失っている間に何があったのか気になって仕方ないのだけれど、縛られたままの私じゃ何も知ることも出来なくて。
囚われていることよりも、状況がわからないことに不安を感じてしまう。
私が囚われてここにいるということは、ここは・・・信勝の陣地ってこと?
とうとう信勝が、兵を起こしたってこと・・・?
「・・・おやまぁ、お目覚めでございますか、お姫様?」
不意に、背後から声がした。
「っ、誰っ!?」
突然のことで、思わず驚いて声を上げてしまう。
私は警戒心をむき出しにして、縛られながらも頭だけ振り向いて。
そこには、一人。
怪しい者が私の後ろで突っ立っていたんだ。
「・・・あなた、誰」
能面を被った、女だった。
体格を見れば、私と同じくらいだと思う。殿方やお侍さまほど大きくない。先ほどの声も女子のように高かったし、きっと女だと思う。
津島でたまに見かける旅の遊女や寺社仏閣の巫女が着るような装束を、その女は身につけていた。
肉付きのいい体型と、身体の線が出るような細めの装束に、下卑た艶めかしさを感じる。
能面を被って顔を見せないことも怪しいけれど、それ以上に、戦場には全く似合わない異質な雰囲気を能面の女は纏っていた。
「・・・遊女? 白拍子か何かなの、あなた?」
「ご名答でございます。私は、末森のお殿様の下でご厄介になっているしがない能楽師でありますれば、どうかお見知りおきを、お姫様」
能面の女は、何故か私のことを『お姫様』と呼んだ。
表情を窺い知ることは出来ないけれど、その声には余裕が感じられて、まるで私との会話を楽しんでいるようにも聞こえて。
・・・とても怪しい、いけ好かない女だなって思った。
「要するに、信勝の遊び女って訳でしょ。あなた」
信勝の息がかかった女だ。
油断しちゃいけない・・・
「そんな、『遊び女』なんてはしたない言い方はしないでおくんなし、お姫様・・・私は能しか舞えぬ能楽師でございますれば・・・まぁ確かに、床でしか披露出来ぬ舞いもございますけれど・・・」
・・・なに、その下世話な冗談。
全く、笑えない。
縛られた女を相手に、何を言っているのこの遊び女は。
「別にあなたのことなんてどうだっていい。答えなさい、ここはどこ。私をどうするつもりなの」
「お姫様の処遇については、私のような端女には知らされておりませぬ。お殿様に、直にお聞きくださいますよう・・・この場所については、私も存じ上げておりまする。尾張那古野より北・・・庄内川のほとり、『稲生原』という地でございます」
稲生、原・・・
「つい先日、末森のお殿様が兵を挙げられたのです。前々から下準備をなされていた通り、清洲、岩倉の軍勢を取り込み、織田信長打倒の号令をかけられました。この稲生原に陣を構え、信長の軍勢と対峙する手はずになっております」
やっぱり・・・信勝が、兵を挙げたんだ・・・
それに、清洲岩倉を取り込んだって・・・
「・・・殿様を滅ぼして、自らが尾張の国主になろうとでもいうの」
「末森のお殿様はそのつもりでおられます。織田家中でも最強と名高い柴田権六勝家様、筆頭家老の林佐渡守様、その弟の林美作守様、主だった譜代のご家来衆はみな、末森と共に兵を挙げたと聞きました。織田信長を廃し、勘十郎信勝様を立てるのだと」
「・・・そんなっ、ふざけた話・・・っ!!」
全て、どこかで聞いたような話だと思った。
「・・・要するに、美濃の二番煎じじゃない・・・っ!!」
あんなに、美濃が揺れたのに。
同じ美濃の者が殺し合う、悲惨な内乱になったっていうのに。
それを、尾張でも繰り返そうっていうの・・・っ!!
ただただ腹ただしくて。
ただただ悔しくて。
こんな馬鹿げたことを企てた信勝に対して。
その信勝の企てに乗って殿様を裏切ったご家来衆に対して。
殿様は、尾張のためにずっと尽くしてこられた。
今も、織田家を立て直そうと必死に足掻いていらっしゃる。
そんな殿様に対して・・・
忠義に泥を塗るような仕打ちじゃない・・・
「能楽師の私にはわかりかねますけども、この乱世においては、かようなことで憤っても詮無いことでございましょう。起こってしまった戦を、なかったことには出来ませんでしょう?」
「戦は、起こらない」
私は、能面の女に言い返す。
「殿様は、そんなうつけじゃない。信勝の見え透いた挑発にのって、兵を出したりはしない」
私は、知っている。
殿様は、織田信長は、うつけじゃない。
殿様が信勝と戦をすれば、織田家が二つに割れる。尾張中を巻き込んだ、大きな戦になる。
そうなれば、尾張国は乱れ廃れていってしまう。
それが、読めない殿様じゃない。
「・・・それは、どうでございましょう?」
能面の女は、肩をすくめてそう言った。
「ここには、貴方様がいらっしゃいます。貴方様が、縄にかけられ囚われております。なら、織田信長は、きっと兵を出さざるを得なくなるでしょう」
何を、言っているの・・・?
「それこそあり得ない!! 私一人が囚われたくらいで、そんな、殿様は私情を挟む愚かな国主さまじゃない!!」
「いいえ。織田信長は、兵を出すでしょう」
私の言葉を意に介せず、女は淡々と言い切った。
「土田弥平次の妻。津島の筆頭商人。『商人の姫』・・・生駒、吉乃」
「貴方様がこの尾張にとって、織田信長にとって、どれほど大きな存在であるのか、知らないとは言わせません・・・お姫様」
・・・っ。
詰め寄るように、能面の女は言う。
私は、何も言い返せなくて口を噤んだ。
図星を、つかれているようで。
胸の内を、見透かされているようで。
この女が何者なのか、何をどう知っているのかはわからない。
けれど、この女の言う通りで。
私は、知っているんだ。
私は知っている。
殿様は、見かけによらず情の深い人だから。
きっと、
「信長の軍勢が現れたぞっ!! 槍を持て!! 陣を構えよ!!」
幔幕の外で、信勝の兵の騒ぎ出す声が聞こえる。
私は知っているんだ。
殿様が、この稲生原に来てしまうってことくらい。
ぶおぉ、と、けたたましく法螺貝が鳴る。
幔幕の外が慌ただしくなり、外から聞こえる陣太鼓や銅鑼の音が本陣の中にも響き渡って。
「さぁ、お姫様」
女は、私に確かに向けてそう告げた。
「戦が、始まります」




