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闇路作法  作者: 野中
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三幕

俯いた小雪の背中目がけて、威勢のいい声がぶつけられたのはその時だ。

「やい、小雪!お前仕事サボってなにぼーっとしてやがんだよっ」


小雪の物思いを、遠慮なく蹴り上げた声は幼い。

だが、この一年で嫌になるほど聞き覚えた声だ。

背中を突き飛ばされた気分で、小雪はのろりと振り向いた。

糸が数本切れた操り人形めいて、緩慢な動きだ。


「…アンタこそ何してんだよ。こんな時間に。仕事は?」

道の端、長屋が立ち並ぶ土塀に向かって俯いた小雪の背後。

ふんぞり返って仁王立ちになっていたのは、十歳の少年である。

呉服屋風見の下働きの子供だ。

口が悪く短気だが、人情に篤い少年だった。

彼は半ば怒った顔で唇を尖らせる。


「だぁから、それはこっちの台詞だって。しっかりしてくれよ、小雪はれっきとした呉服屋風見の一員なんだからな。無断で抜けられちゃあ困るんだよ。…まあ、右京さまが、今日小雪がいないことなら聞いてるからってとりなしてくれたけど、どうせほんとのところは違うんだろ?二度はないからな。明日は出てこいよ」

少年は怒っているが、どうやらそれは心配ゆえの怒りらしい。

無断で仕事に出てこなかった小雪の身を案じてくれたのか。

小雪は申し訳ない気分で頭を下げる。


「ごめんよ」

自分のことに手一杯で、他に気を回す余裕がなかった。

仕事を請け負った身で、無責任も甚だしい。

反省で思考を詰まらせた小雪を前に、うろたえたのは少年の方だ。

「は、反省したならいいって!頭上げろよ」

「…うん。ごめん」


呉服屋風見の一員。

その認識が、一言が、小雪にとっては泣きそうになるほど嬉しい。

だが、近いうち、小雪は去らねばならない。


結局のところ、小雪は盗賊である。


それを明かすことは仲間を売ることだ。誰にも言えない。

なにより、小雪と言う濁水で、清流のごとき場所をこれ以上汚すわけにはいかないのだ。

「な、泣きそうな顔すんなよぅ。もういいって言ったじゃねえか。…ああ、そう、俺がここにいる理由聞いてきたんだっけ」

小雪の顔を覗き込み、少年はおろおろ手を振り回した。


「俺がここにいるのは、右京さまのお供さ。ほらこの近く、具足屋御崎があるだろう?今右京さまは志野お嬢様との逢引の真っ最中ってわけ」


「…わたしが、なんですって?」

少年の声に被さり、凛とした声が響き、周囲の喧騒を涼やかに打ち払う。

小雪と少年は、同時に顔を振り上げた。

二人の視線を受け止めたのは、楚々とした美少女だ。

歳は小雪と同じで、確か十七。

町の大店のひとつ、具足屋御崎の次女、志野である。

彼女は、右京の許婚であった。


志野を見る小雪の瞳に、ふと霜が降りる。

もしここで志野を殺めれば、小雪と同じ気持ちを彼に思い知らせることができようか。

埒もない悪念が、小雪の中に渦巻く。

が、それは胸を突き破ることなく、萎れて消えた。


堅気の志野を、こんなことに巻き込んでいいはずがない。


「し、志野お嬢様…っ。あ、いや、別に悪口とかじゃあないんですよ?右京さまと志野さまが逢引なさっていると言っていただけで…、って、おや、右京さまは?」

泡を食った少年が、表情に疑問を弾かせ広げる。

左右に視線を走らせた彼に、志野はため息をついて半分怒った表情で答えた。

「逢引じゃないわ。右京さまはお父さまと商売に関するお話にいらしたの」


「へ。そうなんですか」

「そんなことより、お前にも何か話があるそうよ。わたしはお前を呼びにきたの。外で油を売っていないで、店へ戻って右京さまにお話を伺いなさい」

「は、はい!」

少年は旋風を残して、びゅっと店の方へすっ飛んでいく。

志野の剣幕に恐れをなしたのだろうが、別に彼女は少年に対して怒っているのでないはずだ。


右京が自分に構ってくれないことに拗ねているのだ。

小雪にはなんとなく察せた。志野の一途さは、可愛い。

自分にも覚えがあるからこその共感もある。

だが、どうも志野には小雪を嫌っている気配があった。

なぜかは分からない。

今も、大きな目で明らかに小雪を睨んでいる。


彼女には、いつも睨まれるが、綺麗な目だと思う。

小雪は睨まれるが、もし、志野に満身の好意を込めてこの目で見つめられたなら、男なら悪い気はしないだろう。しかし。

「…あの、志野お嬢様。なにか」


今日は、志野の視線にくっきりと彫り込まれた憎悪を小雪は見て取った。

睨みはしても常ならば、志野が見せなかった感情だ。

それが、今に限って。

訝しみ、小雪は微かに首を傾げた。

彼女に向かって、志野は低く尋ねる。

「…いつまで風見にいるつもりなの、小雪?お前の素性は割れているのよ、右京さまに止められたから、誰にも話していないけど」

志野は、ずいと小雪に身を寄せた。


見張った小雪の目に、志野の挑戦的な顔が映りこむ。

志野は更に声を潜めた。

「わたしは、右京さまが裏で何をなさっているかも知っているわ。それでも、夫婦になりたいの。あの方が、好きだから。その望みの、邪魔になるのよ、お前は。…盗賊滝丸党の女、など。害を生み付けるだけ」

志野の宣告に、小雪の意識が、氷の淵に没し、冷え切る。

すぅと頭が冴えた。

追い詰められると逆に沈着になるのは、小雪の性だ。


小雪から何を感じたか、無意識にだろう、志野は怯んで一歩さがる。

「…右京さまは、何もかも、ご存知だと?」

「そうよ」

思わず尋ねてしまったが、これは愚問だろう。今更だ。


小雪と一清。ことここに至れば、あとは面と向かって対峙する他ない。


彼が何を考えているにせよ、小雪は小雪の思う道を切り開くのみ。

右京を斬れるか。小雪に。

いや、斬らねばならない。今度こそ。


小雪はそのために、今日まで生きてきたのだから。


「小雪。何を考えているの」


「…今宵、再び月は出るかと」


柳眉を潜めた志野を見ず、小雪は青空へ視線を投げた。

視界を、隅から鳥が斜めに過ぎる。小雪は思わず瞬いた。

その合間に、見慣れた人影が人込みの彼方に現れる。


右京だ。


彼は、先ほどの少年を連れていた。

話は終わったのだろうか。

穏やかな右京に、一清の蓬髪姿を重ねる余地などない。

昨夜の名残もなく、黒髪は清潔に束ねられている。

優しげな物腰は、刀など握ったことなど一度もないと言わんばかりだ。

彼とかち合った視線をもぎ離し、小雪は目を伏せ志野に頭を下げた。

「失礼致します」


全ては、今宵。この、夜に。


志野を残して、小雪はふわと人込みに紛れる。

志野の視線が背を追ってきたが、すぐさま幾重もの人体に遮断された。

一清と小雪。

どちらが生き、どちらが死ぬか。


一清が強いのは、自明のこと。

小雪は、不利だ。

分かりきっている。

だが、心細いとは思わない。


血が沸騰するようでいて、頭の芯が冴えていく。

小雪の感覚の網が、水を打つように、すぅと周囲に広がった。


一人になった時は、これが条件反射だ。

それが先ほどまでできていなかった。

どれほど己が混乱していたか、小雪は今更ながら自覚して苦笑を零す。

その、背伸びするように伸ばしきった意識の先端に。


何かが引っかかった。それは身体に己の血以上に馴染んだものだ。


小雪は顔を上げた。

丸くなった彼女の目、それが向いた先で。

家屋の隙間に蹲った小柄な影があった。

小雪が人影の姿を認識すると同時に、相手も顔を上げる。

小造りの顔の中で、大きな目が見開かれた。

小雪は思わず、相手の名を呟く。

「蛍?アンタいったい何して」


「小雪っ?…し、黙って、こっち、こっちに来て」

蛍は右頬を片手で押さえ、小雪を手招いた。

周囲の視線を憚った上、随分と慌てている。


蛍は、滝丸党の仲間だ。

長七と同じく、幼少から共に過ごした幼馴染である。

ただし、蛍は実戦に加わらない。

彼女は、その美貌を買われ、娼妓として一党の財政に貢献している。


同時に諜報員として活躍し、万金に値する情報をお手玉のように器用に操り仲間に安全な道を用意する、大事な役目を負っていた。


そんな蛍が、右頬を腫らし、身を隠すように物陰に潜んでいる。

殴られたのだろう。誰に、どんな理由があって。

幼馴染として、彼女を案じる気持ちがないわけではない。


だが小雪が真っ先に考えるのは、滝丸党のことだ。いつもそうだ。


例外が、長七であったが、彼は地上から消えた。永遠に。

同時に、おそらくは、小雪の人間性も。

殴られたのは、蛍の身の上がばれたためではないか。

だとすれば、呑気にしてはいられない。

小雪は、蛍の方へ踏み出した。

一歩しか進まないと見えたのに、その身体は一呼吸のうちに、屈み込んだ蛍のすぐ隣に立っている。

蛍は驚くでもなく、小雪を見上げた。

「小雪」


「バレたかい?」


冷然と問う幼馴染を薄情と罵るより、蛍は哀れっぽく首を横に振る。

蛍の、儚さが強い可憐さは、細い肢体も相俟って、抱き潰したくなる衝動に駆られる、といつだったか仲間の男がぬめった目で語っていたのを小雪は思い出した。

確かに、蛍はどこか頼りない。

抜け目ないようでいて、一点隙がある。障子の破れ目のように。


保護欲と同時に、それはある種の人間の、他者を乱暴に押し開きたい凶暴性に火をつけるのだろう。

「殴ったのは、甲介だ」


「甲介?お待ちよ、アイツはアンタにぞっこんじゃないか」

甲介と言うのは、これも滝丸党の仲間である。

ただし、力自慢であるが、多少考えが足りない。

そして呆れるほど短気だ。

とは言え、彼は蛍に惚れ込んでいた。骨抜きだ。

蛍の言うことなら、何でもするだろう。

甲介が蛍を殴るなど、天地がひっくり返っても起こり得るはずがない。

と、小雪は思い込んでいたのだが。


蛍は眦を釣り上げた。

「知ったことじゃないよ、そんなこと。アイツが殴ったのは事実だ。だから隠れてるんだよ、まだそこらへんにいるかもしれない」

小雪は周囲に視線を投げる。だが、甲介の大柄な影は見えない。

研ぎ澄ました意識にも引っかからない。

「なんでまた。そりゃ甲介は短気だけど蛍を殴るなんて」

「…あたしが、失敗しちゃいけないところでしくじったからさ」

「しくじった?」


「掴んだ情報が屑だったんだよ。ねえ小雪。このままだとあたし、甲介に何されるか分からないよ。あたしのせいで、甲介が仕事に失敗してひどい目にあったのは事実だけど」

蛍の上目遣いに、媚が宿った。何かを強請る表情だ。

彼女がこの表情になった時は、ろくなことにならない。

小雪の経験が、そう語った。

警戒に小雪の視線が尖ったのは、無理ないことだ。

「…私に何をしろっての」


「危ない橋渡ろうってんじゃないよ。アンタと心中なんざ、あたしだって御免だからね。単純に、甲介のご機嫌取りして、降りかかる難を逃れたいのさ。…そのために、情報をおくれ」

宥める声音で、蛍はあどけない表情の中、唇に色気滴る笑みが嫣然と弧を描いた。

「甲介も、これは、と納得する情報だ。それをあげる代わりにあたしは見逃してもらおうって寸法さ。小雪、アンタはそれを持ってる」

「その道に関しちゃ、アンタに私が勝てるわけないだろ」

 乾ききった砂じみた声で応じた小雪に、蛍は動じない。


「それは当然のことだね。けど、あたしが言ってるのはそれじゃない。小雪、アンタ、如月一清の動向を調べてたね。あたしも協力した。なんせ、長七の仇だ」

色白の頬に、蛍は濃厚な怨嗟を血色に変えて閃かせた。

「…結果、昨夜一清が動くところまでは掴めた。どう動くのかまでは分からなかったけど。ちなみにアンタは、昨夜、いつもの部屋にいなかった」

蛍は小雪の顔を覗き込む。


「あたしの知る小雪は、一旦動けば、何かをやり遂げないままには終わらない女だ。アンタ、一清と接触したね」


「なぜ」

「勘さ。けど、アタリだろ」

何をどこまで蛍は察しているのか。

小雪は沈黙した。

「その割には、一清が死んだと聞いたわけじゃない。一清が生きてるなら、アンタが死んでないのが不思議だ。でも間違いなく、小雪は一清と接触しただろう。あの一清が大人しく敵を逃すなんて思えないけど、何か情報を掴んだんだろ?…ね、教えておくれ、でなければあたしもっとひどい目にあっちまう」

小雪は蛍を真っ直ぐに見返す。



右京は売れない。咄嗟にそう思った。



理屈ではない。

本能的な拒絶だ。

劇的なほど唐突に、本心を、冷徹の仮面の裏に隠した幼馴染に何を思ったのか。

蛍は目を細めた。それでも小雪は目を逸らさない。

陽の衣をまとったような右京と言う青年は売れない。


だが、一清ならば。


迷宮の闇をはらんだ思考回路の妥協点で、小雪は口を開いた。

「如月一清が、今夜盗みに入る場所と時刻を知っている」

ガセネタかもしれないけどね。

気のない小雪の声に。


蛍は微笑んだ。




冷え果てた血潮を思わせる微笑みだった。









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