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闇路作法  作者: 野中
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2/8

二幕

× × ×






小雪は盗賊である。

元々捨て子であったのを、この地域一帯股にかけて暗躍する一味に拾われ、育成されたのだ。

仲間は、世間では滝丸党という名で知られている。

小雪を拾ったのは、滝丸党の長たる、三代目滝丸であった。

彼女は、両親が何者か知らない。

が、小雪は今や生まれながらの盗賊であった。

足の爪先から髪の末端まで、その掟と精神を刻まれている。


闇の息吹を棲家とし。

己の立場を弁え、極端なまでに世間を憚る。

表の世から断絶した存在。

だが、身内となった者は、仲間の絆を決して裏切らない。


独特の掟を持つ理由は、ヒトとしての枠組みから弾かれたはみだしものたる所以であった。


彼らが、太陽の下で晒す顔は虚構である。

大道には決して踏み出さない。

ゆえに、時に小雪は昼の光に焦がれた。飢えに似た衝動だ。


だが、気構えもなくふらりと踏み出せば、焼き尽くされるだけとも知っている。

暗がりに慣れた目と肌は、光に耐え切れないのだ。

だからそのうち諦めてしまった。


なにより、仲間との絆は決して裏切れない。断ち切れない。

強制ではない。

掟、規則、道徳というよりも、それは楽に呼吸をするための空気の存在と同じものであった。


影の隙間を縫い歩き、やがては影そのものと化す生活を、小雪が不自由と感じたことはない。

これが当たり前の自然な状態で、不平不満が心に粟立つことすらなかった。


彼女は、疑問を抱くことなく日々、盗み、殺め、闇の悪路を光の中より軽々と立ち去った。

仲間と共に。


この行為が、ヒトとして正しいか正しくないか。

今更、そのようなことは問題でない。

疑いようもなく確かに、これは世界で用意されていたひとつの生き方なのだ。

最早小雪に、それ以外の道はなかった。


諦めではなく、そう覚悟しているのだ。

外的な説明などが、小雪の自発的な決意に届くはずもない。


やがて、小雪は恋をした。

同い年の少年で、同じ滝丸党の仲間である。

幼馴染で、名を長七といった。

幼い頃は泣き虫の弱虫で、いつも小雪の後ろをついて回ったが、長じていくに従い、他の仲間が決して及ばない体術と知恵を身につけた。

のみならず、仲間内の人望篤く、次期滝丸党の長、四代目滝丸となるのは長七だと、誰もが目していた。


実際、三代目滝丸から長七は、次代に名指しされた。

その折に、襲名の儀には、小雪を嫁に、と彼は三代目に願い入れ、それは叶えられた。

無論、小雪の同意の下に。


幸福だった。

小雪は幸福だった。

己を含む仲間のいかなる命も、血の祭壇に供えられている、凄惨な日常の中でも。

悲劇の薄皮の上で、覚悟を持って誇り高く笑うことが、これほど心に添った日々もなかったろう。


だが、長七の襲名前夜。小雪との祝言前日。






長七は死んだ。






一年前、血の尾を引きながら川面を流れてきた長七の亡骸の姿形を、今も鮮明に小雪は記憶に反芻できる。

匕首で、心の臓を一突きだった。

即死であったことが幸いだ。

ともすると、それは刃を振り下ろした者の慈悲であったのか。

なんにせよ、長七ほどの手練れを一刀で屠った相手の存在に、仲間は全員震撼として、悪夢でも見ている心地になった。


なぜそのようなことになったのか。

あり得ない偶然から、歯車は狂ったのだ。

あろうことか滝丸党は、その日盗みに入った大店で、他の盗賊一味と鉢合わせた。


片や滝丸党、片や如月一清一味。


運が悪かった、間が悪かった。と言うような話ではない。

一日に出入りする鼠の数まで勘定するごとき綿密な下調べは、そのような事態を避けるためにもなされているのだ。

相手の正体までは分からずとも、何者かが動いている気配は察せられる。

腕のいい盗人集団ならば、鉢合わせ自体を避け、相手の裏をかくことを好む。

だがその仕事に限って、どうやら滝丸党のみならず、如月一清一味の方へも、他が仕事に乗り出してくるという情報が回らなかったのだ。


後から確認を取った話だが、これはいささかおかしい。


天の悪戯的采配、と言うよりも、割り込んだ第三者が悪意の腕で、情報が巡る回路を一部、握り潰したのではないか。

そう考える方が、納得いくのだ。


しかし、実際に何者かが関わっていたのだとすれば、その人物はなんと巧妙狡猾であることか。

真相は未だ謎のままで、存在の影を見せながら、尻尾の先端すら掴ませていないのだから。


いずれにせよ、双方は闇の中獲物の家であいまみえた。

もとより、盗賊同士、水が合うはずはない。

馴れ合いもない。仲間内の結束は固く、彼らは孤高だ。

ひとつの獲物を狙う集団、その頭脳はふたつ。


冷静に考えれば、もっと別の方法があったろう。

だが、どちらも退くに退けなかった。


睨み合う内、何が引き金となったのか。


庭先で固唾を呑んでいた見張り役の二人が首筋から血を噴いて倒れ伏した。

双方の身内が一人ずつ同時に絶命したのだ。

相打ちで、あったのか。


それが、敵意と殺意を呼んだ。


あとは脆かった。

糸巻くようにぎりぎり張り詰めた緊張が、切れる。

それをさらに引き千切り、押し広げ、体温に湿った血風が渦巻き飽和した。

不殺の信念はなくとも、余計な殺生は誰しも好まない。


と言うのに、その日に限って、現場は凄惨を極めた。


盗賊たちのみならず、騒ぎに気付いた家人たちが起き出した脳天に、刃が降ったのだ。

止める間もなかった。

統制する者の言葉がなく、わずかの間命令系統が乱れたためだ。


ただし、たくましい理性を持つ彼らはすぐに悟った。

獲物の家に、居続けることの危険を。

意地のみでその場に踏ん張ることはこの上もない愚行だった。

命を惜しむのならば。


気付けば、彼らの行動は早かった。

潮が引くようにさぁっと外へ飛び出していく。

千々に、彼らの背中は闇に紛れた。


緊急時の集合場所と、長七と言い交わしていた橋の袂で、小雪は待った。

夜、橋の影で息を潜め、身体を丸めて、長七を。


無事だと信じていた。疑わなかった。

希望、どころでない。それは確信である。


長七は強い男だった。

まだ十六の少年であったが。

小雪から見て、最も死などとは縁遠い場所にいる男だった。


なにより翌日は小雪と長七の祝言である。


今夜の仕事は失敗に終わったが、不謹慎にも小雪の胸は躍っていた。

明日、長七と夫婦になる。

二人は未だ口付けすら交わしたことがなかったが、何も怖くはなかった。

むしろ、焦がれた。


目を合わせるたびに、小雪は確信を抱いていた。

長七も、同じ気持ちであると。


長七と歩く未来のためにも、生き残るために全身全霊かけて臨まなければならないのは、小雪の方だった。

小雪は女で、しかもズバ抜けた才能があるわけではない。

盗賊生活に慣れているとは言え、万事について平均的な能力しかもっていなかった。


生死の天秤がいつどちらへ傾いても不思議のない危機に、常にさらされているのは、小雪の方だったはずだ。


とは言え、ここまでくれば大丈夫だ。

あとは長七と落ち合い、揃って仲間の許へ帰るだけ。

小雪は無邪気にそう思っていた。だが。

必ず来るに違いない相手を待っている、その希望に満ちた小雪の童女めいた瞳に映ったのは。




肌色を蝋に変えた、待ち人の亡骸。


結氷となっていないのがおかしいほど冷えた川の水に洗われ、…死の領域を超えた後でも、小雪の元へたどり着いてくれた長七の姿。




その後、自分がどうしたのか小雪は覚えていない。

長七を冷たく黒い川から引き上げ、夢中で仲間を呼びに走った。


駆けつけた複数の仲間たちは、小雪に長七と三代目如月一清の決闘を語った。


二人互いに仲間を逃がすため、一騎打ちになだれ込み、結果。

長七は死亡した。






ヒトは、誇らしい死に様と語るだろうか。

正々堂々の勝負だ、結果如何に関わらず、一清を恨むは筋違い、と諭すだろうか。


冗談ではない。

そんな言葉は、奇麗事だ。


今まで散々他者の命を手にかけてきた小雪が、言えた義理ではないだろうが。






長七の身体を仲間に預けた後、小雪の足取りは自然と重くなった。

仲間が、小雪がいないことに気付いたのはいつだったろうか。

彼女自身が路頭に迷ったと悟ったのは、全身を、雨に叩かれつくした後だった。


一年前のその日、己を操る糸が切れた格好で小雪は町の一角で蹲った。

もう立てないと思った。

立ちたくなかった。






自暴自棄に身体を投げ出したとき、小雪は右京と出会ったのだ。






さしかけられた蛇の目の傘。差し出された、温かい掌。

見上げた先にあった瞳の優しさに、廃れかけていた心から熱いものが吹き上げた。


小雪は右京に会って、はじめて泣いた。長七の前でも、泣いたことはなかった。


泣く場所を、小雪は探していたのかもしれない。

生きた長七の姿を捜しながら。

彼の死を目前にしながら信じられず、なお。


ただ、右京の手を取る勇気はなかった。

小雪は右京の手を取らなかったのだ。

長七のいない世の中で生きる覚悟がなかったから。

なのに、彼は逡巡する小雪が手を伸ばすのを待たなかった。

無抵抗の彼女を抱える格好で自宅へ連れ帰った。


行き着いた場所は、呉服屋風見。

そこで、小雪は世話になることになった。

と言っても、その頃の小雪は、冥府へ半分旅立ち、人間の抜け殻のような状態だった。

起き上がることも食事を取ることも自力ではままならなかったのだ。

放って置かれたなら、小雪は死んでいただろう。


だが、周囲は彼女を生かそうと懸命になった。

小雪を怪しむ者も少なくなかったろうが、誰もが優しかった。

それから、小雪は呉服屋風見で働き始めた。

行くところがないと推測され、ならば、と店で働くことを勧められたのだ。

人手が足りないのだと。


回復の兆しが見えてからは早かった。

まともな思考回路を構築してからすぐさま、小雪は滝丸党の仲間と連絡を取った。

育ての親である三代目は小雪の心の休息のためにも、と呉服屋で働くことを許した。

その間、盗賊家業は休業したが、小雪は裏で如月一清の動向を探った。

仇討ちのためだ。


一方で、風見での生活は心地よかった。

小雪が手を伸ばすことを諦めきったひかりが、そこにあったのだ。

そのひかりの核が、風見右京。


だが、今となっては右京がどういうつもりで小雪に手を差し伸べたのか、分からない。

あの状況で、彼が何も知らなかったわけがないのだ。

なぜ、手を差し伸べたのか。

家に招き、助けたのか。仕事を与えたのか。優しく接したのか。


それとも全ては偽りか。彼なりの、思惑あってのことか。


小雪は、過去の記憶に目を細めた。

彼女は今、背中から太陽の光を燦と浴び、土塀に自身の影を映している。

あのときと違って、今は真昼。雨も降っていない。

だが、一年前に力尽きて蹲ったこの場所に立つと、人体の一番深い場所まで抉られる。

乾いて毛羽立った心を、更にかきむしられるのだ。


如月一清の命を狙ったのが、昨夜のこと。


小雪は、自身の命は、長七と共に消えたものと考えている。

ゆえに、惜しむものなど何もない。

失敗し、殺されても仕方のないものと最初から覚悟していた。


ただ、せめて一太刀、と。願った。


しかし、右京の命、は。

惜しい。

たとえ右京が如月一清だろうと。





右京は小雪の恩人なのだ。






だが、一清は長七を殺した仇である。






堂々巡りだ。

小雪は腹の底から息を吐き出した。

身体を二つに引き裂かれる心地である。

吐息は、細く、震えていた。


しかも右京は、それを知った小雪を逃がしたのだ。

そこが分からない。


そもそも、右京は大店の次男坊である。

店を継ぐのは長男の京介であるが、望めば番頭の地位を得ることができる。

否、望まずとも、現在の主人である右京の父と、兄の京介はそうと決めている節があった。

右京には才能も信頼もある。


右京は表街道を、堂々と胸を張って闊歩できる身分にあるのだ。

というのに、彼はそれを捨てる覚悟で盗賊集団の頭目となっている。


理由は、風見の後妻として入った今は亡き右京の母親が、二代目如月一清だったからだ。

ただし、右京の父親のみならず呉服屋の面々は、次男坊が持つもうひとつの顔を知らない。


当然、後妻となった右京の母親が裏に持った顔のことなど。






右京は昨夜、小雪に手早く己が抱えた事情を語った。


右京は、血から逃れられなかったのだ。

幸か不幸か、彼にはそちらの才能もあった。

そして、三代目如月一清が誕生したのだ。

だが、冷酷残忍で知られる一清ならば、素性を知った者を生かしておくわけがない。


一清の苛烈さは無比のもの。


命を狙った者など容赦なく潰す用意が、いかなる時にもあるだろう。

実際、彼はあのままならば確実に、小雪の命を散らしていた。

見事と言う他ない手腕で、手際よく鮮やかに。


しかし、誠実温厚で知られる右京ならば。


はじめからヒトを、殺められるはずがない。

今、小雪を生かしている甘さも、右京ならではのものだ。おそらくは。

小雪は奥歯を噛み締めた。


一清ならば殺せる。

だが、右京として相対する以上は、小雪に彼は殺せない。

ともすると、それは彼も同じと言うことだろうか。


右京として接した小雪は、殺せない。そういうことなのか。


昨夜、彼は言った。

「右京と思う必要はない。一清と思えばいい」

常となんら変わらない、優しい笑みで。

…同じ微笑みで、他者の命を手にかけるのかと小雪は戦慄した。


あるいは、長七を殺したときも、その笑みを浮かべていたのだろうか。


「私は滝丸党の者。一清に殺された長七は私の許婚でした」

混乱に彩られた血を吐くような小雪の呻きに、しかし右京は動じなかった。

そうか、と微笑みで受け止めた。


「今、心を決めかねて、この一清と相対する覚悟が小雪にないのなら。次をあげよう」


彼の声には、嘲笑も苦悶も懺悔もない。

あるのは、日向のにおいがする風のような、晴朗さ。

彼は天気でも告げる口調で、次の襲撃場所を小雪に伝えた。

柔和に宣言された日付は、明日の晩。


一清たちは連日で動くということだ。

その日、彼らが行った大仕事の内容を承知していた小雪は咄嗟に言葉もない。

なんという大胆。

瞠目した小雪から手を離し、右京ははじめて沈痛な表情を浮かべた。




「早く、お帰り。骨が氷柱になってしまう前に。ひどく、冷えているよ」


あのときも、そうだったね。




俯いたと思ったときには、彼の姿は闇に溶けて消えていた。

小雪はため息をつく。

迷い出た吐息に、言葉にならない心の響きが重く絡んだ。

自己の骨肉と化していた復讐心。


そこに、塞がることはないだろう亀裂が入ったことを、小雪は自覚した。


果たして、一清と再び対峙したとき。

滝丸党の小雪は、彼を討ち果たせるのだろうか。






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