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まだログアウトしない、私たちへ  作者: 汐見沢はるか
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6/8

見えていたものが、違っていた

 通話を抜けたあとも、レンはしばらくログアウトできずにいた。


 画面の中では、街がいつも通りに動いている。誰かが立ち止まり、誰かが走り抜け、チャット欄の端には、さっきまでの戦闘ログがまだ残っていた。


 終わった。


 今日の活動は、もう終わったはずだった。


 それでも、レンの中では、まだ線が伸びていた。


 足元に範囲が出る。線がつながる。左、と言われる。左。画面の左なのか、自分から見て左なのか。事前に確認していたはずなのに、実際に来た瞬間、判断が一瞬遅れた。


 一瞬。


 それだけだった。


 けれどその一瞬で、レンのキャラクターは倒れた。


 誰かに強く責められたわけではない。ミナトは一度仕切り直してくれたし、セナは立ち位置を教えてくれた。次に同じ処理が来たとき、レンは動けた。


 それでも、レンには、最初に流れを悪くしたのは自分だと思えた。


 チャット欄に、新しい通知が出る。セナだった。


「今日の確認点です。足元範囲は全員問題ありません。次回は、判断後の移動距離を少し広めに取ります。迷った場合は、中央へ戻るより、先に位置を確定させたほうが安全です」


 短い文章だった。


 けれど、レンはその数行をすぐには読み終えられなかった。


 失敗した、とレンは思っていた。


 しかしセナの文章では、それは少し違う形に分けられていた。足元範囲は問題なし。次回見るべきものは、移動距離。


 全部だめだった、とは書かれていなかった。


 レンはチャット入力欄にカーソルを置いた。


 通話の最後に「次も、行けると思います」と答えた。時間は空いている。けれど、自分が行っていいのかは、まだ分からなかった。


 指先が、ゆっくり動いた。


「すみません。最初、あそこで失敗しました」


 送ってから、画面を見られなくなった。


 数秒置いて、ミナトの返事が来た。


「あそこで確認できたのはよかったと思います。今日はまだ初回なので、次はそこをもう一度見ましょう」


 整った文章だった。ミナトらしい、全体に向けた返しだった。


 続いて、セナが書き込む。


「一度目は失敗です。二度目は成功です。次回は、二度目の再現です」


 レンは、その文を見て少し息を止めた。


 ──一度目は失敗です。


 はっきり書かれていた。けれど、不思議と責められている感じはしなかった。慰められている感じでもなかった。ただ、事実として置かれていた。だから逃げ場がない代わりに、余計な意味もついていなかった。


「最初から全部できたら、それはもう初見じゃないです」


 リリカの文が入った。


「というか、最初から全部できる人が来たら、こっちが緊張します」


 すぐにトウマが続く。


「俺ならあそこで左って言われて右に行きます。なんなら前にも出ます」


「判断力どこに置いてきたんですか」


 リリカが返す。


「開始地点……かな」


「拾ってきてください」


 画面の向こうで、たぶん誰かが笑っている。


 レンはそのやり取りを見ながら、返事を打てずにいた。場が軽くなったことは分かった。けれど、自分がそこに同じ温度で入っていいのかは、まだ分からなかった。


 カイの発言が流れる。


「レンさんは、自分の失敗で流れを悪くしたように感じていると思うんですが」


 レンの手が止まった。


「ミナトさんから見ると、分からないところを言ってくれた。セナから見ると、次に直す場所が分かった」


「私から見ると、初見の人がひとりで背負いすぎに見えました!」


 リリカが続けた。


「俺から見ると?」


 トウマが聞く。


「トウマは、参考にならない実例として優秀です」


 カイが返した。


「不名誉すぎる」


 リリカがそこで一度、話を戻した。


「でも、レンさんが確認してくれたのは本当に助かりましたよ。黙ったまま二回目も同じことになるほうが困ります』」


 ──助かりました。


 その言葉に、レンは少しだけ困った。むしろ、迷惑をかけたと思っていた。けれどリリカには、レンが分からないところをそのままにしなかったように見えているらしかった。


 レンは入力欄に、短く打った。


「ありがとうございます。次は、距離も見ます」


 送ったあとで、少し変な文かもしれないと思った。それでも、今のレンには、それ以上の言葉は出てこなかった。


 セナから、すぐに返事が来た。


「はい。方向は合っていました。足りなかったのは距離です」


 レンは、その一文をもう一度読んだ。


 ──方向は合っていました。


 ──足りなかったのは距離です。


 失敗した場面が、少しだけ違う形に見えた。


 左が分からなかったのではない。何も見えていなかったのでもない。判断が遅く、動いた先が足りなかった。


 それなら、次に見るものがある。


 チャット欄に、ミナトの文章が流れた。


「次回は同じところから確認します。今日の続きというより、今日分かったところを使って進める形にします。無理に先へ進めるより、まずは安定させましょう」


 その言葉が、思ったよりもありがたかった。


 次はもっと先へ進まなければならない、とは言われなかった。今日できなかったところを、なかったことにもされなかった。同じところから、もう一度見る。


 それだけだった。


 そのあと、連絡事項がいくつか流れた。次回の集合時間。事前に確認しておくこと。装備の修理。食事アイテムの補充。どれも、特別な内容ではなかった。


 レンは、セナの振り返りメモをもう一度開いた。足元範囲。線の左右判断。移動距離。


 短い言葉を、自分用のメモに移す。


「足元範囲を見る。線の左右を見る。左右を決めたあと、少し大きく動く。迷ったら、次に確認する」


 そこまで書いて、手を止めた。


 失敗しないためのメモではなかった。きっと、次も失敗することはある。線を見るのが遅れるかもしれない。足元を見落とすかもしれない。距離がまた足りないかもしれない。


 けれど、今日の失敗は、ただの黒い塊ではなくなっていた。


 ──一度目は失敗。


 ──二度目は成功。


 次は、二度目をもう一度やる。


 それだけなら、覚えられる気がした。


 レンはメモを保存した。


 ログアウトのボタンにカーソルを合わせる。


 まだ、チームに馴染んだとは思わなかった。あの軽口の中に、同じ速度で入れる気もしなかった。


 ただ、次に何を見るかは、少しだけ分かった。


 足元。


 線。


 左右。


 それから、距離。


 ログアウトする直前、レンはもう一度だけ、自分のメモを見た。


 失敗しない方法ではなかった。


 けれど、同じ場所に戻るための目印にはなっていた。

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