名前だけが、先に入っている
昨日の顔合わせは、悪くなかった。それが、いちばん困った。
募集文を読んでいたときは、まだ画面の向こうの話だった。少し気になっただけ。合わなければ、そこで終わりにすればいい。そう思っていた。
けれど、昨日の通話で、文字だけだった名前に声がついた。ミナトの落ち着いた進行も、セナのきっちりした返事も、リリカの少し刺すような言い方も、トウマの軽さも、カイの理屈っぽさも、もうただの文字ではなくなった。
知らない人たちの募集ではなくなってしまった。だから、面倒だった。嫌な人たちなら、次は行かなければいい。合わなかった。自分には向いていなかった。そう言えば済む。
けれど、嫌ではなかった人たちの予定を断るには、相手のせいにできない理由がいる。
明日、初めて一緒にプレイする。その予定に入った瞬間、自分はただの見学者ではなくなる。黙っていれば済むとは限らない。動けなかったことも、聞き返せなかったことも、言うべきことを飲み込んだことも、画面の向こうの誰かに見えてしまう。
行きたくないわけではない。でも、行くと決めたくない。その差を、彼はうまく説明できなかった。
机の前に座ったまま、彼は昨日使った連絡用のチャットを開いていた。閉じればいいのに、閉じていない。通知が来るたびに、視線だけがそちらへ動く。
昼過ぎ、チームのチャンネルに書き込みがあった。
「明日の初回用に、見るところだけざっくり置いときます」
最初に書き込んだのはセナだった。
「全部覚えなくて大丈夫です。最初は、敵の向きと集合位置だけ見てください」
続けて、短いメモが貼られる。開始直後にどこを見るか。危ない予兆が出たらどこへ寄るか。最初から全部を覚えるというより、迷ったときに見る目印だけが並んでいた。
リリカが返す。
「全部覚えてきたら逆に怖いです」
トウマがすぐに続いた。
「安心してください。俺は全部見てもわかりません」
「不安にさせないでください」
「はい」
昨日の声が、文字の向こうに戻ってくる。まだ一度、顔合わせをしただけなのに、誰がどんな調子で言っているのか、少しだけ分かってしまう。それが、彼には落ち着かなかった。
カイがセナのメモに反応した。
「最初は集合位置だけでいいと思います。細かい処理は、やってからじゃないとたぶん分からないです」
トウマが口を挟む。
「俺、初回のとき集合位置すら怪しかったです」
「しっかり予習してきてください」
会話は軽かった。それでも、ふざけているだけではない。セナのメモは見やすく、カイの補足は理屈が通っている。リリカは刺すような返しをするが、必要なところではちゃんと拾っている。トウマの軽さも、場を崩すというより、息を抜くための隙間になっていた。
悪い場所ではない。そう思ってしまうから、余計に困る。
夕方になって、ミナトの書き込みが流れた。
「昨日は顔合わせありがとうございました。明日22時開始で仮置きします。参加予定は、自分、セナさん、リリカさん、カイさん、トウマさん、レンさんです。レンさんは初回なので、合わなければそのあとで判断、でも大丈夫です」
彼は、その一文をしばらく見ていた。
──参加予定。
そこに、自分の名前が入っていた。合わなければそのあとで判断、でも大丈夫。
そう書かれている。強制ではない。逃げ道もある。むしろ、かなり丁寧な文面だった。
それでも、彼は画面から目を離せなかった。
まだ決めていないはずなのに、予定の中ではもう、レンは明日そこにいることになっている。
仮置き、という言葉がついている。合わなければいい、という言葉もついている。けれど、何も言わなければ、そのまま進む。
セナがすぐに返した。
「了解です。22時で大丈夫です」
リリカも続く。
「行けます」
トウマが少し遅れて書き込んだ。
「行けます。予習します。理解は保証しません」
「保証してください」
「努力します」
カイは短かった。
「大丈夫です。開始前に少しだけ確認しましょう」
会話は、明日に向かって進んでいく。
誰も、レンの返事を急かしてはいない。来ることを大げさに喜んでいるわけでもない。ただ、予定だけが先に形を持っていく。
彼はキーボードに手を置いた。
──明日は少し難しいかもしれません。
そう打って、消した。
予定は空いている。難しい、は嘘ではない。けれど、嘘に近い。
──自分にはまだ早い気がするので、今回は遠慮します。
そこまで打って、また消した。
早い気がする、というのは本当だった。だが、それは昨日のチームが悪かったからではない。自分が勝手に身構えているだけだ。
その違いを、うまく文面にできない。彼が何も送れないでいるうちに、ミナトがもう一度書き込んだ。
「レンさん、もし見ていたらで大丈夫です。明日までに動画を全部見る必要はありません。最初の一分だけ見ておいてもらえれば足ります」
自分の名前が出て、彼は息を止めた。
責められているわけではない。確認されているだけだった。
攻略動画は、少しだけ見ていた。全部は分からなかった。分からないまま見続けているうちに、自分が何を分かっていないのかも分からなくなって閉じた。
それでも、最初だけなら見たと言える。彼は返信欄を開いた。
──最初のところだけ見ました。まだ全部は分かっていませんが、集合位置は確認しておきます。
送信する前に、何度か読み返した。
硬い気がした。だが、くだけた書き方にするほうが不自然だった。
彼はそのまま送った。
ミナトから返事が来る。
「ありがとうございます。それで大丈夫です」
続けて、セナが書いた。
「最初はそれで十分です。むしろ全部覚えようとすると混乱します」
リリカも続く。
「初回から完璧な人、だいたい別の意味で怖いです」
トウマが反応する。
「俺は怖くない人です」
「完璧じゃないだけです」
「はい」
彼は、少しだけ笑いそうになった。
笑ったわけではない。声も出していない。ただ、画面の前で息が抜けた。
それもまた、困ったことだった。
攻略動画を見たかどうか。最初にどこを見るか。分からなければ聞けばいいこと。ひとつずつ決まっていくたびに、明日の予定が輪郭を持っていく。
まだ一緒に遊んですらいない。それなのに、自分がそこにいる前提で話が進んでいる。
歓迎されている、というほど大げさなものではなかった。ただ、数に入っている。そのほうが、逃げづらかった。
夜になって、個別メッセージが届いた。ミナトからだった。
「明日の件、急がせるつもりはありません。来られそうなら同じ時間で考えています。難しければ、早めに言ってもらえれば大丈夫です」
それだけだった。ぜひ来てください、とも、レンさんがいると助かります、とも書かれていなかった。
だからこそ、彼は画面の前で止まった。来てほしいと言われれば、断る理由にできたかもしれない。期待が重いから。まだそこまでできないから。そう言えたかもしれない。
けれど、ミナトの文面はそうではなかった。来てもいい。来なくてもいい。どちらでもいいように置かれている。それなのに、どちらかを選ぶのは自分だった。
──少し考えます。
そう打って、消した。
──今回はやめておきます。
それも、すぐに消した。やめる理由がなかった。理由にできるものがあるとすれば、それは全部、自分の中の面倒くささだった。
明日になれば、たぶんもっと面倒になる。
開始の少し前から落ち着かなくなる。通話に入るタイミングを何度も考える。最初の挨拶で詰まらないか気にする。分からないことを聞くべきか、黙って見ているべきかで迷う。
それでも、昨日の顔合わせは嫌ではなかった。
チームチャットも、嫌ではなかった。そこから逃げる理由を探している自分のほうが、よほど厄介に思えた。
彼は返信欄を空にした。
長い文章を送るのは、やめた。説明しようとすると、たぶん全部、言い訳になる。自分でもまだ整理できていないものを、相手に渡すことになる。
だから、短く打った。
「行けます」
それだけでは冷たい気がして、少し迷う。だが、余計なことを足すと、また消したくなる気がした。
彼はそのまま送信した。すぐに既読がついた。少し間があって、ミナトから返事が来た。
「了解です。明日、同じ時間でお願いします」
それだけだった。
彼は、送信済みの一文を見ていた。
──行けます。
たった四文字の返事で、逃げ道がひとつ、静かに閉じた気がした。




