最初に聞くのは
21時52分。彼はもう、ゲームにログインしていた。
画面の中で、彼のアバターである「レン」は街の広場に立っている。行き交うプレイヤーたちの名前が、魔法灯の下を流れていく。その賑わいは、いつもなら気楽な背景でしかない。
けれど今日は、その向こうにいる人たちと、これから声でつながることになる。
昨日ミナトから届いたメッセージには、外部の音声チャットツールへの招待リンクが貼られていた。ゲームとは別に開いた通話画面が、今日の顔合わせの場所になる。
入室ボタンは、押せばいいだけだった。仕事の会議なら、迷わない。けれど、これは仕事ではない。何週間も一緒に戦うかもしれない人たちの声が、向こう側にある。
集合時間は22時。まだ早いと思いたかった。
21時58分。
2分前なら、もう早すぎるとは言えない。
彼は息を吐いて、入室ボタンを押した。短い接続音のあと、耳元が静かになった。
「レンさん、聞こえています。急がなくて大丈夫です」
最初に届いた声は、男の声とも女の声とも、すぐには決めきれなかった。聞き取りにくいわけではない。声そのものよりも、返事を急かさない間の取り方が耳に残った。
「あ、はい。聞こえてます。レンです。よろしくお願いします」
言い終えてから、少し早口だと反省する。
「よろしくお願いします。入ってもらえてよかったです。今いるのは、セナさん、リリカさん、カイさんです。もう一人、参加候補のトウマさんも来る予定なので、そろってから簡単に自己紹介しましょう」
「はい」
22時をほんのわずかすぎた時、通話の向こうで小さく入室音が鳴った。
「こんばんは、トウマです。少し遅れました、すみません 」
若い男性の声だった。大きすぎず、馴れ馴れしすぎもしない。遅れたことを必要以上に重くしないまま、すっと場に入ってくる声だった。
「こんばんは。ちょうど始めるところです。では、こちらから順番にいきますね」
ミナトはそこで一度、短く間を置いた。
「ミナトです。ジョブはタンクです。前の高難易度までは一通りやっています。今回は新しく入る人もいるので、最初はクリアを急ぐより、声のかけ方や動き方を合わせるところから始めます。よろしくお願いします」
柔らかいが、曖昧ではない。何を優先する人なのかが、少し見えた。
「セナです。支援職をやっています。前のチームからミナトさんと一緒です。進行確認や、調整を手伝うことが多いです。時間や準備は、わりと気にします」
落ち着いた男性の声だった。無駄な言葉が少なく、きっちりしている、という言葉が近いかもしれない。この自己紹介をうけて、トウマが気まずそうに笑う。
「リリカです。ヒーラーです。前の高難易度も最後までやっています。回復と立て直しは任せてください。そうそうお通夜にはさせませんよ 」
リリカは、明るい女性の声だった。 軽い言い方なのに、ふざけていない。誰かが小さく笑った。彼も、少しだけ肩の力が抜ける。
「カイです。アタッカーです。前回も最後までやっています。火力を出します。詰まった時、どこで崩れたかを見るのが得意です」
こちらは男性。平らで事務的に聞こえる。怖いというほどではない。ただ、正しいことを短く言う人なのだろうと思った。
「レンさんは、昨日聞いている範囲だとアタッカー希望でしたね」
「はい。ジョブはアタッカーです。高難易度は野良で少し触ったくらいで、チームでの攻略経験はほとんどありませんが、皆さんの足を引っ張らないように頑張ります。ただ、声で話すのは……慣れるまで少し遅れるかもしれません」
昨日、文字で送ったこととほとんど同じだった。なのに、声にすると、言葉の重さが変わる。
「了解です。返事は短くて大丈夫です。詰まったら、詰まってるってことだけ教えてください」
言葉にするのが遅れても、出し方が決まっているのは少し楽だろうと感じた。
「トウマです。ジョブは近接アタッカーです。前の高難易度は途中までチームでやっていました。ただ、そこは途中で解散になったので、今回は最初に確認できることは確認したいです」
途中で解散…… その一言で、通話の空気が少しだけ変わった。理由まではわからない。ただ、よい終わり方ではなかったのだろうことは、彼にも察せられた。ミナトだけが、声の調子を変えずに、彼の言葉を受けた。
「わかりました。先に言ってもらえて助かります。トウマさん、確認したいことがあるって言ってましたけど、今話せます?」
「あ、じゃあ…… 先に聞いてもいいですか」
トウマは、ほとんど迷わずに言った。
「攻略で詰まった時って、どこまで話しますか。前のところ、そこが曖昧なまま進んで、だんだん言いづらくなったので」
彼は、画面の中のレンを見た。 それは、彼も気になっていたことだった。ミスをした時、何を言っていいのか。どこまで踏み込んでいいのか。最初から聞くには角が立つ気がしていた。
「もちろん、空気を悪くしたいわけじゃないです。ただ、クリア目標なら、直したほうがいいところは、ちゃんと話さないと進まないですよね」
ミナトは少し間を置いてから、普通の確認事項のように受けた。
「話します」
短い返事だった。
「クリアを目標にしているので、直したほうがいいところは言います。動き方でも、準備でも、連絡でも。ただ、誰かを詰めるためには使いません」
「改善案は、全員から出していい感じですか」
「はい。むしろ、出してほしいです。こちらでも見るつもりではいますが、全部は見えません。気づいた人が言ってくれたほうが早いです」
その言い方は、柔らかかった。けれど、甘くはなかった。
「ただ、言い方だけは気をつけたいです。『今のここが崩れた』は必要です。『下手』とか『向いてない』は、攻略の話ではないので」
聞きづらいことを聞いて、答えを受け取り、次へ進む。その速度が、彼にはまぶしかった。
聞いてよかったのか。こういうことを、最初に聞いてもよかったのか。
その場は、壊れなかった。むしろ、言いにくいことも話していい範囲が見えた分、少しだけ息がしやすくなった気がした。
「カイさん、そのあたり補足ありますか」
「あります。指摘は必要です。ただ、人の性格や向き不向きの話にはしない。 判断が遅れた、立ち位置がずれた、手順を忘れた。そこまでです。下手とか向いてないとかは、攻略に必要な情報じゃないので 」
「攻略に必要な情報じゃない」
リリカが、少し面白がるように繰り返した。
顔合わせは、そのあとも滞りなく進んだ。活動日は週2回。欠席がわかった時点で連絡する。攻略資料は事前に見るが、完璧に覚えてくる前提にはしない。 初回は動きを確認しながら進める。
説明はわかりやすかった。誰がどこで不安になりそうかを、先に見ているようだった。 彼が黙ると、ミナトはすぐに答えを求めなかった。トウマが質問を重ねると、話が広がりすぎないところで戻した。リリカが空気を軽くすると、その軽さを使って次の確認へ進めた。
上手い、と思った。同時に、少しだけ引っかかった。上手すぎる。
顔合わせの終わり際、カイがふと思い出したように言った。
「次回から、開始10分前には全員入っておいたほうがいいと思います。音量とか通知とか、始まってから直すと時間を使うので」
「そうですね」
セナが短く続けた。
「戦闘に入る前の確認で止まることは、前にもあったので」
「では、次回は開始10分前を目安にしましょう」
ミナトがそう受ける。そのやり取りは、自然だった。自然すぎて、前から何度も繰り返されてきた形に見えた。
顔合わせは、30分の予定を少しだけ過ぎて終わった。
「今日はありがとうございました。無理に今ここで結論を出さなくて大丈夫です。参加してみてもいいと思えたら、今週中に連絡をください」
「はい。ありがとうございました」
彼が言うと、リリカがすぐに続けた。
「レンさん、初回であれだけ返せてたら十分ですよ」
「そう、ですか?」
「十分です。初回から急に場を回し始める人のほうが、こっちが身構えます」
トウマが笑った。
「それはちょっとわかります。最初から慣れすぎてる人、逆に怖いです」
彼も、今度は声に出して笑えた。通話を抜けると、部屋の音が一気に消えた。彼はヘッドセットを外さず、しばらくそのまま座っていた。
怖くなかったわけではない。最初の一言を出すまで、喉は固かった。トウマが自然に話すたび、自分の遅さも見えた。ミナトが全部を拾うたび、その場が安全に見える理由もわかった。
このチームは、偶然ああなっているわけではない。誰かが、そうなるように整えている。
彼はチャット欄を開いた。ミナトに送る文面を打とうとして、早いと思い直す。結論は急がなくていいと言われた。甘えていいのか、すぐ返すべきなのか、また迷った。
ただ、断る理由は、昨日より少なくなっていた。
画面の中のレンは、同じ場所に立っている。さっきまで、そこには声があった。もう聞こえないのに、あの声だけが、まだ耳に残っていた。




