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まだログアウトしない、私たちへ  作者: 汐見沢はるか
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声だけが、先に近づいてくる

 閉じられない画面を前にして、彼はしばらく動けずにいた。


 募集文は、何度読んでも同じだった。活動日、時間、役割、連絡方法、事前に見ておく攻略資料。同じメンバーで何週間も攻略を続けるチームなら、書いてあって当然のことばかりだった。


 ただ、最後の二行だけが、どうしても目に残った。


 ――うまくやることより、続けて一緒に考えられることを大事にしています。

 ――言いづらいことを黙ったままにされるほうが困るので、違和感があれば短くても教えてください。


 「短くても」という言い方が引っかかった。言葉になりきらないものでも、まずそこに置いていいという意味に読めた。そう読めるのは、彼がそういう場所を探していたからかもしれない。


 彼は募集をかけているプレイヤー情報を開いた。プレイヤー名は、ミナト。アイコンには、青みのある鎧を着たキャラクターが写っていた。


 入力欄に、文字を打つ。


「はじめまして。募集を拝見しました」


 そこまでは、すぐに書けた。その先が続かない。


「アタッカー枠で参加希望です。活動日は問題ありません。チーム経験は少ないですが、事前準備はできます」


 間違ってはいない。だが、並べるほどに、面接の自己紹介みたいになっていく。違う。これでは、うまく見せようとしているだけだ。彼は一度、全部消した。


 送らなければ、何も起きない。それは、いつも通りだった。気になったものを見なかったことにする。入りたかった場所を通り過ぎる。あとから「向いていなかった」と思う。そのほうが安全だ。けれど今日は、その安全な場所に戻ることが、少しだけ悔しかった。


 彼はもう一度、文章を書いた。


「はじめまして。募集文を拝見しました。アタッカー枠で参加希望です。チーム経験はほぼありません。活動日と時間は問題ありません。募集文の『違和感があれば短くても教えてください』というところが気になって、連絡しました」


 最後の一文だけ、余計かもしれない。「気になって」という書き方は曖昧だ。良い意味なのか、悪い意味なのかもわからない。


 彼は送信ボタンに指を置いたまま、数秒止まった。また消すこともできた。けれど、ここで消したら、きっともう送らない。彼はそのまま、送信ボタンを押した。送信済みの文字がつく。思っていたより、あっけなかった。画面の中では、彼が操作するキャラクター「レン」が、広場の端で立ち尽くしている。


 返事はすぐには来なかった。そのほうがいいと思った。すぐ返ってきたら、こちらもすぐ返さなければならない。しかし、そう思った矢先に通知が来た。


「はじめまして。ご連絡ありがとうございます。アタッカー枠、まだ空いています。チーム経験が少ない点は問題ありません。こちらも新規参加の方を前提に進める予定です」


 普通の返事だった。彼は続きを待った。


「ただ、活動が始まってから合わないとなると、お互いにつらくなるので、先にいくつか確認させてください。答えづらいものは、無理に全部答えなくて大丈夫です」


 丁寧だと思った。けれど、柔らかいだけではなかった。答えさせたいのではなく、無理をして合わせる人かどうかを見ている気がした。


 活動日が本当に無理なく出られるか。事前に攻略資料を見ることに抵抗はないか。ボイスチャットで短くでも返答できるか。意見が分かれたとき、建設的に話せるか。


 質問は多かった。しかし、不思議と圧はなかった。できる人を選ぶためというより、入ってから潰れないかを見ているようだった。大丈夫ですか、と聞いてくる。でも、何でも大丈夫だと言わせようとしていない。


 彼は一つずつ返した。活動日は問題ない。資料を見るのも問題ない。ボイスチャットは聞ける。話すことも、必要ならできる。ただ、慣れるまでは少し遅れるかもしれない。


 そこまで書いて、手が止まった。


 最後の質問。「意見が分かれたとき、建設的に話せるか」


 彼は、意見を言われること自体が嫌いなわけではなかった。むしろ、何が悪かったのかわからないまま沈黙されるほうが苦手だった。ただ、その場の空気が変わるのが嫌だった。誰かが謝り、誰かが黙り、正しい言葉でさらに場が固くなる。そういう瞬間を見ていると、戦闘の失敗よりもそちらが気になってしまう。


「話し合い自体は大丈夫です。ただ、空気が悪くなるのが苦手で、何か思っても言うのが遅れることがあります」


 送ってから、やはり余計だったかもしれないと思った。返事は早かった。


「わかりました。先に教えてもらえて助かります。ただ、黙ったまま限界になるのが一番困るので『今ちょっと引っかかってます』くらいでも出してもらえると助かります」


 彼は、画面を見たまま固まった。都合のいい言葉だと思うこともできた。募集主なら、最初は誰にでも優しくする。理解した振りをする。それが悪いとは思っていない。円滑な人間関係を築く初手なら申し分ない。それなのに、ミナトは「わかりました」とは書かなかった。今の彼には、そんなミナトの態度のほうが、信用できる気がした。


「それなら、少し安心しました」


 彼はそう返した。安心、という言葉を使ってから、少しだけ恥ずかしくなった。


 すぐに返事が来る。


「よかったです。条件面は大きく問題なさそうなので、次は一度、参加予定のメンバーも含めて顔合わせできればと思います」


 顔合わせ。その言葉で、急に現実味が出た。チャットを送るだけなら、まだ画面のこちら側にいられた。けれど、顔合わせとなれば、声を聞く。彼も声を出すかもしれない。そこには、ミナトだけでなく、これから一緒に攻略するかもしれないメンバーがいる。


 文字だけだったものが、少しずつ近づいてくる。まだ声は聞こえていない。それなのに、早くも逃げ場が一つ減ったような気がした。


「顔合わせは、いつになりますか?」


 送ると、少し間が空いた。


「明日の22時でどうでしょう。30分ほど、音声通話で顔合わせをします。実際の攻略でもボイスチャットを使うので、複数人で声をつないだときに無理なくやっていけそうかを、お互いに見ておきたいです。自己紹介と、活動日や連絡方法の再確認くらいなので、話せる範囲で参加してもらえれば大丈夫です。こちらが一方的に判断する場ではありません。難しければ調整します」


 彼は予定表を見た。明日は仕事がある。だが、その時間なら帰っているはずだった。「問題ない」と返そうとして、家族のチャットを開いていないことを思い出し――それは、見ていないことにした。


「明日22時、大丈夫です」


「ありがとうございます。では、その時間でお願いします」


 そこで会話は終わると思った。しかし、ミナトの文面はまだ続いた。


「それと、明日はもう一人、参加候補の方も同席する予定です。トウマさんというアタッカー希望の方です。まだ確定ではありませんが、同じく今回からチーム参加を検討している方なので、先にお伝えしておきます」


 参加候補。その文字を、彼はしばらく見ていた。複数人で顔合わせをすることは、さっき聞いた。だから、知らない人がいること自体に驚いたわけではない。


 引っかかったのは、同じ立場の人がいることだった。


 彼だけが、知らない側ではない。

 彼だけが、試される側でもない。


 それは安心していいことのはずだった。けれど、同じ場所から入るはずの誰かが、彼とはまったく違う速さで、その場に馴染んでいくかもしれない。


「承知しました。よろしくお願いします」


 無難な返事を送る。ミナトから、小さなスタンプが返ってきた。片手を上げているだけの、飾り気のないものだった。


 それ以上、会話は続かなかった。彼は椅子に座ったまま、明日の22時という数字を眺めた。


 閉じられなかった画面の先に、人がいた。その人は思っていたより早く返事をして、細かく確認し、簡単には歓迎しなかった。


 それが、なぜか少しだけよかった。


 けれど、明日の夜には、この街のどこかに、自分が向かう場所ができるのかもしれない。そう思った瞬間、楽しみより先に怖さが来た。


 怖いなら、やめてもいい。まだ、誰にも迷惑はかからない。けれど、断る理由を探そうとしても、うまく見つからなかった。


 まだ聞いてもいない声だけが、明日の二十二時から少しずつ近づいてくる。彼は何も送らないまま、画面を閉じた。

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