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第八話:宿場村リロ

 大型馬車が揺れるたびに、車内の空気がゆっくりと混ざり合っていく。マーレンを出発して数刻。火律かりつの太陽は天頂を過ぎ、街道沿いの景色はより一層の鮮やかさを増していた。窓の外には、黒曜月こくようづきならではの深い色彩が広がっている。夏のようなぎらついた緑ではない。どこか落ち着きのある常盤色ときわいろの葉を湛えた樹木や、この時期に全盛期を迎える紫や黄金色の小花が、涼やかな風に揺れていた。カルディアス大陸の平野部は、一環いっかんを通して春のような穏やかさに包まれているが、植生の変化だけは着実に時を刻んでいる。


「もうじき……ルミナス山脈の山嶺さんれいに雪が積もりだすころだわ」


 窓枠に肘をつき、遠く霞む稜線を眺めながら、ラズベルがぽつりと呟いた。彼女の緑色の瞳には、懐かしい故郷の冬の入り口が映っているようだった。


「雪……。あぁ、冬かぁ。あたしの元の世界でも、あそこはもうじき白銀の世界だろうな……」


 先程までゼッペルのパーティーメンバーと話をしていたユイは、一旦、口と目を閉じ沈黙していたが、ラズベルの言葉で、ゆっくりと瞼をあげ、独り言のように言葉を重ねた。「白銀の世界」という言葉の響きは、おとぎ話のように儚く感じられ、少なくともユイを除いたここにいる冒険者にとっては未知の情景だ。けれど、彼女がかつて過ごした場所の美しさを想像させるには十分な重みがあった。

 徐々に車内の空気は、出発直後の緊張から解け始めている。Eランクパーティーの若手たちは、互いに装備の自慢話をしたり、明日への不安を小声で分かち合ったりしていた。だが、ゼッペルだけは依然として腕を組み、厳しい表情で前を見据えている。その生真面目な一貫性は、ある種の安心感を周囲に与えていた。


***


 そんな賑やかな喧騒から少し離れて、チヅルは再び地図を広げていた。隠密スーツのダークグリーンの生地が、窓から差し込む陽光を吸い込んでいる。


(……魔物の発生源。どこにあるのかな)


 チヅルの指先が、ローガン村の北側に広がる丘陵地帯をなぞる。三十体以上のゴブリンとオークの混成部隊。それが統率を持って動いている。本拠地なしにそんな規模の群れが維持されるはずがない。


(古い遺跡が残っているっていう記録はないけど、この起伏の多さなら天然の洞窟があってもおかしくないはず。……潜伏するにはうってつけの場所だ)


 チヅルは、地図の上に立体的な戦場を描き出していく。彼女の思考は冷静だった。かつて王都のあるリアス島で経験した修羅場。そこで培われた常に「最悪を想定する」戦略、そしてその状況を逆転させる発想力。何よりも、どんな状況下に於いても『幸運』を引き寄せる天稟てんぴんの才が、今の彼女を支えている。マジックポーチの奥にある20Kgの浮き粉の用途。そして、群れの指揮官の正体。まだ見ぬ戦いの輪郭を、彼女は無言で、しかし鋭く捉えようとしていた。


***


 宵闇のよいやみのかね――月1刻が鳴り響くころ、一行を乗せた馬車は、ようやく三叉路の要衝、宿場村リロの境界内へと入った。


「着いたみたいだね」


 チヅルが声をかけると同時に馬車が停止した。馬車から降りた冒険者たちの間に「おお……」と安堵の声が漏れた。宿場村リロは、人口三千人を数える活気ある村だ。西に港湾都市マーレン、北東にローガン村、東に獣人の街ベスティアへと続く道が交わる三叉路を中心に、いくつもの宿屋や酒場が軒を連ねている。黒曜月の涼やかな夜気に、薪が爆ぜる匂いと、どこかの食堂から漂う香ばしい肉料理の香りが混ざり合う。夜の灯りが街道沿いに点々と連なり、旅人たちの疲れを優しく迎え入れていた。


「今夜はここで一晩お世話になるよ。……ラズベルちゃん、お願いしてもいい?」


「ええ、もちろんよ。任せてちょうだい」


 ラズベルは快く頷くと、ギルドが手配した宿の主人へ向かって、慣れた足取りで歩み寄った。厨房を借りるための交渉。それは、大人数の大家族の長女として育った彼女にとって、旅先での楽しみの一つでもあった。


「あら、素敵な厨房だわ! 今夜、あたしたちの夕食をあたしに作らせてもらえないかしら? 食材は自前で用意しておりますので」


 ラズベルの柔らかい物腰と、自信に満ちた微笑みに、宿の主人も「今日の客はあんたらだけだ。思う存分、腕を振るってくれて構わないぜ」と快く厨房を譲ってくれた。


***


 一刻ひとこくの後。宿の食堂には、冒険者ギルド「潮鳴りの鉄錨」も顔負けの、芳醇な香りが満ち溢れていた。


「熱いから気をつけてね。さあ、エマちゃん。それを運ぶのを手伝ってもらえる?」


「はい! これ、すごくいい匂い……」


 ラズベルに声をかけられたエマが、パーティーの女性陣を引き連れて甲斐甲斐しく手伝いに回る。下ごしらえが済んでいるボア肉を大鍋で煮込んだラグー、数種類の根菜がたっぷりと入った黄金色のスープ、そして軽く炙った厚切りのパン。十五名の冒険者が一つの長いテーブルを囲む。湯気とともに運ばれてきた料理を前に、誰もが唾を飲み込んだ。


「いただきまーす!」


 ユイが真っ先にボア肉を口に運び、目を丸くした。


「……やばッ、マジうめぇ。ラズベル、あんたホント最高だわ。疲れが吹っ飛ぶぜ」


「ふふ、たくさんおかわりあるわよ。しっかり食べてね」


 ユイの素直な賞賛に、ラズベルが嬉しそうに目を細める。チヅルもスープを一口啜り、温かさが体に染み渡るのを感じながら呟いた。


「……やっぱり、ラズベルちゃんがいてくれてよかった。あたしたちの誇りだよ」


 その言葉に、エマやシービィたちのパーティーメンバーも「本当にそうだ」「マーレンに戻ったら絶対にお礼させてください」と次々に声を上げる。同じ食事を分け合うことで、十五人の間にあった「先輩と後輩」という見えない壁が、ゆっくりと崩れていくのが分かった。


「ユイさんって……あの、やっぱり凄腕の剣士なんですよね?」


 不意に、食事の手を止めて身を乗り出してきたのは、エマのパーティーで前衛を務めるコレットだった。尊敬と好奇心が入り混じった熱い視線を向けられ、ユイは「んあ?」と肉を飲み込む。


「私、両手でバスターソードを使っているのですが……ユイさんの、その細身の武器を使う戦い方にすごく興味があって。もし良ければ、どんなスタイルの剣士なのか聞かせてもらえませんか?」


「あ、俺も気になってたんだ。見た目はかなり細そうな剣だし、どんな風に使ってるのかなって」


 シービィのパーティーの前衛戦士パドも加わり、食堂の視線が自然とユイの腰に帯びた白鞘の刀へと集まる。ユイはニヤリと不敵な笑みを浮かべ、愛刀の柄を軽く指先で叩いた。


「いいぜ、教えてやるよ。この片刃で反りのある独特の形状、ヴァノスじゃ珍しいだろ? こいつは『カタナ』。あたしの故郷で遥か昔に使われていた武器でな……この魔刀『白綱しらつな』は、およそ一千環いっせんかん近くも前に打たれた業物なんだぜ」


「い、一千環……!? ヴァノスの建国よりもずっと古いじゃないですか!」


 驚愕の声が上がる中、ユイは上機嫌で続ける。


「あんたらのバスターソードや片手剣は、基本的に『叩き切る』か『突き刺す』が基本だろ? 質量とパワーでブチ抜くような戦い方だ。けどな、カタナの本質はそこじゃねえ。こいつは『引き切る』ために特化した武器なんだよ」


「引き切る……?」


「そう。極限まで研ぎ澄まされた刃を滑らせるようにして、一瞬の閃きで対象を両断する。操作性と切断力を追求した結果、この細身の形に行き着いたのさ。ま、このカタナのウンチクは死んだじいちゃんからの受け売りだけどな……あっ、たぶんまだ生きてるわ。わりぃ、じいちゃん」


 かつて道場で、耳にタコができるほど聞かされた祖父の言葉。それを語るユイの横顔には、今の自分を形作る剣術への絶対的な自負が滲んでいた。


「……いつか、お手合わせ願えないでしょうか。その『引き切る』剣術、肌で感じてみたいです!」


 拳を握り、瞳を輝かせるコレットに、ユイは挑発的に眉を上げた。


「へぇ、威勢がいいじゃん。――いいぜ、受けて立つ。その代わり、あたしとの稽古はマジでキツいから覚悟しときなよ?」


 ユイが不敵に微笑むと、食堂の空気は戦いの前のような熱を帯び、若手冒険者たちの間に「俺も混ぜてくれ!」と活気ある声が広がっていった。そして彼らの会話が食堂の熱気をさらに押し上げている中、ふと、チヅルの隣にジョッキが置かれる重い音がした。ジョッキが置かれた方向にチヅルが視線を向けると、そこには、生真面目を絵に描いたような顔をしたゼッペルが座っていた。


「……チヅルさん」


「ん、どうしたの? あたしはユイちゃんみたく、ためになる剣術指南はできないよ?」


 チヅルが冗談めかして笑うと、ゼッペルは図星を突かれた……というよりは、完全に言うタイミングを削がれたような、なんとも言えない困り顔になった。


「あはは、ごめん。冗談だよ。それで、改まって何かあったの?」


 ゼッペルは一度咳払いをし、その生真面目な瞳で真っ直ぐにチヅルを見つめてきた。


「……明日からの調査、よろしくお願いします。俺たち『暁の盾』は、チヅルさんたちに比べれば未熟で不器用です。ですが、これだけは約束します。たとえ何が起きようとも、貴女の背中だけは、俺たちが命に代えても守り抜く。……そう、決めてきました」


 一語一語、噛み締めるような、鉄のように重い言葉。チヅルは一回だけ瞬きをして、彼の中に宿る揺るぎない覚悟を見届けた。


(……あたしの背中を守り抜く、か)


 ワインレッドの瞳を細め、チヅルは最高の笑みを彼に返した。


「こちらこそ、よろしくね。あたしは、あなたたちのことを信頼してる。だからさ、この依頼を絶対にやり遂げて、みんなで最高の祝杯を挙げよう。……お肉、山ほど注文しちゃうからね!」


 少しだけぎこちない、けれど、熱い何かが胸に灯るような感覚。喧騒の真ん中で、チヅルたちは言葉を超えた「戦友とも」としての契約を、静かに結んだ。


***


 翌朝、水律すいりつ。陽1刻を告げる「初明けの鐘」が鳴り響いて、一刻が過ぎようとしている。既に朝焼けの光がそこかしこにあふれ出し、穏やかな光がリロの村並みを照らしている。馬車の前には、すでに十五名の冒険者が揃っていた。昨夜の陽気な時間は去り、今は全員がそれぞれの装備に身を包み、引き締まった表情をしている。


「リロからローガン村までは約二十ケイエム。この馬車なら三刻みこくほどだね。陽5刻……昼前には、南門付近に着けるはずだよ」


 チヅルが最終確認を済ませると、一行は再び大型馬車へと乗り込んだ。


「さあ、出発しよう」


 御者の合図とともに、六頭の馬が力強く地面を蹴る。大型馬車はリロの三叉路を北東へと進み、優しい陽光を浴びながら砂塵を上げて走り出した。窓から見える三叉路の風景が遠ざかっていく。その先にあるのは、魔物の群れの脅威に直面しているローガン村。総勢十五名の冒険者たちの戦いが、今まさに切って落とされようとしていた。


明日朝7時過ぎと夜19時過ぎの更新になります。

いよいよ死線へと近づいていきます……!

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