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第七話:出発

お昼の更新です。

馬車に揺られ、一路ローガン村へ。

 ゴトゴト、と小気味よい車輪の音が、まだ眠りに就いているマーレンの街に響く。陽1刻を告げる「初明けの鐘」の余韻が遠ざかる中、六頭の馬に引かれた大型馬車は、規則正しく敷き詰められた石畳の街路を東へと進んでいた。馬車の内装は広々としていたが、それでも十五名の冒険者が乗り込むと、独特の密度と熱気が生まれる。窓の外はまだ深い藍色に包まれているが、東の空の端が、ほんのりと淡いオレンジ色に染まり始めていた。


「……で、あんたのパーティー、名前なんだっけ?」


 車内の静寂を破ったのは、ユイの気さくな声だった。彼女は隣に座るゼッペルパーティーの若手冒険者――少し緊張で顔を強張らせているヒューマンの青年に、足を組んだまま話しかけている。


「えっ、あ、はい。ボクたちのパーティーは『暁のあかつきのたて』で登録しています、ユイさん!」


「『暁の盾』か、格好いいじゃん。そういやうちのパーティーは名前を決めてなかったな」


 そう言ってユイはチヅルを見るが、チヅルは地図を見るのに集中しているようで、こちらの視線には気付いていない。


「そうなんですか?」


「あぁ、だからパーティーで呼び出されるときは『チヅル一行』ってなってるな。なんだか全国を漫遊している御老公一行みたいだよな」


「ご、ゴロウコウイッコウですか……?」


「ん? あぁ、気にしないでくれ。それより、昨夜は何食ったんだ?」


「え、さく、昨夜ですか……? ええと、ギルドの裏の定食屋で、干し肉のスープとパンを……」


「おぉ、あそこのスープにも結構世話になったなぁ。だけど今のあたしらにはラズベルがいるからな。あいつの特製シチューはマジ最高だぜ。昨夜は美味すぎて三回もおかわりしたわ。野営や炊き出しであいつのシチューを食べる機会があると思うからさ、楽しみにしときな」


 ユイが青年の肩を軽くたたきながら笑顔を見せると、青年の肩の力が少しだけ抜けたのが分かった。緊張のあまり強張っていた青年の頬が、ほんの少し赤らむ。ユイのヤンチャな口調と、どこか後輩を見守るような「姉御」的な雰囲気は、緊張しきっていたEランクの面々にとって、一番の良薬になっているようだった。かつての世界で経験した、グループ活動の班長のような頼もしさがそこにはあった。


 ユイはそのまま、斜め向かいに座るシービィたちのパーティーにも視線を投げた。


「シービィ、あんたのとこの連中も、そんなシケた面すんなよ。馬車酔いか?」


「まさか! 俺たちはいつでも準備万端ですよ、ユイさん。ただ、この馬車が立派すぎて、ちょっと落ち着かないだけでさ」


 シービィが軽薄そうに笑うと、彼のパーティーの男たちもつられて口角を上げた。


「へぇ、言うじゃん。じゃぁ複数パーティーで依頼を受けるのは、初めてか?」


「いや、一度、エマんところのパーティーと組んで、ゴブリンが出現するようになった枝村で、討伐依頼を受けたことがあります。その時、ホブゴブリン1体とゴブリン4体を倒しました」


 シービィが少し誇らしげに語るのをみて、ユイが感心した表情で「おぉ、やるな!」と称えた。しかし、その直後にユイの瞳から色が消え、剣士としての鋭い光が宿る。


「なら、あいつらの怖さもちゃんとわかっているな。気を抜いて油断だけは絶対するんじゃねーぞ。一瞬の油断が、あたしたち全員の命取りになるんだからな」


 ユイの本気の忠告と真剣な眼差しを受け、シービィは「……了解です」と改めて気を引き締めた。


 そんなユイの様子を、ラズベルが向かいの席から「ふふっ」と慈しむような微笑みで見守っている。彼女の隣には、統率力の高いエマのパーティーが固まって座っていた。ラズベルは、真剣な表情で装備の点検を繰り返しているエマに、柔らかく声をかけた。


「エマちゃん、そんなに根を詰めると疲れちゃうわよ。これ、良かったら食べて。あたしが昨夜作ったドライアップルなの。気持ちを落ち着かせる効果があるのよ」


「えっ、あ……ありがとうございます、ラズベルさん」


 エマが恐縮しながら受け取ると、彼女のパーティーの女性陣も「わぁ、いい匂い」と目を輝かせた。ラズベルは一人ひとりに丁寧に配りながら、まるでお母さんのように彼らの緊張を解きほぐしていく。


「大丈夫よ。チヅルちゃんがいるんだもの。あたしたちは、あなたたちのことをちゃんと守るわ。だから、あなたはあなたの部下たちのことだけを見てあげてね」


 ラズベルの包み込むような言葉に、エマたちは深く頷き、車内には少しずつ温かな連帯感が芽生え始めていた。窓の外へ視線を戻すと、ラズベルは涼やかな朝の風を頬に受けた。


「夜明けが近いわね。黒曜月の空気は、澄んでいてとても気持ちがいいわ」


 ラズベルが呟く通り、この世界の冬は極めて穏やかだ。厳しい寒さはごく一部の局地を除き、どこにもない。ただ夏の熱気が去った後の、心地よい涼やかさが街を包んでいる。


 一方、チヅルは少し離れた特等席で、膝の上にローガン村の詳細地図を広げていた。隠密スーツのフードを背中に下ろし、ポニーテールを揺らしながら、王国の精緻な測量技術に見入っている。


(村の北門から北方の森までは、最短部で約五十エム……。迂回ルートは西側の低い丘を通るのが良さそうかな)


 地図を指先でなぞりながら、チヅルはすでに戦場となる場所の立体図を頭の中に構築していた。


***


 やがて、馬車はマーレンの東端に位置する巨大な石造りの門――東門へと差し掛かった。街灯が発する魔法の明かりに照らされた門柱が、窓の外をゆっくりと横切っていく。馬車がその門をくぐり抜けた、その瞬間だった。


(…………?)


 チヅルの胸の奥に、ほんの微かな「何か」が走った。それは緊張でも不安でもなかった。もっと漠然とした、説明のできない奇妙な引っかかりだ。まるで、見えない糸が肌を一筋なでていったような感覚。あるいは、霧の向こうから誰かにじっと見つめられたような、そんな直感的な不協和音だった。チヅルは思わず顔を上げ、窓の外を注視した。通り過ぎていく門の影、交代を終えたばかりの守衛の姿。特に不審な点はないし、魔力の残滓も感じられなかった。


(……なんだろ。気のせい、かな)


 彼女は内心でそう呟き、一つ瞬きをした。その間に、かすかな胸騒ぎは朝の光に溶けるように霧散してしまった。チヅルはそれ以上深く追及することなく、首を軽く振って、再び膝の上の地図へと視線を落とした。


***


 門を抜けると、馬車の振動がガタガタからザッザッという砂利を踏む音へと変わった。石畳の整えられた街路から、未舗装の東街道へと出た証拠だ。同時に、世界が一気に明るさを増した。地平線の向こうから徐々に溢れだす光が世界を塗り替えはじめ、淡いオレンジ色の光が街道を染め上げる。


「わぁ……」


 馬車内の誰かが感嘆の声を上げた。街道沿いには、黒曜月ならではの鮮やかな色彩の植物が広がっている。枯れることのない草原は、深みのある常盤色を湛え、名前も知らない冬の花々が陽光を受けて露を輝かせていた。遠く、東の空の境界線には、深い緑の稜線が、幾重にも重なって霞んでいる。


「懐かしいわ……」


 ラズベルが窓に手を添え、愛おしそうにその山影を見つめた。


「あの稜線のずっと向こう側に、あたしの故郷があるのよ。……ルミナス山脈。今はもう、鍛冶の鎚の音も聞こえないけれど」


「……ラズベルちゃん」


 チヅルが地図から顔を上げ、隣の仲間に声をかけた。ラズベルはすぐにいつもの柔らかな微笑みに戻り、「あら、少しばかり郷愁に酔ってしまったみたいね」と首を振った。チヅルも窓の外に目を向ける。流れる景色。遠ざかっていくマーレンの街。約五環の流浪の末、ようやく自分の居場所だと思えるようになったあの街へ、彼女は声に出さずに告げた。


(……いってきます。みんなを連れて、ちゃんと帰るからね)


***


 陽が完全に昇り、馬車内の空気は出発直後の静かな緊張から、幾分か穏やかなものへと変わっていた。


「へぇ、ゼッペルのとこは、リーダーが一番の堅物なんだ? マジで苦労すんじゃねーの、あんたたち」


「いえっ、ゼッペルさんは厳しいですけど、すごく頼りになるんです!」


 ユイが話しかけていた青年――『暁の盾』のメンバーの一人が、顔を赤くしながらも必死にリーダーを庇っている。その様子を見て、車内のあちこちから小さな笑いが漏れた。Dランクパーティーの先輩であるユイに弄られながら、若手たちは自分たちがこれから死線へ向かうのだということを、少しだけ忘れられているようだった。チヅルは地図を丁寧に折りたたみ、膝の上でトントンと整えた。


(……さて。まずは、宿場村であるリロまで無事に着くことが大事だね)


 マーレンから東へ馬車で一日の距離。そこが最初の目的地だ。胸騒ぎはもう消えていた。今はただ、目の前の街道の先にある、まだ見ぬ脅威をどう凌ぐか。チヅルのワインレッドの瞳は、すでに次の一手を捉えるべく、静かに燃えていた。六頭立ての巨躯が牽く大型馬車は、黒曜月のさわやかな風を切り裂きながら、東へと続く街道を進み続ける。


本日19時過ぎに第八話を更新します!

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