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第二十二話:朝のラズベルと報告書

お昼の更新です。

報告書の作成と、新たな来訪者。

 第632環、黒曜月の週四巡目、風律ふうりつの朝。ローガン村を包む空気は、少しだけひんやりと澄み切っていた。暦の上では冬にあたる黒曜月だが、カルディアス大陸の平野部は一環を通して気候が穏やかだ。厳しい冷え込みなどはなく、春先のような心地よい涼風が、木々の間を静かにすり抜けていく。村人が共同で使う大きな台所には、誰よりも早く起きていたラズベルの姿があった。


 ひどく汚れた隠密スーツは昨夜のうちに洗濯して干してあり、今の彼女は三人でお揃いの部屋着であるベージュのチュニックと紺色の七分丈パンツ姿だ。その上に持参した自前のエプロンをきゅっと結び、手際よく朝食の準備を進めていた。大鍋からは、根菜をベースにした数種類の野菜の煮込みに、少量のギィを落とした素朴な匂いが漂い、傍らの小鍋では、この村特有の焙煎された豆を挽いて淹れた、香ばしくも深い香りの飲み物が温められていた。たっぷりのミルクと合わさったその匂いは、夜明け前の静かな空気を優しく解きほぐしていく。


 東の空が明るさを増す頃には、宿舎から一人、また一人と村人たちが台所へと顔を出し始めた。昨夜まで恐怖に強張っていた彼らの表情には、確かな安堵の色が戻っている。


「おはようございます。温かい飲み物が入っているわよ」


 ラズベルが柔らかな微笑みとともにカップを差し出すと、村人たちは次々と「ありがとう」「冒険者さん、本当に助かったよ」と深々と頭を下げて受け取っていく。


「お姉ちゃん……また来てくれる?」


 ふと、昨夜ラズベルに抱きついて泣いていた小さな女の子が、母親の陰からおずおずと顔を覗かせて尋ねてきた。ラズベルはすぐさましゃがみ込み、女の子と同じ目線になると、その小さな頭を優しく撫でた。


「ええ、もちろんよ。美味しいもの、また作りに来るわね」


 女の子がぱぁっと嬉しそうに笑うのを見て、ラズベルも心底安堵して胸を撫で下ろした。二千人の命を守り切ったという実感が、この穏やかな朝の風景の中に確かに息づいている。


「ふぁ〜……マジでよく寝た……」


 そこへ、少し遅れてユイが寝ぼけ眼を擦りながら台所へ降りてきた。ラズベルとお揃いであるベージュのチュニックの首元が少し緩んでおり、完全に油断しきった顔をしている。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん! お姉ちゃんは、強いの?」


 すっかり元気を取り戻した男の子が、目を輝かせてユイに駆け寄る。ユイは「んあ?」と一瞬きょとんとした後、気恥ずかしそうに鼻の頭をポリポリと掻いた。


「え、あたし? ……まぁ、強いよ、一応。悪い魔物くらいなら、バッサバッサと斬り捨ててやるから安心しな」


 ぶっきらぼうだが、どこか照れ隠しを含んだユイの物言いに、ラズベルがくすくすと笑いながら温かいカップを手渡す。ユイはそれを受け取り、一口ごくりと飲んだ。


「……ん!? これ、カフェオレじゃねぇか! マジ頭、冴えるし」


「村の特産品で、焙煎したお豆とミルクを合わせた飲み物なんだって。ユイちゃん、この飲み物知ってるの?」


 ユイは、カップから漂うほろ苦いアロマの香りを鼻から吸い込んでから答える。


「あぁ、元居た世界にもあってさ。まさかこの世界で味わえるとは思ってもみなかったぜ」


「そうなのね」と、ラズベルがニッコリと微笑む。


「チヅルちゃんの分も用意してあるんだけど……あたしが起きた時は、もうベッドが空だったし。あの子、お散歩でもしているのかしら」


 ラズベルが少し不思議そうに、宿舎の方角へと視線を向けた。


***


 その頃、チヅルは宿舎の外に設けられた縁台に、一人ぽつんと座っていた。二人とお揃いの部屋着であるベージュのチュニックと紺色の七分丈パンツ姿で膝を抱え、穏やかな陽光に包まれていく村の景色をただ静かに見つめている。表情は決して暗くない。むしろ、大きな仕事を一つやり遂げたという達成感と、村を守り抜いたという確かな充足感が、彼女の心をじんわりと満たしていた。


 ただ、一つだけ。


 昨夜見た奇妙な夢の記憶は、もうほとんど霞がかかったように曖昧になっていたが、間一髪で自分を救ってくれた『うしろ、あぶない!』という澄んだ声の感触だけが、なんとなく耳の奥に引っかかっている。


(……なんだったんだろ、あの声)


 チヅルは小首を傾げた。なんとなく釈然としない、パズルのピースが一つだけ合わないような、軽い違和感。


(変な夢だったな)


 澄み渡る空を眺めていると、その軽い疑問はやがて頭の片隅へ流れていった。心地よい朝の風が頬を撫でるのを感じながら、チヅルが大きく伸びをした、その時だ。


「ん?」


 パサパサパサッ。


 上空から羽ばたきの音が聞こえ、チヅルの目の前の縁台に一羽の純白の鳩が舞い降りた。鳩はチヅルの前で淡い光に包まれたかと思うと、半透明な水晶の鳩へと姿を変えた。手に取って魔力を少し流し込んでみると、聞き慣れた女性の声が直接頭の中に響いてきた。


「マリアさんからだ」


 チヅルは意識を集中し、そのメッセージを聞き取る。


『チヅルさんへ。王国調査団が本日陽7ようななこくまでにローガン村に到着する予定です。現地での対応をお願いいたします。――マリアより』


(えっ、調査団もう来るの? ……さすがシドーちゃん、仕事早すぎでしょ)


 チヅルはマジックダヴをマジックポーチへと収めた。その瞬間、彼女の背筋と猫耳がピンと伸びた。未だ得体の知れない夢の余韻など完全に吹き飛び、縁台からすっと立ち上がる。いつもの、物怖じしない快活な「冒険者のリーダー」の顔へと、スイッチが切り替わったのだ。


***


「みんな、聞いて。ギルドから連絡があったよ」


 チヅルは宿舎の大部屋にラズベル、ユイ、そしてEランクパーティーの十二名全員を集め、手紙の内容を手短に伝えた。


「陽7刻までに、王国の調査団がここに到着するそうだよ。対応はあたしたちだけで出来るから、みんなは、先にマーレンへ戻ってて」


 その言葉に、ゼッペルが姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「……本当に、お世話になりました。チヅルさんたちがいなければ、俺たちは到底生き残れませんでした」


 昨夜、チヅルから叱責と抱擁を受けたエマも、まっすぐな瞳で頭を下げる。


「チヅルさん……ありがとうございました。私、冒険者としてもっと強くなります」


「こちらこそ。よく頑張ったよ、みんな」


 チヅルは温かい声で応えた。彼らの成長は、今回のクエストがもたらした大きな成果の一つだ。別れを惜しむ空気を吹き飛ばすように、シービィがにかっと笑って親指を立てた。


「姉御! お肉の約束、先にマーレンで一番の店を押さえといてやるぜ! 早く帰ってきてくれよな!」


「うん、期待してるよ!」


 荷物をまとめた十二名の若き冒険者たちは、村長をはじめとする大勢の村人たちや、自警団長ガストンに見送られながら、一足先にローガン村の南門を後にした。チヅル、ラズベル、ユイの三人は、遠ざかっていく馬車の背中を並んで見送り、小さく手を振った。


***


 Eランクパーティーが出発した後、三人は宿舎の静かな一室に集まっていた。


「チヅルちゃん、はい。これ飲んでみて。朝、村の人に教えてもらった特産品の飲み物よ」


 ラズベルが、湯気を立てる木組みのカップをテーブルの上にことりと置いた。


「ありがとう、ラズベルちゃん」


 チヅルはカップを両手で包み込み、ほろ苦くも甘い香りを吸い込んでから、一口ゆっくりと含んだ。


「……んっ! これ、すごく美味しい! 少し苦いけど、ミルクのまろやかな甘みが絶妙だね。なんだか頭がすっきりするよ」


 目を丸くして喜ぶチヅルに、ラズベルがくすくすと笑う。


「ふふ、気に入ってくれてよかったわ。ユイちゃんはこれ、『カフェオレ』って呼んでいたわよ」


「カフェオレ……。ユイちゃんの世界にもある飲み物なんだね。ふふっ、これなら作業も捗りそうだよ」


「だろ? それ、頭使うときにはマジで効くんだぜ」


 ユイが自分のカップを傾けながらニヤリと笑って同意する。チヅルはもう一口『カフェオレ』を味わうと、満足げに微笑んでカップを置いた。木のテーブルの上には羊皮紙が広げられ、チヅルが先端に没食子もっしょくしインクをつけた羽ペンを滑らせる。王国調査団へ提出するための、詳細な事後報告書の作成だ。


「えっと、まずは洞窟の発見経緯からだね。王国の詳細地図に記載がない、未知の洞窟だったこと。それから、発見した三方向の開口部と、それによって生じていた空気の流れについて……と」


 チヅルが淡々と口に出しながら文字を連ねていく。


「ゴブリンたちが石炭を運搬してた事実も書いとくよな?」


 向かいに座るユイの問いに、チヅルは「うん」と頷く。


「天然の炭鉱だったという重要な証拠だからね。……そして、あたしたちが実行した粉塵爆発作戦の概要と結果。浮き粉の帯電、時限発火礫での起爆、炭塵への誘爆による連鎖爆発。最終的に三方向すべての開口部が完全に崩落し、洞窟が封鎖されたこと……」


「あ、それと、崩落後の正面入口付近、炭化した魔物の死骸が二十体ほどあったことも書いておかなきゃね……」


 チヅルは思い出したように、しゃべりながらインクをつけ直し、羽ペンを素早く走らせた。


「開口部の状態や炭化した死骸の数を見る限り、洞窟内部にいた魔物は全滅したと推測できる、と。……問題は、これだね」


 チヅルは手を止め、二人を見つめた。


「洞窟の奥から聞こえた唸り声と、ユイちゃんの白綱が感知した高い魔力。群れを統率していた『指揮官』が奥にいたと推測される状況証拠……」


「指揮官が何者だったかは、まあ分からんよな。あの崩落じゃ、跡形も残ってねーだろうし」


 ユイが腕を組みながら漏らすと、チヅルは静かに息を吐いた。


「……うん。それは、調査団に任せよう」


 チヅルは羊皮紙の最後に、『指揮官の正体および生死については、洞窟崩落のため確認不能』と明記した。そして、この統率された魔物群れの背後に何らかの意図があった可能性を示唆する一文を添える。


 静かな余韻の中、報告書が完成する。ラズベルがふと、小さな窓の外を見上げた。太陽はすでに高く昇り、風律の穏やかな空を照らしている。


「……もうじき、陽7ようななこくね」


 チヅルは書き上げた十枚の羊皮紙をまとめ、革製のポートフォリオに入れた。


「じゃあ、準備しようか」


 チヅルが立ち上がる。その小さな背中からは、大仕事をやり遂げた冒険者としての確かな誇りと、早く面倒な報告を終わらせてマーレンの美味しいお肉にありつこうという、彼女らしい前向きな活力が満ち溢れていた。


本日19時過ぎ、20時過ぎに続きます!

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