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第二十三話:王国調査団

 第632環、黒曜月の週四巡目、風律ふうりつの午後。天頂の鐘が鳴る陽7ようななこくの少し前、ローガン村の広場に、整然とした蹄の音と馬車の車輪の音が響き渡った。黒曜月とはいえ、カルディアス大陸の平野部特有の穏やかで涼やかな風が吹き抜ける中、村に到着したのは、王国の紋章を掲げた数騎の騎馬と、実用性を重んじた堅牢な馬車からなる一団だった。王国調査団である。


 馬車から降り立ったのは、王国の紋章が銀糸で刺繍された実務的な装束を身に纏う中年男性だった。彼を中心に、数名の調査員が素早く、かつ無駄のない動きで周囲の状況を確認し始める。宿舎の前に立っていたチヅル、ラズベル、ユイの三人は、その一団を静かに見つめていた。三人は昨夜の湯浴みの後、ラズベルが持参していたベージュのチュニックと紺色の七分丈パンツという、お揃いのラフな衣服に着替えている。しかし、チヅルの首元にはいつもの革製チョーカーがあり、腰にはミスリル製短刀とマジックポーチがしっかりと備え付けられていた。


 中年男性は広場を見渡し、チヅルたちの姿を捉えると、迷いのない足取りで真っ直ぐに歩み寄ってきた。


「チヅル・ルナデウスさんですね。シドー騎士団長より、話は伺っています」


 男性は立ち止まり、チヅルを見下ろして静かに声をかけた。その声色には、高位の役人によくある傲慢さは微塵もなく、ただ職務に対する真剣さと誠実さが滲み出ていた。


「ごきげんよう。お待ちしてました」


 チヅルは快活に微笑み、軽く会釈を返した。


「私は今回、調査団の団長を務めるエドワード・ハミルトンです。村の防衛と魔物群れの対処、まことにご苦労様でした。騎士団が動けない中、あなた方冒険者の尽力には王国として深く感謝いたします」


 エドワードは恭しく頭を下げた。その実務肌で合理的な態度は、チヅルにとって非常に好ましかった。無駄な駆け引きや探り合いを必要としない相手だ。


「ありがとうございます。……こちらが、今回の件に関する事後報告書です」


 チヅルは革製のポートフォリオから、十枚の羊皮紙の束を取り出し、エドワードへと手渡した。


「助かります。早速、拝見させていただきます」


 エドワードはその場で報告書を受け取ると、素早い視線の動きで内容を追い始めた。王国詳細地図に記載のない未知の炭鉱洞窟であったこと、三つの開口部の位置、空気の流れ、粉塵爆発を用いた殲滅作戦の概要。そして、洞窟の奥に高い魔力を持つ指揮官が潜んでいたと推測される状況証拠。


 数分後、エドワードは報告書を丁寧にまとめ直し、チヅルたちを真っ直ぐに見つめた。


「……素晴らしい報告書です。状況が理路整然とまとめられており、現状を把握するにはこれ以上ない資料です。ですが……やはり、炭鉱洞窟の跡地を直接、我々の目で確認しておきたい。現地への同行をお願いできますか」


「はい、もちろんです」


 チヅルが快諾すると、エドワードは短く調査団員たちに出発の指示を出した。チヅルたち三人は一度宿舎に戻り、ラズベルが昨夜のうちに洗濯して乾かしておいてくれた隠密スーツへと着替える。洗い立てのダークグリーンの生地は、こびりついていた腐葉土や汗の臭いがすっかり落ちており、微かにハーブの爽やかな香りがした。各々の装備を整え、再び冒険者の顔となって広場に姿を現すと、直ちに北方盆地への出発準備が整えられた。


***


 ローガン村の北門を抜け、森林地帯を北西へと進む。徒歩で約一刻と四半刻、距離にしておよそ五ケイエムの道のりだ。道中、調査団の足取りは速く、森の中を無駄口を叩くことなく進んでいく。チヅルたち三人もそのペースに合わせて歩を進めていた。


 ふと、ユイが隣を歩くエドワードに向かって、思い出したように口を開いた。


「ハミルトンさん、報告書にも書いてあったと思うけどさ。洞窟の奥にいた指揮官らしき奴は、あの爆発で死んだと思うけど、確認はできてないぜ。洞窟ごと完全に潰れちまったからな」


 ぶっきらぼうなユイの言葉に、エドワードは歩みを緩めることなく、しかし誠実に頷いた。


「ええ、報告書で確認しました。生死の確認が取れていない以上、その背後関係も含めて、それは我々調査団の調査範囲となります。貴重なご報告、ありがとうございます」


 冒険者の領域と、王国組織の領域。その境界線を明確に引きつつも、情報を正当に評価するエドワードの姿勢に、チヅルは小さく頷いた。


(さすが、シドーちゃんが送り込んだ団長さんだね。この人にまかせておけば大丈夫かな)


 チヅルはあっさりと委ねた。彼女にとって、村の安全を確保し、群れの脅威を取り除いた時点で、このクエストの主要な目的は達成されている。その奥にある王国の暗部や魔物の背後関係にまで、自分たちから首を突っ込むつもりはなかった。それが、長く冒険者を続けていくためのチヅルなりの潔さだった。


***


 やがて、木々の隙間からすり鉢状の盆地が姿を現した。


「ここが、報告にあった盆地ですね」


 エドワードが段差の縁に立ち、眼下に広がる惨状を見下ろした。盆地の最北端にあったはずの巨大な洞窟の入口は、周囲の岩盤ごと大規模に崩落し、見る影もない。北西の裏口も、北東の哨戒孔も同様に、完全に土砂と岩で塞がれていた。爆発の凄まじい熱量によって、盆地底部の岩や木々は無残に黒ずみ、炭化している。


「……見事な判断でした」


 エドワードが、盆地全体を眺め渡しながら、感嘆の息を漏らすようにチヅルに告げた。


「わずか三名で、これだけの規模の魔物の拠点を、村に被害を出すことなく完全に封殺するとは。……騎士団の小隊でも、これほど迅速かつ的確な対処は難しかったでしょう」


「地形と条件が揃っていましたから。でも半分は、大博打でした。」


 チヅルが謙遜気味に笑うと、エドワードの背後に控えていた調査団員たちが、手際よく盆地底部へと降りていった。彼らは崩落した開口部の状態や、地質、魔力痕跡の記録を始めている。


「団長、こちらに魔物の死骸が!」


 正面入口の崩落跡付近を調べていた団員の一人が声を上げた。エドワードがチヅルたちと共に近づくと、そこには爆風と熱波で真っ黒に炭化した、約二十体の魔物の死骸が散乱していた。


「ホブゴブリンとゴブリンの混成部隊と思われますが、損傷が激しく、正確な種族判別は困難です」


「記録と、可能な限りのサンプルの採取を。それから、崩落箇所の奥への魔力探査を継続してください」


 エドワードの的確な指示のもと、調査団の作業が粛々と進められていく。


「指揮官については、我々が引き続き調査を続けます。崩落した岩盤の除去や、別ルートの探索など、大掛かりな作業になるでしょうが」


 エドワードがチヅルに向かってそう告げた。


(これで一区切り、かな)


 チヅルは内心でひとつ、安堵の息をついた。王国の調査団が本格的に動き出した以上、この盆地が再び魔物の脅威となることはないだろう。炭鉱指揮官の正体は、完全にギルドと王国の手に委ねられたのだ。


***


 視察が終わりに向かいかけていた頃だった。盆地の北西縁――崩落した北西開口部から少し離れた岩肌の付近で作業をしていた、調査団の魔力探索者がふと足を止めた。彼は地面付近の空気を手で撫でるような仕草を何度か繰り返し、眉を深く寄せている。


「……少し、よろしいですか」


 魔力探索者が、静かで、しかしどこか切迫した声でエドワードを呼んだ。エドワードが足早に近づき、魔力探索者の報告を短い言葉で受ける。やがてエドワードは振り返り、少し離れた場所にいたチヅルたちを手招きした。


「チヅルさん、これを見てください」


 三人が近づくと、魔力探索者は地面から数十シィエムほどの高さを指し示し、戸惑いを含んだ声で報告した。


「……微かな、本当に微かな魔力の残滓ざんしです。おそらく、ここを『何か』が通過した痕跡かと」


「魔力の残滓? どんな種類の魔物だか分かるか?」


 ユイが尋ねると、魔力探索者は首を横に振った。その顔には、長年この任務に就いてきた専門家としての、深い困惑が張り付いていた。


「……動物でも魔物でも、ヒト族でもない。私が今まで扱ってきた調査の中に、これと同じ魔力の特徴を持つものがありません」


 その言葉に、エドワードの表情が一段と険しくなった。未知の魔力。それは、この一件が単なる魔物の群れの暴走ではない可能性を、より濃厚にするものだった。


「……記録してください。どんな些細な特徴でも構わない」


 エドワードが低く指示を出す。


 チヅルは、魔力探索者が指し示した空間に向けて、自身の『魔力探索スクライ』の術式を展開しようと意識を集中させた。


 ――その瞬間だった。


(……っ!?)


 チヅルの感覚の網に、ほんの微かな、だがひどく異質な「引っかかり」が触れた。見えない糸が、肌を一筋なでていったような感覚。悪意も殺意もない。ただ、そこには絶対に相容れない「異物」が存在していたという、確かな痕跡。


(……ここに、何かいた。最近まで)


 チヅルはワインレッドの瞳をわずかに見開き、その事実を内心だけで反芻した。言葉にしてしまえば、何か恐ろしい蓋を開けてしまうような気がして、チヅルは無意識に唇を固く結んだ。隣に立つラズベルは、何も言わずにただ静かにエドワードと、その魔力の残滓が漂う空間を見つめていた。彼女の緑の瞳には、包容力の中にも警戒の色が浮かんでいる。そして、白綱を帯びたユイが、忌々しそうに、しかし確信を持って低く呟いた。


「……なんか、いたんだな。ここに」


 風律の穏やかな午後。明るい陽光に照らされた盆地の片隅で、完全に終わったはずのクエストの裏側に、未だ正体の知れない漆黒の影が、静かにその痕跡を残していた。


この後、第二十四話を公開する予定です!

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