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第二話:ごきげんよう、マリアさん

 ギルド「潮鳴りの鉄錨」の大扉を押し開けると、そこには冬の静かな朝気とは対照的な、熱を帯びた喧騒が広がっていた。使い込まれた床板が軋む音、冒険者たちが交わす野太い笑い声、そしてカウンターの奥で忙しなく羽ペンが走る音。一環いっかんを通して穏やかなマーレンの街だが、黒曜月こくようづきの涼やかな空気の中で、この場所だけは真夏のような活気に満ちている。


 チヅルは、首元の革製チョーカーの感触を確かめながら、迷いのない足取りでカウンターへと向かった。隣には、柔らかな笑みを浮かべるラズベルと、どこか期待に瞳を輝かせるユイが続いている。


「ごきげんよう、マリアさん!」


 チヅルの明るい声に、受付カウンターの中で書類の山と格闘していた女性が顔を上げた。マリア・フローレンス。「潮鳴りの鉄錨」の顔とも言える受付嬢だ。彼女はいつも通りの丁寧な微笑みを浮かべようとしたが、その目元には微かな陰りがある。


「あら、ごきげんよう。チヅルさん、ラズベルさん、それにユイさん。七律ななりつの間、ゆっくり休めたかしら?」


「ええ、おかげさまで。新しい家も整って、今日からまたバリバリ働くつもりだよ」


 チヅルは快活に答えたが、そのワインレッドの瞳はマリアのわずかな変化を見逃さなかった。


(あ、やっぱり。マリアさん、なんか立て込んでる……?)


 普段なら寸分の乱れもない彼女の事務机には、整理しきれていない依頼書が重なり、右手にはインクの汚れがついている。何より、彼女の纏う魔力の気配が、寝不足特有の濁りを帯びていた。


「マリアさん、なんか疲れてねーか? マジで大丈夫? 目の下のクマ、結構やばいぜ」


 ユイが心配そうに身を乗り出すと、マリアは困ったように頬をかいた。


「ふふ、そんなに顔に出ていたかしら。ええ、少しばかり案件が重なってしまって……。ここ最近は、魔物討伐や遺跡調査、それから護衛依頼といった、魔物や敵対勢力と遭遇する可能性のあるクエストが増加していてね、ギルド内でも対応にバタバタしているのよ」


「つまり死の危険を覚悟するようなクエストが増えているってことですか?」


 ラズベルが不安げに小首をかしげると、マリアは軽く頷いた。


「あなたたちもご存じの通り『北の森の異変』が関係しているわ。あきらかに異変前と比べて魔物の発生件数が増加しているの。だから少し危険なクエストが増加しているんだけど、そんなクエストをEランク以下のパーティーに任せられないから、調整が難航しているの。だから今、あなたたちのような実力のある中級以上のパーティーに相談したいと思っていたところなのよ」


 マリアは手元の書類の山から、特に目を引く二枚の依頼書を抜き出し、カウンターの上に並べた。


***


「今、早急に対応が必要なのはこの二つね」


 マリアの言葉に、チヅルたちは身を乗り出して依頼書を覗き込んだ。


「一つ目は、『マーレン北西部の古代遺跡調査』。最近、あの遺跡の周辺で奇妙な光の目撃報告が相次いでいるの。王国の調査局も関心を持っていて、まずは内部に危険な魔物が棲み着いていないか、安全確認をお願いしたいのよ」


「古代遺跡……あそこだよね? 『新人たちのゆりかご』って呼ばれてる場所」


 チヅルは依頼書を見つめながら、小首をかしげた。その遺跡はマーレン近郊の冒険者にとって、新人が基礎を学ぶための、いわば訓練場のような認識だったはずだ。


「あそこなら、あたしも一度、引率依頼でEランク冒険者たちと行ったことあるよ。特にこれといった魔物もいない、安全な場所だったと思うんだけど……そんな場所で『奇妙な光』なんて、一体何があったのかな」


 好奇心というよりは、平穏だった場所に生じた「ズレ」への違和感が、チヅルの胸をざわつかせた。


「そして二つ目はこちら。……東にある『ローガン村の魔物群れ調査依頼』よ」


 マリアのトーンが一段低くなった。その表情には、受付嬢としての真剣な懸念が滲んでいる。


「東の丘陵地帯にある村なんだけど、三日前から魔物の目撃数が増え続けているの。昨日届いた報告では、ゴブリンとオークの混成部隊が三十体以上。しかも、統率された動きを見せているらしいわ。因みにこのクエストの依頼主は、王国騎士団ね」


「三十体以上!? マジかよ、それって結構な大群じゃん」

 ユイが腰の魔刀「白綱しらつな」の柄に手を置いた。


「幸い、村人は高さ約三エムの丸太製の防壁内に籠城していて、今のところ犠牲者はゼロ。でも、村の自警団は元猟師や農民が中心で、練度も低いわ。備蓄食料も全村民が籠もれば十四日程度しか保たない……。背後に指揮官役の魔物がいる可能性が高いけれど、騎士団が動けない今、冒険者に頼るしかないの」


 マリアの説明を聞きながら、チヅルは二枚の依頼書をじっと見つめた。一方は、平和な訓練場に起きた不気味な異変。もう一方は、防壁一つを隔てて死線に立たされている村の窮状。


「……マリアさん、どうしてこの二つを、あたしたちに見せたの?」


 チヅルの問いに、マリアはわずかに目を細めた。それは単なる業務的な選択ではない、確信めいた光を宿した瞳だった。


「冒険者ランクや討伐実績といった『数字』だけを見れば、他にも適任者はいるかもしれないわ。でも、依頼の内容とパーティーには、数字には表れない『相性』というものがあるのよ」


 マリアは身を乗り出し、三人を見渡した。


「私はギルドの受付嬢として、いろんな性格のパーティーを見てきたわ。正直なところ、今動けそうなパーティーで、単純にあなたたちよりも強いパーティーはたくさんいるわ。だけど、今回提案するクエストは、どちらも強さだけじゃない……なんというか場当たりで何とかしてしまう、予測不能な事態に対応できる『柔軟さ』が特に必要だと直感したの。その要素を考慮すると、チヅルさんのパーティーが最良と判断したの」


 チヅルはその言葉で、なんとなく理解した。マリアは自分が受け持つ多くのパーティーの中から、私たちパーティーの隠れた特性――つまりランクに反映されていない、三人の「噛み合わせ」を評価して、この依頼書の束の中から最適な依頼を提示したのだ。


(……この二つの依頼、どっちを選ぶかじゃない。どっちが急ぎか、だ)


 チヅルの直感が、静かに火を灯す。古代遺跡の異変も気になるが、村の防壁はいつ破られるかわからない。マリアが「相性」を信じてこれを見せたのなら、リーダーとしての答えは一つだ。


「マリアさん」


 チヅルは顔を上げ、真剣な眼差しで受付嬢を見つめた。


「この二つ……特にローガン村の方、他に候補に挙がっているパーティーはいないんですよね?」


 その問いは、ただの確認ではなかった。チヅルの胸の中で、十分な休暇で溜め込んだ魔力が、熱い火花となって散った。


不穏な依頼と、ユイの覚悟。

チヅルたちはどちらの依頼を選ぶのか?

第三話も本日公開予定。お楽しみに!

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