第十三話:小石の弾道
こんにちは!
お昼の更新です。
スリンガーの魔法帯に礫をひっかけ、指先に魔力を込めて一気に引き絞る。狙いを定めたのは眼下に広がる盆地、その最北にある洞窟の「正面入口」だ。だが照準は門番のオークでも、機械的に働くゴブリンでもない。入り口の手前に広がる何もない「虚空」だ。
ピシッ、と空気を切り裂く鋭い風切り音。
放たれた礫は、狙い通りの地点に向かって真っすぐに飛んでいく。が、実際に着弾したのは、チヅルが狙った場所よりも僅かに手前側だった。何もない空間で、目に見えない力に押し返されるように弾道が逸れたのだ。その結果を確認したチヅルは、満足げに二、三度頷いた。
(……なるほどね。ほぼ、あたしの読み通りだな)
チヅルはワインレッドの瞳を細めた。隣で一部始終を見ていたユイとラズベルが、不思議そうにこちらを覗き込んでくる。チヅルは二人の顔を寄せ、さらに声を潜めて、今の物理的な「現象」が意味することを声を潜めて説明した。
「礫の弾道で分かった。あの洞窟の正面入口からは、空気が常に外へと流れ出している。ということは、洞窟のどこかに空気を吸い込んでいる別の開口部が必ずあるはずなんだ。今の季節だと、外の気温よりも地中の洞窟内の方が暖かいから、暖められた空気はより高い位置にある開口部……つまり、あの正面入口に向かって流れている。だから、逆に空気が流入している別の開口部は、あの正面入口よりも低い場所にあるはずなんだよ」
チヅルが理路整然と説明すると、ユイが「あぁ、なるほど」と得心したように頷いた。
「エントツコウカだな」
ユイが静かに口にしたのは、彼女がいた世界の『ガッコウ』の『リカ』で習ったという聞き慣れない言葉だった。チヅルが「エントツコウカ?」と首を傾げると、ユイは小声で補足してくれた。
「あたしがいた世界では、いまチヅルが説明した現象のことを『煙突効果』って呼んでたんだよ。暖かい空気が上昇して、下の穴から新しい空気を吸い込む仕組みのことさ」
「へぇ、面白い名前だね」
チヅルは異世界の知識に関心しながら、再びポーチから王国発行の詳細地図を取り出した。
「これをみて。ここが洞窟の正面入口だよね。ここよりも北側で、さらに標高が低い場所は……この辺り一帯だね。開口部はこの付近のどこかに隠れているはずだよ」
チヅルは声を潜めて話しながら地図上で、想定される範囲を指でなぞる。
「チヅルちゃん、すごいわ……。そんなことまで分かるなんて」
ラズベルが思わず感嘆の声を漏らし、慌てて自分の口を両手で押さえた。
「……洞窟の内部状況を把握するためにも、他の開口部の情報がどうしてもほしいんだ」
チヅルはラズベルとユイの顔を交互に見ながら、確信を持って囁いた。
***
「……ここから先は、手分けして効率的に情報を集めたい。時間は限られているからね」
チヅルは二人の目を見据えて静かに告げた。統率された魔物の様子、王国が把握していない未知の洞窟、そして魔物が石炭を運んでいる事実。これだけの情報を持ってすぐにローガン村へ戻り、マジックダヴを使ってギルドへ報告するだけでも、今回の依頼はほぼ達成となるだろう。だが、チヅルの内なる『幸運の羅針盤』は、まだその方向を指し示してはいない。更なる次の一手が必要だと、直感が告げている。そのためには、まだ情報が足りないのだ。
「今から、二人に感覚強化魔法と身体強化魔法をかけるね。そのあと、さっき地図で示した場所一帯を探索して、別の開口部がないか確認してきてほしいんだ」
ラズベルとユイが、迷いのない表情で頷いた。
「任せてちょうだい」
「あぁ、任せろ」
チヅルは二人に向かって両の掌を向け、魔力を集中させた。既に付与している視力強化魔法に加え、今度も二人同時に感覚強化を付与する。術式構築完了後、軽く指を鳴らす。視力強化の影響で赤く染まっていた二人の瞳は、感覚強化が付与されたことで、赤色と黄色の陰陽文様のような不思議な光彩へと変化した。既に効果を発揮している静止視力、深視力、明暗感度に加え、動体視力、瞬間視、周辺視、聴覚の能力が底上げされ、五感から得られる情報が格段に進化した。続いて『身体強化』も二人同時に付与する。魔力の光が二人の体に沁み込み、一瞬だけ青白い淡い光が隠密スーツ越しに放たれた。筋力、骨格、そして協応動作の強化。驚異的な身体能力が、彼女たちの四肢に宿る。
「では、ラズベルちゃんは、北西の低い斜面を。ユイちゃんは、少し距離があるけど北東部をお願い。くれぐれも気を付けてね」
「わかったわ。チヅルちゃんも、一人で無理はしないでね。何があっても、まずは合流よ」
ラズベルが包容力のある笑みを浮かべ、フライパンの柄を力強く握り直した。ハイドワーフの血を引く彼女の身体は、身体強化の影響を受けて、隠密スーツの上からでも分かるほど逞しく、しなやかな躍動感を湛えている。
「了解だぜ、相棒。今なら馬よりも速く走れる気がするわ」
ユイが不敵に口角を上げ、腰の白綱の鞘を軽く握り直した。彼女の四肢もまた、爆発的なエネルギーを秘めて微かに膨らんでいるように見えた。チヅルは改めて二人の顔を交互に見つめる。瞳の奥に宿る、決して折れない信頼の色を確認し、短く、鋭く頷いた。
「では、散開!」
チヅルの合図と同時に、二人の影が北側へ飛び出した。ラズベルは走りながら行く手を阻む茂みをかき分け斜面を直進した。一方、ユイは流れるような動作で低木の枝に足をかけ、それを踏み台にして宙を舞う。着地すると同時に進路を東側へと変えてゆく。腐葉土の泥にまみれたダークグリーンのスーツが、森の深い影の中に、瞬く間に溶け込んでいった。
***
……不気味なほど、静かになった。
チヅルは再び岩陰の狭い隙間に身を沈め、単独で見張りを開始した。相変わらず、入口の左右に立つオークは石像のように微動だにせず、ゴブリンは生気のない目で石炭の台車を押し続けている。魔物が石炭を何に使おうとしているのか。本来、あいつらにそんな高度な知恵はないはずだ。とすれば、やはり洞窟の奥にこれらを企て、魔物たちを人形のように操っている「なにか」がいるのではないか。チヅルは冷徹に、目の前の異様な光景を考察し続ける。
石炭の利用――チヅルのような冒険者なら、まず思いつくのは『炭筆』だ。粉末の石炭と魔宝珠を混ぜ合わせて錬成される筆記具で、術式を設置する際の陣を描くのに重宝する。他には、鍛冶場の炉の燃料。あるいは一部の大型魔道コンロの燃料として、市場の厨房で見かけることもあるけれど。
(……考えれば考えるほど、魔物が石炭を有効活用しているシーンがシュールに思えてくる)
眼下では、門番のオークが虚空を睨み、ゴブリンたちが淡々と往復を繰り返す。ほぼ変わらない往復作業を眺めて、改めてあいつらに石炭の高度な利用は無理だと確信した。
(もうこれ絶対、黒幕がいるでしょ)
魔物による石炭の利用目的が、頭から離れない。このままじゃ気になってしょうがないので、このことに関する思考は停止することにした。
(よし、一旦切り替えよう。目的が分からない以上、今はまず構造を暴くのが先だ)
チヅルは思考を切り替え、無心で正面入口の監視に徹した。一般的に森林内にある盆地は空気の動きが極めて穏やかで、ほぼ無風状態だ。だからこそ、先程は礫の弾道だけで僅かな空気の流出を測定できた。チヅルたちのような村や街等を生活基盤とするヒト型種特有の微かな匂いも、この岩陰にいれば盆地の底へは届かないはずだけれど、油断はできない。正面入口以外にも不審な動きがないか観察を続けるが、動きがあるのは入り口付近のみだ。他の場所はあまりにも静かすぎて、かえって不自然に感じられる。野生動物の一体も見当たらないこの盆地は、まるで世界から切り離された空白地帯のようだった。次の一手を決めるのは、二人が持ち帰る情報次第だ。既にいくつかのシナリオを頭の中で組み立てながら、チヅルは二人の帰還を待つ。
(絶対に、ローガン村の平穏は守り抜く)
突如現れたこの「未知の洞窟」が、今後どのような影響をもたらすのか、いまは全く見当がつかない。だが、ローガン村の平穏は全体に守りたいという気持ちはずっと変わらない。そのためには、一刻も早く必要な情報を集め、ギルドに報告しなければならないのだ。天頂を過ぎた太陽が、ゆっくりと、けれど確実な足取りで西へ傾き始める。黒曜月の穏やかな陽光の下、チヅルはたった一人で、魔の口が吐き出す不浄な気配を静かに見つめ続けていた。
本日19時過ぎに続きます。
チヅルの一世一代の大勝負とは……!?




