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第十二話:石炭の運搬

 第632環、黒曜月の週四巡目、水律すいりつ。天頂の鐘が鳴る「陽7ようななこく」を迎え、太陽は真上から盆地の底を照らし出していた。チヅルたち三人は、盆地の縁にある西側の岩陰に身を潜め、一頭の獲物を狙う肉食獣のような鋭さで眼下の光景を凝視していた。腐葉土を塗りたくった隠密スーツが岩の色彩に溶け込み、時折吹き抜ける涼やかな風が、三人の重なる吐息を森のざわめきの中へと消していく。視界の先では、2~3体のゴブリンが、凡そ一定の周期を保ちながら機械的に洞窟を出入りしていた。彼らは手製の粗末な台車を押し、何か「黒い塊」を洞窟のすぐ側にある物置小屋のような建物へと運んでいる。その足取りは重々しく、動作の一つひとつに生物特有の「揺らぎ」が殆どない。まるで高度な魔術回路によって制御されたゴーレムのように、ただひたすらに、単調な往復を繰り返している。チヅルは視力強化魔法によって研ぎ澄まされた瞳をさらに細め、台車の上に積み上げられたその「荷物」に焦点を合わせた。


(……黒くて、鈍い光沢。あれは、石の欠片……?)


 ゴブリンが台車を揺らすたび、黒い粉塵が地面に散る。段差につまずいた拍子に台車から転げ落ちた一塊が、岩に当たって砕け散った。その断面には、堆積岩特有の層状構造が見て取れた。


「……ねえ。あれ、石炭じゃない?」


 チヅルは隣にいる二人の耳元で、羽虫の羽音よりも小さな声で囁いた。ユイとラズベルが、同時にその黒い塊へと視線を走らせる。


「ということは、ここって……かつては炭鉱だったんじゃないかな」


 チヅルの推測に、ユイがフードの奥で小さく目を見開いた。彼女の視線には、それを「知っている」という確信がある。元の世界でも広く使われていた燃料――その知識が、彼女の中で瞬時に目の前の光景と合致したのだろう。ラズベルもまた、眉をひそめて静かに頷いた。ハイドワーフである彼女の父は、鍛冶場の炉を燃やすために、あの「黒い石」を重宝していたはずだ。


(ここが昔、炭鉱として掘られていた場所で……廃鉱になってから魔物に占拠されたんだとしたら。……いや、でも……)


 チヅルの思考の端に、拭いきれない違和感が引っかかった。


***


 チヅルは視線を洞窟の正面入口に向けたまま、音を立てずにマジックポーチから王国の詳細地図を取り出した。膝の上に広げ、指先で盆地周辺の起伏を慎重に辿っていく。王国の測量官が精緻に作り上げたこの地図は、地形の起伏から見張り台の位置まで詳細に記載されている。当然、このすり鉢状の盆地も明確に描かれていた。


 しかし――。


(……ない。洞窟の記載が、どこにもないよ)


 チヅルは一度瞬きをして、もう一度地図を凝視した。やはり、盆地の最北端にあるはずのあの巨大な穴は、地図の上ではただの「崖」として処理されている。地図を丁寧に折りたたみ、ポーチの奥へ戻す。チヅルはユイとラズベルの顔を交互に見つめ、二人に向かって首を横に振った。


「……地図に、この洞窟の記載がないんだ」


 ラズベルが驚きを隠すように、口元を両手で覆った。


「……それって……どういうことかしら。見落とされていたの?」


「王国が把握していない、未知の洞窟だってことだと思う。……あるいは、最近になって開通したのか。……あいつらがここを見つけたのは、王国よりも先だったんだよ」


 チヅルの囁きに、三人の間に重苦しい沈黙が落ちた。


(……王国が気づく前に、あいつらに先を越された? じゃあ、いったい誰が、どうやってこの場所を特定したんだ)


 ユイが苦虫を噛み潰したような顔で、白綱の柄を握る手に力を込めた。ラズベルも、丘の向こうにいる二千人の村人たちの安寧を思い、静かに唇を結んでいる。誰も知らない穴の奥で、いったい何が行われているのか。——なぜあいつらが、王国よりも先にこの場所を見つけることができたのか。チヅルたち三人には、その問いに答える手がかりがなかった。ただ、底知れない不安だけが、三人の間にひっそりと根を張っていた。


***


 運搬作業を終えた3体のゴブリンが、再び洞窟の暗がりへと引き上げていった。盆地の底から一時的にゴブリンの姿と台車を引く音が消え、チヅルたちが監視を開始してから五度目の静寂が戻ってくる。


 その、静寂の隙間を縫うようにして――。


「…………ぐ、るる…………」


 洞窟の奥から、地鳴りのような低く重い唸り声が届いた。チヅルの背筋を、氷のような寒気が駆け抜ける。それはゴブリンの甲高い鳴き声でも、オークの野卑な荒い息遣いでもなかった。もっと深く、もっと重く、大地そのものが腹を立てて呻いているような響き。感情の一切を排し、ただ存在そのものが他者を拒絶し、威圧するためだけに放たれた震動。


(……深い。かなり奥だね。あのゴブリンたちが消えていった、さらにその先だ)


 ユイが微かに身震いした。彼女の左手は、すでに白綱の鯉口を僅かに切っている。魔刀もまた、持ち主と同じ不浄な「何か」を感じ取り、皮膚を逆撫でするような漠然とした不快感を共有していた。


(……なんだ、あれ。ゴブリンでもオークでもない。もっと、とんでもなくデカい何かが――奥に潜んでいるのか?)


 ユイの内心に渦巻く警戒心が、チヅルの肌にも伝わってくる。ラズベルはバックパックのベルトを指が白くなるほど強く握り直し、祈るように洞窟を睨み据えていた。唸り声はしばらくの間続き、やがて潮が引くように静かに消えていった。また、元通りの死んだような静寂が戻ってくる。


***


 しばらくすると、再び洞窟からゴブリンたちが姿を現した。彼らは何事もなかったかのように、また台車に石炭を積み、物置小屋へと向かい始める。さっきの唸り声すら、彼らにとっては日常の一部でしかないと言わんばかりの、あまりにも淡々とした、人形のような繰り返し。チヅルは視線を洞窟の正面入口へと戻し、ゆっくりとマジックポーチに手をかけた。


(洞窟の内部構造を調べたい。スクライを最大出力で一閃させれば、ある程度の形はわかるかもしれないんだけど。でも、やっぱりあたしたちの存在を露呈するリスクは冒せないし……)


 チヅルがポーチから取り出したのは、魔道具ではなく、使い慣れたスリンガーだった。


(とりあえずは、物理的な方法でいく。空気の流れだけでも確かめれば、内部構造をある程度は推測できるはずだ)


 チヅルはユイとラズベルを見た。二人がそれぞれ、視線で「何をするの?」と問いかけてくる。チヅルは、自分に言い聞かせるようにニッコリと笑ってみせた。けれど、そのワインレッドの瞳は冗談の一切を通さない、研ぎ澄まされた光を宿している。


「……一つ、試したいことがあるんだ」


 チヅルはマジックポーチから、一粒の小さな「つぶて」を選び出した。


明日は朝7時過ぎと夜19時過ぎの更新です!

チヅルの奇策への伏線が徐々に揃い始めます。

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