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【第50話】航海 初日

 海に揺れるピーナツ号の年期の入った薄緑色の階段を上りパインは甲板へと出る。目の前を歩く黒い巨体は逆光を受けていた。


 生暖かい風がパインの頬をかすめ、時おり聞こえるカモメやらの鳴き声が彼の耳に入る。


 空は相変わらずのグレー色で静かに2人を見据えていた。パインとコーダンの2人はしばらく甲板の上をゆっくり歩いていた。


 いつの間にかダイバースーツに着替えたミグーナ、リンデル、チャーギがパインの目に映る。パーフェクトボディーのミグーナを二度見し、その流れでリンデルを彼はチラッと見る。


(ミグーナさんのファンになっちゃいそうだ ・・・ )


 リンデルは背は小さいものの彼女も女性特有の緩急をつけたS字ラインがパインの目を奪った。先ほどまで着ていた白のオーバーオールでは想像することが難しいそれを目の当たりにし彼は頬を赤らめた。そして彼女がこっち見るなと言っているような表情を作り、少しだけ彼女も頬を赤く染めていた。


 それをミグーナがからかっていた。


 パインはにやけてしまいそうな顔の口角を必死になって下げた。それに気が付いたチャーギが自分に少し睨みを利かせていたが、自分の後ろから巨体が現れるとそれを止めていた。


(チャーギさんには嫌われちゃったみたいだ ・・・)

 パインはチャーギになぜ嫌われてしまったのか分からないでいた。


 そのチャーギは女性2人にここ近海の様子を恥ずかしがる素振りも見せずに説明していた。


(大人なんだよな チャーギさん ・・・ 俺だったら絶対恥ずかしくてちゃんとしてられないなぁ ・・・)


 ピーナツ号はチャーギ達の素潜りを行うためにアンカーが降ろされ、一時的に止まっていた。


 部屋に案内される前に甲板中腹にある医務室の外の大き目のロッカーに討伐用装備を置かせてもらっていた。パインとコーダンはそこで「バトル」の準備をする。


 医務室の反対側は船長室。船長室と操舵室は階段で繋がっており、丁度医務室の上が操舵室である。そしてパインはふと思う、何より違和感を感じるのは「船長」に未だに会っていないということだ。そもそも見てすらいない。


(どうゆうことなんだ ・・・)

 まるでエゾマが船長のようである。


「オイ ホレ」


 そんなことおかまいなしの巨人コーダンはロッカーを開き、持ってきていた練習用の木刀を投げ渡してくる。


 彼はそれと同じくらいの長さの普通の木の棒を手に取っている。


 もはや彼特有のニヤニヤどころじゃ済まなくなり、口の端が目に届きそうなほどの笑顔であった。


(どんだけ好きなんだ ・・・・・・)


 船首付近まで2人で足を運ぶ頃には、ダイバースーツの3人の姿はいなくなり、その場にロープやタオルなどが置かれているのみであった。


 船首は登るほどに高くなるよう数個の段差があり、かつ若干の傾斜がかかっていた。それらが巨人をさらに山に仕立て上げている。


「カカッテコイ」

 コーダンの恰好はパインが最初に会った恰好ではなくなっていた。丈夫そうな長袖の黒いスポーツウェアがその巨体を包んでいた。


 今までのピチピチは不自然であったが、今回のピチピチは憧れを抱きたくなるようなそれであった。


 今度こそ何か成果、または手ごたえを掴んでみたい。パインはそう思い木刀を強く握った。


--------------------------------------


(迷いか ・・・)

 コーダンと初めて対峙したときの恐怖心は今はほぼパインには無かった。コーダンの細くなった目を覗きながら一歩一歩と彼に近づく。


 呼吸が落ち着き、大股の一歩を決め、袈裟切りをかます!


(入った! つか動いてないぃ!)


 巨体の左肩に木刀はパシと乾いた音を響かせた。


「マエヨリハ マシカ」

 パインの本気の一撃をコーダンはピンポン玉が当たったが如くチラとそこを見ると笑っていた。


(んぐっ!!!!)

 そしていつの間にやら掴まれていた木刀をパインの体側に押しつけた。強く持ち柄で胸を打たれる。


「キ ヌクナ ナンカイデモコイ」

 彼にとってはちょっと押しただけの行為はパインにとっては呼吸が一瞬止まるほどの衝撃であった。


「はぁ はぁ ・・・」

 パインは気を取り直しコーダンと向き合う。


(打つまでは良かったということでいいんだよな ・・・)

 今度も同じように本気で袈裟切りをかます。当たった直後に身を引く準備も考えて。。。


(ん!?)

「ナメテイルノカ? ナンデオナジコトスル?」

 木刀はコーダンの左手に吸い込まれ、物凄い力で木刀を取られてしまう。


「んがっ!!!!」

 そのまま木刀を自分に向けて投げ、避けきれずに自分の鼻に直撃する。


「ィテテテ ・・・」

 パインは涙目を携え彼の顔を必死に捉える。

「イマ オマエ ・・・ シンダ ワカルカ?」

 巨人がパインの顔を縦に手でなぞる動作をしている。


 パインの鼻からは血が流れている。コーダンの威圧感がそれを見ることすら彼に許されない雰囲気を作っていた。


 下から彼を覗いていると彼の白目が薄く伸び、自身を見下しているのがわかる。今まで感じたことのないぞくっとした物がパインの全身を包み込んだ。


「ホラ ヤルゾ」

 木刀を拾えとその目で命令してくる。

 血を拭くことすら忘れ、それを拾い、パインは構えた。


(殺される ・・・)


 このままだと彼に殺される。コーダンの目は野性のそれ、一瞬だけ垣間見たあの最初のイボアの目に似ていた。


(殺される ・・・ いやだ ・・・ あれ?)

(いや ・・・ 楽しい?)

(やってやろう じゃないか ・・・)

 自分の口角が自然に吊り上がっているのに気が付く。木刀を握る手にみなぎったものを感じる。そのみなぎった何かが全身へと伝わる感覚があった。


 すると何故かパインの体が動いた。巨人めがけてフェイントの大股一歩、身をわざと引いて彼の喉元に突きを放つ。


「アハーン」


 それを彼は寸でのことで避ける。


 避ける動きが分かった所で木刀を引き右にステップ、その動きの力を利用したまま木刀を水平に薙ぎ払う。


『『がっ』』


 彼の左肘にそれが当たり、今までにない手ごたえのある感触が腕に伝わる。


(いった! 今までと違う 楽しい!)

「キヲヌクナ」

「はぁ はぁ ・・・」


 巨体が今度は動き、自身を捉えようとする。


 バックステップをしそれを避ける、フェイントを入れながらも突進を繰り返す巨体に真っ向切りをかます。


『『バゴンッ』』

 巨体はそれを右腕で受ける。


(何発打っても 防がれる ・・・ じれったい ・・・)

 船首の甲板がギシギシと音を立てる中、クルクルと踊るように舞う2人。


(はぁ じれったいなぁ ・・・ これならどうだ ・・・)

 掴まるふりをみせかける。


 それを分かっているのかどうなのか、目を細める巨人。


…。


 そして掴みかかってくる。

(あはは ・・・ かかったか)


『シュンッ!』


 瞬間的に屈伸をし、身を半身よじる。ももの力を最大限に使って彼の首筋に物凄い力が入った逆手持ちの突きをかます。


 甲板が自身のスクワットでグィと下へと凹む。全ての力がバネのそれとなりコーダンの喉元に木刀の先が吸い込まれる。


「「アアアーーーー コレダーーーー」」


 巨人はその突きを受け、深くそれが首にめり込んでいるのを確認して叫んでいる。


 その叫びがパインの身を小さくさせた。


(ちっ ・・・)


 彼がそれを見るや否や平手で自分の胸を押し距離を離した。


 自身の持つ木刀の先に赤い物がないことを確認し再度巨人に向き合う。


「はぁ はぁ ・・・」

「ソレダ オマエ ソレヲツネニ ダセ」

 正直その言葉の意味がよくわかっていなかった。ほっとしたような様子の笑顔のコーダンが今日は終わりだと告げる。


「はぁ はぁ はぁ ・・・・・・」

 なんだか物足りない気がしたが、気のせいだろうとパインは思った。短い時間ではあったが、体は悲鳴をあげている。木刀の柄についた自身の血に気が付いたのはそれから数秒たった後であった。


 コーダンが階段を下っていくのを見送った後にパインは漁夫さん達にモップを借り、甲板を赤く染めていた自分の血を処理した。


…。


「おんもいっ!!!」


 パインの叫びがグレーの空に響いた。


 コーダンが甲板に戻ると今度は試合ではなく船首にある台で彼の指導の下ベンチプレスをしていた。コーダンは普段着に、相変わらず小動物がプリントされたTシャツ姿に戻っていた。


(あの右手に持つ木材すら使ってこなかった ・・・)

 この時になってパインは初めて気が付いた。


(まだまだってことか ・・・ つか これ ・・・)

 あの巨大な鉄の盾を使ってのベンチプレスは非常に辛そうだ。


 パインの限界までその盾の内側に様々な道具を乗せられ重くなる、何度もコーダンの雄叫びを聞きながらパインは腕を上げ下げさせていた。そしていつの間にやら集まった野次馬の漁夫らも雄たけびを上げていた。


「「もっといけーーーーー!!!」」

「「あああああーーー!」」

「「イイゾ パァァイイィィン!!」」


 パインが甲板まであがってきたダイバースーツの3人に目が合うと、その3人はまずいものを見たといった様子で医務室まで着替えに走っていくのがわかった。3人ともかご一杯に海の幸を入れ、キャッキャと楽しそうであった。


 再度鼻血が出たのはミグーナの姿を見た後ではなく、夕方前までそれを続けた時であった。


 決して彼女を見た時には出ていない。大事なことなのでもう一度言わせてくれ。決して彼女とリンデルの姿を想像して。


「キョウハ ココマデカナ オツカレパイン タノシカッタゾ」

 そう言われ、医務室まで連れていかれた。


--------------------------------------


 ここは医務室。ここが船なのかと疑うほどに綺麗に整備され、狭いながらも色んな専門的な器具やベッドが並ぶ部屋であった。


「「なにやってるんですか コーダンさん!!!!!」」

 サンベルが黒い巨人を罵っていた。

「ダッテヨォ ・・・・・・・・・」

「「鼻折れてますよ!? 普通は診てから続きやるでしょう!」」


 その光景はスズメが鳩に説教しているようで滑稽であった。巨人はサンベルの罵声で逃げるようにして医務室を後にしていた。


(いてて ・・・)

 どうにかこの団子ッぱなの形状は彼の手によって元の通りに戻された。やはりサンベルが天使だというのは間違いがないようだ。


「ありがとうございました」

「何事もほどほどにだよ パイン君」

 そう言われ「はい」と返事をしパインは彼の下を去る。


 海の景色はいつの間にやら後ろに流れており、船が進んでいるのがわかった。空はオレンジ色や紫色に染まり、遠くの空で鳥たちが鳴いていた。


…。


 その足で部屋に帰りシャワーを浴びに船の廊下を歩く。それぞれの部屋からは楽しい声がここまで漏れていた。


 年期の入ったこの船の廊下から漂う匂いは甘じょっぱかった。


 シャワーの蛇口を捻り、冷水を体に浴びる。水にパインの血が混じり排水溝へと流れる。そして彼は右腕を見る。


(あれ ・・・・・・?)

 自分の脈と、右腕の脈というか。その収縮のリズムが違っているのに彼は気が付いた。

(これ ・・・ そういうことか)

 頭が冷水に冷やされ、コーダンの言っていた事が少しだけ分かった気がした。


…。


 パインは部屋に戻り、少し落ち着こうとする。

 すると「トントン」と扉が鳴る。


(ちょっと ・・・ 落ち着かせてくれないかなぁ ・・・ )


 「はい」と声を上げると「ぬっ」ともじゃもじゃへやーのサクラの顔が扉の隙間から飛び出してきた。


 航海の初日は休む暇が少しもないようである。


「むすこいじってるんだろ?」

「はいぃ?してませんよ!」

 この人の冗談にも慣れたが、真面目にそう反応する。

「冗談 冗談 でさ これから暇だろおめぇ?」


 「はい」と答えると彼は厨房で手伝ってくれと言う。パインは疲れていたが、興味の方がそれより勝っていた。


「あのおっかないお前さんの上司はうちの連中とゲームに夢中でよ まったく」

 厨房へ向かう途中でサクラがそう口にする。


 あの廊下の叫び声はそれだったのかとパインは納得した。それにも興味があったが、今回は全てサクラに身を任せようと思っていた。


--------------------------------------


 ピーナツ号の厨房。ステンレスの台には今日チャーギ達が獲ったであろう食材がずらりと並んでいた。


「俺1人じゃ これ1時間以上かかるからよ 漁夫の連中は今別のことで忙しいようだしよ」

「すまんけど 手伝ってな 教えるからよ」

 それにパインは「分かりました」と快く返事をした。こんなものを捌ける機会なんて滅多にない。


…。


「そうそう おめぇさん 本当に素質あるかもな ・・・」


 パインはサクラに褒められながら作業を進めていると、ふとチャーギがこちらまでやってくる。いつもなら睨まれているのだが、今回は何故か笑顔であった。


「お疲れ様ですサクラさん これからもよろしくお願いします」

「おう おめぇさんこそ随分立派なもん獲ってこれるんだな」

 チャーギは「いえいえ」と嬉しそうにサクラに言っていた。

「パインも今日はお疲れなのにご苦労様だね」

 そうチャーギに言われた。その後彼は浮足立って厨房を後にしていた。その姿が少し不気味だった。


「あんたの上司は訳の分からん奴ばっかだな 俺はおまえのが好きだぜ」

 パインはサクラにそう言われると、本当に嬉しかった。


 パインが捌くそばからサクラは次々にコンロに火をつけ、レンジに皿を入れ、見る暇がないほどの動きを披露していった。ずんぐりと思っていたが、それは見せかけの姿でその中身はエビのように詰まっているようにしか見えなかった。先ほど自分とコーダンが披露した船首でのダンスとは違い、軽やかな足運びはエビのようでまたは南国の綺麗な魚のようでもあった。


…。


 パインが出来上がった料理を運ぶ頃にはすでに遊びを終えたコーダン達と仕事を終えた漁夫。風呂あがりの少し日に焼けた女性達が待ち構えていた。


 パインはサクラに「もう十分やってくれたよ ありがとう」と言われ、自分もその手伝った皿を彼らと一緒になって頬張る。締めのスープを飲む頃には、今日の疲れがどっとでて自分の部屋にどう帰ったかすらあやふやであった。


--------------------------------------


 パインは2段ベッドの下の段のベッドから上の木の床を見つめている。上からはやんやと説明のような愚痴のような、おじさんのマシンガントークが鳴り響いていた。


「おめぇさん なぁ 今日俺何してたか知ってるか? 出航してすぐだよ ほらどうした?」

「すんげぇのよ? いままでのトイレとかシャワー室とかそうゆうの全部俺らが直してたんだかんね?」

「ほらさ この船に女なんて乗せたことなんかないべ? そりゃそうだよここはほとんど女禁制つか」

「そうなってしまったんだよ でもよ 今回は今回じゃねぇか? そしたら誰が直すって?」

「そりゃ 俺しかいねぇだろお 見たか? 女子用の作ったんだぞ?」


(言われてみたらあった気がする)


「今日の朝だべよ トラックに積んでた便器運んでたのおめぇべよ 気が付かななかったか?」


(言葉を返す暇がないんだけど)


「そうだよあれを今日つけて そいで 男用のそれちょっとずらしたりよぉ そりゃあ 丸一日かかるべよ」

「そしたらあのサクラってのが 俺のとこきて うちの返せいうんだからあったまきちまってよぉ」

「んで次はなんだ? 船首に体おける台つくれって!? おめぇんとこのでかい奴がさっきいってきたぞ おい」


 その後もゼンダのマシンガントークが続いた。その途中から彼の話し声はパインの子守歌に変わっていった。

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