【第35話】電車に揺られて
都心の駅には様々な人で溢れかえっている。真新しい私服をここぞとばかりにアピールして着ている若者らや、如何にも仕事中ですといった髪をジェルで固めた背広の中年のおじさんなど。
なぜ人が集まるとこのような臭いになるのかとパインは疑問に思ってしまう。あの山の木々や土、川の匂いと同じように人々もまた数が集まるとそれと同じように一種独特の空気を作っているのかと無駄なことを彼は考えた。
電車が駅に轟音を響かせ入ってくる。ドアが開くとまるで呼吸のように人が出入りする。それに乗じてパインとリンデルも吸い込まれていく。
席は空いておらず、こうして手すりにぶら下がる。彼女はそれに手が届かないようで席の端に設置されたステンレスの棒にしがみついている。少し不憫な思いをしているのかなとパインは思ったが、先ほどからの嫌がらせで彼の心はそれに対して同情の念は抱いていないようだった。
席に座るカップルが楽しげに会話を楽しんでいるのをパインは目の端で捉える。またチラとリンデルを見るとつい目が合ってしまった。するとなぜか彼女は自分の腰のベルトを掴みだした。電車の揺れをそれで抑えているようであった。
電車のガラスに映る自分とリンデルの姿が席に座るカップルとさして変わらない光景にパインは少し動揺してしまった。
…。
パインはリンデルの軽やかに電車を降りる姿を見た。
ここは若者の街。パインは普段からまったくお世話になっていない所だ。彼からしたらここは別世界だ。
リンデルは落ち着かない様子のパインのことを全く意識していないようだった。おそらく何度も足を運んだことがあるのだろう。
原色系の色の看板が付いた店がぎっしりと並んでいる。
パインはしどろもどろしながらリンデルの後を追う。すれ違う人々もおしゃれで可愛げな雰囲気の店に入ることを楽しみにしている様子だった。ここに冒険者の扱う物が売っている気がしないとパインは思っていた。
「スパイク靴とかですよね?」
それを売っている店がこの街にはなさそうだった。
「とりあえずあんたの服よ」
そう冷たくリンデルは言う。
たしかにこの白い薄汚れたTシャツでは恥ずかしいとパインはやっと気がついた。彼のような格好の人はここには1人たりともいなかった。彼とは対照的にリンデルはそんな彼の格好を全く気にすることなくおしゃれな町を楽しそうに歩いていた。
パインはリンデルに案内されるがままお店に行き、シャツとズボンを彼女に買ってもらった。
「右腕が ・・・・ ぱんぱんね アクセサリーとかあればもっと映えるかなあ」
彼は買った服をそのまま着て街を歩いた。
たしかに右腕がパンパンでTシャツのままのほうが断然動きやすい。彼は鏡を見たが、運動部がおしゃれしてその服に着られている感じとでも言おうか、そんな見た目だと思った。
「とりあえず 次はランチよ」
「はぁ」
2人はイタリアンのカフェに入る。
(・・・ ん?)
いや、これはまさかのデートなのではないか?少し前からそう思えて仕方がなかったが、実際こうして歩いて色んな店に行くとその思いがほぼ正解になっているのではないかとパインは感じてしまう。
(まぁいっか)
自分はメロンソーダとペスカトーレという魚介のパスタを注文した。リンデルはカルボナーラとカフェオレだ。
「あんたメロンソーダって ほんとガキよね」
(いやいや ・・・)
あんたのそのカルボナーラも大分子供っぽいだろとパインは思ったが敢えて口に出さないことにした。
「なによ なんか文句あるの?」
第6感なのか、思っていることが筒抜けなのはなぜなんだろうと考えたがそんなこと考えていてもなんの得にもならなそうだとパインは思った。
ひらすら彼はこの魚介の料理を口に運ぶ事にする。
(うまいうまい)
しかし……。
アッシュもリンデルも自分の事を見抜きすぎている。むしろ悪いのは自分か?もぐもぐ。
「リンデルさんは何か買いたいものあるんですか?」
少し気まずい雰囲気なのでパインはそう聞いた。
「そりゃあるわよー まずはジャケットでしょ あとデニムのパンツかミニのスカート それと靴も私もね 新調したいんだ」
よくわからないブランド名とそれらの品物の名前がひたすらリンデルの口からでた。もしかするとこれは非常に長い旅になるかもしれないと、残り一口になったメロンソーダをズズとパインは飲んだ。
…。
カフェを後にすると案の定リンデルが行きたい店にパインは引きづられるように行く。ひたすら試着やら買い物やらに彼は付き合う事になってしまった。もちろん買った荷物は彼が持つ羽目になっている。
「次はねー ・・・・」
大分テンションが上がっている彼女が次に向かったのは水着売り場であった。
この時期だとまだ早いと思われがちだが、西側はもうすでに海が開かれており、行く人々が大勢いる。
「どお どお かわいい?」
都会の店、水着を着ている女性をまじまじと見るほど気まずいものはない。
しかし陽気な彼女のテンションがパインにも大分伝染してきて、その姿に少しの興奮をもたらしていた。
背は小さいものの、あるものはしっかりと備わっている。
リンデルの引き締まったウエストをパインは見る。つい白く滑らかな彼女のももを舐めまわさないように彼は気を付けた。青の水着の下はズボンの形にフリルが付いていたため彼は少し安心した。
「かわいいと 思います」
「なによー かわいいでしょ ねえ?」
試着室から手が伸び、パインの肩を掴む。その拍子に彼女の水着から少しはみ出た胸が揺れて弾み、つい彼の目がそこに行ってしまう。
「いいと 思います」
興奮を抑えようと必死に下を見てそれを悟られないようにする。
「あはは あんた面白い エッチねぇ」
そうリンデルがいうと、カーテンを閉め着替えを始めた。助かったと内心思ったものの、もっと深い部分では逆のことを彼は想像していた。
「あんたのも買ってあげるわよ」
するするとカーテンを閉め試着室を後にしてパインの水着というかパンツを2人で探すことになる。
「いいじゃないこれ ばかっぽくて!」
「いや 一応もう20越えてますので ・・・・・・」
恐竜の柄のパンツを渡され、しょうがないので腰にあてがうと彼女がケラケラと引き気味に笑っていた。
「パイン試着しなよ それ」
パインは急にリンデルに名前で呼ばれドキドキしてしまう。そのドキドキのせいか彼は「はい」と答えこのダサいパンツをはく羽目になる。そしてカーテンを開け、その姿をリンデルに見せる。
「ちょっとあんた 上は脱がなくていいじゃないの」
「あっ!」
彼の露わになった上半身を彼女が見たときの焦る顔とその後の紅潮した頬が彼の目に焼き付いてしまった。
(あっちゃぁ ・・・)
店に来ていた若いカップルがそれらの様子を見てたのかクスクスと笑う声が聞こえてきた。
その後2人とも赤い顔を拵えて試着した水着を購入し店を後にした。
…。
「んじゃ 道具買いに行こっか」
ここに来て最初はやれやれといった心境であったがこうして2人で歩いていると何故か気分が晴れているのにパインは気が付いた。こういうのもありなんだろうなと彼は思えてきていた。
「うん 行こう」
…。
パインは電車のつり革につかまって、電子掲示板の駅の名前を目で追っていた。
「イボア狩れる奴ってそうそう居るもんじゃないのよ?」
するとリンデルがそう口に出した。
パインはそうなのかとあの森で過ごした経験を思い出した。
(でも自分1人ではやれたことがないしな)
「あんたとあたしなら多分もう無理なく狩れるわよ」
「俺がまた外さなければですよね?」
「もう外さないでしょ つかあんた敬語やめなよ ・・・・」
リンデルは再度、電車の揺れがないのにも関わらず自分の腰のベルトを握ってきた。
2人はぎこちない会話をしながら電車を数回乗り継いだ。そして先ほどの街並みとは違う白と黒と茶色を基調としたシンプルな店が並ぶ街に降り立った。
辺りはもうすでに暗くなり始めていた。
…。
「冒険者ども集え! いきり立て! 恰好つけろ! いい得物が欲しけりゃ寄ってこい!」
目利きの虎漢と大きく店名が描かれた看板の下のノレンに書いてある文字をパインは声に抑揚を付けて口に出した。
「ウケル! ここにしましょ」
その言葉でリンデルに笑ってもらえたことがパインは嬉しくなった。
店内に入ると、ヒンヤリとした空気が漂っており、金属や消毒用のアルコールなどが混じった独特の匂いがパインの鼻に入ってくる。
本棚の縦の仕切りがないといった感じの長い棚が店の奥に沿って何列も並べられている。
客入りは少ないが、明らかに冒険者だろといった風情の男が数人まじまじとそれらの棚に並べられた得物を見ている。
2人は2手に別れ目的の得物を探した。
「こっちよーパイン」
そう呼ばれ荷物を揺らしながら店内を進む。求めていたコーナーは海の得物だ。
そこにあったのは想像より遥かに大きい武器と様々な道具であった。
「おまえらのあこがれ! 最強のフナオーを狩れ!」
ここの店の趣向なのか、一々カッコつけてそういったセリフを並べている。リンデルが笑うと思い、再度その恰好つけたセリフをパインは言ってみたのだ。
「あは ちょっとあんたこれ 見てみなさい」
軽い笑いしか返ってこなかったことにパインは少し落ち込んだ。
だがそんなことより、その彼女が持つ「フナオー」のことが描かれた資料をパインは読むと今度は別の感情が彼に湧いてきた。
あのアッシュが持っていた写真は小さく見せすぎていた。その資料にある写真は大人が銛をそれに打ち込もうとする写真だが、その金魚の大きさはこの男の数10倍はあるのではないかと思うほど大きかった。ついでに彼は留意点などの項目にも目を走らせた。噛まれて粉々に粉砕した腕や暴れまわったことで乗るボートが真っ二つに割れた写真。そして船がフナオーの群れに囲まれ転覆する様子などが描かれていた。
「ちょっとこれは 無理じゃないですか?」
パインは残酷な描写で描かれる生々しい資料を見てすぐにそう思った。それをリンデルに打ち明ける。
「あたしもそう思うわよ さすがに「フナオー」は厳しいって ・・・・」
おそらく彼女もアッシュに強制的にこうしてそいつを狩らなければならないのだと今頃になってパインは気が付いた。
「あの人がどう考えているのかわからないし それにあんたがどこまでできるのかなんてあたしもわからない」
まさにパインもリンデルと同じことを思っていたところだった。
たしかにパインの右腕はなにか異様な強さを誇っていた。しかしそれが彼に冒険者としての自信をつけさせたかというと、そうではない。彼の意識とは別に存在する何者かが自分を動かしている。そんな物に頼って行動していくのは何か違う気がすると彼は思っていた。
「とりあえずあたしはあの人から逃げれないのよ あんたもそうなんでしょ?」
「まぁ ・・・ はい」
別に逃げるとかそういう気になったことはパインにはない。だから彼女のその質問に同調するのも彼からしたら変であった。しかし彼は肯定した。
こうしてパインがリンデルと一緒にデートをしていく内に彼は何かを彼女に預けていたのかもしれない。
パインは自分よりも彼女のほうを哀れに感じていた。アッシュや自分から逃げようと思えば逃げれそうな気がすると。自分とアッシュの因果に彼女を巻き込んでしまった。その責任を彼は感じていた。
パインの少しの沈黙がリンデルにどう働きかけたのかはわからない。
リンデルがパインを上目遣いで見た後、銛の掛かっている棚にくるりと体を向けなおしていた。
その姿にパインの心のしこりが少しずつほぐれていく。
「なにビビってるのよ いいやつ買いましょう」
「ありがとう ・・・」
パインは本音でそういった。
「それと予習のためにこの本、それにスパイク靴ね」
リンデルはパインのその言葉に一瞬の間を作っていた。
その後は2人は無言のままその3点を購入した後に店を後にした。
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店の外は初春の冷たい風が吹き少し肌寒い。リンデルは思いっきり寒く身震いし体を小さくさせていた。しばらくそこに立ったままブルブルさせ彼女は何かを考えていた。パインがその姿をよく見ると、冷たい風が彼女の鼻先を赤く染めていた。
「焼肉食べたい」
パインは彼女が何を言うのか待っているといきなりそんな言葉が彼女の口から出てきた。彼はつい笑ってしまった。
「いいですよ なんか俺もあれみたらいいもの食べたくなりました」
「だから 敬語やめてよ こっちが恥ずかしいじゃないの」
「ごめんなさい」
彼女は軽くため息をついて歩き出した。
雑誌で見た「フナオー」の衝撃はこの時パインに残っていなかった。
…。
再度2人は電車に乗る。今度は仕事の帰りの人々でごった返していた。
荷物を多くもっていたためうっとおしそうな視線をパインは何度も食らっていた。それもその筈で、彼女に買ってもらった銛は彼の背よりも大きなものであった。
彼女のアパートも同じ町だとこの時パインは知った。近くの駅まで電車で2人は仲良く揺られることとなる。満員で狭いこともあり、手すりまで届かない彼女はパインに抱き着くように傍に寄ってきていた。
あの森で抱きかかえたときの温もりがこうして電車の中でパインによみがえることになった。
お互いに人ごみで火照った体で電車を降り、駅から近くの焼き肉屋に向かうことになる。
「なんか 疲れたかも」
リンデルの温もりでパインの頭は一杯になっていた。しかし彼女がそう口にしてきたのでどうにか彼は気持ちを切り替える。
「そうですね そういえば あの山登ったのは徒歩なんですか?」
「あ ・・・・ そうよ」
「ああ ・・・ そうだった」
わざわざ自分に付いてきたんだった。おそらく100キロはあるであろうあの山道をついこの間やってのけたのだ。今どうしてパインがその事を聞いたのか彼自身わからない。
パインは彼自身の言葉のおかげで別の事を考えることができた。
だがそれも束の間、リンデルと一緒に歩くこの町は彼にはこの時別世界に見えていた。
「ここでいいでしょ」
「うん」
そこはパインが前の会社の飲み会の二次会で一度来た事があるお店で、彼だけで入るのは気が引けるそこそこにいい焼肉店だ。食べ足りない様子の自分を見て先輩が気を利かせて連れて行ってくれたことを彼は思い出した。
「「いらっしゃいませー」」
2人は奥の個室に案内される。パインはどうにか銛をその狭い個室に収める。
「あんたも吞みなさいよ?」
「あ そうする」
「パイン君もしかして敬語以外下手くそなんですか?」
「そ そんなことないって!」
リンデルが目を細めながらパインをいじっている。
お互いに疲れが溜まっているのか、大して食わず飲まずで大分酔いが回ってきていた。
「あんたねぇ 本当はもっとグっっと 女の子をにぎるものよお」
「じゃあ教えてよ」
「なんであたしがそんなこと教えなきゃいけないのよぉ~」
こうして2人は冗談を言い合う。
リンデルは普段は結構面白い性格なんだなとパインは思った。彼女のこうして飲み食いしてる姿を見ているとパインはつい楽しくなっていた。
「あんたフナオーで死ぬ冒険者がどれくらいいるか知ってるの?」
顔が赤くなった彼女から突然シリアスな言葉が出る。パインはそれに驚いた。
「いや わからん」
「ほんっとなんもわかんないのねぇ 一番多いのよ冒険者で死ぬの」
パインはその言葉に一瞬酔いが冷めかけた。あの魚の可愛らしい形からは全く想像ができなかったが、確かにこうして本を広げ見てみると注意喚起の項目の方が多いことに彼は気が付く。
「まぁいいのよ あたしはさぁ あのとき一瞬あきらめてたからさぁ」
どの場面を言っているのかパインにはわからなかった。
「そうなんだ」
「そうなんだじゃないわよまったく いいわよ 飲めばいいんでしょ」
パインはそんな男気を見せるリンデルの姿を見て微笑んでしまっていた。
ラストオーダーの一杯を2人で楽しんだ。
「でも そろそろ終電きちゃうから出ましょうか」
パインはあまり酔っていなかった。リンデルが大分酔っていると彼は感じたので早く店を出ようと促した。
「なぁによぉ まだこれからよぉ ああ 海いきだぐない」
やはりフナオーにかなりのトラウマを持っているのは間違いなさそうである。明日は1日予習をみっちりしようとパインは心に決めた。
…。
呂律が回らない彼女を半ば抱きかかえるようにパインは腰に手を回し帰路に着いた。住所を聞くと駅も同じで、徒歩でいける距離であった。
どうにか彼女の住むマンションまで歩を進めオートロックの玄関までやってくる。
「こっから先はいけるよね」
「うん 大丈夫 ありがとう」
少し歩いたことで彼女の酔いが少し冷めていたようだ。
「んじゃあアッシュさんの連絡待ちってことで また ・・・」
そう言い切る前にリンデルがぼそっと呟く
「なによ 来ないの?」
その言葉がどういう意味なのかがわからないほど馬鹿ではない。フナオーのトラウマや自分と出会って、今こうしてここまで一緒になって歩いている道筋をパインは思い起こした。
「えええええ ・・・」
パインが様々なことを考えていると焦りが同時に脳内で回り上手く言葉が出せなかった。その様子を見てリンデルはそそくさとオートロックのガラスドアを操作して中にそそくさと入っていった。
『バーカ 意気地なし』
パインはそれを聞き、まだ落ち着かない心でガラス越しに見える彼女の背中をただ見つめていた。
…。
それを見終わった後、後悔と信念とよくわからない感情が彼に芽生えてはまた消えていった。
(あああ ・・・・・・)
とぼとぼとパインは自分の狭いアパートに向け足を動かした。




