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王喰  作者: 和和和和
11/15

進化





 夜が明け、木洩れ日が差し込んで来るのを見届けた王喰――「オーク」は、自身の腹の鳴る音を聞いて視線をそこにずらす。


『なァ、相棒。腹が減ったぜ』


 その声が向けられた先にいる王喰の宿主となった人間――「良人(いいと)」は、まるで感情が抜け落ちてしまったかのような虚ろな瞳でただ地面の一点を見つめていた。

 その視線の先にあるのは、食欲に負けて食い殺してしまった亡き妹「美亜」に瓜二つだった帝王種の少女「フィナーリア」の血痕だった。

「……」

『いつまでこうしてるんだ? もう三日だぜ』

 自分の呼びかけにも一切答えず、ただ一点を見つめ続けている良人(いいと)の反応に眉を顰めたオークは、機嫌を窺うように言う。


 寄生生物であるオークは、地球人ほどに知性が高い生物に寄生していた場合、宿主である良人(いいと)の意識を無視して身体を動かすことはできない。

 そのため、この場に三日もの間うずくまったままになっている良人(いいと)と行動をともにせざるを得ず、空腹を感じ始めていた。


「うるさいな。なら、この前みたいに俺を操って飯を食いに行けばいいだろ?」

『そんなことできるかよ。あの時も、俺がお前を操ったんじゃない。あれはお前自身の食欲だ。それは、お前が一番よく分かってるだろ?

 それに、目の前に飯がなけりゃ、食欲が暴走するようなことはねぇ。――けどよ、生きてりゃ腹が減るんだぜ? 飢え死になんて御免だろ?』

 先日、フィナーリアを喰らった時のような食欲の暴走は、目の前に食料となる帝王種がいない限りは生まれない。

 その時のように意識を呑まれることがないため、一向に動く気配のない良人(いいと)に、オークは辟易したような声で語りかける。

『分かった。お前を騙してあの女を喰ったことは謝る。この通りだ。だから、飯を食いに行ってくれ』

「……」

 空腹に自分から折れ、機嫌を窺うように頭を下げたオークだが、その言葉に良人(いいと)はただ沈黙を返すばかりだった。

 そんな良人(いいと)の態度にわずかに苛立ちを覚え、憮然とした表情を浮かべたオークの耳に、宿主の少年の身体が腹の虫を鳴らす。

「……はは」

 自分の腹の音を聞いた良人(いいと)は、掠れた声で自嘲すると、砕けんばかりに歯を食いしばって声を絞り出す。

「なんで……なんで腹が鳴るんだよ! なんで!」

 フィナーリアを喰らって満たされた腹が、何もしていないというのに食事を求めて訴えてくることに、良人(いいと)は憤りすら覚える。

 今までなんとも思ったことのない空腹という生理現象が、今の良人(いいと)にとってはとても腹立たしいものに思えてならなかった。

『あの女が、お前に生きろって言ってんのさ』

 そんな良人(いいと)に、オークは腕を組んだまま話しかける。

 諭すような穏やかな声で良人(いいと)に語りかけたオークは、その沈んだ心を奮い立たせるように言葉を続ける。

『あの女は、もうお前の血肉になった。お前とあの女は一つになったんだ。お前が死ぬってことは、お前を生かしているあの女の命を無為にするってことじゃないのか?』


 食するということは、生きるということ。食べたものは血肉となり、その命を支える。

 つまり、今の良人(いいと)の身体にはフィナーリアが宿っていることになる。――しかし、そんな美しい話も、今の良人(いいと)にとっては、ただの戯言にしか聞こえなかった。


「……勝手なこと言うなよ。殺されて、喰われて、喜ぶ奴なんていねぇよ。俺が間違ってたんだ……俺は、こんなことがしたかったんじゃないのに……っ」

 鼻で笑うように言い放った良人(いいと)に、オークの額に青筋が浮かぶ。

『勝手なのはどっちだよ!? 優しく慰めてやりゃぁ、うじうじといじけやがって! 家族を喰われて帝王種が憎いだの、妹を見殺しにされて恨んでるだのぶっ殺すだの散々吠えておいて、妹に似た帝王種喰って自分は傷ついていますってか!?』

 宿主の機嫌を取るため、下手に出ていたにもオークは、良人(いいと)の態度に苛立ちをぶつける。

 うずくまったままの良人(いいと)の胸倉を掴み、持ち上げた良人(いいと)は、目線を合わせて感情のままに言い放つ。

『オイ、イート。俺はてめえの感傷に付き合ってやるつもりはねぇんだよ! さっさと立って飯を食え! それが俺達の契約のはずだ!』

 生気の抜けたような顔をしている良人(いいと)を真正面から睨み付け、オークは発破をかけるように吠える。

「なんで……」

『アン?』

 その言葉にしばらくしてから返された良人(いいと)の呟きに、オークは怪訝に眉を顰める。


「なんで俺達は、他の命を奪わないと生きていけないんだろうな」


 命を大切だと知りながら、自分達の種族以外の命を糧に自らの命を繋いでいる。――その矛盾を前に絶望した良人(いいと)は、まるで自身の命すらも投げ捨ててしまったかのように言う。

『そんなもん知るか! 生きるために必要だからだろうが! 良いも悪いもねぇんだよ!』

 その腑抜けた良人(いいと)の言葉に、オークは憤りを露にする。

「はは……なんだそれ」

 それを聞いて虚ろな声で独白した良人(いいと)が何もかもを投げ出したような声で応じた良人(いいと)に、オークはその双眸に侮蔑にも似た失意の色を浮かべる。

『チッ、クソガキが』

 もはや相手をするのも馬鹿馬鹿しいとばかりに良人(いいと)を突き放したオークは、宿体である身体の中へと戻っていく。

 それと同時に、再びその場にうずくまった良人(いいと)は、まるで外界との接触を拒むかのように目を伏せる。


「そういえば、こんな話をしたばっかだったな」


 「他の命が自分達の種族を食べなければ生きていけないのなら、仮に自分や家族を食べられたとしても受け入れるべきなのか」――今、まさに自分がオークに対して返した言葉を、フィナーリアに疑問として投げかけていたことを思い返し、良人(いいと)は自嘲めいた笑みを零す。


 良人(いいと)が帝王種に家族を喰われたように、フィナーリアもまた良人(いいと)に兄を喰われていながら、その張本人である良人(いいと)と普通に接してくれていた。

 許そうとしていたのか、割り切ろうとしていたのか、今となっては分からないが、良人(いいと)はすでに己の胃の腑に呑まれて溶けてしまったフィナーリアに問いかけるように、その言葉を思い返す。


《ただ……ただ私は、他の命を大切に思って自分の命を捨てられるような人間ではないということだけです》


《兄が亡くなっても、私は――私の心の奥と身体は、生きたいと願っています》


《イートさんはどうですか?》

 どんな絶望の中にあり、命の矛盾の軋轢に晒されていようと、己の身体は常に「生きたい」と空腹を訴えてくることに苦笑めいた笑みを浮かべていたフィナーリアの言葉を思い返した良人(いいと)は、改めて自分に問う。

 その答えは、自分の腹の虫が教えてくれる。


「……俺も、そうなんだろうな」


 自嘲めいた言葉で呟いた良人(いいと)は、目尻から零れる涙を拭うと、血の海に沈んでいる指輪を拾い上げる。

 フィナーリアが着けていた指輪を手の平に握り締めた良人(いいと)は、記憶の中にある妹に似た帝王種の少女を幻視して独白する。

「俺も、腹が減ったよ。フィナーリア」


『……オイ。相棒』


 その時、良人(いいと)の身体の中に戻っていたオークが顔を出し、低く抑制された剣呑な声を発する。

 オークの言葉に答えるように良人(いいと)が顔を上げると、それを待ちわびていたかのように森がざわつき、その中から十人にもなろうかという帝王種達が姿を現す。

「発見しました! 王喰です!」

「よし! 全員で包囲し、討伐せよ!」

 帝王種達が連絡を取り合い、その手に具現化した王威(オーラ)の武器――剣や槍の切先を向けてくるのを見て、良人(いいと)の血が脈を打つ。

「ぐ……っ。ううッ!」

 まるで血が沸騰したような熱を感じると同時に、空腹に蝕まれていた食欲が燃え上がるのを感じて、良人(いいと)は強く歯を食いしばる。

 先日、フィナーリアを前にして起きたものと同じかそれ以上の強さで蠢く食欲と言う名の衝動を抑え込む良人(いいと)の背で、オークが声を上げて嗤う。

『ハハハッ! こりゃいいぜ! なんだか知らねぇが、あっちの方から来てくれやがったぜ相棒!』

 王喰の食欲に苦しむ良人(いいと)にオークが声をかけると同時、帝王種の戦士達が一斉に王威(オーラ)の力を解放する。

「殺せ!」

 リーダー格の帝王種の男の言葉と共に、王威(オーラ)の力が一斉に良人(いいと)へと降り注ぐ。

 斬撃から放たれる光の刃が、槍の切先から放たれる破壊の嵐が、四方から王喰――良人(いいと)へと襲い掛かり、その身体を呑み込んで爆発を巻き起こす。

 帝王種達の全霊が込められた破壊の力の炸裂によってフィナーリアが暮らしていた小屋が灰燼と化して消滅し、森が薙ぎ払われて地形が変わる。

「やったか?」

 あまりにも圧倒的な破壊力が示されるのを見て取った帝王種の戦士のリーダーが声を発すると、その中から爆塵を振り払って良人(いいと)が姿を現す。

 まるで空を蹴っているかのように宙を移動し、距離を取った良人(いいと)が地面に軽やかに着地すると、顔を出しているオークが声を発する。

『どうした相棒! 戦えよ! その食欲に抗っても無駄だって分かってるだろ?』

 先日、フィナーリアを前にした時に思い知っているだろうが、王喰の食欲は理性で抑えられるような代物ではない。

 無理に抑制すれば、意識すらも食欲という生物の原初の反応に呑み込まれ、腹が膨れるか獲物がいなくなるまで暴走することになるのは避けられない。

「……別に、抗うつもりなんてねぇよ」

『!』

 その時、小さな声で紡がれた良人(いいと)の言葉に、オークは小さく目を瞠る。


 空腹状態で食料である帝王種を前にした王喰を占めるのは「食欲」しかない。そして、良人(いいと)がその意識を保っているということは、意識を奪うほどの食欲を良人(いいと)の意識が制御していることの証明でもあった。

 それはつまり、自身の中にある狂わんばかりの食欲と、良人(いいと)の理性が釣り合ったことの証でもあったのだ。


「逃がすな! 畳みかけろ!」

 王威(オーラ)の光を纏い、空を翔ける帝王種達が四方から襲い来るのを見ながらも、良人(いいと)はまだ迎撃の姿勢を見せない。

『相棒!』

 このままでは己の生命が脅かされかねないという焦燥に声を荒げたオークに、良人(いいと)が落ち着いた淡泊な声音で応じる。

「なあ、オーク。あいつの……フィナーリアの最期はどうだった?」

 その手に王喰の力を纏わせ、その一薙で生み出した衝撃波によって帝王種達を阻んだ良人(いいと)は、オークに向けて問いかける。

 意識がなかったために見ていなかったフィナーリアの最期の姿。食欲に自我を失っていた己が見届けることができなかったその瞬間をオークに問いかける。

『お前、一々喰った飯の事を覚えてるのかよ?』

 そんな良人(いいと)の押し殺したような声に辟易とした様子で応えたオークは、しかしその表情を真摯なものに変えて話を続ける。

『――と言いたいところだが、あの極上の飯の味は忘れられねぇ。それに、最後に喰った飯だしな』

 冗談めかした軽口で告げたオークは、すぐにその感情を切り替えて、真剣な声音で言う。


 美味な料理の味を色褪せることなく覚えているように、オークにとって極上の食事であったフィナーリアの味とその時の記憶は鮮明に脳裏に焼き付いている。

 自我を失うほど食欲に呑まれた良人(いいと)を前にしたフィナーリアは、恐怖でその顔を引き攣らせながら、懸命に生きようともがき、そして最後には己の死を受け入れた。


『まあ、俺達に喰われることを歓迎してはいなかったな――最期には諦めて受け入れていたよ』


「……だろうな」

 言葉を濁しながらも、その最期の瞬間を伝えたオークの言葉に、良人(いいと)は肩を竦めるようにして言う。


 誰も望んで天敵に食べられる生き物などいはしない。フィナーリアが最期まで生きることを望んでいたことを確かめた良人(いいと)は、安堵すらしていた。

 なぜならそれは、フィナーリアが彼女は生きたいと願っていたということの証だったのだから。


(なぁ、お前は俺の事をどう思って死んだんだ? ――憎んだのか? それとも裏切られたって悲しかったのか? それとも生きたいって思いながら、仕方がないって諦めたのか?)

 捕食者と被捕食者。生きるために喰う者と、生きるために自分を喰う者と戦う者。――生きるために別の命を奪わなければならない因果に思いを馳せ、良人(いいと)は拳を握り締める。

(ようやく、俺にも少し分かったよ。俺達は怒りや憎しみや、理性で生きてるんじゃない。俺達は命で向き合ってたんだな)

 自分達の関係に理由などない。心の奥、魂の根源に刻まれた原初の在り方に従って生きているのだとフィナーリアと過ごしたことによって悟った良人(いいと)は、一つ息を吐く。

 その目を開けば、四方から自分へと向かってくる帝王種の戦士達の姿が目に映る。自分達が生き続けるために天敵である王喰を排除せんとするその姿を見止めた良人(いいと)は、おもむろにその口を開く。


「相棒――腹、減ったな」


『あぁ』

 その言葉に満面の笑みを浮かべたオークは、その身体を宿主である良人(いいと)と融合させる。

 瞬間、良人(いいと)から生じた炎が周囲に広がり、触れるもの全てを灰燼と帰し無へと変える熱風と炎熱が帝王種達に直撃する。

「なっ……!?」

 爆発などという表現では生ぬるい炎の奔流――まるで恒星が出現したかのような力の奔流を受けた帝王種の戦士達は、それを王威(オーラ)の壁で阻みながら驚愕のあまりに目を見開く。

 燃えるというよりは消滅すると表現した方が適切に思える炎の力が大地を蒸発させ、川を消し去って天を焦がす中、その中心から王喰が姿を現す。


 その姿は、以前のような鬼を彷彿とさせる異形のそれではなくなっていた。――厳密には、頭部に角が生えているのは変わらないが、人型の異形だった王喰の姿は、良人(いいと)の姿に限りなく近いものへと変化していたのだ。

 その身に纏われたコートを思わせる鱗とも甲殻とも見える鎧は煉獄の炎を纏い、その背に映えた翼は煌々とした輝きを放っている。

 燃え盛る炎を思わせる足元まで伸びた長い髪をなびかせ、爛々と輝く双眸で有すその姿は、見る者に畏怖を抱かせるものだった。



「俺が生きるために、お前から勝手に命を奪った。だから俺は、ちゃんと最期まで生きるよ」



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