第十八話 帰路
ハワイ出港から一日。
第88機動艦隊は、日本へ向け北西進を続けていた。
海は静かだった。
静かすぎた。
波がない。
風も弱い。
ただ。
重い機関振動だけが、艦内へ低く響いている。
誰も、その静けさを好まなかった。
斬光艦橋。
灯火は落とされ。
薄暗い。
副長が補給状況を確認している。
「燃料、弾薬ともに不足傾向。」
「帰投自体は可能。」
短い報告。
艦長が海を見たまま言う。
「帰れれば、な。」
誰も返さない。
空気が重い。
疲労も限界だった。
ハワイ戦。
その傷は、まだ艦隊全体へ残っている。
整備員は眠れていない。
航空隊も連続出撃。
医務区画は、まだ負傷者で埋まっていた。
それでも。
艦隊は止まれない。
その時だった。
通信士。
「……入電。」
声が少し硬い。
艦橋全員が振り向く。
「第六機動艦隊戦線崩壊。」
沈黙。
機関音だけが響く。
通信士が続ける。
「敵群突破。」
「第五機動艦隊損耗率八十。」
誰も喋らない。
艦長だけが低く言った。
「……抜かれたか。」
さらに通信。
「第四機動艦隊後退。」
「第三機動艦隊戦線維持不能。」
副長が静かに海図を見る。
「止め切れていません。」
通信士。
「現在、第七機動艦隊が最終外縁防衛線維持中。」
「第一機動艦隊、本土防衛線展開中。」
空気が止まる。
第七。
最後の壁だった。
艦長がゆっくり椅子へ座る。
「……第七まで来たか。」
その声には、さすがに重さがあった。
観測索敵士が、小さく呟く。
「ドラゴンシー……。」
美鈴が視線だけ向ける。
観測索敵士は、ハワイで聞いた噂を話した。
消える艦隊。
戻らない飛行機。
黒い霧。
南東海域。
そして。
“ドラゴンシー”。
副長が静かに言う。
「敵出現方向とも一致します。」
艦長。
「偶然じゃねぇな。」
美鈴は答えない。
ただ海図を見ている。
南東。
黒い海域。
その時だった。
さらに入電。
「第七機動艦隊より。」
「敵群なお増加。」
「戦線圧迫。」
通信士が言葉を止める。
そして。
小さく続けた。
「……生存艦、多数。」
つまり。
まだ戦っている。
まだ沈んでいない。
まだ耐えている。
艦橋が静まる。
その沈黙を破ったのは、美鈴だった。
「索敵機発進準備。」
副長が即座に動く。
「斬光専用索敵機十。」
「発進可能。」
「ただし長距離です。」
「護衛なしでは危険。」
美鈴。
「一航戦。」
「各艦、護衛戦闘機十機。」
「索敵隊護衛へ。」
副長が頷く。
「合計四十機。」
「長距離広域索敵。」
艦長が苦く笑った。
「本気だな。」
美鈴は海を見たまま答える。
「見つけなければ終わります。」
航空甲板。
夜。
赤灯だけが甲板を照らしていた。
誰も喋らない。
工具音。
波音。
機関音。
それだけが響く。
整備員たちの顔には疲労が浮いていた。
だが。
手は止まらない。
風間が機体へ乗り込む。
いつもの軽口はない。
若手エース候補が隣へ立つ。
少女が小さく聞いた。
「……本土、持ちますか。」
風間は少しだけ黙った。
そして。
「持たせる。」
短かった。
だが。
それだけだった。
発艦開始。
爆音。
夜の海へ。
索敵機。
護衛戦闘機。
次々と飛び立っていく。
赤灯の中。
機影だけが闇へ消えていく。
その時だった。
通信。
「第七機動艦隊より。」
「先行高速艦による生存艦回収支援要請。」
副長。
「現在位置より、高速艦なら先行可能。」
艦長。
「行かせるか。」
美鈴は即答した。
「駆逐艦群先行。」
「生存艦支援。」
その瞬間。
森風。
月影。
狼号駆逐艦群。
一斉加速。
白波が裂ける。
紡と水源だけは残った。
椿護衛。
補給線維持。
帰還線維持。
その役目がある。
月影艦橋。
若い艦長が前を見ていた。
「最大戦速。」
「第七艦隊へ急行。」
部下が敬礼する。
「了解。」
森風も並走。
誰も喋らない。
夜。
黒い海。
そこを。
駆逐艦群だけが、牙のように突き進んでいく。
その後方。
観測索敵士だけは、ずっと南東を見ていた。
暗い海。
静かすぎる海。
その先に。
何かがいる。
そんな気がしてならなかった。




