王都防衛――痛みを喰らう蟻【前半】
魔王城から現れた、異形の存在。
そして始まる、王都への砲撃。
赤黒い光が、王都の空を染めていた。
魔王城の鼓動が、石畳の奥から響いてくる。
ドクン。
ドクン。
まるで巨大な心臓が、
王都そのものを握り潰そうとしているようだった。
ヒマリは西壁へ向かって走っていた。
『ヒマリ』
胸の奥で、クルスの声が響く。
『急げ。もう始まってる』
「何が!?」
『コアが魔王城の外壁まで出てきている』
一瞬の沈黙。
『君が来るのを待ってる』
次の瞬間だった。
魔王城の最上部に、巨大な魔法陣が浮かんだ。
クルスの声が低くなる。
『あれだ』
赤黒い光が収束していく。
そして――。
王都全域に、声が響いた。
『……観察完了』
誰もが動きを止めた。
魔王城の最上部。
そこに、誰かが立っている。
白いローブ。
長い黒髪。
整いすぎた顔。
男とも女ともつかない、美しい姿だった。
だが、どこか壊れている。
頬の下で何かが蠢いた。
一瞬だけ、複眼が覗く。
触角が見える。
人間の顔の奥に、別の生き物が潜んでいるようだった。
寒気が走る。
『人間とは――なんと美しい欠陥か』
「……あなた、誰?」
ヒマリは王錫杖を身構えた。
その存在は、ゆっくり笑う。
艶やかな笑顔だった。
(なんと、美しい……)
兵たちの息を呑む音が聞こえた。
『私は――ベル・ブリュード』
優しかった空気が凍る。
『人間の完成形だ』
ベル・ブリュードの姿が消えた。
直後、魔王城の砲塔が一斉に光った。
「伏せて!」
フェルマーの叫びが響く。
ドガァァァァン!!
赤黒い砲撃が王都へ降り注いだ。
二重に展開された結界に正面から炸裂する。
衝撃で城壁が揺れ、兵士たちが地面へ叩きつけられた。
「結界、維持!」
「結界班、魔力供給を切らすな!」
フェルマーが叫ぶ。
やがて砲撃が収まった。
誰もが息を呑む。
結界は――耐えていた。
「……防げた?」
兵士の一人が呟いた。
しかし、ヒマリは違和感に気づいた。
「……何か、降ってくる」
砲撃の残骸。
黒い塊が、城壁のあちこちへ落ちている。
そして――。
黒い塊が割れた。
中から、細い脚が伸びる。
さらに別の塊が弾けた。
今度は羽音が響いた。
ブブブブブ――。
「……蟻?」
地面を黒い群れが走り始める。
空では無数のハエが舞い上がった。
瞬く間に、王都の外が黒く染まっていく。
地上には蟻。
空には蠅。
王都が、上下から包囲されていく。
フェルマーは魔法陣を展開しながら、歯を食いしばった。
「地上だけじゃない……空まで同時に攻めてくるとは」
ヒマリは王錫を握り締める。
フェルマーが叫ぶ。
「私は空の魔物に専念する、移動を制限します!」
ヒマリは空を見上げた。
黒い群れが、太陽を覆っている。
「私の浄化が……」
声が震える。
「こんな化け物を生み出したの?」
「違う!」
フェルマーが即座に否定した。
「あなたは救ったのです!」
珍しく、声を荒らげていた。
「あなたが触れた傷は、確かに癒えています!」
「ですが、その過程で生じた残滓を
――魔王城が誤って解釈した!」
フェルマーはヒマリを真っ直ぐ見つめる。
「それは、ヒマリの罪ではない!」
それでも。
ヒマリの胸には、その言葉が完全には届かなかった。
風に混じって、異臭が漂ってくる。
腐ったような、それでいてどこか甘い臭い。
兵士たちの顔から血の気が引いていく。
「……陛下」
若い兵士が震える指を上げた。
「あれは……何ですか?」
ヒマリが振り返る。
そして、息を呑んだ。
王都の外が黒い。
地面が見えない。
無数の蟻が地表を埋め尽くし、迫ってくる。
その上空にはハエの群れが渦巻いている。
「西壁! 第二防衛線後退!」
「結界班、フェルマー様を支援しろ!」
「火油を運べ!」
怒号が飛び交う。
兵士たちは必死に剣を振るった。
昇って来た蟻を斬り、
城壁に油を掛け、焼き払う。
それでも、黒い群れは途切れない。
消えたそばから地面が盛り上がり、新たな蟻が這い出してくる。
まるで――感情そのものが形を持ち、押し寄せているようだった。
ヒマリは王錫を握り締めた。
「フェルマー!」
「はい!」
「そのまま結界で蠅を包んで。王都を守るよ!」
「その調子だ!」
その横で、アリシアが息を呑んでいた。
恐怖に足が震える。
それでも――。
彼女は一歩前へ出た。
「私も……」
ヒマリが振り返る。
「アリシア?」
「私も、何かします」
その声は震えていた。
けれど、もう逃げなかった。
「自分の足で……立ちます」
ヒマリは微笑んだ。
「うん」
そして王錫を構える。
「一緒に戦おう」
◆
だが、蟻の群れがとまらない。
焼けた城壁から、十匹。
百匹。
千匹。
黒い波が押し寄せてくる。
空では蠅の群れが行き場を探して渦を巻いていた。
ヒマリは王錫を振り上げる。
白い浄化の光が走り。
黒い蟻が一斉に吹き飛んだ。
だが、その後ろからまた新たな群れが押し寄せる。
消えても。消えても。
湧き出てくる。
その時、黒い影が空を切った。
ザンッ!
ハエの群れが真っ二つに裂ける。
「……邪魔」
ノリスだった。
白磁のような仮面をつけ、黒い涙のような線が目元を走っている。
(……趣味悪い。フェルマーの仕業ね)
だが、剣技に迷いはない。
彼女が歩くたび、ハエ型魔物が崩れ落ちていく。
「ノリス!」
ヒマリが呼ぶ。
ノリスは振り返らない。
「あなたは、人間を守って」
黒い群れへ踏み込む。
「私は――私の痛みを取り返す」
ヒマリの胸が揺れた。
ノリスもまた、奪われた側だ。
だからこそ、あの怪物は許せない。
◆
その時だった。
「うわっ!」
城壁の端で、兵士が足を滑らせた。
黒い群れに足を取られ、身体が大きく傾く。
「誰か!」
だが、誰も動けない。
全員が魔物への対処で手一杯だった。
その瞬間、アリシアが走った。
「待って!」
兵士の腕を掴む。
「殿下!」
護衛が叫ぶ。
それでも、アリシアは手を離さなかった。
「……っ!」
重い、腕が震える。
それでも、引き上げる。
「大丈夫ですか?」
「……アリシア様?」
「動けますか?」
「は、はい!」
「では、下がってください」
アリシアは兵士の肩を支えた。
「ここは、ヒマリ女王が守ります」
兵士の瞳に、わずかな光が戻った。
「……はい!」
アリシアは振り返らなかった。
ただ、次に助けるべき人を探していた。
魔王城から現れたベル・ブリュード。
そして、砲撃によって王都へ放たれた蟻と蠅。
ヒマリたちは、これまでとは違う戦いに
挑むことになります。




